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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

石山寺

2024-08-18 15:34:11 | 神社仏閣
先週記しました “ MIHO MUSEUM ” から、
一旦JR石山駅へ戻りまして、京阪バスに乗ること約10分。
「石山寺山門前」で降車しますと、
石山寺のマスコットキャラクター「おおつ光ルくん」の案内板。

おおつ光ルくんは、今を去る16年前の2008年、
“ 源氏物語千年紀 ” を記念して誕生したキャラクターで、
和歌を詠むこととローラースケートが得意な12歳。
言わずもがな源氏物語の主人公に因むものと分かりますが、
ある世代よりも若い方々には、
なぜ「おおつ光ルくん」の得意技がローラースケートなのか?
ちょっと不思議に思われるかも知れませんね。
それはともかく、
案内板の後ろに写る川は “ 瀬田川(せたがわ)” であります。

写真を撮り損ねたのですが、
早川が降りた「石山寺山門前」から川沿いに北へ向かうと、
かの有名な “ 瀬田の唐橋(からはし)” があります。

その昔、東国から京の都へのぼるには、
草津の矢橋(やばせ)から大津の石場(いしば)へと、
琵琶湖を舟で渡るのが最速とされていましたが、
比叡山から吹き降りる強風 “ 比叡おろし ” によって、
舟便の遅延もしくは転覆等のおそれがあり、
確実なルートを取りたいのであれば、
遠回りではあっても草津から南下し瀬田の唐橋を渡れ・・と、
誰しもが御存知の諺、

「急がば回れ」

その発祥地とされています。

                 

美しい瀬田川の畔に法統を伝え続けて1300年、
真言宗大本山 石山寺(いしやまでら)。

山号を石光山(せっこうざん)、
御本尊は如意輪観世音菩薩。
寺伝によりますと創建は天平19年(747)、
良弁僧正(689~773)によって建立されたのだとか。
良弁(ろうべん)僧正と言えば華厳宗の僧侶にして東大寺の開山。
それゆえ石山寺もまた創建当初は華厳宗でしたが、
平安時代に真言宗へと移ったのだそうです。

奉納提灯にある「千日会(せんにちえ)」とは、

万霊供養の法会が営まれる “ 特別な日 ” のことで、
この日に参詣すれば千日分の御利益に与るとされています。
令和6年の千日会は8月9日(土)でありました。
因みに早川が訪れたのは前日の8月8日(金)。

石山寺は西国三十三ヶ所霊場の第十三番札所でもあり、
境内には三十三ヶ所の寺院が本尊とする様々な観音菩薩が、
一同に会して祀られる観音堂あり、
観音堂の横には毘沙門堂あり、
また宗祖弘法大師を祀る御影堂あり。
その御影堂の斜め前に、

宝篋印(ほうきょういん)塔が建っていました。


ちょっと分かりづらいのですが、細長い石板の奥側に、
うっすらと数字が御覧頂けますでしょうか?

丸いくぼみの左斜め上から左方向に向けて、
“ 一、二、三・・・ ” という風に刻まれていて、
立て札にも書かれているように、宝篋印塔の回りには、
四国八十八ヶ所霊場の “ お砂 ” が埋められています。

「石光山 石山寺」というくらい、
「石」との関わりが深い場所でありますが、
その辺りを如実に物語る光景がこちら。

これらの岩塊は、太古の昔この一帯に噴き出した、
花崗岩等の熱作用により石灰岩が変成したもので、
その名も「硅灰石(けいかいせき)」。
貴重なものだそうで国の天然記念物に指定されています。

そもそも滋賀県の「滋賀」なる地名は、
“ 石が多い処 ” という意味の「石処(いしか)」が、
「しか」→「しが」へと転じていったものという説があります。
(「処」を「か」と読む用例としては、
「住処(すみか)」「在り処(ありか)」他)

そうした歴史なり由来なりを更に実感できる場所が、
広大な境内地の一角にありました。

“ 天智天皇の石切り場 ” と称される採石場。
天智天皇の時代(660年代頃)、この場所で切り出された石が、
瀬田川の水運を利用して飛鳥の地へと運ばれ、
寺院の礎石として使用されていたことが、
近年の調査により判明したのだそうです。
いやぁ “ シルクロード ” ならぬ、
“ ストーンロード ” とでも言うべき流通路があったんですねぇ。

さぁ、いよいよ石山寺本堂へとやってまいりました。

初代の本堂は雷災によって焼失し、
現本堂は平安時代(1096年)に再建されたもので、
以来千年近い歳月に亘り再建当時の姿を保っていて、
国宝に指定されています。
内部は外陣(げじん)と内陣(ないじん)とに分かれ、
内陣にも参拝させて頂きましたが、
密教寺院らしい薄暗い空間の中に、秘仏、お前立ち観音、
不動明王を始め多くの尊格が祀られていました。
千年前、
この内陣に座った参詣者の方々がいて、いま同じ場所に座り、
その方々が祈りを捧げた尊格に向けて、いま祈りを捧げる。
これは過去と現在、そして未来とが、
それぞれの心身を通して交流することに他なりません。
星霜に耐えた神社仏閣というのは、ある意味「装置」、
一種の “ タイムマシン ” という気がします。

石山寺本堂内陣というタイムマシンの中に端座し、
静かに祈りを捧げる内には、
我が身という、あくまでも限りのある小さな心身と、
神仏という、果てしなく限りのない大きな心身とが、
ひととき “ 密 ” に結ばれるようにも思われました。

本年(令和6年)の大河ドラマの影響でしょうか、
至るところ「紫式部推し」。
本堂脇の小さな部屋は紫式部(生没年不詳およそ平安中期)が、
源氏物語を執筆するために参籠した部屋と伝わり、

特に多くの女性が熱心に拝観しておられました。
早川は大河ドラマを観ておらず、また無学にして、
紫式部は “ 年の差婚 ” 、源氏物語は “ 恋愛小説の元祖 ” 、
といった程度のことしか存じ上げておりません。
今回の参拝を一つの機縁として、
源氏物語読んでみよっかなぁ・・などと思った次第。


さて、石山寺といえば “ 多宝塔 ” 。
建久5年(1194)源頼朝の寄進によって建立され、
その時代から遺る多宝塔としては日本最古だそうです。

great composition・・・美しい音楽ですよねぇ。
多宝塔の本尊は、おおよそ多宝如来とされますが、
こちらの本尊は快慶作の大日如来。
この日は閉扉されて拝観は出来ませんでした。

それにしても石山寺の境内は広いです。
つぶさに拝んで回れば数時間は掛かりましょう。
この日は日中の気温38度で、老骨にはコタエル暑さ。
各所各堂を巡拝し、そろそろ足元がフラついてまいりました。
この日最後に訪れましたのは八大龍王社。


寺伝では石山寺の歴海(れっかい)和尚が、
龍穴ノ池の畔で孔雀経(くじゃくきょう)を読むと、

龍王たちが現れて和尚の読経を聴き、
和尚が読み終えると僧坊まで送り届け、
その後も長きに亘り守護し続けたと伝えています。
孔雀経とは「仏母孔雀明王経」のことかと思われますが、
古来、孔雀は雨を予知すると信じられていたことから、
“ 雨乞い修法 ” ではよく読まれています。
おそらくは歴海和尚も、
請雨祈願の法を修しておられたのでありましょう。

本日のブログの終わりに、
石山寺の本尊、勅封秘仏・如意輪観世音菩薩について記します。
「勅封秘仏」とは中々聞き慣れない言葉ですが、
天皇の勅命によって秘仏とされ、
33年に一度、勅使が石山寺を訪れて厨子の扉を開き、
公開するという尊像なのだそうです。

心に留めるべきは、
如意輪観世音菩薩を始めとする七観音、三十三観音、
或いは百観音とも称される “ 観世音菩薩 ” という尊格は、
古くより、

「“ 大慈大悲(だいじだいひ)” の観世音」

と詠われ、拝まれ、親しまれてきた菩薩であるということ。
“ 大慈大悲 ” というのは、私たちが想う「慈悲」とは、
全く次元を異にする境地であります。
病弱な人、意志の弱い人、立場の弱い人、貧しい人、
頑張りたくても頑張れない人、心に問題を抱える人等々、
総じて社会の中では「生きづらい」人々の側に立ち続ける、
寄り添い続ける、守り続ける、励まし続ける・・・、
これが “ 大慈大悲 ” であり観世音菩薩の「本願」。

「勅封」の「秘仏」のといったことはさて措き、
観世音菩薩の扉というのは、
いつでも、どこでも開かれているものと信じます。

長々と駄文を連ねてしまいました。
石山寺参拝にお付き合い頂き、ありがとうございました。

                 

『人々は、請雨を成した歴海和尚の法力を褒めそやしたが、
 歴海自身は別に嬉しいとも何とも感じなかった。
 歴海はいつも思っている。
 (俺に法力など有るもんか・・・)
 やんごとなき面々の中には、
 どうやって干天に慈雨をもたらしたのか尋ねる者もいたが、
 歴海は、こう答えている。
 「わたくしは、始めのうち盤渉の調で唄っておりましたが、
 龍王の歌を聴き、それが黄鐘の調であると心得たゆえ、
 そこに相添い、相合わせたまでで御座います。」』

“ Duo ” ~ 歴海と龍王 ~

皆様、良き日々でありますように!


               









外宮参拝 2024 夏

2024-08-04 14:05:33 | 神社仏閣
志摩半島は鳥羽駅に降り立ちましたところ、
カラフルなポスターが目を惹きました。

いやぁステキです・・・、
“ 海女 ” さんが海洋生命体化している感じ。
「アクアマン」ならぬ「アクアウーマン」でしょうか。

というわけで、
お盆に先駆けて父祖の地を巡った後、日頃の感謝を捧げるべく、

伊勢の外宮を参拝してまいりました。


今更ではありますが「外宮」は通称であり、

正しくは「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」。

前回、第62回式年遷宮が行われたのが2013年。
式年遷宮は20年ごとに斎行されるので、
次回、第63回式年遷宮は2033年に行われます。

第1回式年遷宮は持統天皇4年(690)と謂われ、
以来、戦国期に120年間の中断を挟むも、
1300年を超える永きに亘り続けられてきた、
日本最大の神事であり、

その準備にも約10年の歳月が掛かり、
膨大な手間と労力とが注がれます。


御正殿のみならず、数多くの別宮、大小の社殿、
鳥居、神宝、装束から調度品に至るまでの全てを、
1300年前から伝わる手法と技法を用いて、
新しく造り変えるわけですから、
当然のことながら費用もまた莫大。

伝え聞くところでは、
第62回式年遷宮に掛かった費用は約550億円とも。


新しい御正宮が建てられる古殿地(こでんち)前には、
奉賛の志を募る旨が掲示されていました。

前回、第62回式年遷宮においては、
経費の “ 約3分の1 ” にのぼる費用が、
国民からの奉賛金で賄われたと聞きます。

                 

こちらは別宮「風宮(かぜのみや)」

弘安4年(1281)の蒙古襲来時、
いわゆる “ 神風 ” が吹いたとされる伝説。
その神風は、
御祭神:級長津彦命(しなつひこのみこと)を始めとする、
風の神が吹かせたものとされています(諸説あります)。
伝説は伝説としても、私たちは日常生活を送る上で、
何かこう首尾よく事が運んだりした時、
「いい風が吹いてる」とか「この追い風にのって」、
というような表現を使います。
そういうこともあって、
人生に「良き風」が吹くことを願う参拝者も多いのだとか。


こちらは別宮「土宮(つちのみや)」

主祭神:豊受大御神(とようけのおおみかみ)が、
伊勢山田の地に鎮座する以前から、
一帯の土地神として尊崇されてきた神格と伝わります。

小高い丘を登ってゆきますと、
豊受大御神の “ 荒御霊(あらみたま)” を祀る聖処、
別宮「多賀宮(たかのみや)」

式年遷宮では、写真左側に新しい社殿が建てられます。

先にも触れましたが、
式年遷宮では多くの社殿が新しくなります。
その内訳は、

『式年遷宮で造り替えられる社殿は、
 内宮と外宮の御正殿のほか、
 宝殿、外幣殿(げへいでん)、御垣(みかき)、
 鳥居、御饌殿(みけでん)、14の別宮など
 合計65棟に及ぶ。』
(引用元:Gakken Mook 神社紀行セレクション vol.1
 「伊勢神宮に行こう」 学研パブリッシング刊)

その辺りに想いを巡らせておりますと、
20年ごとに造り替えられる社殿というものが、
まるで私たち人間にとっての「肉体」に、
御神体が「魂」のようにも思われてきます。

古くなった社殿から新しい社殿へと、

御神体は移り変わり続け、
鎮まり続けること1300年。

“ 肉体は滅ぶとも、魂は不滅 ”

浄域を訪れる度、想いを新たにするものであります。



『とくに、龍の頭上には
「博山(はくさん)」とよばれる肉の盛り上がりがあり、
 そこに力の源泉である水の「尺水(せきすい)」を
 たたえているとも考えられていた。』
(出典:荒川紘「龍の起源」角川ソフィア文庫)

皆様、良き日々でありますように!


               









カブトムシ・・・からの

2024-07-28 15:41:02 | 神社仏閣
去る “ 寅の日 ” 、
「寅(虎)」と所縁のある毘沙門天王を祀る、
信貴山・名古屋別院・毘沙門寺を参拝してまいりました。

鰐口(金鼓)を鳴らしましたところ、
頭上からポトリ、黒い物体が落ちて来ました。
な、なんと・・・カブトムシ!

おそらくは鈴緒にでも摑まり憩うていたものを、
早川が鰐口を「グワァ~~ン」とやらかしたので、
さぞや驚いたことでありましょう。


それにしてもカブトムシ。

久しぶりに見ました。
子供の頃は早暁から森に入りカブトムシやクワガタを採っては、
夏休み自由研究の題材としていましたが、宅地造成が進み、
当時広がっていた水田は消滅し、森林も減少、
それに伴って数々の小動物や昆虫も姿を消してゆきました。
それゆえに、
毘沙門寺でカブトムシを見れたことを嬉しく感じると共に、
さては何かのメッセージ?という風にも思われました。

                 

カブトムシ・・・からの覚王山日泰寺。

参道脇の蓮は花期の終わりを迎えていましたが、


花期の終わりは又、新たな巡りの始まりで、
「ハス」の語源とされる「蜂巣(ハチス)」に似た花托には、

宝珠のような蓮の実が宿っていました。


境内の珊瑚刺桐(サンゴシトウ)は、

夏の3ヶ月ぐらいに花を咲かせます。


艶やかに見頃を迎えた珊瑚刺桐の向こうに、

銅像が御覧頂けるかと思います。


当ブログでは、
既に幾度か記しているところではありますが、

幼名「チュラロンコン」として敬われ親しまれる、
「ラーマ5世」その人の銅像。
現在のタイ王国が、未だ “ シャム ” と呼ばれた時代、
1868年から1910年まで国王として在位され、
国家の近代化に尽力した名君とされています。

このラーマ5世の意向により、
インドで発掘されシャム国に奉安されていた「真舎利」、
つまり考古学的に立証された「釈迦の遺骨」が、
日本に贈与されることになりました。

時は明治時代の半ば。

この「真舎利」をどこに、どうやって祀るのか?
前代未聞の事態を受けて、
当時の日本仏教13宗56派は揉めに揉めたと伝わります。

複雑な歴史的経緯は措くとして、最終的に、
「真舎利」を祀る寺院の建立地は名古屋、
管理運営は宗派の垣根を超え “ 超宗派 ” とする、
といったところに落着します。

『現在は19宗派の管長が3年交替で住職をつとめ、
 各宗の代表が役員として日常の寺務に携わっている、
 日本でも唯一の全佛教寺院として特異な存在である。』
(引用元:覚王山日泰寺HP内・歴史編)

と簡潔に記されてはいますが、
宗派・宗旨の異なるもの同士が協力し合うというのは、
言うほど簡単なことではなかったはず。
「小異を捨てて大同につく」ことを理想としても、
「大同を忘れて小異にこだわる」のが人の世の常。

いま世界で起きている戦争・紛争の原因には、
宗教的対立の占める割合が大きいとされています。
しかも多くの場合、
歴史を遡れば源泉を同じくするもの同士の争い。

その辺りを想うにつけ、
「真舎利」のもとに集結し宗派の垣根を超え、
“ 超宗派 ” を実現しておられる覚王山日泰寺は、
まこと『特異』にして希有な寺院であると、
参拝の度に感じるのであります。

「真舎利」を日本に贈ることを決めたチュラロンコン国王。
その銅像前に植えられている珊瑚刺桐。

花言葉は “ 夢 ” だそうです。


“ Waterfall Ⅵ ”
~ 昇竜の瀧 ~

皆様、良き日々でありますように!


               









茅輪スターゲイト

2024-07-21 13:30:50 | 神社仏閣
茅輪神事(ちのわしんじ)と申しますと、
またの名を「夏越(なごし)の祓え」として、
通常は6月の晦日に “ 茅輪(ちのわ)” をくぐって、
心身の清浄を願う祭事でありますが、
城山八幡宮では、

7月の半ばに茅輪神事が斎行され、
茅輪くぐり自体は7月末まで行うことが出来ます。
日々の勤めを持つ身にとっては大変にありがたいこと。

昨日(令和6年7月20日)、
社務所で “ 祓串 ” を受けて自らを祓い、

作法に沿って茅輪をくぐってまいりました。

                 

この茅輪を見る度に思い出されるのが、
ローランド・エメリッヒ監督のSF映画「スターゲイト」(1994)。

エジプトの古代遺跡から発掘された、
巨大な石の円環 “ スターゲイト ” を通って、
異次元世界へと向かう科学者の物語は、良くも悪くも、
エメリッヒ監督らしい壮大かつ荒唐無稽なものでしたが、
特筆すべきは、
デヴィッド・アーノルドによるサウンドトラック。
当時、頭角を現しつつあった新進気鋭の作曲家による音楽は、
ニコラス・ドッドによりオーケストレーションを施され、
多くの “ サントラおたく ” を興奮させました。
早川もその中の一人。

この興奮は、同じくエメリッヒ監督の1996年作品、
「インディペンデンス・デイ」のスコアで熱狂へ。

この熱狂を受けて “007シリーズ ” への起用と、
その後の活躍が始まるわけですが、
個人的な感想と致しましては、
「インディペンデンス・デイ」こそが秀逸なのであります。
度肝を抜く旋律、高らかに吠える金管、激情ほとばしる弦群、
親しみやすさを保ちながらも俗に堕さない響き、
SFアクションスコアとして全く申し分のない・・・

あ、サントラではなく茅輪の話でした。

先のSF映画「スターゲイト」に登場し、
その名も “ スターゲイト ” と名付けられた巨石円環が、
茅輪を彷彿とさせ、茅輪が “ スターゲイト ” を思わせると。
双方共に、
ただ大きな “ 輪 ” であるからというだけではなく、
大きな輪の、
こちら側と向こう側とでは何かが違うのですが、
一体、何が違うのでありましょうか。

空想上の “ スターゲイト ” はともかく、
少なくとも “ 茅輪 ” をくぐるという神事は、

茅輪のこちら側と向こう側、或いは、
茅輪をくぐる前とくぐった後、
その微細な “ 違い ” というものを、
五感で味わう機会でもあるような気がします。


“ Dragon Star Gate ”

皆様、良き日々でありますように!


               








久しぶりの日泰寺

2024-05-26 16:37:39 | 神社仏閣
昨日(令和6年5月25日)、
久しぶりに日泰寺を訪れました。
未だ5月とは言え、すっかり初夏の気候であります。

日泰寺は、
仏教の開祖:釈迦(生没年不詳)の真舎利を祀る、
日本において、おそらくは唯一の “ 超宗派 ” 寺院。
真舎利や寺院の歴史については、
既に何度も書かせて頂いておりますので本日は控えますが、
“ 超宗派 ” ゆえに、
各宗派の僧侶の方々が交替で運営管理しておられます。

この日、参拝した際には、

「舎利礼文(しゃりらいもん)」が唱えられていました。


参道脇に置かれた蓮。

花が咲くのはいつ頃でしょうか。


こちらは、

仏教第二祖とされる摩訶迦葉(まかかしょう)尊者。
サンスクリット名 “ マハーカーシャパ ” 。


こちらは、

阿難(あなん)尊者。
サンスクリット名 “ アーナンダ ” 。
摩訶迦葉も阿難も、
釈迦に付き従った「十大弟子」の一人。

明治時代の半ば、
タイ(泰)国のチュラロンコン国王が、

『日本の仏教徒、その全ての人に贈る』

とした “ 真舎利 ” 。
その心に応えるべく、
当時の仏教 “13宗56派 ” の管長が協議の上、
建立されたという経緯を持つ日泰寺。
その辺りを想いますと、

摩訶迦葉と阿難、ふたりの尊像は、
まこと日泰寺の山門にふさわしく感じます。


“ Sing for the light ”
『そのときわたしは雲であり風であった。』
(宮沢賢治「竜と詩人」より)

皆様、良き日々でありますように!