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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

境内地の片隅に

2023-10-15 16:41:32 | 神社仏閣
記録的な猛暑・酷暑が嘘であったかのように、

朝晩は随分と冷えてまいりました。


いつの間にか金木犀が香り、



柿が、実を結んでいます。


                 

日々に高さと深さを増してゆく秋の空。
城山八幡宮では、

“ 七五三 ” の準備が整えられています。


今春には、

新しい職場への通勤手段として使用する、
自転車の “ お祓い ” をお願いし、


交通安全祈願の昇殿参拝に及ぶなど、

足繁く通う城山八幡宮ですが、


その境内地の片隅にひっそりと、
“ 行者堂 ” が建っています。

どのような経緯で建てられたものかは分かりませんが、


行者堂に向かって右脇には、

「大峰登山二十三度・・・」


向かって左脇には、

「大峰山二十六度登拝・・・」と、
記念の石碑が奉納されています。

御承知置きの通り、
奈良県中部に聳える大峰山(おおみねさん)は、
大峰山回峰行(かいほうぎょう)を始めとする、
山岳仏教の一大聖地。

かつて、この城山の地に、
大峰山系を巡る行者がおられたのだろうか・・・?
八幡宮を訪れる度、
少なからず不思議な想いを抱くのであります。

                 

職場には、歴史好き・旅好きの方がおられ、
色々とお話を伺ううち、“ 龍神 ” の話になり、
“ 青龍会 ” について教えて頂きました。

“ 青龍会 ” は年に3回執り行われる、
京都・清水寺および東山一帯を挙げての仏教大祭。

「青龍会 奉行」と称される師僧に導かれ、
観世音菩薩の化身 “ 青龍 ” が、
「龍衆(りゅうしゅう)」の方々に奉げ持たれつつ、
清水寺の境内から門前町を巡行するというもの。

“ 青龍 ” の鱗が特徴的なんですよね。

皆様、良き日々でありますように!


               









名古屋市中区の三輪神社

2023-09-24 15:34:55 | 神社仏閣
早川の通勤手段は、
晴天であれば自転車、雨天なれば徒歩という具合で、
この夏は、職場に辿り着いた時には既に全身汗まみれ。

まずはトイレで下着から何からを着替えるわけですが、
シャツを絞れば滴り落ちていた汗も、
ここ数日は、そこまででもなく、
(ははぁ、暑熱も収まりつつあるか・・・)などと、
発汗量の僅かな差異によって、
秋の訪れを知ることとなります。

涼しくなるのは有り難いことですが、
夏の疲れが出て来る頃でもあり、
未だ終息しないコロナ禍と、
季節外れのインフルエンザが影を落としてか、
職場では体調不良を訴える方が続出しています。

皆様におかれましては、くれぐれも御自愛下さい。

                 

さて、昨年(令和4年)10月には、
大和国(現在の奈良県一帯)桜井の地に有史以来の歴史を伝える、

大神神社(おおみわじんじゃ)を参拝致しました。
大神神社は、日本各地に在る三輪神社の総本社。


こちらは名古屋市中区に所在する三輪神社であります。

社伝によりますと、戦国時代の武将・
牧長清(まき ながきよ/生年不詳~1570)が、
大和国(現在の奈良県一帯)から、
尾張国(現在の愛知県西部)へと転封した際、
大和国・桜井の三輪山に鎮まる、
大物主神(おおものぬしのかみ)を祀ったことを、
発祥とするのだそうです。

古事記や日本書紀に登場する神々というのは、
一柱の神が多くの名前を持ち、
大物主神も、

御諸山上坐神(みもろのやまのうえにますかみ)、
美和之大物主神(みわのおおものぬしのかみ)
戸挂須御諸命(やとかけすみもろのみこと)、
大物主葦原志許(おおものぬしあしはらのしこ)、
三輪明神(みわみょうじん)等々、

多くの別名があり、正直なところ、
早川は誰が誰やら分からなくなります。

古事記には、
大物主神が上述のように別名を名乗っていた時代、
赤く塗られた矢(丹塗りの矢)に姿を変えて、
想いを寄せる女性の心を射止める・・・、
という風な記述があるからでしょうか、
“ 縁結び ” の神としても崇められ、

樹齢450年とも伝わる楠(くすのき)の周りには、

大物主神の御神徳に与ろうと、
真紅の布紐が結ばれていました。


楠の樹洞(うろ)には、

古事記に載る件の伝説に則ったものでしょうか、
丹塗りの矢が立っています。

「赤い色・弓矢・縁結び」といったキーワードから、
“ 愛染明王 ” を思い浮かべる方もおられるかと思います。
早川もその一人なのでありますが、
人類の共通無意識や深層意識の海流といったものは、
どこかとどこかが繋がっていて、
分けられるものではないよなぁ・・・と、
そのような感覚に包まれるのでありました。

                 

境内地の奥に立つ小祠には、

龍神が祀られています。
御承知置きの通り、
総本社・大神神社の御神体は “ 三輪山 ” 。

霊山と、その自然環境そのものが御神体とは言えども、
時に応じ、場合に応じ、
或いは祈りを捧げる人間の気根や度量に応じ、
時に「龍体」として顕現し、

時に「蛇体」として感得されるとも伝わります。

                 

諸説あるものの、御祭神の大物主神は又、
大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一とも謂われ、
“ 因幡の白ウサギ ” 伝説における、
大国主命と白ウサギとの絆を詠うかのように、

三輪神社の看板はもとより、

境内の至るところに、


ウサギが描かれたり置かれたりしています。

産霊神のヤタガラス、春日神のシカ、天神のウシ、
稲荷神のキツネ、毘沙門天のトラ、大黒天のネズミ等々、
古来「神使(しんし)」とされる霊的禽獣が、
数多く設定されていますが、
こちらの三輪神社では、ウサギが「神使」。
神と人との縁を取り持ってくれるのであります。

こちらは “ 幸せの撫でウサギ ” 。

「身体の痛い所、不調な部位を撫でると良い」
とありましたが、そこは “ 天然 ” の早川、
ウサギ像に感心して撫でるの忘れました。

卯年生まれの方やウサギ好きの方には、

特に心地良く感じられる場所かも知れません。

                 

ところで、三輪神社の所在する辺りは、

「矢場町(やばちょう)」

という区域に近く、名古屋でも有数な繁華街。
“ 名古屋めし ” の代表格、味噌かつ「矢場とん」の「矢場」は、
この町名に由来するのだとか。

ならば「矢場」とは何ぞや・・・、
その答えが、三輪神社の境内にありました。

江戸時代・寛文8年(1668)、
尾張徳川家が三輪神社境内に、
京都・三十三間堂を模した長い廊下を建設し、
藩士の弓術向上を図ったのだそうで、
「矢場」とは、
藩士の弓術・弓道修練所なのでありました。

シュー・ハオフォン監督の映画「箭士 柳白猿」(2012)、
邦題「ソード・アーチャー 瞬殺の射法」の中に、

『すべての武術、身体操作・心法の神髄は弓術にあり』

という風な台詞が有った覚えが・・・。
武術の、身体操作の、心法の、といったことはさておき、
私たちの日常は、
弓をひいては矢を放ち、
矢をつがえては弓をひき、の繰り返しかと思います。

弓に張られた糸が切れることもあれば、
矢をなくすこともあり、
首尾よく矢を放てたとしても、
矢は往々にして、あらぬ方角へ飛んでゆくもの。

大小の夢や願いを「的(まと)」として、
その「的」に矢を当てるのは、
難しくありながらも、

“ 人生弓道 ” の醍醐味と申せましょう。


“ Air transforms into White Dragon ”
~ 大気、白龍に変ず ~

皆様、良き日々でありますように!


               











熱田の杜へ

2023-09-03 13:39:24 | 神社仏閣
9月に入り、
奉職する学び舎では2学期が始まりました。

年齢(とし)は争えぬもの。
日々に衰えゆく我が身が周囲に迷惑をかけず、
しっかりと職務を全うさせて頂けますようにと、

熱田神宮を参拝してまいりました。


網膜には未だ夏空が映りますが、

鼓膜には初秋の響きが届けられているように感じます。


当ブログでは、折に触れて掲載するところの、
熱田神宮境内に千年を越える歳月を営む楠(くすのき)の巨樹。

かの “ 空海上人 ” が植えた楠とも伝わり、
この日も、大勢の方が御神木に祈りを捧げておられました。


先日、参拝した伊勢神宮でもそうでしたが、
大きな樹が在りますと、つい引き寄せられます。

何故なのか?・・・を想う時、
必ず思い起こされる一説があります。

『悠久の昔から もろもろの木のなかには精霊が宿っている。
 それゆえに聖なる木は、風をうけて葉を鳴らす。
 それは人に語りかけているのである。
 もちろん木は、
 仏のように教えを説くわけではない。
 神のように祝(ことほ)ぎの言葉を発するわけではない。
 ただ木は人よりも長く生き、人よりも長く考え、
 人よりも賢い。』
(引用元:伊藤ていじ著『重源』新潮社刊)

                 

さて、神事・神祭に日本酒は欠かせぬもの。
規模の大きな神宮・神社では、
酒造団体等から奉献された酒樽の並ぶ光景が見られます。
有名なのは明治神宮・南参道脇の樽棚でしょうか、
その数は200樽を越すとも聞きます。

熱田神宮の参道にも、

愛知県下で醸された日本酒の菰樽(こもだる)が並びます。


写真中央からやや左に “ 金虎 ” とあります。

実は早川、この参拝日の前日のこと、
偶々通りがかった酒販店において、
“ 金虎 ” 出張頒布のフライヤーを見かけていたのですが、
「ほぉ~ “ 金虎 ” かぁ、いい名前だなぁ」というくらいで、
何を気に留めるということもありませんでした。

しかし次の日、こうして訪れた熱田神宮の境内において、
再び “ 金虎 ” と目にしますと、これはもはや “ 御縁 ” 。

帰路、件の酒販店において早速 “ 金虎 ” を購入致しました。
聞けば金虎酒造は江戸時代の弘化2年(1845)、
善光寺街道入口の山田村、
現在の名古屋市北区山田に開かれた酒蔵とのこと。

薦められたのは「“ 虎変 ” 特別純米・秋上がり」。

舌先に感じる少しばかりの酸味、
舌奥と喉奥に感じる少しばかりの辛み、
極めて淡麗なれど、どこか深みを感じさせる味わい。

この日は、豆腐のキムチ和え、ラッキョウ、オクラ納豆と、
淡白なものと共に頂きましたが、
淡麗辛口の “ 虎変 ” に合わせるのならば、
アジフライや天婦羅といった油気のある料理の方が良いかも。

出張頒布で来ておられた金虎酒造の方に伺ったところ、
この “ 秋上がり ” は、夏前には既に仕込まれていて、
そこから「ひと夏を寝かせる」ことにより、
風味に円(まる)みと奥ゆきが生まれるのだそうで、
「ひと夏を寝かせる」という “ 時の作用 ” を見越した上で、
夏前の段階では敢えて「アッサリと」仕込むのだそうです。

仕上がりへの道のりを計算した上で、
仕込むべきのみを仕込み、
あとは “ 時の作用 ” に委ねる。

醸造は “ 麹・酵母 ” を含め、
《自然との共同創造》と聞いてはおりましたが、
改めて “ 音楽づくり ” に通じるものを感じた次第。


“ Dragon , beyond the trial ” ~ 晴れようが、荒れようが・・

皆様、良き日々でありますように!


               








湯島 & 巣鴨

2023-08-20 14:32:55 | 神社仏閣
2017年から5年に亘り勤務しました職場には、
国家資格取得を目指す学生諸氏が通っておられました。
受験シーズンが近づいてまいりますと、
試験当日の体調・天候・交通機関の運行状況への懸念、
試験本番で実力が発揮出来るかどうか等々の不安が募ってくるもの。
そこは矢張り “ 神頼み ” という部分もあり、
近くの、或いは遠くの天満宮や天神社に合格祈願に向かわれる、
そういった受験生の方々が数多く見受けられました。

印象に残る学生さんがいます。
彼女は、諸般の事情による2度の留年を経て全単位を修了し、
ようやく国家試験に臨むも、1回目:不合格、2回目:不合格、
3回目にして遂に合格を果たしました。
振り返れば、高校卒業から実に8年の歳月を経ての資格取得。

その3回目の受験前、つと近寄って来て、こう言うのです。
「早川さん、思い切って “ 湯島 ” 行ってきます!」
“ 湯島 ” とは、もちろん “ 湯島天神 ” 。

確かに早川は、彼女が落ち込む度に “ 天神 ” を持ち出しては、
「学問の神は、長い目で観ておられる・・・」とか、
「道真公は、逆境に在る人間に味方する・・」とか、
励ましたい一心で語っていたのでありますが、
その度に彼女は、
「トイレの神様なら聞いたことあるけど、
 学問の神様なんて聞いたこと無いんだけど」とか、
「スガワラノミチザネ?・・・ヤバ、誰それ」という具合。

私も自分自身を顧みて、内心、
(いくら激励の思いとは言え、学び舎という “ 科学の園 ” で、
 非科学的なことは言わない方がいいか・・・)と反省しきり。

そんな彼女の口から、
“ 湯島天神 ” という言葉が出てきたことが意外だった上、
それから約1ヶ月半後、
「合格しました!天神様のお陰です~」と、
報告に来てくれたことも、色々な意味で意外でした。

                 

というわけで、前置きが長くなってしまいましたが、
夏季休暇を利用しての上京旅(7/31~8/1)で訪れましたのは、
東京都は文京区に所在する “ 湯島天神 ” であります。
尤も “ 湯島天神 ” は通称で、正しくは《湯島天満宮》。

社伝によれば、
創建は今を遡ること1500有余年前の雄略天皇2年(458)。

「えっ、天神こと菅原道真公は9世紀半ばの生まれなのに、
 “ 湯島天神 ” の創建が5世紀半ばってどーゆーこと?」

と無学の早川は混乱に陥るのでありますが、
創建当時の御祭神は、
“ 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)” 。

菅原道真公(845~903)が祀られるのは、

創建から約900年後の南北朝時代・正平10年(1355)。
地元の方々の要望によって勧請されたのだとか。

ということは、“ 湯島天神 ” を訪れる参詣者は、
「天満大自在天神」とも称される道真公の霊徳に与ると共に、
“ 天之手力雄命 ” の神力をも授かるということでしょうか。

“ 天之手力雄命 ” と言えば、
天照大御神が天の岩戸に隠れたため世界が闇に覆われた際、
極重堅牢な岩戸を押し開いて大御神を外へと導き出し、
世界に光を取り戻した “ 天上界のスーパーヒーロー ” 。

“ 天神 ” は学問・研究・理論全般、
“ 天之手力雄命 ” は実技・行動・実践全般と、
個人的感覚ながらも、そんな風に思ってみますと、

その両神両柱が鎮座する “ 湯島天神 ” という場所が、
心身統一・文武両道・言行一致の風香る、
特別な霊的トポスにも思えてくるのでありました。

                 

さて、巣鴨 “ とげぬき地蔵 ” の名で親しまれるところの、
曹洞宗《萬頂山・高岩寺》。

慶長元年(1596)、湯島の地に開かれ、
現在地には明治24年(1891)に移転されたのだそうです。
御本尊《延命地蔵菩薩》は「秘仏」のため、
本堂内の奥厨子に納められ拝観は出来ません。


参拝者の中には、こちらの尊像が、
“ とげぬき地蔵 ” と誤認する方もおられると聞きますが、

こちらの尊像は観世音菩薩、通称 “ 洗い観音 ” 。

早川は、10代の頃から高岩寺を参拝しておりますが、
その当時の “ 洗い観音 ” は、
タワシを使ってゴシゴシと洗わせて頂くのが通例でした。
毎日多くの参拝者が訪れ、
縁日ともなれば何百人という方々が長蛇の列を為し、
固いタワシで、ゴシゴシゴシゴシと擦るわけですから、
その摩耗たるや著しく、摩滅たるや甚だしいもので、
観音菩薩の御尊顔などは、もうツルっツルでありました。

「御尊像に対して、いかがなものか」

そのような意向が有ったのかも知れません。
摩耗摩滅の進んだ菩薩像は、
平成4年(1992)に後ろ側の厨子内へと遷座され、
新しい “ 洗い観音 ” が、開眼供養を経て引き継がれ、
又それを機にタワシは廃止され、
柔らかな白タオルで洗う作法へと変わりました。

高岩寺と巣鴨地蔵通り商店街は、
生前の両親を案内して何度も訪れた思い出の場所。

いささか “ 感動癖 ” の傾向にあった母は、
見る物、聞くもの、食べるモノの一つ一つに反応しては、
「まぁ素敵、なんてイイ音、わぁ美味しい」と声を上げ、
父も私も、幼な子のように楽しむ母の姿を眺めては、
何となく幸せな気持ちにさせられたものでした。

全ては、時の彼方。


“ Dragon , beyond the ocean ” 〜 海龍、波濤を越える

皆様、良き日々でありますように!


               








西新井大師 〜 その2

2023-08-13 14:24:08 | 神社仏閣
先週は《西新井大師 ~ その1》として、
久しぶりに参拝致しましたところの、
東京都足立区に所在する「五智山 遍照院 総持寺」、
通称 “ 西新井大師 ” と、その境内に鎮まること約200年、
湯殿山から勧請されたとされる、
“ 大日如来 ” 像について書かせて頂きました。

今週は《西新井大師 ~ その2》と題しまして、
同じく “ 西新井大師 ” 境内の北に建つ、
“ 宝篋印塔(ほうきょういんとう) ” について、
少しばかり記してみたいと思います。

こちらは以前に描いた「金龍山 浅草寺」の “ 宝篋印塔 ” 。

当ブログでは “ 宝篋印塔 ” について、
度々触れてまいりましたが、ここで改めまして、
“ 宝篋印塔 ” とは何ぞや?といった辺りを紐解いてみます。


御興味ない方には申し訳ございませんが、

今しばらくお付き合い下さい。

                 

遥か昔、インドに在ったとされる摩伽陀国(まがだこく)。
ある時、仏陀(ブッダ)が多くの人々に仏法を説いていました。
聴衆の中に一人の “ バラモン ” の姿あり、
その名を「無垢妙光(むくみょうこう)」。
“ バラモン ” とは、古代インドで編纂された聖典、
「ヴェーダ」を信仰する〈バラモン教〉の司祭。
無垢妙光は説法に感銘を受け、仏陀に願い出ます。
「是非とも、我が家にお越し頂きたい」と。

招きを受けた仏陀は、
迎えに訪れた無垢妙光と其の一族と共に移動を始めるのですが、
道すがら「豊財(ぶざい)」という名の荒れ果てた場所に建つ、
土で固めたと思しきボロボロの “ 塔 ” の前で足を止めます。
何を思われたか、その “ 塔 ” へと歩み寄る仏陀。
すると、朽ち果てた “ 塔 ” から俄に光が放たれ、のみならず、
“ 塔 ” からは仏を讃える歌が響き始めます。

驚愕する一同をよそに、仏陀は “ 塔 ” の回りを3巡し、
着ていた衣を脱ぐと、その衣で “ 塔 ” を覆い、
血の涙を流しながら “ 塔 ” を礼拝するのでありました。

ひとしきり礼拝を終えると今度は静かに微笑む仏陀。
その微笑みに促されて、宇宙に満ちる無数の仏たちも又、
涙を流しつつ光を放ち、このボロボロの “ 塔 ” を照らします。

この余りにも神秘的かつ荘厳な光景を目の当たりにして、
金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)もまた涙を流しながら、
「これは一体どういうことなのですか?」と尋ねると、
仏陀答えて曰く、

『これは如来の功徳の全てが積集した “ 塔 ” なのです』

                 

“ 宝篋印塔 ” には、
以上のような説話が伝わっているわけですが、

仏法を分かりやすく説かれることで定評のある、
大森義成師は、この仏教説話が宿す意味について、
このように記されています。

『実は、
 朽ちた仏塔は私たちの本来持っている仏性を表している。
 しかし、悪業によりそこに気付かずに迷っている姿が、
 塔が荒れている様子だったのだ。
 それを見て仏は悲しんでいたのだが、
 そこに気付けば大いに功徳が現れるのである。』
(大森義成「真言陀羅尼とお経 ご利益・功徳 事典」学研刊)

                 

さて、西新井大師の境内に建つ “ 宝篋印塔 ” であります。

“ 塔 ” の中には、
「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」が納められていて、
この少しばかり長い名前の “ お経 ” の力を蔵するがゆえに、
“ 塔 ” そのものにも力が宿り、
“ 塔 ” を礼拝する功徳もまた計り知れないと、
そのように伝えられているのであります。

“ 宝篋印塔 ” の計り知れない力・・・については、
また稿を改めると致しまして、本日ご覧頂きたいのは、
“ 宝篋印塔 ” を支えている、こちらの獅子群。

全ての獅子が、金剛杵を咥えています。


御承知置きの通り、金剛杵は密教修法で用いられる法具で、
形状により、独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵と幾つか種類があり、

例えばこちらの写真ですと、左が独鈷杵、右が五鈷杵。

                 

獅子が金剛杵を咥えている・・・という光景から、
早川が真っ先に想起するのは、夢枕獏先生の労作、
「上弦の月を喰べる獅子」。

「上弦の月を喰べる獅子」は、
第10回日本SF大賞、第21回星雲賞:日本長編賞を受賞し、
広く人口に膾炙するSF小説の金字塔ですので、
もはや書かずもがなのことではありますが、

現在を生きる、余命いくばくもない螺旋収集家「三島草平」と、
明治に生まれ37歳で旅立った、詩人・童話作家「宮沢賢治」とが、
時を超えて交錯し、それぞれの記憶の糸を結びながら、
「宇宙とは何か?」「生命とは何か?」「自分とは何か?」
それらの真相に迫ってゆく壮大な物語。

SF小説の形態を取りながら仏教の核心が語られ、
物語自体、文章自体、言葉自体が、
“ 二重螺旋構造 ” を為しつつ奏でられてゆくという、
前代未聞の “ 仏教スペースオペラ ” 。

西新井大師の“ 宝篋印塔 ” を支え続ける、
「上弦の月を喰べる獅子」ならぬ、
「金剛杵を咥える獅子」を見上げながら、

自ずと思い起こされる一節・・・、

『肯(よし)、と、祈りが答える。
 この宇宙に生じたもの、生じてゆくもののことごとくは、
 肯と呼ばれるものなのであると、
 その祈りは祈っていた。』
(引用元:夢枕獏「上弦の月を喰べる獅子」早川書房刊)


『この宇宙に生じたもの、生じてゆくもののことごとく』は、
“ 肯(よし)” とされるもの、
あなたもわたしも絶対肯定の中に在るということでしょうか。

皆様、良き日々でありますように!