「しのび音」起源考
はじめに
♪うの花のにおう垣根に、時鳥早もきなきて、忍音もらす 夏は来ぬ。
唱歌「夏は来ぬ」は佐佐木信綱の作詞、小山作之助の作曲により、明治29年発行の『新編教育唱歌集5』によって発表された(『日本唱歌集』岩波文庫)。以来こんにちまで永く親しまれている。しかし、この歌詞の意味する情景をよくよく思い浮かべると、一見ありそうにみえるが、実はありそうもない情景となる。
まず、卯の花の垣根がない。それについて筆者はさきに「卯の花垣はどこにある」のなかで、昔はよくある風景だったらしいが、最近では見られなくなったことについて書いた。その卯の花にほんとうにホトトギスは来るのだろうか、というところで「卯の花垣はどこにある」を終えている。なぜホトトギスが卯の花に来るというのだろうか。しかも、そこで「しのび音」をもらすというのもわかりにくい。そもそも「しのび音」とはどんな鳴き方なのか。そこで「しのび音」ということばの起源を中心にして和歌のなかのホトトギスについて考えてみよう。
なお、ホトトギスの表記は古典やその註釈の引用は原文にしたがい、それ以外は野鳥の場合も文学上のときもカタカナのホトトギスとした。おなじく、「しのび音」も引用については原文のまま、それ以外は「しのび音」とした。
万葉集のホトトギス
「夏は来ぬ」の歌詞についてのこれらの疑問は野外で野鳥をみるのを楽しみとするものにとっては当然の疑問ではないか。なぜなら、この歌詞の情景はホトトギスの生態とひとつも結びつかないからだ。ホトトギスは確かに観察のしにくい鳥だ。自然の中でその姿をじっくり見られる機会はすくない。たいていは声が聴こえるだけで終ってしまう。しかし、それにしても「しのび音」なる鳴き声も、思い当たる鳴き方も聞いた事がない。野鳥に関する本でもそんな鳴き方について解説したものには出会ったことがない。
では多くのホトトギスを詠った和歌のなかで「しのび音」はどう詠われているのか。どういう情景で詠われているのか。どんな声を「しのび音」と表現しているのか。それを確かめることによって、「しのび音」とは何か、そしてその起源はどこにあるのかをさぐってみることにした。
古来、ホトトギスは数多くの歌人に詠われている。なかでも万葉集には156首の歌があるという。まずは万葉集にホトトギスの「しのび音」をさがすことにしよう。これには川口爽郎著『万葉集の鳥の歌』(北方新社1982年)という便利な本がある。巻末には各鳥ごとにまとめた歌の索引があるので、これを使って、新潮日本古典集成の『万葉集』を見ていくことにした。
そして、まもなくわかったことは、意外な事に「しのび音」なることばがひとつもないということだった。なぜないのか。万葉の時代、まだホトトギスの「しのび音」という習性に気づいていなかったのか。それとも、やはり「しのび音」などという習性はないということか。いったいそれではどこから、いつの時代から「しのび音」ということばが使われたのだろうか。しかし、万葉集のなかに手がかりが無かったわけではない。
万葉集の編纂に大きくかかわっていたとされる大伴家持は、またホトトギスの歌を多く詠ったことでも知られている。その家持のホトトギスの歌には、「しのふ」ということばが、しのふ、しのはむ、しのひ、しのひつつ、しのはく、しのはゆ、偲はく、うち偲(じの)ひ、と8つ現われる。うちふたつはホトトギス以外の鳥の声について使っている。「しのふ」は他の歌人によるホトトギスの歌には無く、家持だけに使われていた。これらの家持の歌がいかにも「しのび音」と関係ありそうに思われる。
新潮日本古典集成の『万葉集』の訳注によると「しのふ」のところは賞美する、めでる、なつかしむ、心引かれる、思い慕うなどと訳している。以下にその8首の歌とその訳を紹介する。各歌の最初の数字は『国歌大観』の歌番号である。
4089 ~百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別きてしのはむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす~
さまざまな鳥がやって来て鳴く声、その声は、春になると、聞いてひとしお心にしみる。とりわけどの鳥の声を賞(め)でるというわけにはいかない。やがて卯の花の咲く四月ともなると、懐かしくも鳴く時鳥、~
4090 ゆくへなく ありわたるとも ほととぎす 鳴きし渡らば かくやしのはむ
先の見通しもなく日を送るようなことがあっても、時鳥が鳴きながら飛び渡って行きさえしたら、やはり今と同じに聞き惚れることであろう。
4119 いにしへよ しのひにければ ほととぎす 鳴く声聞きて 恋しきものを
都に住んでいた昔からずっと賞でてきたので、時鳥が今しも鳴く声を聞くと、かえって都恋しい気持でいっぱいになる。
4166 ~鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに うち嘆き 萎(しな)えうらびれ しのひつつ~
鳴く鳥の声も変ってゆく。その鳥の声を耳に聞き、その花の姿を目にするたびに、溜息をつき、深く心打たれて賞でながら~
4168 毎年(としのは)に 来鳴くものゆゑ ほととぎす 聞けばしのはく 逢はぬ日を多み
毎年来て鳴くものなのに、時鳥の声を聞くと何とも懐かしい。その声を耳にしない日が多いので。
4180 ~鳴くほととぎす 初声を 聞けばなつかし あやめぐさ 花橘を 貫き交へ かづらくまでに 里響(とよ)め 鳴き渡れども なほししのはゆ
時鳥は、その初声を聞くと、たまらなく心ひかれる。菖蒲や花橘なんぞを混ぜて糸に通し、蘰にして遊ぶ五月まで、里中響きわたるほどに鳴き渡っているけれども、それでもやっぱり心ひかれてならない。
4195 我がここだ 偲はく知らに ほととぎす いづへの山を 鳴きか越ゆらむ
私がこんなにもひどく恋い焦がれているのも知らないで、時鳥は、今頃どの辺の山を、鳴いて飛び越えているのであろうか。
4196 月立ちし 日より招(を)きつつ うち偲(じの)ひ 待てど来鳴かぬ ほととぎすかも
月が改まった日から、早く来てほしいと心待ちに待っているけれども、いっこうに、来て鳴いてはくれないな、時鳥は。
4089と4166は一般的に鳥の囀りを「しのふ」つまり賞でると詠んでいるが、それ以外はホトトギスと「しのふ」の組合せである。以上の歌の中の「しのふ」はどれも家持が鳥の声、なかでもホトトギスの声に心を動かされる様、あるいはホトトギスの声をたたえるというもので、ホトトギスの声を聴く立場の家持の気持を現わしているのであって、ホトトギスや鳥の声そのものの鳴き方を表現しているのではない。
はたして、これが後になって、「しのび音」に転化するのだろうか。その転化していく道すじをたどることができるだろうか。だとしたら、いつ、どのように変化するのか。家持の「しのふ」を起点にして推理してみよう。
はじめに
♪うの花のにおう垣根に、時鳥早もきなきて、忍音もらす 夏は来ぬ。
唱歌「夏は来ぬ」は佐佐木信綱の作詞、小山作之助の作曲により、明治29年発行の『新編教育唱歌集5』によって発表された(『日本唱歌集』岩波文庫)。以来こんにちまで永く親しまれている。しかし、この歌詞の意味する情景をよくよく思い浮かべると、一見ありそうにみえるが、実はありそうもない情景となる。
まず、卯の花の垣根がない。それについて筆者はさきに「卯の花垣はどこにある」のなかで、昔はよくある風景だったらしいが、最近では見られなくなったことについて書いた。その卯の花にほんとうにホトトギスは来るのだろうか、というところで「卯の花垣はどこにある」を終えている。なぜホトトギスが卯の花に来るというのだろうか。しかも、そこで「しのび音」をもらすというのもわかりにくい。そもそも「しのび音」とはどんな鳴き方なのか。そこで「しのび音」ということばの起源を中心にして和歌のなかのホトトギスについて考えてみよう。
なお、ホトトギスの表記は古典やその註釈の引用は原文にしたがい、それ以外は野鳥の場合も文学上のときもカタカナのホトトギスとした。おなじく、「しのび音」も引用については原文のまま、それ以外は「しのび音」とした。
万葉集のホトトギス
「夏は来ぬ」の歌詞についてのこれらの疑問は野外で野鳥をみるのを楽しみとするものにとっては当然の疑問ではないか。なぜなら、この歌詞の情景はホトトギスの生態とひとつも結びつかないからだ。ホトトギスは確かに観察のしにくい鳥だ。自然の中でその姿をじっくり見られる機会はすくない。たいていは声が聴こえるだけで終ってしまう。しかし、それにしても「しのび音」なる鳴き声も、思い当たる鳴き方も聞いた事がない。野鳥に関する本でもそんな鳴き方について解説したものには出会ったことがない。
では多くのホトトギスを詠った和歌のなかで「しのび音」はどう詠われているのか。どういう情景で詠われているのか。どんな声を「しのび音」と表現しているのか。それを確かめることによって、「しのび音」とは何か、そしてその起源はどこにあるのかをさぐってみることにした。
古来、ホトトギスは数多くの歌人に詠われている。なかでも万葉集には156首の歌があるという。まずは万葉集にホトトギスの「しのび音」をさがすことにしよう。これには川口爽郎著『万葉集の鳥の歌』(北方新社1982年)という便利な本がある。巻末には各鳥ごとにまとめた歌の索引があるので、これを使って、新潮日本古典集成の『万葉集』を見ていくことにした。
そして、まもなくわかったことは、意外な事に「しのび音」なることばがひとつもないということだった。なぜないのか。万葉の時代、まだホトトギスの「しのび音」という習性に気づいていなかったのか。それとも、やはり「しのび音」などという習性はないということか。いったいそれではどこから、いつの時代から「しのび音」ということばが使われたのだろうか。しかし、万葉集のなかに手がかりが無かったわけではない。
万葉集の編纂に大きくかかわっていたとされる大伴家持は、またホトトギスの歌を多く詠ったことでも知られている。その家持のホトトギスの歌には、「しのふ」ということばが、しのふ、しのはむ、しのひ、しのひつつ、しのはく、しのはゆ、偲はく、うち偲(じの)ひ、と8つ現われる。うちふたつはホトトギス以外の鳥の声について使っている。「しのふ」は他の歌人によるホトトギスの歌には無く、家持だけに使われていた。これらの家持の歌がいかにも「しのび音」と関係ありそうに思われる。
新潮日本古典集成の『万葉集』の訳注によると「しのふ」のところは賞美する、めでる、なつかしむ、心引かれる、思い慕うなどと訳している。以下にその8首の歌とその訳を紹介する。各歌の最初の数字は『国歌大観』の歌番号である。
4089 ~百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別きてしのはむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす~
さまざまな鳥がやって来て鳴く声、その声は、春になると、聞いてひとしお心にしみる。とりわけどの鳥の声を賞(め)でるというわけにはいかない。やがて卯の花の咲く四月ともなると、懐かしくも鳴く時鳥、~
4090 ゆくへなく ありわたるとも ほととぎす 鳴きし渡らば かくやしのはむ
先の見通しもなく日を送るようなことがあっても、時鳥が鳴きながら飛び渡って行きさえしたら、やはり今と同じに聞き惚れることであろう。
4119 いにしへよ しのひにければ ほととぎす 鳴く声聞きて 恋しきものを
都に住んでいた昔からずっと賞でてきたので、時鳥が今しも鳴く声を聞くと、かえって都恋しい気持でいっぱいになる。
4166 ~鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに うち嘆き 萎(しな)えうらびれ しのひつつ~
鳴く鳥の声も変ってゆく。その鳥の声を耳に聞き、その花の姿を目にするたびに、溜息をつき、深く心打たれて賞でながら~
4168 毎年(としのは)に 来鳴くものゆゑ ほととぎす 聞けばしのはく 逢はぬ日を多み
毎年来て鳴くものなのに、時鳥の声を聞くと何とも懐かしい。その声を耳にしない日が多いので。
4180 ~鳴くほととぎす 初声を 聞けばなつかし あやめぐさ 花橘を 貫き交へ かづらくまでに 里響(とよ)め 鳴き渡れども なほししのはゆ
時鳥は、その初声を聞くと、たまらなく心ひかれる。菖蒲や花橘なんぞを混ぜて糸に通し、蘰にして遊ぶ五月まで、里中響きわたるほどに鳴き渡っているけれども、それでもやっぱり心ひかれてならない。
4195 我がここだ 偲はく知らに ほととぎす いづへの山を 鳴きか越ゆらむ
私がこんなにもひどく恋い焦がれているのも知らないで、時鳥は、今頃どの辺の山を、鳴いて飛び越えているのであろうか。
4196 月立ちし 日より招(を)きつつ うち偲(じの)ひ 待てど来鳴かぬ ほととぎすかも
月が改まった日から、早く来てほしいと心待ちに待っているけれども、いっこうに、来て鳴いてはくれないな、時鳥は。
4089と4166は一般的に鳥の囀りを「しのふ」つまり賞でると詠んでいるが、それ以外はホトトギスと「しのふ」の組合せである。以上の歌の中の「しのふ」はどれも家持が鳥の声、なかでもホトトギスの声に心を動かされる様、あるいはホトトギスの声をたたえるというもので、ホトトギスの声を聴く立場の家持の気持を現わしているのであって、ホトトギスや鳥の声そのものの鳴き方を表現しているのではない。
はたして、これが後になって、「しのび音」に転化するのだろうか。その転化していく道すじをたどることができるだろうか。だとしたら、いつ、どのように変化するのか。家持の「しのふ」を起点にして推理してみよう。