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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

若宮龍神社

2024-05-05 16:43:00 | 神社仏閣
毎年G.W.頃に花期を迎えるのは、
城山八幡宮境内の “ ヒトツバタゴ ” 。

その花は、
神官の方が “ 祓い浄め ” に用いる大幣(おおぬさ)を想わせて、
ひととき我が身の濁りを忘れます。

                 

名古屋市中区に鎮座する若宮八幡社を参拝してまいりました。

当ブログでは折に触れて訪れておりますので、
書かずもがなのことではありますが、


御祭神は、
応神天皇(八幡神)・仁徳天皇・武内宿禰の三柱。

応神天皇と仁徳天皇は父親と息子の間柄、
応神天皇と武内宿禰は上司と部下という関係。


拝殿脇の龍。

チェーンソーによって彫り上げられた作品だそうです。


境内地の南、

緑の小径、その奥に建つのは、


若宮龍神社。
社屋は小なりと言えども、霊徳は大なり。

高龗神(たかおかみのかみ)が、
「白龍大神」として祀られています。

〜 幻龍黙想 〜

皆様、良き日々でありますように!


               








水掛不動

2024-04-28 16:54:38 | 神社仏閣
本日(令和6年4月28日)は、不動明王の御縁日ということで、

名古屋市中区に所在する、成田山新勝寺の栄(さかえ)分院、
萬福院に参拝してまいりました。


G.W.に入り、天気も晴朗とあって、

多くの参拝客で賑わっていました。


山門の階段を上り、本殿に向かって右側に立つ、
“ 水掛不動尊 ”

こちらの尊像に水を掛けて祈りを捧げる度に思い出すのは、
東京目黒の泰叡山・瀧泉寺(たいえいざん・りゅうせんじ)。
かの天台の古刹もまた、山門を抜けると泉池があり、
池畔に “ 水掛不動尊 ” が屹立していました。

尊像の立ち続ける姿を拝むうちに、
「立ち続ける」という辺りがリンクしたものか、
ふと「站樁(たんとう)」が脳裡をよぎりました。
御承知置きの通り、
一定の姿勢を保ちながら、
ただ「立ち続ける」のが「站樁」でありますが、
「站樁」は太極拳の基本にして奥義と呼ぶべきもの。
「站樁」無くして太極拳は無く「站樁」有ればこその太極拳。

「站樁」については、また稿を改めると致しまして、
よくある間違いは「樁(とう)」の字が、
「椿(ちん・つばき)」と書かれてしまうこと。
「椿(ちん・つばき)」は旁(つくり)が「春」ですが、
「樁(とう)」は「春」ではなく、
「春」を形成する「日」の部分が「臼」なのであります。
分かりにくいですよね・・・、

などと、さも「あたしゃ知ってますよ」的な書き方ですが、
早川は長らく間違って書いておりました。


“ Fores-transformation Ⅰ ”
~ 森龍、変幻自在 Ⅰ ~

皆様、良き日々でありますように!


               










辰・振・震

2024-04-21 13:03:39 | 神社仏閣
過日、久しぶりに名古屋市は大曽根、山田の地に鎮座する、

山田天満宮を参拝してまいりました。

日頃の感謝を捧げると共に、
文教の祖:菅原道真公の神徳に肖り、
多少なりとも頭の巡りが良くなることを祈願します。

加えて、長らく身近に帯びていた御守りを納め、
新しい御守りを授かってまいりました。

拝殿に向かって左側に大書されている通り、
本年の干支は “ 辰(たつ)” 。

「辰」に手偏(てへん)を添えれば「振」。
「辰」とは何か?については諸説あるものの、
ここはザックリ「辰」すなわち “ 龍 ” と観想してみますと、
“ 龍 ” とは、
振るえるもの、振るうもの、振るわせるもの・・・と、
何らかの特殊な振動体のように感じられます。

特殊な振動体と言えば “ 楽器 ” も其のひとつ。
筝(琴)は、その各部名称からして、
龍頭・龍額・龍角・龍眼・龍口・
龍舌・龍甲・龍腹・龍趾・龍尾・・・と、

楽器そのものが “ 龍の写し身 ” 。

古代、忘我入神の境に入った奏者が筝をツマ弾けば、
筝弦の振るえは龍の琴線を振るわせ、
干天に慈雨を、或いは雨天に陽光をもたらしたとも伝わります。


「辰」に雨冠(あめかんむり)を載せれば「震」。
「辰」すなわち “ 龍 ” とは、やはり震えるもの。

辰年の側面を証すかのように、
今年は元日から北陸地方で大きな地震が起き、
その後も各地で大小の地震が頻発。
去る4月17日(水)の夜遅くには、
豊後水道を震源とする地震が発生し、
愛媛県では震度6弱の揺れが観測されました。

地震に遭われた方々には、
さぞや御不安のこととお察し申し上げます。

いにしえの人々が長きに亘る経験則に基づき、
“ 地龍 ” と呼んで畏敬したものの正体は、
現在に謂うところの「活断層」でありましょうか。
地中に在ってエネルギーの蓄積と発散を繰り返し、
時に威を振るい人心を震えさせるものを恐れつつ、
大きな自然災害が起こらぬことを祈ります。


“ Princess KONOHANA SAKUYA ”
~ まもりたまえ、さきわえたまえ ~

皆様、良き日々でありますように!


               








名古屋市西区の宗像神社

2024-03-31 15:11:30 | 神社仏閣
名古屋市西区に鎮座する宗像神社に参拝してまいりました。

住宅街の中に建つ鄙びた佇まいには、
氏子の方々が守り伝えてきた歴史が滲みます。

境内には、
明治26年3月に記されたと思しき説明文があり、
それによりますと、創建の年は応永5年(1398)とも、
宝徳2年(1450)とも謂われ明らかではないそうです。
只、史伝 “ 尾張誌 ” には宗像神社の修造記録が遺され、
少なくとも慶長年間(1596~1615)までには、
その創建を遡ることが出来ると記されていました。

さて御祭神でありますが、
上記の説明文によりますと、本殿中央に、
宗像三女神の内の一柱 “ 田心姫命(たごりひめのみこと)” 。
左側(向かって右)に、
“ 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)” 。
右側(向かって左)に、
“ 源義直(みなもとのよしなお)” 。

明治の頃に書かれた説明文ということもあってか、
いささか分かりにくいのが “ 源義直 ” 。
同姓同名の武士が平安時代に実在していますが、
その方では無いはず。
“ 源義直 ” とは、諡(おくりな)を “ 源敬公 ” とする、
“ 徳川義直(とくがわよしなお)” のことでありましょう。
徳川義直(1601~1650)は、
徳川家康の九男(一説に十男)で尾張徳川家の祖。

今回参拝した宗像神社は名古屋城の近くに位置し、
元々は、広大な城地の一角に在ったものが、
明治期に現地へ遷座されたと伝わりますので、
そうした所縁から、
名古屋城の初代城主、義直が祭られているとも考えられます。
また義直という人は崇神の念に篤かった・・・、
いや、いっそ “ 神道オタク ” と呼べる人物だったようで、
日本各地の神社と祭神を調査考証し、
『神祇宝典』なる書物を編纂していますので、
そうした業績への顕彰という意味があったのかも知れません。

義直は義直として、
肝心の “ 田心姫命(たごりひめのみこと)” であります。
宗像三女神は、天照大神と須佐之男命によって行われた、
誓約(うけい・古代占術)により生まれた三人の女神。

生まれた順番が、古事記や日本書紀他でそれぞれ違い、
いわゆる「長女・次女・三女」といった考え方自体が、
あまり当てはまらないのですが、
福岡県宗像市の総本社:宗像大社では、
序列というよりは神祇の配列として、

沖津宮には “ 田心姫(たごりひめ)”
中津宮には “ 湍津姫(たぎつひめ)”
辺津宮には “ 市杵島姫(いちきしまひめ)”

を祀るとされています。

                 

「〇〇だよ、全員集合」ならぬ、
「日本だよ、神仏習合」ということで、
宗像三女神は、海を始め “ 水 ” との関わりから、
インド由来の “ 水 ” の女神:弁才天と習合しました。

中でも “ 市杵島姫(いちきしまひめ)” は、
全国に所在する厳島神社の御祭神。
一説に、厳島神社の “ 厳島(いつくしま)” とは、
“ 市杵島(いちきしま)” のこととも伝わりますが、
何にせよ弁才天と習合したことにより、
厳島神社は弁才天の聖地となりました。

「神仏習合」思想は、
「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」思想を基調とします。
インド発祥の仏教に説かれる様々な尊格を「本地」として、
その「本地」たる仏尊が、日本の衆生を救済するため、
仮に神道の神々として顕現したとする、
ある意味 “ ぶっ飛んだ ” 考え方で、
「垂迹」とは「仮に顕われる」という程の意。
その辺りの消息というものを、
鎌倉期の浄土真宗僧侶:存覚上人(1290~1373)は、

『それ仏陀は神明の本地、
 神明は仏陀の垂迹なり。』(存覚「諸神本懐集」)

と簡明端的に説いています。

例えば “ 市杵島姫(いちきしまひめ)” の場合、
アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた、
この日本の女神の正体、つまり「本地」は、
サンスクリット名を “ エーカダシャムカ ” 、
中国で “ 十一面観世音菩薩 ” と訳された仏尊。
この仏尊が “ 市杵島姫 ” へと変身、即ち「垂迹」します。
そこに加えて、
神々の性格性質、得意分野、御利益等々と、
仏尊のそれらとが比較検証され、
“ 市杵島姫(神)” と “ 弁才天(仏)”とは、
似た傾向や同じ特性を持つとして「神仏習合」が果たされました。

では今回訪れました宗像神社の御祭神、
“ 田心姫(たごりひめ)” の場合、
一体どのような仏尊が「本地」とされたのかと言えば、
これが “ 大日如来 ” なのであります。
言わずもがな、密教の根本仏。
やはり中世の想像力は “ ぶっ飛んで ” ます。

さて、本当はこの辺りを手掛かり足掛かりと致しまして、
江島(えのしま)神社が “ 金亀山与願寺 ” だったこと、
千葉神社が “ 北斗山金剛授寺 ” だったこと等々、
「カミ」と「ホトケ」の交流往来の謎について、
何よりも “ ぶっ飛んだ ” 理由とその背景について、
浅慮を巡らせたいのですが長くなりそうなので、
また機会を改めます。

最後に、名古屋市西区の宗像神社において、
“ 田心姫(たごりひめ)” と共に祀られている、
“ 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)” 。

社伝には、
「伊勢の外宮に祀られる “ 豊受大神 ” と同体」
とあります。
実は「神仏習合」に限らず、
神と神とでも「習合」が行われてきました。
それが「神々(しんしん)習合」と謂われるもの。
当然のこと「仏々(ぶつぶつ)習合」もあるわけで、
もうこうなりますと「習合」にして「融合」。

宗像三女神は弁才天と習合し、
弁才天は宗像三女神と融合することで、
新たな世界が生まれました。
弁才天は音楽の神。

「音楽史を振り返ってみるがよい。
 違うジャンルの音楽同士が習合し、
 異なる領域の音楽同士が融合することで、
 いつも新たな世界は開かれてきた・・・」

去り際、ふと声なき声。


“ Cherry blossoms transform into the Dragon Ⅰ ”
~ 桜龍飛翔 ~

皆様、良き日々でありますように!


               







スサノオの「オ」

2024-01-14 15:57:13 | 神社仏閣
辰年(令和6年)正月 “ 松の内 ” 、
熱田神宮において、

御垣内参拝(みかきうちさんぱい)をしてまいりました。
神々が鎮まる社殿と拝所とを隔てるのが「御垣」。
通常は、この「御垣」の外から参拝するわけですが、
御垣内参拝は、その「御垣」の内側に入り、
通常参拝よりも更に社殿近くで祈りを捧げるというもの。

御承知置きの通り、
熱田神宮の主祭神は “ 熱田大神(あつたのおおかみ)” 。
この “ 熱田大神 ” なる神格は、
熱田神宮に鎮まるとされる、

“ 草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)”

を依り代として降臨した天照大神とされています。
つまり熱田大神とは天照大神のこと。
それゆえに熱田神宮には、
“ 草薙の剣 ” と所縁の深い神々が祀られていて、
その神々の中の一柱が、

“ スサノオノミコト ”

天照大神の弟として、
誰もが知る日本神話の主要人物であります。
“ スサノオノミコト ” の漢字表記には幾種かあり、
古事記では「須佐之男命」等、
日本書紀では「素戔嗚尊」等と記されています。

「素戔嗚尊」の「嗚」の字は、
「口」偏に「烏(からす)」でありますが、
まことに恥ずかしいことながら・・・、
早川は、この「嗚」の字を、
「口」偏に「烏(からす)」ではなく、
「口」偏に「鳥(とり)」、
つまり「鳴」であると思っておりました。

長らく疑問だったのであります。
なぜ「鳴(なく or めい)」を「オ」と読むのか?

何のことはありません。
「口」偏に「烏(からす)」の「嗚」は、
紛れもなく「オ」、
「嗚咽(おえつ)」の「オ」であります。

御垣内参拝後、
頂戴した「令和6年熱田暦」に記載された、

「素戔嗚尊」の漢字を眺める内に、
自身の思い違いに気がつきました。


“ Mt.Fuji & White Dragon ”
霊峰の気、白龍に変じて日の本を巡る

皆様、良き日々でありますように!