goo blog サービス終了のお知らせ 

 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

西新井大師 〜 その1

2023-08-06 12:11:54 | 神社仏閣
夏季休暇を利用して、
久しぶりに “ 西新井大師 ” を参拝致しました。
正式名を「五智山 遍照院 総持寺」。
関東在住時には、折に触れ訪れておりましたが、
東海に転居して以来は、すっかり足が遠のいておりました。

因みに総持寺の「総持(そうじ)」とは、
サンスクリット語 “ ダーラニ(陀羅尼)” の漢訳で、
仏法の「総(すべて)」を「持(たもって)」忘れない、
というような意味とされます。

本年(令和5年)早春の頃、
大和盆地の南に千有余年の法統を伝える巨刹、
長谷寺を参拝しましたことは既に書かせて頂きましたが、
長谷寺は、真言宗豊山派(ぶざんは)の寺院。
今回参詣致しました総持寺も又、
同じく真言宗豊山派の古刹であります。

今を去ること約1200年前の天長3年(826年)の頃、
この一帯は旱魃で枯れ果てていた上、
疫病の蔓延により人々は心身共に疲弊していたのだとか。
そこへ一人の僧侶が現れ、枯れた井戸に向けて、
21日間に亘り加持祈祷を施したところ、
再び清泉豊かに湧き出し、土地も人々も甦ります。
僧侶の名は “ 空海(774~835)” 。
後の世において「弘法大師」と師号された為、
“ 大師が開いた新たな井戸 ” は大切にされて幾星霜、
やがて「西新井大師」なる仏教聖地に・・・。

全国津々浦々に語り継がれる、
いわゆる “ 大師伝説 ” の典型様式ではありますが、
「事実は小説よりも奇なり」で、
一読一聴しただけでは俄に信じがたい伝説の中にも、
一片の真実が宿っているもの。

神社仏閣の開創伝説が生まれた時代背景や、
僧侶聖人による救済伝説が醸成された社会背景には、
それらの伝説に近い事象や出来事が実際にあり、
そうした逸話の元となる人物が実際に居たのだと思います。

                 

総持寺の御本尊は、十一面観世音菩薩と伝わりますが、
本堂の裏手に建つ奥之院には、

弘法大師(空海上人)が祀られていると聞きます。

7年前、関東を去る間際、お礼参りに訪れた時には開扉され、
数々の供物が供えられていたと記憶しますが、
この日は上掲写真の如く “ ヒッソリ ” とした雰囲気。

                 

早川はブログ冒頭に、
「関東在住時には、折に触れ訪れておりました」と、
書かせて頂きました。

その理由のひとつが、こちらの大日如来像であります。

いま少し詳しく申せば “ 金剛界・大日如来 ” 鋳銅坐像。

立て札の解説には、

文政年間(1818~1831)の頃、
出羽国(おおよそ現在の山形県)湯殿山から勧請された、
と記されていますが、この説明文は簡略に過ぎ、
一体、どのような経緯や縁起を以て、
“ 大日如来 ” という密教の根本仏が、修験の本拠地・
湯殿山から西新井の地に請来されたものか?
その辺りは残念ながら分かりません。

とは言え「分からない」がゆえにこそ、

そこに自由自在な想像力を羽ばたかせることが出来ます。


そこで早川は、アレコレ想像を巡らせ妄想を膨らませ、
湯殿山を含む出羽三山~修験道~総持寺境内の大日如来~
密教で説かれる曼荼羅の思想~「円」と「縁」~三角関数~
超新星爆発の存在論的意味~電子の反発力~マチュピチュ~
東京目黒の “ 行人坂(ぎょうにんざか)” ~
物理学者エヴェレットの多世界解釈等々をキーワードとして、

一幅の音楽絵巻を作ろう・・・などと夢見たのが、
およそ四半世紀前のこと。

未だ夢叶わず、情けない限りではありますが、
そこはそれ「初心忘るべからず」ということもあり、
今回の参拝に及んだというわけであります。

つまらぬことをクダクダしく書き連ねてしまいましたが、

人間たるもの、いかに他者からの理解は得られずとも、
独自の “ 夢 ” を持っていないと生きてられませんよね。

                 

それにしても、こちらの大日如来像、

もしも文政年間の1823頃に制作建立されたとしたならば、
本年(2023)で、およそ200年。
江戸期の自然災害や大火をしのぎ、
関東大震災や東京大空襲といった大災害をもくぐり抜け、
いま尚このように屹立として智拳印を結ぶ姿に、
いわゆる “ 霊験 ” というものを思うのでありました。


“ 〈Three scale emblem〉and Dragon ” ~ 「三つ鱗」紋と龍

皆様、良き日々でありますように!


               










茅輪神事

2023-07-16 15:07:01 | 神社仏閣
先程(令和5年7月16日)、城山八幡宮を参拝し、

茅輪(ちのわ)を “ 八の字 ” でくぐってまいりました。


ここ数年来、コロナ禍の影響を受け “ 密 ” を避けるため、
茅輪くぐりも “ 直進 ” しか許されませんでしたが、

コロナも5類感染症へと移行し、
今年からは従来の “ 八の字 ” くぐりが復活しました。

御承知置きの通り、
神道の核心は “ 祓い浄め(はらいきよめ)” に在り。
火で祓い、塩で浄め、水で清め、気で祓い・・・と、
ひたすらに祓い浄め、清め祓うのが日の本の国の霊的流儀。

茅の輪神事の起こりには諸説あるようで、その中には、
日本神話に登場するスサノオノミコトが、
備後国(おおよそ現在の広島県東部)に住んでいた、
蘇民将来(そみんしょうらい)とその妻に、
「茅の輪を身に付けていれば、疫病にかからないよ」
と教えたとする説も。

蘇民将来と言いますと、
私の両親および先祖代々の故地、伊勢・鳥羽、
総じて志摩半島は、蘇民将来との縁が深いようで、
どの御家庭の門口、玄関先にも蘇民将来の護符が祀られています。
この辺りは、稿を改めて考察したいと思います。


こちらは城山八幡宮境内・摂社の前に設置された、

お子様たちを祓い浄めるための小さな茅輪(ちのわ)。


“ Fire Dragons protect you ” ~ 不動明王と双頭の火龍

皆様、良き日々でありますように!


               








信貴山再訪

2023-03-26 10:47:01 | 神社仏閣
まずは “ おことわり ” と申しましょうか、
先週のブログ内において、十一面観世音菩薩像の特色である、
“ 十一の面相 ” の中の「狗牙上出面」の読みがなを、
「くがじょうしゅつめん」と書かせて頂きました。

それぞれの寺伝なり仏像解説書の多くは「狗牙」を「くげ」と読み、
「くげじょうしゅつめん」としていることは承知しておりますが、
文化庁が重要文化財指定の十一面観世音菩薩像を解説する文言上、
「狗牙」を「くげ」ではなく「くが」としていることに鑑み、
「くがじょうしゅつめん」を採りました。

尤も、歴史上 “ 読み ” が定まっているものも多く、
例えば薬師如来の右脇侍仏として知られる「月光菩薩」は、
「げっこうぼさつ」に非ず「がっこうぼさつ」、
十二天の中の「月天」は「げってん」ではなく「がってん」、
瞑想法「月輪観」は「げつりんかん」ならず「がちりんかん」と、
仏教では「月」を概ね「がつ・がち」としますが、
これが仏教関係者の人名にも適用されるか?となると、
そういうわけにもゆかず、
幕末の勤王派僧侶・月照(1813~1858)は「げっしょう」、
江戸時代中後期の画僧・月僊(1741~1809)は「げっせん」。
この辺りは、
漢音と呉音の使い分けの歴史が関わってくるのかも知れません。

事程左様に “ 読み ” とは難しいもので、無学の早川は迷います。
「狗牙」を「くげ」と読むか「くが」と読むかという論点からは、
すこしズレてしまうのですが、
弘法大師・空海上人(774~835)の師、恵果阿闍梨(746~806)。
皆様はこの「恵果」なる名前を何と読んでおられますでしょうか。
梅原猛先生(1925~2019)は、
その著書「空海の思想について」を始め「けいか」と読み、
司馬遼太郎先生(1923~1996)は、
その著作「空海の風景」を始め「えか」と読んでおられます。

空海上人が伝法を受けた「青龍寺」にしても、
「せいりゅうじ」とする方もおられれば、
「しょうりゅうじ」とする方もおられます。

只、これら “ 読み ” の扱いというのは当たり前のことながら、
日本人がどう読むかということに過ぎず、
本来的には「けいか」でもなく「えか」でもなく、
およそ1200年前の中国・長安(現在の西安)に、
「恵果(Fei Guo)フェイ クォ」と発音される人物が存在した。
また、
「せいりゅうじ」でもなく「しょうりゅうじ」でもなく、
「青龍寺(Chin Long Su チン ロン ス)」と響く寺が在った。
そのような感覚に照らしてみますと、どちらが正しく、
どちらが誤り、ということではないようにも思われてきます。

                 

去る2月の末、奈良・信貴山を再訪してまいりました。

昨年10月に訪れた際は、
雨脚強くして早々に山を下りざるを得ませんでしたが、
今回は好天の下、山内を巡拝することが出来ました。


上掲、朝護孫子寺本堂前の舞台からは、

大和盆地が一望されます。

御承知置きの通り、国宝「信貴山縁起絵巻」には、
命蓮上人(生没年不詳・一説に平安時代後期・信貴山中興の祖)、
その活躍譚・霊威譚が驚異の筆致で描かれ、
絵巻中「山崎長者の巻(飛倉の巻)」では、命蓮上人が、
いかなる物体をも空中移動させる “ 空鉢(くうはつ)” を操り、
信心に欠ける長者を慌てふためかせます。
その “ 空鉢 ” を祀る空鉢護法堂へと到る参道。

“ 空鉢 ” の正体は “ 龍王 ” とされ、
一説に “ 難陀(ナンダ)龍王 ” とも伝わります。
“ 難陀 ” とはサンスクリット語で「歓喜」の意。
難陀龍王は、或る時は毘沙門天王の眷属になり、
また或る時は千手観世音菩薩の眷属になり、
また或る時は十一面観世音菩薩の眷属になりと
その本質を “ 水 ” とする龍王らしく、時に雲、時に雨、時に川、
千変万化に相を移り、姿を変えながら活動するということで、
その通り空鉢護法堂には “ 龍神 ” が祀られていました。


絵巻中「延喜加持の巻」では、
命蓮上人に使わされた護法神 “ 剱鎧(けんがい)童子 ” が、
醍醐天皇(在位897~930)の病を平癒へと導きます。

その “ 剱鎧童子 ” を祀る剱鎧護法堂。


“ Myoren and Spirits ” ~ 命蓮上人と護法善神

向かって左から剱鎧護法・命蓮上人・空鉢護法(のつもりです)


感染症や疫病に対する有効な治療法もワクチンも無い時代、
人々が縋り、頼みとしたのは加持祈祷でありました。

そのような往時の人々のありさまは、
科学的思考と合理的行動を旨とする現代人から観れば、
“ 迷信 ” に翻弄された人々のようにも映りますが、
実は私たち現代人の方が、
奇怪かつ多種多様な “ 迷信 ” に惑わされていて、
往時の人々は、現在から観れば “ 迷信 ” のようではあるものの、
その実、確たる “ 信 ” に生きていたのではないか?

神仏世界と人間世界、伝説世界と現実世界、祈祷世界と願望世界、

二つの世界が渦を巻きながら融け合う信貴山内を巡拝する内には、
そのようにも思えてまいりました。

                 

星の巡礼~東日本大震災を忘れない(2016年作曲)


皆様、良き日々でありますように!


               







隠国の泊瀬

2023-03-19 15:21:28 | 神社仏閣
先々週のブログでは、室生寺から龍穴神社を訪れました。
その室生の地から在来線で10分ほどの長谷寺駅で下車し、
そこから歩いて約15分。
古来「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と詠われた山深い地に、
祈りのバトンを受け継ぎ引き継ぎ 1300年。

長谷寺(はせでら)を参拝してまいりました。
その長大な歴史の中では幾度も堂宇焼失に遭うものの、
その度に復興再建が成され、
今日に法燈を伝える真言宗豊山(ぶさん)派の 総本山であります。

西国33カ所巡礼・第8番札所でもある長谷寺と言えば、
像高10メートルを超える長谷寺式十一面観世音菩薩像。

書かずもがなのことではありますが、
十一面観世音菩薩像の特徴は、
その名前の由来ともなった “ 十一の面相 ” でありましょう。
“ 十一の面相 ” とは、頂上面×1・菩薩面×2・忿怒面×3・
狗牙上出(くがじょうしゅつ)面×3・大笑面×1、
以上の頭上10面に本尊の面を加えた11面。

寺伝によりますと、長谷寺の尊像自体、九度に亘り焼失するも、
不思議なる哉 “ 頂上面 ” だけは毎度無事に残存し、
新しく造立される仏像の胎内に納められてきたのだそうです。
つまり、現在の十一面観世音菩薩像の内部には、
初代十一面観世音菩薩像の “ 頂上面 ” が受け継がれ、
秘蔵されているということであります。

今回の参拝では、御祈祷を申し込んだ御縁を以て、
巨大観世音菩薩像の “ お御足(おみあし)” に触れて祈る、
「お御足頂礼(御足参拝)」をさせて頂きました。

祈祷の願旨と申しますと、
身体健全・心願成就・交通安全等々といった辺りが一般的ですが、
早川の願旨は、少しばかり変わった内容であったにも拘らず、
僧侶の方々はその内容に耳を傾けて下さり、
快く引き受けて下さいました。

柔軟にして温かな御対応に、心より感謝を申し上げます。

長谷寺本尊・十一面観世音菩薩の右側(参拝者から観て左側)に、
脇侍(きょうじ / わきじ)として、
“ 雨宝(うほう / うぼう)童子 ” が祀られています。
弘法大師・空海上人(774~835)が、
伊勢朝熊山(あさまやま)金剛証寺(こんごうしょうじ)で修行中、
神託を受けて感得したとも伝えられる尊格で、
一説に天照大御神が日向(ひゅうが)の国、
現在の宮崎県中部辺りに降臨した際の姿とも謂れ、
神仏習合思想では、大日如来が “ 本地仏 ” であると説かれています。

右手に金剛宝棒を執り、左手に如意宝珠を載せ、正式名を、

“ 金剛赤精善神(こんごうせきしょうぜんじん)雨宝童子 ” 。

                 

広大な境内に建つ諸堂を巡り終え、
長谷寺山門を出て少しのところに在るのが、
與喜(よき)天満神社。

創建は天慶9年(946)と伝わり、
なんでもこの與喜天満神社が鎮まる初瀬(はせ)の地は、
菅原道真公(845~903)の先祖を輩出した土地なのだとか。
創建当初は、どれくらいの規模だったかは分かりませんが、
道真公が没して僅か40年ほどで、公は既に神格化され、
天満天神信仰が兆していたのだということを知りました。

また上記創建からおよそ300年ほど経た鎌倉期の頃、
道真公の神像が造られ與喜天満神社に鎮座されたと伝わります。

その像自体は現在奈良国立博物館に保管されているそうですが、
興味深いのは、天神像の頭部に、
十一面観世音菩薩を刻した銅鏡が封入されていたこと。

いわゆる “ 本地仏(ほんじぶつ)” の考え方で、
菅原道真公すなわち天満天神の正体は、
十一面観世音菩薩であるとする想いが込められたもの。

「隠国の泊瀬」は、
長谷寺、與喜天満神社を始めとする古刹古社をその懐に抱いて、
今も昔も十一面観世音菩薩の一大霊場であるということに、
あらためて思いを馳せるものでありました。
                 

富士の山 不死の国 ~ 震災を忘れない(2014年作曲)


皆様、良き日々でありますように!


               








室生寺から龍穴神社へ

2023-03-05 13:41:23 | 神社仏閣
名古屋から近鉄特急と在来線を乗り継いでおよそ2時間、
室生口大野駅で下車し、駅前からバスに揺られること約20分。
「女人高野(にょにんこうや)」として知られる古刹、

室生寺(むろうじ)を参拝してまいりました。


室生寺は、山号を「宀一山(べんいちさん)」と称される、
真言宗室生寺派の大本山。



伝えられるところによりますと白鳳9年(680)、
修験道開祖・役小角(えんのおづぬ or おづの / 生没年不詳、
一説に634~701)によって創建されたとも、或いはまた、

平安初期の延暦年間(782~806)、
興福寺の高僧たちによって建てられたともされるのだとか。


初めて訪れた室生の地は、
太古の火山群を偲ばせる峻険な山並みと奇岩群、
その谷間を縫って蛇行する室生川と、

いかにも山岳修験の聖地を思わせて余りある景観で、
役小角による開創説にも頷けるものでありました。


真言密教の故郷、高野山が長きに亘り “ 女人禁制 ” であった中、
室生寺は中~近世頃から女性の修行者や参詣者を受け入れた為、

「女人高野」の名で親しまれてきたという歴史は周知のところ。


近現代でこそ、神社仏閣参拝は「観光」の側面を持ちますが、

往時の女性たちにとって神社仏閣参拝は、
「光景を観にゆく」という意味での「観光」とは異なり、
「光を観い出しにゆく」という意味合いを秘めた「観光」で、
そこには「救いの光」を求めるという切実な願いがあったはず。

封建社会、男尊女卑の時代ならではの苦悩や懊悩を抱え、
救いを求めて山門をくぐった女性たちの心境たるや、
いかばかりであったことかは、想像に難くありません。
そういった歴史の中で、
室生寺が果たしてきた役割は少なく無かったものと、

山内を巡りながら、そのように思えてまいりました。

                 

室生寺を後に致しまして、こちらの看板を御覧下さい。

「人生の悩みごとにお困りの方はご参拝下さい」とあります。

ゆかねば・・・、

ということで、室生寺から歩いて10~15分、

室生龍穴神社であります。





献額には “ 善如龍王社 ” の文字。

古来、室生、宇陀(うだ)、初瀬(はせ or はつせ)の地には、
“ 龍神 ” が住まうと言い伝えられ、
降雨・止雨の願いを託されてきたわけですが、
その辺りを念頭に置きつつ、
半ば肉眼を閉じ、半ば心眼を開いて佇んでおりますと、

森羅万象一木一草までもが “ 龍神 ” のように感じられてきます。

                 

さて龍穴神社から山あいの道に入りますと、
山道には、こうした “ 柱状節理 ” が見られます。

御承知置きの通り “ 柱状節理 ” は溶岩が冷えて出来るもの。


かつて地球の内奥部から吹き出したものを、
いま目の当たりにしている不思議を想いつつ、
急峻な山道に歩を進め、辿り着きましたのは “ 吉祥龍穴 ” 。

人影は無く、
“ 龍穴 ” を渡る風と一帯を覆う川のせせらぎに包まれて、
しばし有り難いひとときに与ることが出来ました。


この “ 龍穴 ” や道すがらで参拝した “ 天の岩戸 ” 等について、

まだまだ書きたいことも有りますが長くなりそうなので、
本日はこれにて置筆とさせて頂きます。


その場で描いたこともあり、粗雑な絵で申し訳ありませんが、
岩場に渡された注連縄(しめなわ)の奥が “ 龍穴 ” であります。
“ Sacred Cave ” ~ 吉祥龍穴 ~

皆様、良き日々でありますように!