ムクドリは椋鳥か? 2004年9月(今回は若干長くなった)
結論から言ってしまえばムクドリは椋鳥ではないらしい。実は筆者は榎の鳥、ではないかと思っている。
当地での筆者の観察によると、ムクドリとエノキとは非常に相性がいいからだ。秋になるとエノキの実が熟して、ムクドリがさかんに食べる。町中でも電線にムクドリの群れがとまるところでは、下にフンが溜まる。フンといってもほとんど種子や皮ばかりで、これがたいていエノキなのだ。エノキは丘陵にもあるが、平地にふつうにある木で、発芽しやすいのか、ムクドリがよくばらまくせいか幼樹があちこちに出る。
それに対してムクノキは少ない。めずらしいというほどではないが、少ない。町中では段丘に残されたわずかな緑地に見られる程度か。高さ10メートル以上の大木になり、ケヤキのような樹形を作り、実もたくさんつけるのだが、タイミングが悪いせいか、ムクドリが食べに来ているところをまだ見たことがない。
いつも行く草花丘陵にも斜面に大木が何本かあり、今年も実をつけている。まだ熟すのは先のことだが、丘陵のムクノキにムクドリが来たのをやはり見たことがない。よく来るのはヒヨドリ、イカル、シメなど。ただ梢は高い位置にあるので、鳴かないと鳥が来ていることに気がつかないことが多い。エノキはそれに対して、比較的低い位置から枝が横へ張るので小鳥が来ていれば気づきやすい。
図鑑によるとムクノキというのは関東以西に分布するということで、言わば西日本の木であるらしい。どおりでエノキほどなじみがないわけだ。と思いつつ、いくつかの本、その他の情報をめぐってみたところ、どうも西日本においても、エノキのほうが多くて人の生活にも関係が深いらしい。ただ筆者は当地の狭い範囲におけるムクノキとムクドリの関係しか見ていないので、はたしてムクノキが多いかもしれない地方にもこの観察が当てはまるのかどうか、あまり自信がない。
たいていの本ではムクドリの語源というと、ムクノキに来るから、椋の実を食べるから、ということになっている。『図説日本鳥名由来辞典』もそうだが、さらにその記述にしたがって『日葡辞書』をみると、ムクドリがでているし、ムクノキもエノキも載っていて、間違えやすいといわれるこの2種の木は『日葡辞書』の上では区別が出来ているようだ。西暦1600年当時のたぶん長崎、ひろく言えば九州ではムクドリと呼ばれる鳥がいて、ムクノキも載っていて西日本の木、となるとやはりムクドリは椋の鳥か。でも自分の実感を大事にして、さらに調べる。
『定本柳田国男集』(11巻「神樹篇-争ひの樹と榎樹」p116)によるとムクノキとエノキが間違いやすい木であることについて柳田は、「椋はなつても木は榎」という俚諺をひいて、頑なに間違いをあらためない片意地な人のことを嘲る意味であるが、「現に槻と榎とのように異なった木でも、時として人を迷わしめたことがあるのである。況んや椋は榎の一種と見るべき程に相近いもので、精確な区別をする為には学問が入用であり、普通の生活に於いてはまだ屢々争い又は疑われて居たのである」として実はこの2種の木はよく似ていて混同されていたものだったという。
さらに、柳田はムクドリのことを「越後に於ては之をエノミクヒと呼んで居る」といい、エノミは椋の木の実であろうと述べている(11巻「神樹篇-争ひの樹と榎樹」p117)。エノミというからには榎の実だろうが、そこに引用された原典の『越後名寄13』を見ていないので、その木を柳田がムクノキと断定した根拠はわからないが、東京赤坂の榎坂町での榎はムクノキであるとの例をあげて、ムクノキはムクエノキとも呼び、椋の実を榎の実というのも必ずしも誤りではない、としている。
前川文夫の『植物の名前の話』でも「オシャグジデンダとエノキ」のなかで、古くはエノキとムクノキは同一視されていたと述べている。
だからこの鳥を椋鳥と呼んではいたが、じつはその鳥はおもにエノキに来ているところを見ていたのだった、かもしれないわけで、筆者の観察もそれを支持している。
そうすると反対にエノキをムクノキと呼ぶ例があれば、「だからムクドリはじつは榎の鳥、つまりエノキドリだ」とはっきり言ってもいいことになる。今のところその例をひとつだけ見つけている。それはあるホームページで得た情報で、エノキの方言にメムクノキというのがあるというものだ。ただ、どの地方の方言で、どこから得た情報なのか、出所が明らかでないのが残念。
『日本国語大辞典』の「むく-の-き」の項目には「おむく」というのがある。つまりムクノキが雄のムクノキ、エノキが雌のムクノキということだろう。これは木の大きさ、葉の大きさ、実の大きさ、そのいずれもムクノキのほうが大きいので「おむく」、エノキのほうが小ぶりなのでメムクノキなのだろう。やはりムクドリは椋と呼ばれた榎に来ている鳥についた名ではないか。
調べているなかで拾ったムクドリの俳句。『古典文学植物記』(學燈社)の「椋」の項に載っていた。
むくの木のむく鳥ならし月と我 桐雨
椋の実や一むら鳥のこぼし行く 漢水
むく鳥の椋の葉ちらす初しぐれ 傘狂
はたしてどれもムクノキだったかどうか。あるいはエノキを見て詠んだかもしれない。そして同じ本の「榎」の項に一句。
榎の実ちるむくの羽音や朝あらし 芭蕉
ひいき目かもしれないが、芭蕉のエノキの句のほうがよく対象を観察していると思う。ムクノキの3句はやや概念的ではないか。
じつはムクドリの語源ではもうひとつひっかかる思いがある。それは「ムク」は声から来ているのではないかということ。ムクドリもいくつか鳴き声があるが、そのなかに「キュルキュル」と聞こえる声がある。この「キュルキュル」がキュムキュム、ムキュムキュ。ムキュムキュと鳴く鳥でムキュドリ、ムクドリ。
こじつけみたいに聞こえるかもしれないが、ヒヨドリもウグイスもカラスもシジュウカラももとはその声に由来するという。ヒヨドリはヒーヨ、ウグイスはウークイ、カラスはカー、シジュウカラはシジュシジュ。案外そんなところなのかもしれない。
エノキ、ムクノキの区別は慣れればわかるが、地鳴きによる鳥の識別はなかなかむずかしい。そこで次のテーマは
ツグミ類の地鳴きはむずかしい
そろそろ冬のツグミ類がやってくるし、その前にクロツグミが……
結論から言ってしまえばムクドリは椋鳥ではないらしい。実は筆者は榎の鳥、ではないかと思っている。
当地での筆者の観察によると、ムクドリとエノキとは非常に相性がいいからだ。秋になるとエノキの実が熟して、ムクドリがさかんに食べる。町中でも電線にムクドリの群れがとまるところでは、下にフンが溜まる。フンといってもほとんど種子や皮ばかりで、これがたいていエノキなのだ。エノキは丘陵にもあるが、平地にふつうにある木で、発芽しやすいのか、ムクドリがよくばらまくせいか幼樹があちこちに出る。
それに対してムクノキは少ない。めずらしいというほどではないが、少ない。町中では段丘に残されたわずかな緑地に見られる程度か。高さ10メートル以上の大木になり、ケヤキのような樹形を作り、実もたくさんつけるのだが、タイミングが悪いせいか、ムクドリが食べに来ているところをまだ見たことがない。
いつも行く草花丘陵にも斜面に大木が何本かあり、今年も実をつけている。まだ熟すのは先のことだが、丘陵のムクノキにムクドリが来たのをやはり見たことがない。よく来るのはヒヨドリ、イカル、シメなど。ただ梢は高い位置にあるので、鳴かないと鳥が来ていることに気がつかないことが多い。エノキはそれに対して、比較的低い位置から枝が横へ張るので小鳥が来ていれば気づきやすい。
図鑑によるとムクノキというのは関東以西に分布するということで、言わば西日本の木であるらしい。どおりでエノキほどなじみがないわけだ。と思いつつ、いくつかの本、その他の情報をめぐってみたところ、どうも西日本においても、エノキのほうが多くて人の生活にも関係が深いらしい。ただ筆者は当地の狭い範囲におけるムクノキとムクドリの関係しか見ていないので、はたしてムクノキが多いかもしれない地方にもこの観察が当てはまるのかどうか、あまり自信がない。
たいていの本ではムクドリの語源というと、ムクノキに来るから、椋の実を食べるから、ということになっている。『図説日本鳥名由来辞典』もそうだが、さらにその記述にしたがって『日葡辞書』をみると、ムクドリがでているし、ムクノキもエノキも載っていて、間違えやすいといわれるこの2種の木は『日葡辞書』の上では区別が出来ているようだ。西暦1600年当時のたぶん長崎、ひろく言えば九州ではムクドリと呼ばれる鳥がいて、ムクノキも載っていて西日本の木、となるとやはりムクドリは椋の鳥か。でも自分の実感を大事にして、さらに調べる。
『定本柳田国男集』(11巻「神樹篇-争ひの樹と榎樹」p116)によるとムクノキとエノキが間違いやすい木であることについて柳田は、「椋はなつても木は榎」という俚諺をひいて、頑なに間違いをあらためない片意地な人のことを嘲る意味であるが、「現に槻と榎とのように異なった木でも、時として人を迷わしめたことがあるのである。況んや椋は榎の一種と見るべき程に相近いもので、精確な区別をする為には学問が入用であり、普通の生活に於いてはまだ屢々争い又は疑われて居たのである」として実はこの2種の木はよく似ていて混同されていたものだったという。
さらに、柳田はムクドリのことを「越後に於ては之をエノミクヒと呼んで居る」といい、エノミは椋の木の実であろうと述べている(11巻「神樹篇-争ひの樹と榎樹」p117)。エノミというからには榎の実だろうが、そこに引用された原典の『越後名寄13』を見ていないので、その木を柳田がムクノキと断定した根拠はわからないが、東京赤坂の榎坂町での榎はムクノキであるとの例をあげて、ムクノキはムクエノキとも呼び、椋の実を榎の実というのも必ずしも誤りではない、としている。
前川文夫の『植物の名前の話』でも「オシャグジデンダとエノキ」のなかで、古くはエノキとムクノキは同一視されていたと述べている。
だからこの鳥を椋鳥と呼んではいたが、じつはその鳥はおもにエノキに来ているところを見ていたのだった、かもしれないわけで、筆者の観察もそれを支持している。
そうすると反対にエノキをムクノキと呼ぶ例があれば、「だからムクドリはじつは榎の鳥、つまりエノキドリだ」とはっきり言ってもいいことになる。今のところその例をひとつだけ見つけている。それはあるホームページで得た情報で、エノキの方言にメムクノキというのがあるというものだ。ただ、どの地方の方言で、どこから得た情報なのか、出所が明らかでないのが残念。
『日本国語大辞典』の「むく-の-き」の項目には「おむく」というのがある。つまりムクノキが雄のムクノキ、エノキが雌のムクノキということだろう。これは木の大きさ、葉の大きさ、実の大きさ、そのいずれもムクノキのほうが大きいので「おむく」、エノキのほうが小ぶりなのでメムクノキなのだろう。やはりムクドリは椋と呼ばれた榎に来ている鳥についた名ではないか。
調べているなかで拾ったムクドリの俳句。『古典文学植物記』(學燈社)の「椋」の項に載っていた。
むくの木のむく鳥ならし月と我 桐雨
椋の実や一むら鳥のこぼし行く 漢水
むく鳥の椋の葉ちらす初しぐれ 傘狂
はたしてどれもムクノキだったかどうか。あるいはエノキを見て詠んだかもしれない。そして同じ本の「榎」の項に一句。
榎の実ちるむくの羽音や朝あらし 芭蕉
ひいき目かもしれないが、芭蕉のエノキの句のほうがよく対象を観察していると思う。ムクノキの3句はやや概念的ではないか。
じつはムクドリの語源ではもうひとつひっかかる思いがある。それは「ムク」は声から来ているのではないかということ。ムクドリもいくつか鳴き声があるが、そのなかに「キュルキュル」と聞こえる声がある。この「キュルキュル」がキュムキュム、ムキュムキュ。ムキュムキュと鳴く鳥でムキュドリ、ムクドリ。
こじつけみたいに聞こえるかもしれないが、ヒヨドリもウグイスもカラスもシジュウカラももとはその声に由来するという。ヒヨドリはヒーヨ、ウグイスはウークイ、カラスはカー、シジュウカラはシジュシジュ。案外そんなところなのかもしれない。
エノキ、ムクノキの区別は慣れればわかるが、地鳴きによる鳥の識別はなかなかむずかしい。そこで次のテーマは
ツグミ類の地鳴きはむずかしい
そろそろ冬のツグミ類がやってくるし、その前にクロツグミが……
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