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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

如意山 福生院

2023-02-12 14:54:11 | 神社仏閣
名古屋市中区は袋町(ふくろまち)に所在する、

福生院(ふくしょういん)を参拝してまいりました。

福生院の在る「袋町」は太平洋戦争後、焦土からの復興過程で、
“ 繊維の街 ” として発展してきたという歴史があり、
現在も多くの繊維問屋が軒を連ね、大小のビルが立ち並びます。

本尊は大聖歓喜天(だいしょう かんぎてん)。
寺伝によりますと、至徳3年(1386)、
順誉上人が愛知郡中村郷に大聖歓喜天を祀ったことを始まりとし、
その後200有余年を経た元和3年(1617)、宥伝上人によって、
現在地に伽藍が定められたのだそうです。

境内には、様々な尊格が所狭しと祀られています。












種字(梵字)円筒を回しての “ お砂踏み ” もできます。



福生院の山号は「如意山(にょいさん)」。
山号に因んでなのでしょうか、

山門の脇にはこうした物も設えられていました。

関東在住時、折に触れて伺った浅草の本龍院、
通称「待乳山の聖天」も本尊は大聖歓喜天で、
かの本龍院には “ 浅草七福神 ” の内、毘沙門天が祀られていました。
日本全国には、
その土地その地域に “ ◯◯七福神 ” が祀られていますが、
名古屋にも “ 名古屋七福神 ” があり、今回訪れた福生院には、

“ 名古屋七福神 ” の内、毘沙門天が祀られています。

                 

早川は昨年令和4年10月、奈良盆地南西部に法灯を伝える、
信貴山朝護孫子寺を参拝してまいりました。
御承知置きの通り、朝護孫子寺の本尊は毘沙門天王。
本尊は秘仏の為、秘仏が納められた厨子の前に、
秘仏と参拝者とを取り結ぶ「御前立ち(おまえだち)」の像が、
安置されています。
秘仏を正確に模刻したと謂われる「御前立ち」ですが、
常々想うのは、この毘沙門天王像の容貌・表情の不思議さ。

「険しい」と言えば異様に険しく、
「恐ろしい」と言えば非常に恐ろしく、
「厳しい」といえば極めて厳しいのですが、
そのせいかどうか、この尊像を拝する際、

“ それはおまえの本心か? ”

と問い正されているように感じる時があります。

想えば自分の本当の気持ち、所謂「本心」なるものも、
よくよく自らと向き合い、自らと語らう内には、
それが「本心」では無いことに気付く場合があります。

古来、毘沙門天は “ 鬼門 ” を守り “ 魔 ” を防ぐ尊格とされますが、
人間の心的世界・内的宇宙と照応させて考えてみた時、
自分の「本心」に気付かない、気付けない、
自分の「本心」を偽る、自分の「本心」に耳を傾けない、
そうした辺りが、実のところ人間存在にとっては “ 鬼門 ” であり、
“ 魔 ” の生じるところでもあるように思われます。


“ Vaisravana and Sanskrit Dragon ”~信貴山本尊と種字の龍

皆様、良き日々でありますように!


               








年の瀬恒例、外宮参拝

2022-12-25 14:51:08 | 神社仏閣
この1年、小禍小病は数あれど、

まずまず無事に過ごすことが出来たことへの感謝を捧げに、
年の瀬恒例、外宮参拝に行ってまいりました。

外宮参拝に先立ち、まずは父祖の地巡拝ということで、
こちらは早朝の鳥羽駅前。

大きな鳥居は、金刀比羅宮・鳥羽分社の鳥居であります。

言わずもがなのことながら、鳥羽は海の町。
昭和31年(1956)、
漁業を主とした海事・海運従事者人口の多い鳥羽市民から、
海業安全を願い「海の町に海の神を」という強い要望の下、
金刀比羅宮本宮から御分霊が勧請され、
上掲の鳥居から少し離れた “ 樋の山(ひのやま)公園 ” に、
金刀比羅宮・鳥羽分社が建立されました。
したがって、この大鳥居から数キロ先に在る分社への道は、
金刀比羅宮・鳥羽分社の「参道 」なのでであります。
「参道」という特殊な場所は、
文字通り人々が参拝の為に通るがゆえの「参道」であると共に、
参拝による再生や回生を願う形而上的な「産道」でもあり、
帰りには感謝と歓びの念を以て財を散じる「散道」でもあると、
個人的解釈ではありますが、そんな風に感じます。

回り諄いことを書きましたが、何が言いたいのか?と申しますと、
この大鳥居こそは、往時の “ 鳥羽 ” という土地が、
人々の押し寄せる一大観光地であったことの証であり、
ケタ違いの活況ぶりを誇っていたことを今に伝えるモニュメント、
ということであります。
その辺りの事柄については稿を改めることと致しましても、
鳥羽駅に降り立ち大鳥居を仰ぎ見る度、“ 世の移ろい ” と、
当ブログテーマの一つ・・・

「全ての場所には歴史があり、全ての人には物語がある。」

このことを想うものであります。

因みに写真左側に写るのは、
鳥羽湾一帯で獲れた新鮮な海の幸を提供するお店。
開店前なのでシャッターが閉まっていますが、
この中の数件は “ 海女(あま)” の方々が営んでおられます。

                 

鳥羽に所在するこちらの古刹を訪れ、



墓石の水鉢を洗って新しい水を差し上げるつもりが、
カンカンに凍っています。

素手で叩いてみたのですが、痛いばかりで割れる気配もなく、
されど石などを用いては墓石を傷つけそうなのでやめました。
毎年この時期、この時間帯に訪れておりますが、
そこは暖流 “ 黒潮 ” を望む志摩半島であれば、
薄く氷が張ることはあっても、ここまで凍結するのは初めて・・、

などと書いておりましたところ、巡拝から3日後の昨日(24日)、
クリスマス寒波襲来で、名古屋も今年初の雪化粧。

今冬の寒気は例年にも増して厳しいようで、
北国、雪国にお住まいの方々の御不便は如何ばかりかと存じます。

                 

さて、伊勢市駅であります。

前回2013年に執り行われた第62回《式年遷宮》時に、
神宮が「新魂(あらたま)る」と共に、遷宮の余慶を受け、
駅および駅周辺も大きく「改(あらた)まった」感が有ります。


伊勢市駅前に立つ鳥居をくぐって真っ直ぐ進みますと、



程なくして外宮。

伊勢市駅前から外宮境内へと歩みを進める内に、
道はアスファルトから玉砂利へ、景観は市街地から蒼古の森へ、
音響はエンジン音・信号機音などの人工音から、
樹々のさざめき・鳥の囀りといった自然音へと変化してゆき、
その変化に伴い、同じ大気、同じ空間であるはずのものの中に、
いつしか名状しがたい “ 尊さ ” が醸されてくるのを感じます。

“ 尊さ ” と申せば、

元禄二年(1689)、松尾芭蕉(1644~1694)は伊勢を訪れ、
外宮・第46回《式年遷宮》の儀式を拝して、こう詠んでおられます。

『尊さに 皆おしあえぬ 御遷宮』

生あるものは必ず滅ぶのが定めである以上、私たちは「必滅」。
しかしながら、生滅を超えた存在の “ 尊さ ” は「不滅」。

『尊さに 皆おしあえぬ 御遷宮』という句からは、
「必滅」の存在が「不滅」の存在を信じ、敬い、慕い、祈り、
押し合いへし合いしつつ集う、333年前の光景が伝わってきます。


次回、第63回《式年遷宮》は、2033年に執り行われる予定。
現在の御正殿に隣接する、こちらの場所に、

新しい御正殿が建てられます。


境内に立つ神杉



夏の炎暑に灼かれて千年、冬の寒風にさらされて千年、
自らを誇ることなく立ち続けながらも、

否応無く樹皮に現れ出るのは、尊き “ 青 ” 、神さびた “ 蒼 ” 。

                 

カメラ絞りの具合で写真に現れる光条が、
天空から降りて来る無数の光の糸のようにも見えますが、

光の “ 糸 ” を、光の “ 意図 ” と観想してみますと、
“ いと ” は何を結ぼうとし、何をほどこうとするのでしょうか?

想えば私たち人間は、ある意味 “ 操り人形 ” 。
人に操られ、お金に操られ、自らの欲に操られ、情報に操られ、
物に、言葉に、思考に、日々に移り変わる心身の状態に操られ、
主体的に何かを操っているつもりでも、
その操作自体が既に操られているものでもあろうかと思います。

何かに操られて生きざるを得ないのであれば、
人は、何に操られて生きることを旨とすべきなのか・・・、
浄域の気に打たれたせいでしょうか、
ひととき神妙な心持ちに包まれるものでありました。

この1年、当ブログに御訪問いただき心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

皆様、良いお年をお迎え下さい!


         それでも世界は希望の糸を紡ぐ







木曽街道をトボトボと・・・

2022-11-13 14:01:50 | 神社仏閣
朝7時頃に気ノ池を発ちまして、

この日は少し長い距離を歩きます。


まずは西へと歩き始め、毘沙門寺を過ぎ、



城山八幡宮を過ぎ、



八幡宮を過ぎた辺りから、歩む方角を北へと取りますと、

ほどなく覚王山日泰寺・舎利殿に至ります。


奥の方に、真舎利塔が建っています。創建は大正7年(1918)。

タイ国から贈られた釈迦(仏教開祖、生没年不詳)の “ 真舎利 ” 、
つまり考古学的な裏付けが為された本物の遺骨が収められています。
日本には “ 仏舎利 ” とされるものを収めた場所が点在しますが、
「間違いなく釈迦の遺骨である」と考古学的に実証されているのは、
覚王山日泰寺に収められている “ 真舎利 ” なのだそうです。


さて、舎利殿から少し歩けば上野天満宮の近辺にさしかかり、

さらに北上しますと、


砂田橋の交差点。

これを西(左方向)へと進んでゆきますと、


山田天満宮の近く、大曽根に達します・・・と、

この辺りまでは当ブログで何度も訪れておりますエリア。


この大曽根の西側に位置する平安通りの交差点から、

道路表示板上「上飯田」と書かれている方角に向かうのですが、
早川にとって、ここから先は初めての場所、初めての道。
只ひたすら北の方角を目指します。

                 

しばらく歩き続けて、まずは矢田川の流れを越え、



次に庄内川を渡ります。



空気を激しく震わせながら轟く爆音に空を仰げば、

味美(あじよし)上ノ町の信号機に迫る機影。


地上の早川からはパイロットの顔さえもが見えているのですが、

それもそのはず・・・、


此処は、既に名古屋市を離れ、いつしか春日井市を抜け、
小牧市に入ろうかという辺りで、上空は、

航空自衛隊・小牧基地への着陸経路なのでありました。

               

早川が短い足を繰り出しつつ歩んでおりますのは、
国道27号線、またの名を「木曽街道」。

この街道沿いに、田縣(たがた)神社が在りました。

主祭神は御歳神(みとしのかみ)と玉姫命(たまひめのみこと)。
なんでも700年近い歴史を持つ神社だそうです。

今年の3月、
当時奉職しておりました学び舎を卒業する学生さんのお一人が、
「袴姿での記念写真を “ 田縣神社 ” で撮ってきましたぁ!」
と写真を見せて下さったことが鮮やかな記憶として残っていて、
その思い出がなければ、つと通り過ぎるところでありました。

いよいよ犬山市に入ってまいりました。

目的地まで、あと一息。


というわけで、見えてまいりましたのは広大な敷地に建つ寺院。



千葉県成田の地に総本山を持つ成田山・新勝寺の名古屋別院、
大聖寺(だいしょうじ)であります。



犬山市に所在するにも拘らず「名古屋別院」とは、これ如何に?
と思わぬでもありませんが、昭和28年(1953)の創建時、

「愛知別院」でも「犬山別院」でもなく、
「名古屋別院」とする何らかの事情があったのかも知れません。
何にせよ、成田山・名古屋別院・大聖寺は、
名古屋市ではなく犬山市に在りますので他府県から御参拝の方は、
アクセスを御確認の上お越し頂くのが良いかと思います。
名古屋から犬山までは名古屋鉄道(名鉄)犬山線で25分です。


上掲写真の階段を上りきったところに本殿。

本尊は不動明王。

午前7時に出発し、名古屋市内大小の国道を辿ること約3時間、
木曽街道をトボトボと歩むことおよそ5時間、
大聖寺に到着したのは陽も傾きかけた午後3時でありました。

大聖寺は、小高い山の上に在るため見晴らしが良く、
本殿前からは犬山を一望することが出来ます。

写真中央付近やや左に小さく写るのが犬山城。

関東在住時、折に触れて歩きました千葉県の成田街道は、
歩道はおろか路側帯もない箇所が多々あり、また交通量多く、
歩くこと以外に神経を使わなければなりませんでしたが、
今回歩みを進めました木曽街道の一部は、
そうした危険な場所はなく、歩きやすい道でありました。


Ruby Vajra and Rebirth Dragon ~ 紅玉独鈷と再生の龍

皆様、良き日々でありますように!


                







大神(おおみわ)神社

2022-11-06 16:24:08 | 神社仏閣
先週、先々週に引き続きまして、本日も奈良旅の一端、
お付き合いのほど宜しくお願い申し上げます。

こちらは真言律宗の総本山、西大寺(勝宝山・西大寺)。
堂内の撮影は禁じられておりますので、本堂外観を。
参拝時は、キンモクセイの花盛りでありました。

創建は天平神護元年(765)。
東の「東大寺」に対して、西の「西大寺」であり、
かつては広大な境内と壮大な伽藍であったと伝わります。
西大寺もまた仏教美術の宝庫。
修学旅行生や観光客が押し寄せる東大寺とは趣が異なり、
優しい静けさの中、仏尊の慈光に浴することが出来ます。


こちらは新薬師寺(華厳宗・日輪山・新薬師寺)。

創建は天平19年(747)。
本堂内には、平安時代初期の作とされる薬師如来坐像および、
天平期の作とされる十二神将像が祀られています。
『薬師瑠璃光如来本願功徳経』では、
薬師如来の功徳と祈り方についてが説かれた後、
突如として、かつ颯爽として十二神将が姿を現し、
“ 我々が人々を護りまする~ ” と高らかに合唱を始めます。
こうした辺りは経典が音楽劇としての魅力を発揮するところで、
経典には合唱団の団員数も記されており、その数 “ 八万四千人 ”。
年末の第九どころではありません。

                 

さて新薬師寺から北へと歩みを進めますと、
鹿が出迎えてくれました。

奈良公園であります。


“ 写真など撮らんと、はよ鹿せんべいオクレェなぁ! ”



春日大社へ向かいます。



参道にも鹿



奉納石燈籠にも鹿



手水舎にも鹿

鹿は “ 神の使い ” であります。
一説に “ 鹿の霊地 ” であった常陸国「鹿島(かしま)」、
現在の茨城県は鹿島神宮所在地から、
「建御雷神」とも「武甕槌神」とも表記されるところの、

「タケミカヅチノカミ」

その分霊(わけみたま)が “ 白い鹿 ” に乗り、
はるばる大和盆地は春日山の麓まで旅を敢行されたとされ、
以来、とりわけ春日大社一帯においては、
鹿が神聖視されるようになったのだとか(諸説あります)。


春日大社、本殿前の楼門。

主祭神は春日神(かすがのかみ)、創建は神護景雲2年(768)。


本殿参拝後、摂社・末社を巡拝しながら、
春日野の自然林に融け込んでゆくうち、

この春日野の自然こそが神々の鎮まる社殿であり、
真の春日大社であるように思われてまいりました。

                 

こちらはJR桜井線・三輪駅から徒歩約10分、

大神(おおみわ)神社であります。
主祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。
創建は “ 有史以前 ”と伝えられています。


身の引き締まるような深閑とした参道を辿り、

この独特の “ 縄鳥居 ” をくぐった先に建つのが、


大神神社・拝殿

大神神社の御神体は “ 三輪山 ” そのものであるため本殿はなく、
「拝殿」の名前通り、ここから三輪山を遥拝します。


分かりづらい写真で申し訳ありませんが、

神楽が奉納されているのが御覧頂けますでしょうか?


拝殿から、左手方向へ参道を進んでゆきますと、
大物主大神の荒魂(あらみたま)を祀る狭井(さい)神社に至り、
その境内の一角に、御神体の三輪山へ入る登拝口があります。
登拝について伺ったところ、コロナ禍を考慮して、
しばらく登拝は受け付けていないとのことでした。

巷間よく知られていることながら、
御神体・三輪山への入山は「登山」ならず「登拝」。
「登山」はスポーツですが、「登拝」は神事であります。
入山中の私語・飲食・撮影などは一切厳禁であり、
三輪山の一木一草に対する崇敬の念を堅持することが肝要とされ、
古来「参拝者が三輪山の神に試される」とも伝わります。

コロナ禍が明け、入山が許される時期が来たならば、
神事の心得を胸に刻み、謹んで登拝したく思います。

広大な浄域を巡拝する内には、日も暮れてまいりました。


                 

今回の奈良旅では、
信貴山・朝護孫子寺を始め古都の神社仏閣を巡り、
春日の自然林を歩み、三輪の神奈備に佇みと、
ある種 “ 夢幻の世界 ” に心と身体を置くことができました。
その中で大小さまざまな教えや気付きを授かりましたが、
それらを要約するならば、

“ 五感を研ぎ澄ますことの大切さ ”

ということに尽きようかと思います。
「なぁんだ、そんなことか」と自身で思わぬでもありませんが、
日常生活では、五感の使用領域も限られてきます。

その意味において、“ 旅 ” は非日常の最たるもの。
日常では開きづらい五感の扉が “ 旅 ” によって開き、
心の眼が「姿なき姿」を観る、心の耳が「声なき声」を聴く、
そのような体験は、やはり “ 旅 ” ならでは。
時に遠くへ、時に近くへ、
折に触れて “ 旅 ” に出たいものであります。


“ Shrine maiden and Dragon ” ~ 三輪ノ神楽

皆様、良き日々でありますように!


               







平等院 ~ 音楽は愛と光

2022-10-30 14:14:52 | 神社仏閣
JR宇治駅近くを流れる宇治川。



名高き “ 茶処(ちゃどころ)” だけあって、



宇治茶の老舗が立ち並びます。

こうしたお店にも入りたいなぁ・・と思うのですが、
つまらない性分とでも申しましょうか、
ひとりで入る勇気が出ないのであります。


宇治駅から少しばかり北へと歩みを進めた山峡に建つのは、

“ 紫陽花の寺 ” として名高い三室戸(みむろと)寺。


“ あぢさいの 色をあつめて 虚空とす ”

俳人:岡井省二(1925~2001)の代表作は、
この三室戸寺で詠まれたものなのだそうです。
ここに謡われている「虚空」とは、
広大無辺の宇宙を指すのでしょうか、それとも、
個々人の内側に広がる宇宙を意味するのでしょうか。
どちらにせよ “ 果てなきもの ” 、それが「虚空」。

「紫陽花の色を集めて虚空とす」

句碑に佇んでおりますと、花期では無いにも拘らず、
とりどりの色彩を放つ無数の紫陽花が、
三室戸の風に揺れているかのようでありました。

                 

さて平等院であります。



世界遺産に登録される、ずっと以前から、

日本人の心を、また世界中の人々の心を惹きつけてやまない寺院は、


訪れたのが日曜日とあって、御覧の通りの人出。

鳳凰堂の内部参拝は2時間待ちという混雑ぶりでありました。

                 

平等院リニューアル後に訪れるのは、これが初めてで、

今回の奈良旅の目的、その一つが “ 鳳翔館 ” に安置された、
26体の “ 雲中供養菩薩 ” への参拝であります。

御承知置きの通り “ 雲中供養菩薩 ” は、
元々鳳凰堂内部の壁面に掲げられていた菩薩群で、総数52体。
52人の菩薩は、各々が楽器を奏で、歌を歌い、踊りを舞いと、
自らのパートを担いつつ全員で妙なる音楽を響かせていることから、

「天上のオーケストラ」

とも呼ばれる音声荘厳(おんじょうしょうごん)の菩薩管弦楽団。
現在は、半数の26体が鳳凰堂の内部に、
半数の26体が鳳翔館に安置され、特に鳳翔館内の菩薩は、
ガラスケース越しながらも間近に拝観することが出来ます。

“ 雲中供養菩薩 ” は、鳳凰堂内・南北それぞれの壁面の、
どの位置に在ったのかを示す意図の下、
「北3号」とか「南17号」というように番号が付けられています。

「南24号」の菩薩は、右の前腕部が遺失していますが、
何らかの楽器を演奏していたとされています。
(平等院発行「雲中供養菩薩」より転載)

注目すべきはその背中、

『愛』

と墨書されています。

「南21号」の菩薩は “ 笙(しょう)” を演奏する菩薩。
(平等院発行「雲中供養菩薩」より転載)

その背中には、

『光』

と墨書されています。
制作年は、今を去ること約千年前の1053年頃。

平等院の “ 雲中供養菩薩 ” は、
今まさに “ あの世へ旅立つ ” という人々を迎える菩薩。
奏でられる音楽は、肉体から解き放たれる魂に寄り添いつつ、
その魂が迷うことなく浄土へ向かうよう導いてゆく音楽であり、
その演奏家の背中に書かれているのが “ 愛 ” と “ 光 ” の文字。

尤も、これには理由があります。
元々墨書されていたのは「金剛愛」「金剛光」だったのですが、
経年により「金剛」の字が薄れ「愛」と「光」が残存したもの。
実はこの「金剛愛」「金剛光」というのは、
密教で用いられる “ 曼荼羅 ” に説かれる菩薩で、
その名を「金剛愛菩薩」「金剛光菩薩」。

密教の諸尊名には「金剛」が付きもので、
例えば「金剛歌菩薩」「金剛嬉菩薩」「金剛笑菩薩」等々、
曼荼羅には数多くの「金剛◯◯菩薩」が集まっています。

つまり平等院は、その建立経緯からして、
浄土思想・阿弥陀信仰の “ 顕教 ” 寺院と捉えられがちですが、
平等院境内に建つ、こちらの最勝院不動堂からも察せられる通り、

実際には “ 密教 ” の道場でもありました。

                 

「金剛愛菩薩」の「金剛愛」ですが、
「南24号」音楽菩薩が背中に負う「愛」というのは、
現代の私たちが想起する「愛」とは次元を異にします。
「金剛愛」は、「愛」の対極にある「憎しみ」をも含み、
愛する歓びだけではなく、愛する苦しみや悲しみをも包み込んで、
それらの全てを「愛」と捉えます。

「金剛光菩薩」の「金剛光」も同様で、
「南21号」音楽菩薩が背中に負う「光」というのは、
「光」の対極にある「闇」をも抱え、
絶望の黒闇も又、希望の光を生む種子であり、
絶望も希望も、共に “ 望(のぞみ)” の一形態であるとします。

曼荼羅に説かれる「金剛歌菩薩」の「金剛歌」然り。
天籟・地籟・人籟、全ての音楽・音響、或いはまた夏の終わり、
地に落ちてもがく蝉の羽ばたき、その微細な振動さえをも、
「歌」として捉えます。
「金剛笑菩薩」の「金剛笑」も、笑顔のみならず、
悲嘆の涙、慟哭、嗚咽までをも「笑」の “ 因 ” と見做します。

なぜなのでしょうか?

人間が心に宿すネガティブな気持ちや感情、それらのことを、
仏教では概ね「煩悩(ぼんのう)」と呼ぶわけですが、
顕教が「煩悩を捨てよう、煩悩を払おう」とするのに対し、
密教は「煩悩を活かそう、煩悩を使おう」とするから・・・、
などと個人的にはそのように考えてみたりもします。

早川の浅薄な私見はお笑い頂くとしても、
この宇宙に存在するもの、この世界に生起する事象には、
何一つとして否定されるものは無いのだよ・・・と、
大きな愛を奏でる菩薩がいて、大きな光を唄う菩薩がいて、
千年という時の篩にかけられて尚、
菩薩の背に遺っているのは “ 愛 ” と “ 光 ” の文字。

『音楽は、愛と光』

平等院 “ 雲中供養菩薩 ” から届けられたメッセージと心得ます。


“ Phoenix and Dragon ”

皆様、良き日々でありますように!