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タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

十種ヶ峰~2

2024-04-30 09:23:20 | 携帯から投稿
    

十種ヶ峰登山の投稿をしていません。気が進まないからです。

気が進まないのは、ハチクマの渡りシーズンを前に天気が安定しないからではありません。確かに、この予報では、いつ渡り観察に出かけようかと迷ってしまいますが、気が進まないのはこのためです。

    

十種ヶ峰登山の日の軌跡です。ご覧のように、尾根に登ったところで軌跡が切れています。つまり、YAMAPの記録上では十種ヶ峰に登ったことになっていないのです。

理由はよく分かりませんが、このように軌跡が切れることが時々あります。それが、よりによって十種ヶ峰登山のときに起こり、タカ長としてはご機嫌斜めなのです。

    

そのようなことは十種ヶ峰に罪はありませんね。当日はタカ長なりに良い登山が出来たと思っているのですが、登山記みたいなものを書いて、その記録がこれでは絵になりません。

    

今回の十種ヶ峰だけではありませんが、裏山以外の山を歩いているときは、この山とはこれが今生の別れになるかも分からないと思うようになっています。ひとつひとつの山がタカ長には大切なのです。

それなのに、その貴重な記録がこれではご機嫌も悪くなりますよね。




雨の中の登山

2023-06-02 08:56:59 | 携帯から投稿
仲間たちとの裏山歩き、今日も雨です。でも、タカ長は行くつもりでした。

Kohdai君にレクチャーすることが残っているからです。しかし、Kohdai君の都合が悪くなって、、、、、、、

他の仲間も裏山に行く雰囲気がないので、タカ長もお休みにしました。寒い時期の雨中登山は嫌ですが、この時期になれば問題ナシ(?)

と言うことで、これからは、たまには雨の裏山を歩くつもりになっています。

       

女房殿と夏山登山の思い出を話しました。北アルプス、燕岳登山のことです。

その日は雨が予想されたので、雨具のズボンだけは着用して出発するように指示していました。しかし、女房殿ともう1名はタカ長の指示を無視したようです。

タカ長はそこらの具体的なことは忘れているのですが、女房殿は「縦走中に雨が降り出し、雨具を着るのに苦労した」と言っていました。

       

Kohdai君にレクチャーしたかったのはそのことだけではありません。雨具のたたみ方、もその一つです。

7月に富士登山を予定しているKohdai君ですが、早々に東京の親戚に行くようです。そのため彼と話が出来る時間も多くないのです。

このようなレクチャーは玄関先でも出来るので、言い残したことは「押しかけレクチャー」することにします。

アメリカから帰国して、忙しい時間をやりくりして富士山に登りたいという彼の希望が無事に叶うことを願っていますから。

       

タカ長も今年は仲間に世話してもらい乗鞍岳に行くつもりです。

標高の高いところでタカ長の体がどのように反応するか、それは行ってみないと分かりません。空気のうすいところを歩くと心臓に負担がかかるようなら、バスの中からハイマツの風景を見るだけでもヨシとする。そのような思いで行くことにしました。

その日は雨登山にならないよう願っています。


それってスピード違反?

2023-03-23 08:04:23 | 携帯から投稿
WBC日本優勝おめでとうございます

昨日の野球、タカ長が本気でテレビ応援するとひいきチームの成績が良くないので、その時間は独りで裏山を歩きました。試合は中盤から見るつもりでした。

その結果、タカ長が見ていないときに村上選手と岡本選手のホームランが出ました。タカ長が見ていないときに良いことが起こるのです。(涙)

でも、最後はシッカリ見ましたよ。まるでドラマみたいでしたね。

    

昨日の朝は曇り空。いつもより早い出発なので中国自然歩道は暗い感じでした。

いつもの道をいつものように歩いて69番鉄塔を目指しました。

    

    

椿の花が落ちていました。その道をガンガン歩いたわけではありません。普通に歩いて、、、、、

自然歩道からジャイアントコースの一部になっている急登を登り、、、、、

    

69番鉄塔に着きました。ここでチョットだけ立ち休憩です。

    

71番鉄塔の上は厚い雲。もちろん誰もいません。

もい一歩前に歩いて行くと、、、、、

    

白い花が咲いていました。タムシバ?

    

    

目の前の木の芽がふくらんでいました。春ですね。

まわりをキョロキョロしながら休みたいのですが、野球観戦があるので早々に下山開始。

中国自然歩道に下りて、いつものペースで帰って来ました。

    

    

その記録です。軌跡に赤い線が見えました。それも急登のところに赤い線。

そんなに速く歩いた気持ちはありません。それでも速めのスピード。スピード違反した感じです。

脚力が上がっての結果なら嬉しいのですが、本当は違います。前夜の雨で地面がしっとりと濡れていて、そのため急登もいつもより楽に歩けました。

理由は何であれ、速めのスピードが記録されていると、チョットだけ嬉しい気持ちになります。




読了しました

2023-03-03 09:00:00 | 携帯から投稿
    

昨日紹介したこの本を読了しました。

時間的には楽勝でしたが、最後のページまで読み終えたら目はショボショボ、やはり歳ですね。

誰かが言っていました。良い小説を読むことは美味しいワインを飲むようなもの、、、、、だったかなぁ?

ワインそれとも日本酒?美味しい料理だったかも?忘れてしまいましたが、とにかく幸せな時間を過ごすことが出来ました。

    

この本は世界的な登山家田部井淳子をモデルに書かれた小説です。

ノンフィクションですから架空の人物も登場します。しかし、多くは史実ではないかと思いながら読みました。田部井淳子はタカ長と同じ昭和14年生まれ。そのため社会的な背景は理解できました。

たとえば、1956年5月9日に日本隊がマナスル初登頂に成功し、空前の登山ブームが起こったこと。その初登頂は映画で公開され、タカ長も見に行ったことをハッキリと記憶しています。

タカ長もその登山ブームに乗って山歩きを始めた一人です。

    

言うまでもないことですが、世界的な登山家田部井淳子とタカ長の間には、「月とスッポン」、、、、、ではなくて「太陽とスッポン」くらいの差があります。しかし、同じ時代に山を楽しんだものとして共感できることもありました。

世界的な登山家も藪山登山者もその根っこのところは同じようなモノかも分かりません。でも、田部井淳子の凄さには手も足も出ないと思ったことも色々ありました。

たとえば、おそらく史実だと思いますが、父が急死して憔悴している母の懇願をふり払って帰京する淳子。タカ長にはそのような強さはありません。

    

好きな登山のためとは言え、このような娘を家に残して何カ月も山に出かける強さはタカ長たち夫婦にはありません。

だから、タカ長たちは藪山登山者のままで、淳子は世界的な登山家。

    

登山をめぐる環境も大きく変わりました。機材面も進歩してすべてが軽くなりました。

1年に1登山隊と言われていたエベレスト登山ですが、今では年間数百人が登頂出来るようになりました。登頂出来る日は限られるので、登山できる日には長蛇の列。そのような写真を見ました。

しかし、この時代は機材面だけでも大変、エベレスト登山の裏話のようなことも分かる良い本です。600ページを超える本をひと言で要約できません。

と言うことですから、是非とも読んで下さい。特に山好きな人におすすめの本です。

    

長女の部屋に残されていたこの本を読むことでたどり着いた本ですが、いい本を残してくれたと長女に感謝したい気持ちです。

そして、、、、、今でもその気になれば600ページの本を読み切ることが出来ることも分かりました。

歳をとっても読書は大切、それを体現できたことが最高の収穫です。


    

うちはうち

2023-01-23 08:39:55 | 携帯から投稿
    

昨夜からの雨はこの時間上がっているようですが、裏山を歩きたくなるような天気ではありません。この後は気温が下がってくる予報。暑いのが苦手とは言いながら、でも、大汗をかきながら山を歩く季節の到来が待たれます。
頭の中には色々な山予定がありますが、雨模様の日には行く気がしません。これもまた加齢現象なのでしょうか。

    


各家庭が「うちはうちです」という言葉を持つことも必要だと思っている。子供が「みんなが持っているから」と言って物をねだることがよくあるが、小さい時から他人が持っていても自分が持っていないことに慣らす訓練をしておいた方がいい。(中略)

うちのやり方が正しいというのではないが、どこの家にも家庭の事情と趣味がある。しつけ方というのはそれぞれの家庭にあって、偏っていても押し通していい。それには、親が、いささかの勇気を持たなくてはいけない。世間がどうであろうと、「うち流」を通し、子どもに嫌われようが、毅然として取るべき態度を取る。子供が悪いことをすれば、「いけません」とはっきりと叱る。  曾野綾子


    

自転車に乗った子供が事故死したという報道がありました。その報道に接して思い出したことです。

うちの子が小さい頃、補助輪付きの自転車が流行っていました。みんなが持っているから買ってくれ、と何度も言われましたが、私たちは頑として子供の言うことを聞きませんでした。「うちはうちです」と何度言ったことか。

色々なことが考えられない段階で自転車を与えることは危ないと考えていたのです。もし、車にぶつかったら、「この状況では大人なら死亡事故だが、あなたは子どもだから軽傷事故にしてあげる」と神様は言ってくれない、法的な責任は状況によるでしょうが、車に非があっても死傷するのはわが子なのです。

それを考えるのが親の責任だと考えていたので、子供のこの要求には1ミリも譲歩しませんでした。タカ長たちの子育て時代の懐かしい思い出です。

    

子供二人育てたくらいでは偉そうなことは言えませんが、今にして思えばあの頃は楽しかったです。本当に、マジ子供と真剣勝負していました。
タカ長の真剣勝負と言えば、あの頃の子どもとの真剣勝負と、冬の伯耆大山での登山くらいしかありませんから、、、、、、、。