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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

同じ “ トライ&エラー ” でも

2022-12-11 15:03:08 | 雑感
名古屋市・矢場町に鎮座する若宮八幡宮には、
来年の干支「癸卯(みずのと う)」に因んで、

ウサギの木彫りが置かれていました。


こちらは若宮八幡宮境内に建つ若宮龍神社。
宝珠を大きく掲げた龍神像が参拝者を迎えてくれます。

御祭神は白龍大神。


若宮八幡宮から名古屋駅まで歩く道すがらに、
白龍神社が在りました。初めて参拝致します。
境内は撮影が禁じられておりますので外観のみ。

御祭神は、
高龗神(たかおかみのかみ)・須佐之男命(すさのおのみこと)。
なんでも江戸時代前期頃、この一帯に疫病が蔓延した際、
天から神示が下り、それに従って神祀りを為して以来幾星霜、
いつの頃からか高龗神・須佐之男命の二柱を総称して、
「白龍大神」と尊崇されるようになったのだそうです。

                 

さて、およそ5年半ぶりに五線紙に音符を書いてみたり、
DAWソフトを触り始めてみたりするものの、

これが “ トライ&エラー ” の繰り返しであります。


只、この “ トライ&エラー ” は、

ずっと自分自身が渇望していたことであったと、
作業を行いながら、そのように思われてきました。


食べてゆく為の “ ライスワーク ” における “ トライ&エラー ” は、
どこかストレスの方が先に立ち、心身を疲弊させがちですが、

魂と共に取り組む “ ライフワーク ” での “ トライ&エラー ” は、
“ 苦楽一体 ” の世界が広々と開け、“ トライ ” は苦しくとも楽しく、
“ エラー ” からは多くの学びを授かることの出来る世界。

同じ “ トライ&エラー ” でも、そこには差異が生じます。
有り体に申せば、この差異とは、
「やらざるを得ないからやること」と、
「やりたくてやること」の差異。

尤も、世の中には “ ライスワーク ” と “ ライフワーク ” とが、
「ピッタリと一致しているよ」という方も多くおられましょう。

不徳の早川には及びもつかないことで、羨望を禁じ得ません。


“ Early winter and Dragon ” 〜 白龍巡天 〜

皆様、良き日々でありますように!


               







11月も終わりですね

2022-11-27 13:29:16 | 雑感
画質が悪くて申し訳ありませんが、

四季桜が花を咲かせていました。
紅葉を迎える楓あり、晩秋に花期を迎える四季桜あり、
自然は常に “ 多種多様性 ” を謳っているようにも感じます。
人もまた自然物のひとつ。
昨今の “ Diversity ” が取り沙汰されるよりもずっと昔から、
日本には “ 十人十色 ” という言葉がありますが、
マスクを「する」「しない」だけで、これだけ揉める社会。
“ 十人十色 ” という言葉は美しくも、これを実践するのは難しく、
実際のところは、
“ 十人一色 ” よくて “ 十人二~三色 ” 程度でしょうか。

                 

確か11月の初旬頃、ふと出会ったカマキリ師匠。

運動・動作・身体操作といったことにおいては、
先ず以て足腰の強さ、下半身の安定が求められます。
東洋では、
その辺りを古来「上虚下実(じょうきょ かじつ)」と説き、
上半身を虚(うつろ)にして下半身を充実させる方法、
換言するならば、
下半身を実らせることで上半身の縛りを解く方法といったものを、
考案し続けてきた歴史があるかと思います。

中国は清の時代、1600年代の前半頃、
山東省出身の王郎(おうろう)なる人物が、
カマキリの動きからヒントを得て創始したと謂われる “ 螳螂拳 ” 。
伝説の真偽はさて措き、カマキリの姿を観て分かるのは、

この昆虫が6本の肢(あし)を持ち、
その身体を中肢・後肢の計4本で支えているということ。
4本の肢で支えているがゆえに、前肢2本が自由に使え、
上体部を自在に動かすことが出来るということであります。

それに引き換えて、人間は二本足。
つまるところ螳螂拳の核に在るのは、二本足の人間も又、
カマキリの如く、自らを4本の足で支えよ、4本の足で動け、
ということでありましょうか。

人間には存在しない、もうあと2本の足、脚、肢、あし・・・。
これをどうやって作り上げてゆくのか?、もしくは、
4本分の肢の働きを、どうやって2本の足に集約してゆくのか?
その工夫と試行錯誤が螳螂拳の醍醐味なのかも知れません。

螳螂拳は、
とかくカマキリの鎌を模した手技に特徴ありとされがちですが、
王郎が真似しよう、学ぼうとしたのはカマキリの前肢よりも、
中肢・後肢の意味・動き・働き・役割であったと、
個人的にはそのように思います。

“ ウチら中肢・後肢のおかげで、こ~んな態勢とかも ”


                 

先々週のブログ記事で御紹介申し上げました、
覚王山日泰寺の真舎利殿境内。

写真奥に見える石段を上りますと、


真舎利・奉安塔の建つ、言わば “ 聖域 ” に到るのですが、

とくと写真を御覧頂きますと、向かって右側・・・


一見すると、写ってはいけないものが写っているようで、

ちょっと心霊写真のようにも見えますが、そうではありません。


釈迦入滅の場面を刻した像と思われます。

「思われます」と書きましたのは、
像の設置場所が日泰寺の “ 聖域 ” であり、
立ち入ることも近づくことも出来ず詳細不明ゆえのこと。
おそらく仰向け状態の人物が釈尊その人、
手前で額づいているのは十大弟子の一人と推察します。

                 

舎利殿を辞してから訪れました城山八幡宮、

その境内に立つ “ ヒトツバタゴ ” の樹は暖色系を身に纏い、


正殿脇の “ タチバナ ” も、

温かな色合いの実を結んでいます。


気温は日に日に低くなり、寒さを募らせつつも、
紅葉を始めとした自然界の色彩は暖かさを増してゆきます。

晩秋から初冬の大気に潜む響きが素晴らしいのは、
この寒暖の対比に由るところが大きいのでありましょう。


11月の異名を「龍潜月(りゅうせんづき)」と教わりました。

“ Hidden Dragon in KINOIKE ” ~ 気ノ池に潜む龍

皆様、良き日々でありますように!



               








人を祝わば虹ふたつ

2022-07-17 15:18:05 | 雑感
本日(7月17日)は、城山八幡宮の茅輪神事(ちのわしんじ)。

大鳥居から階段を上り、



献灯提灯を眺めつつ参道を進みますと、


拝殿正面に大きな “ 茅の輪 ” 。

茅輪神事は本日執り行われますが、“ 茅の輪 ” くぐり参拝は、
7月末まで行うことが出来るそうです。

                 

6月末には「記録的短期間で梅雨が明けました」と発表されるも、
7月に入り連日に亘って日本各地には大雨がもたらされています。
“ 戻り梅雨 ” だそうで、確かにそうなのかも知れませんが、
もしかしたら先の梅雨明け宣言時に梅雨は明けていなくて、
梅雨の中休みが「記録的長期間」に及んでいただけなのでは?と、
そのようにも思われてまいります。

気象衛星による観測やデータ解析技術の進歩した現代にあっても、
刻々と移り変わる気象の正確な予想は難しいもの。
ましてや古代~中世~近世にあっては、
いつ・どこで・どのくらいの雨が降るのか、止むのかは、
死活問題でありながらも経験則に頼らざるを得ず、
それゆえ盛んに行われたのが “ 雨乞い ” 修法でありました。

伝説として有名なところでは、平安時代の天長元年(824年)、
淳和天皇(786~840)の命を受けた空海上人(774~835)が、
洛中・神泉苑において執り行ったもので、
“ 善女龍王(ぜんにょりゅうおう)” なる尊格を対象に祈願し、
旱魃に見舞われていた日本各地に雨を降らせたと伝わります。
こうした伝説からも容易に察せられるように、
密教修法の根本には、古代インド由来の “ 呪術 ” が在ります。
視点を変えれば “ 呪術 ” という地盤の上に、
大乗仏教の体系と曼荼羅の理論等を建設し構築したのが密教と、
大雑把に過ぎますが、そのように言えるのかもしれません。
尤も、“ 呪術 ” と聞きますと、
何かこうオドロオドロしいイメージもありますが、
このイメージは、だいぶ時代が下がってから生まれたもの。
往事の “ 呪(しゅ)” とは「呪(のろ)い」の意ではなく、
古代インド由来の “ 聖なる言葉 ” というくらいの意。
それが証拠に、
日本で最も人口に膾炙する密教経典「般若心経」では巻末に、
“ 是大神呪 是大明呪・・・” と出てまいりますが、訳すれば、
「是れぞ大いなる神の聖句 是れぞ大いなる智慧の聖句・・・」。
けっして、
「是れぞ大いなる神の呪い 是れぞ大いなる智慧の呪い・・・」、
ではありません。

ところで “ 呪(しゅ)” と “ 祝(しゅく)” は、
漢字の偏(へん)は異なれど、旁(つくり)は同じ。
どちらも言葉の力、響きの力、声の力、音の力によって、
見えざる世界に働きかけることの意を含むもので、
有り体に申すならば、「呪う」と「祝う」は表裏一体であり、
流れは二つに見えても、その源は同じということでありましょう。

古来「人を呪わば穴ふたつ」と謂われます。
他者を呪えば、災いは必ず自分自身にも還ってくるので、
他者を呪うのであれば、呪う相手の墓穴と自分自身の墓穴、
二つの墓穴を用意せよということであり、
滅多に他者を呪うものではないという戒めでありますが、
これを “ 呪(しゅ)” と表裏一体であるところの、
“ 祝(しゅく)” に当てはめて考えてみますと、
「人を呪わば穴ふたつ」は、そのまま裏返しに、
「人を祝わば虹ふたつ」ということかと思います。
他者の幸せを素直に祝うことは、他者の人生に虹をかけ、
巡り巡って自分自身の人生にも虹をかけることなのかも知れません。
現今のネット社会およびSNS等々の世界においては、
質の悪い “ 呪術 ” が横行しているようにも見受けられます。
我が身への自戒を込めて、
願わくは “ 呪術 ” よりも “ 祝術 ” に長けたいものであります。

                 

話が有らぬ方向に逸れてしまいました。
神泉苑での修法に戻りますが、経典の中で “ 善女龍王 ” は、
「“ 娑竭羅(しゃがら)龍王 ” の娘」と記されています。
“ 娑竭羅(しゃがら)龍王 ” の「娑竭羅(しゃがら) 」とは、
サンスクリット語で「海」を意味する「サーガラ」の音写ですので、
“ 娑竭羅龍王 ” とは言わば “ 海龍王 ” ということでありましょう。
御承知置きの通り、浅草寺の手水舎に屹立するブロンズ像は、
高村光雲(1852~1934)作の “ 娑竭羅龍王 ” 像であります。

“ 海龍王 ” が降雨・止雨を司るのではなく、
“ 海龍王 ” の娘 “ 善女龍王 ” が降雨・止雨を司るという物語は、
海から水蒸気が上がり、水蒸気は空において雲となり、
雲は風で運ばれ内陸に雨を降らし、雨は河川となって流れ下り、
また海へと還流するという、水の変容と巡りを連想させます。
仏教説話によれば “ 善女龍王 ” は、
遥かインド亜大陸ヒマラヤ近隣の大きな池から招かれたのだとか。
昨今の猛暑を始めとする異常気象も、
遥かインド洋の海面温度が関わっていると聞きますと、
何かこう地球で繰り広げられている水の大循環、
その見えざる大きな円環こそが “ 龍 ” と呼ばれるものの正体と、
そのようにも感じられてまいります。

ウォーーーーーーーーーン

皆様、良き日々でありますように!


               








シンクロニシティ

2022-05-08 15:23:01 | 雑感
5月上旬、気ノ池の畔には、

黄菖蒲の彩りが添えられます。


楠の若葉をスクリーンにして影絵を映し出しているのは、

地球から約1億5千万 kmの彼方から届く太陽の光。
小さくとも壮大な “ 宇宙影絵 ” と呼びたくもなります。


シダの若芽は渦を巻き、弦楽器のスクロールを想わせます。

奏でられているのは、秘曲 “ 生命譜 ” でありましょうか。

                 

さて、いつものように気ノ森でボーッとしておりますと、

1頭の蝶が飛来しました(蝶の単位は “ 頭 ” と聞き及びますので、
当ブログでは蝶の数え方を「1頭2頭・・」とさせて頂きます)。


漆黒の大きな体と翅根の辺りに灯る赤橙色の明かり。

“ ナガサキアゲハ ” とお見受けしました。

御承知置きの通り、
ナガサキアゲハの “ ナガサキ ” とは、九州の長崎。
なんでも江戸時代後期に日本を訪れたドイツ人医師、
かのシーボルト(1796~1866)が、
この蝶を長崎で発見したことに由来するのだとか。

早川は只今 “ 断捨離 ” を心掛けておりまして、
長年に亘り書棚や引き出し等々に入れっぱなしになっていた、
書類やら何やらを思い切って処分している最中なのですが、
実は、
気ノ森で “ ナガサキ ” アゲハを見る前日、書類処分作業中に、
かつて佐世保市の市制100周年記念を祝して作曲した、
「SASEBOファンファーレ」なる楽曲を演奏して頂く御縁で、
“ 長崎 ” 県を訪れた時の資料や写真の数々が出てまいりました。

懐かしきは長崎県。
佐世保に到着して早々、居酒屋で歓迎の宴にお招き頂き、
宴は2次会3次会と続き、気が付けば明け方の5時。
4時間後にはファンファーレの演奏会場に居なければならず、
「そろそろお開きにした方が・・・」と申し上げると、

『そいばってん、帰しまっしぇん!』

と、そこからさらに、
トビウオで出汁を取った名物ラーメンまで頂戴致しました。

その時出会った方々の人情、人柄、心意気、
記念式典後に訪れた九十九島、ハウステンボス、
佐世保市から足を伸ばしての長崎市内各所、原爆資料館、
“ 如己堂先生 ” こと永井隆博士の足跡、浦上天主堂、
二十六聖人記念館、坂本龍馬の余韻漂う亀山社中址等々、

年来、ついぞ思い出す事の無かった長崎の風光が甦った翌日、
ナガサキアゲハを見たということであります。

これを単に “ ナガサキ ” つながり・・・として、
さほど意にも留めなければ、それまでの話なのでありますが、
スイスの心理学者ユング(1875~1961)は、
「そこに何らかの意味が在るであろう偶然の一致」を、

“ Synchronicity ”

と呼びました。そうだとしますと、
長崎を訪れた思い出の数々を久しぶりに手にした翌日、
ナガサキアゲハを目の当たりにするという現象、
これも一種の “ シンクロニシティ ” なのでは・・・?
などと思ったような次第なのであります。

尤も、そこに在るであろうと思われる「何らかの意味」は、
事象の当事者が自分自身で探索し見出し、或いは、
自分自身で「何らかの意味」を創出してゆく必要があります。
そうでなければ、
それは只の “ Coincidence(偶然の一致)” に過ぎません。

“ Coincidence(偶然の一致)” と、
“ Synchronicity(意味の在る偶然の一致)” は、似て非なるもの。

おそらく “ 偶然の一致 ” という現象は日常茶飯事であり、
これを “ 意味の在る偶然の一致 ” にする、
言わば “ シンクロニシティ化 ” する?しない?は当事者次第と、
そういった側面があるように感じられます。
そこで、
その「何らかの意味」を自らに問うておりましたところ、
そう言えば以前から気になる人物がいて、
いつか調べよう・・・と考えていたことに思い当たりました。
その人物というのが、
シーボルトの娘 “ 楠本イネ ” 女史(1827~1903)。

日本医療史における女性医師の草分け的存在で、
数奇な上にも数奇な運命を辿られた人物、
ということぐらいは存じ上げているのですが、
その先に進まぬまま歳月が打ち過ぎてしまいました。
これから、この方について書かれたものを、
色々と読んでみようかと思います。

かつて訪れた場所の地名と、飛来した蝶の和名。
もしかしたら “ 長崎 ” という響きを通して現れた、
“ シンクロニシティ ” の意味が、そこに在るのかも知れません。

                 

ナガサキアゲハとの邂逅を果たしてから向かった城山八幡宮



参道に群生するヒラドツツジに蜜を求めるのは、

クロアゲハでありますが・・・いや、待てよ?


アゲハが飛来しているヒラドツツジの “ ヒラド ” は、

“ 長崎 ” 県の平戸に由来していたような。

などと、だいぶ怪しげな確証バイアスに傾いてしまいましたが、
“ シンクロニシティ ” にせよ、昨今の “ 量子脳理論 ” にせよ、
人間の意識活動・無意識活動というのは、広大無辺の宇宙同様、
解明され得ぬことが多い世界であることに違いはありません。

弘法大師・空海上人(774~835)が、人間の心のことを、

“ 秘密曼荼羅 ”

と呼んだことに、あらためて思いを馳せるものであります。



皆様、良き日々でありますように!


               









「武」について

2022-03-06 15:03:40 | 雑感
ロシアによるウクライナへの武力侵攻から、およそ10日。
様々な報道や情報が錯綜し、また流言飛語も入り乱れる中、
信憑性は措くとしても、見聞する度に腹立たしさを覚えるのが、
ロシア軍による病院を始めとする民間施設への攻撃という情報。

これが “ 戦争 ” という “ 殺し合い ” の実態であり、
“ 殺し合い ” を “ いいオトナ ” がやっているということを、
全世界の子供たちは、どのような想いで観ているのでしょうか。

日本に限らず、いずれの国に於いても幼児教育の段階から、
「“ 人殺し ” は、よくない」と教えられます。
ところが “ 戦争 ” という名の下では “ 人殺し ” が奨励され、
どちらの国が、どれだけ多くの人間を殺せたのか?
その数が競われます。また同様に誰しもが学童期から、
「“ いじめ ” はよくない」とも教えられます。
ところが “ 戦争 ” という名の下では、
病院攻撃などという言語道断な “ いじめ ” が平然と行われます。

平時では強く非難されることが、有事では推奨される。
この矛盾を、チャールズ・チャップリン(1889~1977)は、
「独裁者」や「殺人狂時代」を通じて痛切に訴えました。

小さなお子さんをお持ちの親御さんや、
初等教育に携わる教員の方々は、この辺りについての問い、
つまり子供たちが抱くであろう、

「“ 人殺し ” は、よくないんでしょ?
 “ いじめ ” は、よくないんでしょ?
 なのにどうして戦争では、それが許されるの?」

といった疑問に、どうお答えになっておられますでしょうか。

「それが戦争だから」という開き直りの答えではなく、
またテレビコメンテーターや政治経済の専門家が繰り広げる、
大義がどうの、国益がどうの、歴史がどうの、EU加盟がどうの、
親米がどうの、親ロシアがどうの、といった評論家的解答でもなく、
子どもが感じるシンプルな疑問を解消するに足る、シンプルな答え。

平時では “ 殺し合い ” が断じて許されないのに、
有事ではなぜ “ 殺し合い ” が推奨されるのか?
裁かれる “ 人殺し ” と、
褒められる “ 人殺し ” の違いは何か?

少なくとも早川のお粗末な頭では答えることが出来ません。
疑問を抱く若い方々には、真っ直ぐな疑問を持ち続け、
答えは出なくとも模索し続けて頂きたいと願いますし、
私自身も青臭く考え続けてゆきたいと思います。

              =◯◯◯=

冒頭「武力」侵攻と書きましたが、
この「武力」の「武」という漢字の成り立ちには諸説あり、
一般的には、

「止戈(しか)」

「戈(ほこ)を止める」のが「武」であるとされていますが、
どうやらこの説は、漢字が誕生してから後の時代に、
儒教の立場から道徳的に解釈したものであり、本当のところは、
「止」という字形が「足が動く」ことを表わしていて、
「武」は「戈を以て進む」の意なのだそうです。
すると「武」の原義は、
ただの “ バイオレンス ” に過ぎないことになります。

確かにそうなのかも知れません。
しかしだからと言って「武」は “ バイオレンス ” に過ぎないと、
漢字の原義に立ち竦んで引き下がるわけにはいきません。
漢字は、甲骨文・金文・篆書・隷書・楷書といった変遷を辿り、
現在にまで受け継がれている以上、字形の変遷に伴って、
そこに宿る、意味・想い・精神・心・願い、といったものも又、
変遷してきたに違いない・・・と個人的には思うのであります。
それはつまり、
元々の成り立ちや原義は尊重しつつも、そうしたものを超えて、
漢字が私たちに訴えるものを想い、漢字から醸されるものを感じ、
各々が自分自身の心身にとっての良い気付きや潤いといった、
何らか益するものを受け取ることの方が、余程大事なのでは?
ということであります。

例えば「氣」。
早川は、かつて能登半島は気多大社で授かりしところの、
「氣」と揮毫された額を玄関に掲げております。

早朝、出勤時に眺める度、この「氣」という字から、
何かこう響いてくるものを受け取っています。
けれども、
もし漢字の成り立ちや原義こそが重要というのであれば、
早川は「氣」の字を眺める度、ただ単に、
この漢字の成り立ちとして定説とされるところの、
「炊き上がった米から立ち昇る水蒸気」
といった即物的な様子ばかりを思い浮かべなければならず、
そのような連想を繰り返したところで得るものはありません。

               =◯◯◯=

さて、その辺りを踏まえた上で、
中国・春秋時代(紀元前770~紀元前476)に著された、
「春秋左氏伝」に登場する「武」の定義に想いを馳せます。

紀元前597年、当時敵対関係にあった楚の国と晋の国は、
邲(ひつ)という場所で、軍事衝突に及びます。激しい合戦の末、
楚の国が勝利した為、楚軍の上官は楚の国王・荘王に進言します。
晋軍兵士の屍を集め、その上に土を盛って小高い山を作り、
戦勝記念として子々孫々にまで楚軍の武勇を伝えましょうと。
それを聞いた荘王は答えます。

『汝の知るところに非ざるなり。
 夫れ文に、止戈を武と為す。
 武は、暴を禁じ、兵を収め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、
 衆を和らげ、財を豊かにするものなり。』

『おまえは何と酷いことを言うのか。そんなことはしない。
 「武」は「戈を止める」と書いて「武」なのだよ。
 「武」とは、暴挙・暴力・暴虐を禁じること、
 「武」とは、兵士・兵器を用いないこと、
 「武」とは、穏やかな世界を希求すること、
 「武」とは、お互いの理解に努めること、
 「武」とは、人々を安心させること、
 「武」とは、緊張を緩和すること、
 「武」とは、各々の財産を豊かにするもの。』(早川意訳)


思えば、私淑する老師も同じことを説いておられました。
曰く、

『「武」は、戦わない、
 「武」は、争わない、
 「武」は、競わない、
 「武」は、比較しない。』

早川は、この言葉を聴いた時、
自分が長年に亘り励んできた・・・と思い込んでいた、
武道という「武」の道が、
道を大きく外れた “ 外道の武 ” であったことに気付くと共に、
自分がいささかなりとも磨いてきた・・・と思い込んでいた、
武術という「武」の術が “ ケダモノの武 ” であったことを、
思い知らされました。
恥かきついでに申し上げますと、それまで早川が行っていたのは、
表面上は伝統的な武道・武術でありながら、内実は格闘技、
外見上は道着・道衣を着用して行いながら、中身は格闘術、
武道・武術の形を借りた “ 見せ物 ” に過ぎなかった、
ということであります。

非道な武力侵攻の報に接し、
つい “ 武 ” を巡って浅薄な考察に字数を費やしてしまいましたが、
たとえ漢字の成り立ちと原義からは離れようとも、
「武」は、けっして “ バイオレンス ” に非ず、
「武」は、やはり「戈を止める」の意と心得て、
一日も早く、戈が止められ、戦火の鎮まることを祈ります。

『夫れ文に、止戈を武と為す。

 武は、暴を禁じ、兵を収め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、
 衆を和らげ、財を豊かにするものなり。』(春秋左氏伝)