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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

大国は下流なり

2022-02-27 15:01:25 | 雑感
ロシア軍によるウクライナ侵攻が開始されて4日、
現地の緊張と混乱が時々刻々と伝えられています。
西暦も2020年代に入った今、
このような軍事行動が為されるとは思いもしませんでした。

『世界平和』

確かに、このスローガンは理想に過ぎません。
それも “ 大きな ” 理想であり、 “ 大きな ” 理想は、
その “ 大きさ ” ゆえに実現されることはない・・・、
というぐらいのことは、今どき子供でも知るところ。
そもそも人類の歴史は哀しい哉、戦争・紛争の歴史であります。

“ ヒト ” ゲノムは「戦い」に関わる情報の占有率が高いとされ、
食欲・性欲・睡眠欲という三大本能に並ぶのは「闘争本能」。
しかし、それゆえにこそ、
“ ヒト ” は戦う度に血を流し、その都度その都度、
「あぁ、武力で戦っても犠牲者が増えるだけだな」と気付き、
“ ヒト ” は争う度に涙を流し、その都度その都度、
「あぁ、暴力で争っても大切なものを失うだけだな」と学び、
そうやって少しずつ少しずつ “ 人 ” になってきたはず。

それでも私たちの本質は動物種としての “ ヒト ” でありますので、
まずは、この “ ヒト ” の欲求に引きずられない間だけ、
辛うじて “ 人 ” として存在し得るのだということを知り、
時として自身の中で暴れ出す “ ヒト ” と折り合いを付け、
“ ヒト ” と “ 人 ” とを、個の中で協調させてゆく、或いは、
一段高いところで響き合わせてゆく、というのが、
言わば「文化の歴史」ではなかったか?・・・と思います。

国家の宰相、集団の領袖、組織の長たる人物が、
“ 人 ” であることを辞めて、 “ ヒト ” のままに振る舞うと、
取り返しのつかない惨禍が引き起こされることは、
歴史を振り返るまでもありません。

中国、春秋・戦国時代(紀元前770~紀元前221)の頃に生き、

『道』を説いたとされる伝説上の人物〈老子〉は言います。

『大国は下流なり。
 夫れ両者各々其の欲する所を得んとせば、
 大なる者、宜しく下るを為すべし。』(老子・第61章より)

「大国とは本来、流れの下方に位置するものである。
 大国と小国が、それぞれ自国の望みを叶えようとする際は、
 大国側がへりくだり、譲歩すべきである。」(早川意訳)

非戦の思想を根底に持つ老子は、
大きな武力を有する側、大きな権力を持つ者こそが、
常に他者に対して「へりくだるべし」とします。
なぜなら、それが『道』に適い『道』に順うことであるから。

尤も、老子の説く『道』は、儒教に説かれる「道」や、
「人道」と言う時の「道」とは次元の異なるものですが、
それはそれとして、如何なる『道』に照らしてみても、
大国による小国への侵攻は、時代錯誤も甚だしい、
卑劣な弱い者いじめでしかありません。

想えば、事は世界情勢や国家問題に限ったものではなく、
ごく身近なところにおいても、
“ 組織の長 ” とされる方々は、おしなべて下劣。
その理由は、心理学以上に生理学・生体機能学および脳科学が、
既に明らかにしているところであり、つまるところ、
“ 組織の長 ” の下劣化は、科学的に仕方の無いこと。

それゆえにこそ “ 組織の長 ” は、
定期的に交替され刷新される必要があるという事は、
論を俟ちません。


「大国は下流なり。
 夫れ両者各々其の欲する所を得んとせば、

 大なる者、宜しく下るを為すべし。」(老子・第61章より)


               






聴(まか)せる ・ 聴(ゆる)す

2022-02-13 13:37:10 | 雑感
コロナ禍が収まりを見せない中、

「ワクチン接種を受けても、喫煙と飲酒は抗体量を低下させる」
(東北大学・東北メディカル・メガバンク機構)

との報道がありました。
早川は、そもそも喫煙は致しませんが、

週末の一杯を、ささやかな楽しみとする身には、
まことに耳が痛くなる研究報告であります。

               

さて本年(令和4年)は寅年。
この「寅」という漢字から思い起こされるのが、
胡寅(こいん・1098~1156)なる人物であります。
南宋時代初期を生きた儒学者であり、その歴史観を記した著作、
「読史管見(とくしかんけん)」が今に伝わっており、
胡寅はその「読史管見」の中で、
東晋王朝(4世紀)に仕えた将軍・謝安の事績を振り返っています。
その事績とは、謝安将軍が異民族との戦いに於いて、
考えられる限りの戦略、用いられる限りの戦法を駆使し、
その結果、東晋王朝軍を勝利へ導いたと謂われるもの。
胡寅は、この故事から得られる教訓を、こう謳います。

『人事を尽くして、天命に聴(まか)す。』

現在「人事を尽くして、天命を待つ」と伝わる故事成語の原文が、
上記「読史管見」中の一節なのだそうで、
原典では「待つ」ではなく「聴(まか)す」となっています。

確かに「聴」の一字には、
「任せる・委ねる」という意味が在ると同時に、
特に仏教の経典に於いては「聴す」と書いて、

『聴(ゆる)す』

と出てまいります。例えば唐の時代に編纂された、
「如意輪陀羅尼神呪(にょいりんだらにじんじゅ)経」では、
冒頭、観世音菩薩が人々の願いを叶えようと立ち上がり、
まずは如来に向かって、
「私は人々を救う “ 如意輪陀羅尼 ” の法を説きたいのです」
と願い出て、それを聞いた如来が、

『汝を聴(ゆる)す。障礙なく説くべし。』
(聴(ゆる)しましょうとも、さぁ存分にお説きなさい)

と答え、菩薩に説法を促すシーンがあります。
いわゆる「聴許(ちょうきょ・ちょうこ)」と呼ばれるもの。

想えば、相手の願いなり要望なりを受け入れることを、
「聴き入れる」とは言いこそすれ、
決して「見入れる」とか「嗅ぎ入れる」などとは言いません。
或いは人物を推し量るに当たり、その器の大小を評して、
「聴く耳」を持つ人、持たない人などと喩えるように、
「聴く」という行為の根底は「許す」ことに通じていて、
「聴く耳」というのは、たとえ相手の全てでは無いにしても、
その一部分なりともを許容する心のことなのかも知れません。

余談ながら、
聖徳太子(574~622)には多くの別名・異名が伝わっていて、
それらの中に「豊聡耳(とよとみみ)」という名前があります。
この名前の由来については諸説あるものの、
「人々の意見を聴くことの出来る人物」という辺りは共通のようで、
やはり「聴」と「許」は、通底するものと思われます。

               

ところで、
先の「読史管見」には、天命は「待つ」ものではなく、
「聴(まか)」せるものと記されていました。

果たして “ 天命 ” とは、
それを「待つ」ものなのでしょうか?・・・それとも、
それに「聴(まか)」せるものなのでしょうか?

もしも、
人事を尽くした後に「待つ」ものだとすると、
それは “ 天 ” による結果発表を「待つ」ということであり、
「待つ」という時間的な隔たりに加えて、
“ 人事 ” を尽くす側の、下位に在る “ 人 ” と、
“ 天命 ” を下す側の 、上位に在る “ 天 ” との間には、
越えがたい地位的な隔たりが既定されることになります。

また何かを頑張った結果としてもたらされるのが、
“ 天命 ” であるいう風に捉えますと、その結果が、
人事を尽くした人間 にとって好都合なものであった場合、
“ 天命 ” というものが、どこか “ ご褒美 ” や “ 報酬 ” といった 、
俗臭を放つものに堕するような気がしないでもありません。
しかし “ 天命 ” とは、そのようなものではなく、
本来的に人智を超え壮大にして響きの高いものであるはず。

引き換えて、
人事を尽くして「聴(まか)」せるのであれば、
“ 天 ” なる存在に、文字通り全てを「任せる」だけで良く、
その結果に一喜一憂する必要性そのものが無くなり、
人事を尽くすこと、それ自体が “ 天命 ” であり、
人事を尽くしている一瞬一瞬が、既に “ 天命 ” であると、
そのような境地が開かれる可能性を感じます。
つまるところ、
“ 人事 ” を尽くす側の “ 人 ” と、
“ 天命 ” を下す側の “ 天 ” とは、二つにして一つ。

と、この辺りに想いを馳せつつ、原典に記された、

『天命に聴(まか)す』

という一節に心の耳を傾けておりますと、
“ 天命 ” というのは、もしかしたら、
“ 人 ” それぞれ各個々人の内側から聴こえてくる、
《魂の声》のことなのではないか?
いや、もう少し踏み込んで申し上げるならば、
人事を尽くそうが尽くそまいが、
“ 人 ” として生き、“ 人 ” として存在していることが、
紛れもない “ 天命 ” なのではないか?

仮にそうだとすると、先に “ 天命 ” とは、
「人智を超え壮大にして響きの高いものであるはず」
と書きましたが、そのように人智を超えた壮大なものが、
実は個々人の内界に宿っていると、
そのようにも思われてくるのであります。

               

胡寅先生の語った「聴(まか)せる」という言葉に誘われて、
つい浅慮を巡らせてしまいましたが、

「聴(まか)せる、任せる、委ねる、聴(ゆる)す、許す」

これらは正直申し上げて、
言うほど簡単に出来るものではありません。
少なくとも早川にとっては「そう在りたいなぁ」という課題。

只、浅慮ついでに、
聴覚を頼みとし〈音の細道〉を歩む身にとりましては、
聴くことは任せること、聴くことは許すこと・・・という、
この「聴(まか)せる・聴(ゆる)す」の一燈は、

自己の内界に灯し続けたい、導きの一燈と心得るものであります。

皆様、良き日々でありますように!


               









秋日和

2021-11-14 16:25:26 | 雑感
生き物と生き物との交わりの不思議とでも申しましょうか、
人と植物との間にも、所謂「頻回の法則」は働くようで、
ほぼ毎日のように水を差し上げているうちに、
それまでは路傍の植え込みでしかなかった植物との間に、
何となく通い合うものが感じられてくることがあります。

それが、こちらの “ シルバーリーフ ” 。

俯瞰した際の形状が、雪の結晶を想わせます。

               

家のドアを開けたところ、オンブバッタの来訪を受けました。

御承知置きの通り、
向かって左側の大きい方がメス、右側の小さい方がオス。

               

さて秋日和に誘われて、昨日〈北野山・真福寺・宝生院〉、

通称 “ 大須観音 ” に参拝してまいりました。


南無大師遍照金剛



昨13日は、虚空蔵菩薩の功徳日でありました。
虚空蔵菩薩の像容には、幾つかの種類があります。
多いのは右手に宝剣を執り、左手に宝珠を持つ姿ですが、
こちらの虚空蔵菩薩は、右手を施無畏(せむい)印とし、

左手には錫杖に似た戟(げき)?と思しきものを執っておられます。
東寺や神護寺の虚空蔵菩薩は、三鈷戟を手にしておられますが、
それではなく、棒の先端に “ 遊環(ゆかん)” が付いていました。
「錫杖に似た」と書きましたのは、それゆえのこと。

大須観音をあとにして向かいますのは、

いつも通り、富士浅間神社。

時系列が前後してしまいましたが、
大須観音に詣でる前には、
寺院の北東に建つ北野神社を参拝してまいりました。

以前のブログで、その歴史に触れておりますので、
ここではクダクダしく書くことを控えますが、
大須観音の正式名〈北野山・真福寺・宝生院〉の「北野」とは、
北野天満宮のこと。
中世、尾張中島(現 岐阜県羽島市)大須郡(おおすごおり)に、
天神・菅原道真公の神霊を祀る神社が創建され、
その別当寺(神社を管理する寺院)として建てられたのが、
現 大須観音の起こりと伝わります。
そうであるのならば、先ず以て北野神社に参拝することは、
それなりに歴史の流れを辿るような気がします。


こちらは、

北野神社に隣接して建つ〈正一位稲荷神社〉。


帰路、名古屋のランドマーク・テレビ塔が青空に映えます。

テレビ塔は、2011年に集約電波塔としての役目を終え、
観光タワーとして営業されてきましたが、
2019年から全面改修工事の為に一旦閉鎖され、2021年9月、
ホテル・商業施設としてリニューアル・オープンしました。

関東から転居して4年半。
未だ眺めるだけで中に入ったことはありません。

展望台から望む景色とは、どのようなものなのでしょうか・・・。

下から見上げる。
上から見渡す。
視点が変われば、何か気付きを得られるかも知れません。
昇ってみようかな?

               

明日は11月15日。坂本龍馬(1836〜1867)は,
天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日に旅立ちました。

令和3年の今年は、龍馬生誕185年にして没後154年。
龍馬に限らず、
幕藩体制から近代国家への過渡期 “ 幕末 ” を駆けた人々は、
現代の日本をどのように御覧になっておられるでしょうか。


               









カメラ問題

2021-09-26 13:26:04 | 雑感
気ノ森を歩いておりましたら、毬栗(いがぐり)が降ってきました。

手前に写る緑色の毬栗が早川の坊主頭を直撃。
髪の毛という “ ガード ” が無いため、痛いわ血が出るわ・・・。
坊主頭を「毬栗頭」とも申します。
仲間だとでも思われたのでしょうか。


久しぶりに名古屋天神・上野天満宮を参拝してまいりました。









多くの神々が合祀・合祭された〈晴明殿〉のガラス窓には、

陰陽太極紋が描かれています。

               

皆様の中には、カメラが好き、写真撮影が好き、
という方もおられようかと思います。もしかしたら、
撮影を生業とされている方もいらっしゃるかも知れません。

早川は、いわゆる “ ヘタの横好き ” に過ぎませんが、
この数年来、写真撮影・動画撮影に興味を持ち、
どうすれば良い写真や動画を撮れるのか?ということを、
あれこれ意識し、考え、学ぶようになりました。

コンパクトデジカメ(以下コンデジ)を手にしたての頃は、
扱い方が分からず “ オートモード ” に頼っておりましたが、
撮影の上で大切な3要素が、

1、F値
2、シャッタースピード
3、ISO感度

であることが分かってきますと、
F値を上げ下げしてみたり、ISO感度を弄ってみたりと、
“ オートモード ” から少しずつ離れ、
現在は “ マニュアルモード ” での試行錯誤を繰り返しています。

いま使用しております手のひらサイズのコンデジは2台めで、
新品に近い中古品を、確か4万円程度で購入したもの。
早川には身の丈に合った入門機であり、又このコンデジと共に、
南三陸の地を訪れた思い出は、何ものにも変え難いものでもあり、
これからも “ 不具合 ” が起きるまでは大事に使い続けよう・・・、
と思っていた矢先に “ 不具合 ” が発生しました。

それは、押したシャッターボタンが、
3回に1回程度の割合で戻らなくなる、という “ 不具合 ” 。

外出する際には必ず携行し、相当に使い込んだこと、
状態良好品とは言え、そもそもが中古だったこと、
発売から7年は経つ製品であること・・・等々を考えますと、
買い換えの時期が近づいているのかも知れません。

そこで諸案検討に入るわけでありますが、
これがまた実に “ 迷う ” と申しましょうか、
なまじ、F値・シャッタースピード・ISO感度等の扱いをかじり、
なまじ、センサーサイズの違い・10bit機か否か等の仕様を読み、
なまじ、憧れるフォトグラファーの作品を観賞し続けたため、
もはや “ あと戻り ” が出来ないのであります。

いや、妙な “ 欲 ” が出てきたと言うべきでしょうか。

               

こちらの動画を御覧頂きたく存じます。

冒頭部(0:25〜)に蝶の映像が流れます。
気ノ森に入る辺りに立つクスノキに蝶が止まっているのを見つけ、
大急ぎで、されど息を潜めつつカメラを取り出して撮影しました。
これは、手のひらサイズのコンデジならではの効用かと思います。
これがもしフルサイズ機や、フルサイズ機ではなくとも、
両手で構えるくらいの大きなカメラであったならば、
カメラバッグから取り出す段階でガサゴソと音を立ててしまい、
おそらく撮影開始前に蝶は飛び去ってゆくものと思われます。

それはこちらの “ ショウちゃん ” 然り。

岩合光昭先生ならばいざ知らず、
両手で怪しげな黒い物体を構えた人間が近づけば、
いかに人馴れした “ ショウちゃん ” と言えども逃げ出します。
撮影に応じてくれている要因の一つには、
「コンデジの小ささ」ということもあろうかと思います。

しかしながら先に申しましたように、
「妙な “ 欲 ” が出てきた」ため、身の程もわきまえず、
中位〜上位機種といった “ ゴツい系 ” カメラにも心が向き、
或いは手ぶれ補正力の強いアクションカメラにも惹かれ・・・と、
結局のところ実に “ 迷う ” のであります。



“ タイカイ、おまえのゆく道は往路かニャア?復路かニャア? ”



               












流れ

2021-09-12 16:14:01 | 雑感
ひとことお断り申し上げて撮らせて頂きました。

ベビーカーには、赤ちゃん。
日傘をさしているのは、お母さん。
ベビーカーを押しているのは、おばあちゃん。

三世代に亘る命の流れよなぁ・・・と、
その後ろ姿を眺めておりますうちに、
この “ 流れ ” ということについて、
読む度に気付きを授かる一節が脳裏に浮かびました。
精神科医・神田橋條治先生が書かれたところの、

『精神療法の技術のうち最も重要なものは、
 「読みとり」の技術である。したがって、
 そのための基礎トレーニングを最優先する。
 読み取り技術の核は、
 しばしば誤解されているような認識の能力などではない。
 「感じる」能力である。したがって、
 感じる能力を日常生活のなかで絶えず錬磨するように、
 心掛けておくとよい。具体的には、
 場の雰囲気を感じること、
 場の流れを感じること、
 場の中での自分の心身の流れを感じること、
 に努めるのがよい。』
(神田橋條治「精神療法面接のコツ」/ 岩崎学術出版社)

という珠玉の一節。 
特に上掲引用文中の、

『場の雰囲気を感じること、
 場の流れを感じること、
 場の中での自分の心身の流れを感じること』

という辺りを敷衍しつつ想像を膨らませてみますと、
息の流れ、旋律の流れ、和音の流れ、風の流れ、水の流れ、
意識の流れ、感情の流れ、動作の流れ、仕事の流れ、お金の流れ、
食事の流れ、会話の流れ、睡眠の流れ・・・、或いはまた、
命の流れ、気の流れ、力の流れ、神仏の流れ、祈りの流れ、
時間の流れ、宇宙の流れ・・・と、全ては “ 流れ ” であり、
“ 流れ ” が “ 流れ ” の中を “ 流れ ” ながら “ 流れ ” 来たり、
“ 流れ ” 去り、また “ 流れ ” 来たる、
というようなイメージが湧いてきます。

誠に不遜な申し様かも知れませんが、早川には内心、
音楽は広義における精神療法である、という想いがあり、
それゆえに門外漢ながら、作曲に志を立てる人間として、
神田橋先生の御著書に顕われる一言一句に打たれるのであります。

音道にせよ、仏道にせよ、武道にせよ、
およそ “ 道 ” なるものに共通するのは “ 流れ ” と申せましょう。
その “ 流れ ” の源を知り、 “ 流れ ” の源を体得し、
“ 流れ ” の源と一つに融け合うことが肝要であるとされ、
そのうえで “ 流れ ” に心を委ね、 “ 流れ ” に身を任せよと、
古来より説かれているわけでありますが、これがなかなか・・・。

才もあり、能もある方々ならばいざ知らず、
才も能もない早川は、 “ 流れ ” の源を知るのにさえ四苦八苦、
おそらくは生涯を費やすものと思われます。

只、神田橋先生が推奨される、

『感じる能力を日常生活のなかで絶えず錬磨する』

ことだけは心掛けてゆきたいと思います。