熱田神宮を参拝してまいりました。

当ブログでは度々訪れており、
その歴史なり御祭神なりについては既筆のところではありますが、
私自身の物覚えが悪いので、ここで自らのために、
熱田神宮創建の辺りを今一度おさらいさせて頂きます。
まずは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、
父親の第12代景行天皇の命を受け、
草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を携えて挑んだ東征の帰途、
尾張の国造(くにのみやつこ / 地方行政長官)の娘、
宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚します。その後、
日本武尊は草薙神剣を尾張大高(現 名古屋市緑区)に置いたまま、
現在の三重県亀山市能褒野(のぼの)でお亡くなりに。
哀しみの宮簀媛命は、
亡き夫の形見である草薙神剣を熱田の地に祀ります。
・・・と、この神剣奉祀が熱田神宮の起こりとされ、

これが今を去ること約1900年前のことなのだとか。
それにしても「千九百年」とは、ただごとではありませんよね。
なに申すまでもなく世の中というのは栄枯盛衰激流の如し。
世相は移ろいやすく、人心は転がり続けるもの。
そういった中で「千九百年」に亘り命脈を保ち続けられるのは、
一体なぜなのか?

もしかしたら、
そこには何か特別な神威、特段の霊威が働いているのでは?
そのような疑問や感興を抱いた人々は過去無数にいたわけで、
そうした “ 問いかけ ” から、
数々の “ 熱田伝説 ” とでも言うべき珍説奇説が生まれました。
その内の一つが “ 熱田=蓬莱(ほうらい)説 ” 。
尤も、“ 熱田=蓬莱説 ” は既に巷間よく知られたものでもあり、
取り立てて記すほどのことでは無いのかも知れませんが、
これも又おさらい程度に少々。
御承知置きの通り、蓬莱とは古代中国において著された、
地誌「山海経(せんがいきょう)」他に登場する霊地・仙境。
古くは蓬莱島という孤島であるとか、
山東省の一部であるとか言い伝えられていたものが、
歳月を経るうちには国境を越え、
我が邦の “ 富士 ” 、“ 熊野 ” 、そして “ 熱田 ” 、
これら三カ所こそが蓬莱であるとされました。
そんなに幾つも蓬莱が在っていいのかと思わぬでもありませんが、
何にせよ熱田の地は蓬莱の仙境と見做されたのであります。
そもそもの話、なぜ蓬莱が霊威霊気に満ちた仙界仙境なのか?
一説に蓬莱というのは単なる土地ではなく、
超巨大動物の背中であるがゆえに蓬莱なのだそうで、
その超巨大動物というのが “ 亀 ” 。
ま、この辺りは別段おどろくこともありません。
古来「鶴は千年、亀は万年」と謂われ、
また北の方角を守る四神霊獣と言えば神亀たる「玄武」。
驚くとすれば熱田神宮の広大な境内をして、
“ 霊的大亀の背中である ” とした想像力でありましょうか。
ともかく熱田は蓬莱であるがゆえに、
永きに亘り神威に満ち、霊威に溢れる “ 場 ” とされ、
伝説の真偽はさて措くとしても、
事実1900年の星霜に洗われて、なお大勢の参拝客が訪れる、
一大聖地たり得ている・・・というわけであります。
さて、ここまでで随分と字数を費やしてしまいましたが、
本日記させて頂きたい “ 熱田伝説 ” は、ここからなのであります。
え?・・・もういい?
いや、すぐに終わりますので今少しお付き合い下さい。
以前のブログでも触れましたコチラの社殿。

「お清水」とある通り、
この社殿裏手には “ 水場 ” があるのですが、不可解なのは、
解説の書かれた立て札にある「楊貴妃の石塔の一部」の一文。
一体、何がゆえに「楊貴妃の石塔の一部」が、
熱田神宮境内に鎮まっているのでありましょうか?
その背景として忘れてはならないのが、
先の “ 熱田=蓬莱説 ” なのであります。
ここで登場するのが中国は唐代の詩人・白居易(772~846)。
“ 白楽天 ” の呼び名でも知られる詩聖の代表作と言えば、
「長恨歌(ちょうごんか)」。
玄宗皇帝と楊貴妃の間に紡がれた悲恋の逸話を、
七言古詩(しちごんこし)の形式で詠んだもので、
「長恨歌」の「恨」とは「恨(うら)み」ではなく、
「哀切の情」とか「痛恨の想い」といったような意味。
120句に及ぶ長さで哀切痛恨が歌われるがゆえの「長恨歌」、
その第104句に、
『蓬莱宮中日月長(ほうらいぐうちゅう じつげつながし)』
と出てきます。
若い身空で命を失い玄宗と幽明を分つことになった楊貴妃は、
蓬莱に在る宮殿の中に、その魂を置くこととなり、
「あぁ私は蓬莱での暮らしが長くなってしまった」、
つまり現世に生きる玄宗とは二度と会う事が出来ないと、
詩聖は彼女に代わって嘆くのでした。
楊貴妃の魂が在ると長恨歌に謳われた “ 蓬莱 ” と、
熱田の浄域という “ 蓬莱 ” 。
国も時代も隔てて無関係だった二つの “ 蓬莱 ” 、
「あの世」と「この世」の違いを持つ二つの “ 蓬莱 ” 、
本来的には繋がるはずのない二つの “ 蓬莱 ” が、
いにしえの人々の観想力・想像力、或いはまた、
見立て、重ね合わせ、照応させる力といったものにより、
いつしか別々の存在ではなくなり繋がっていったのであります。
そういった辺りを踏まえた上でコチラの光景を御覧下さい。

女性の方々が熱心に水をかけておられます。
宙を舞う水の向かう先に在るのが・・・、
件の「楊貴妃の石塔の一部」と伝えられる石。

知らずば「ただの石」。
その「ただの石」が、時の巡りの中、
人間の心・思考・意識・言葉・文化等々と交わり結び合うことで、
「ただの石」から「ただならぬ石」へと変貌を遂げます。
想えば 「ただの剣」であったはずのものに霊威が宿り、
「ただならぬ剣」として崇められ、
「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」の尊称を冠せられ、
その「草薙神剣」を御霊代(みたましろ)として、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が降臨し、
その天照大御神が宿った「草薙神剣」を、
“ 熱田大神(あつたのおおかみ)” として祀るのが、
熱田神宮でありました。
“ それ ” は “ それ ” のまま、
“ それ ” に宿る意味や意義が変化変容してゆく不思議。
その不思議を探るつもりが、もはや紙幅も尽きました。
長々と駄文を垂れてしまいましたが、

数々伝えられる “ 熱田の伝説 ” 、その全ては生きています。
“ Toward the light Ⅲ ”
~ 何度でも挑もう ~

皆様、良き日々でありますように!







当ブログでは度々訪れており、
その歴史なり御祭神なりについては既筆のところではありますが、
私自身の物覚えが悪いので、ここで自らのために、
熱田神宮創建の辺りを今一度おさらいさせて頂きます。
まずは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、
父親の第12代景行天皇の命を受け、
草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を携えて挑んだ東征の帰途、
尾張の国造(くにのみやつこ / 地方行政長官)の娘、
宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚します。その後、
日本武尊は草薙神剣を尾張大高(現 名古屋市緑区)に置いたまま、
現在の三重県亀山市能褒野(のぼの)でお亡くなりに。
哀しみの宮簀媛命は、
亡き夫の形見である草薙神剣を熱田の地に祀ります。
・・・と、この神剣奉祀が熱田神宮の起こりとされ、

これが今を去ること約1900年前のことなのだとか。
それにしても「千九百年」とは、ただごとではありませんよね。
なに申すまでもなく世の中というのは栄枯盛衰激流の如し。
世相は移ろいやすく、人心は転がり続けるもの。
そういった中で「千九百年」に亘り命脈を保ち続けられるのは、
一体なぜなのか?

もしかしたら、
そこには何か特別な神威、特段の霊威が働いているのでは?
そのような疑問や感興を抱いた人々は過去無数にいたわけで、
そうした “ 問いかけ ” から、
数々の “ 熱田伝説 ” とでも言うべき珍説奇説が生まれました。
その内の一つが “ 熱田=蓬莱(ほうらい)説 ” 。
尤も、“ 熱田=蓬莱説 ” は既に巷間よく知られたものでもあり、
取り立てて記すほどのことでは無いのかも知れませんが、
これも又おさらい程度に少々。
御承知置きの通り、蓬莱とは古代中国において著された、
地誌「山海経(せんがいきょう)」他に登場する霊地・仙境。
古くは蓬莱島という孤島であるとか、
山東省の一部であるとか言い伝えられていたものが、
歳月を経るうちには国境を越え、
我が邦の “ 富士 ” 、“ 熊野 ” 、そして “ 熱田 ” 、
これら三カ所こそが蓬莱であるとされました。
そんなに幾つも蓬莱が在っていいのかと思わぬでもありませんが、
何にせよ熱田の地は蓬莱の仙境と見做されたのであります。
そもそもの話、なぜ蓬莱が霊威霊気に満ちた仙界仙境なのか?
一説に蓬莱というのは単なる土地ではなく、
超巨大動物の背中であるがゆえに蓬莱なのだそうで、
その超巨大動物というのが “ 亀 ” 。
ま、この辺りは別段おどろくこともありません。
古来「鶴は千年、亀は万年」と謂われ、
また北の方角を守る四神霊獣と言えば神亀たる「玄武」。
驚くとすれば熱田神宮の広大な境内をして、
“ 霊的大亀の背中である ” とした想像力でありましょうか。
ともかく熱田は蓬莱であるがゆえに、
永きに亘り神威に満ち、霊威に溢れる “ 場 ” とされ、
伝説の真偽はさて措くとしても、
事実1900年の星霜に洗われて、なお大勢の参拝客が訪れる、
一大聖地たり得ている・・・というわけであります。
さて、ここまでで随分と字数を費やしてしまいましたが、
本日記させて頂きたい “ 熱田伝説 ” は、ここからなのであります。
え?・・・もういい?
いや、すぐに終わりますので今少しお付き合い下さい。
以前のブログでも触れましたコチラの社殿。

「お清水」とある通り、
この社殿裏手には “ 水場 ” があるのですが、不可解なのは、
解説の書かれた立て札にある「楊貴妃の石塔の一部」の一文。
一体、何がゆえに「楊貴妃の石塔の一部」が、
熱田神宮境内に鎮まっているのでありましょうか?
その背景として忘れてはならないのが、
先の “ 熱田=蓬莱説 ” なのであります。
ここで登場するのが中国は唐代の詩人・白居易(772~846)。
“ 白楽天 ” の呼び名でも知られる詩聖の代表作と言えば、
「長恨歌(ちょうごんか)」。
玄宗皇帝と楊貴妃の間に紡がれた悲恋の逸話を、
七言古詩(しちごんこし)の形式で詠んだもので、
「長恨歌」の「恨」とは「恨(うら)み」ではなく、
「哀切の情」とか「痛恨の想い」といったような意味。
120句に及ぶ長さで哀切痛恨が歌われるがゆえの「長恨歌」、
その第104句に、
『蓬莱宮中日月長(ほうらいぐうちゅう じつげつながし)』
と出てきます。
若い身空で命を失い玄宗と幽明を分つことになった楊貴妃は、
蓬莱に在る宮殿の中に、その魂を置くこととなり、
「あぁ私は蓬莱での暮らしが長くなってしまった」、
つまり現世に生きる玄宗とは二度と会う事が出来ないと、
詩聖は彼女に代わって嘆くのでした。
楊貴妃の魂が在ると長恨歌に謳われた “ 蓬莱 ” と、
熱田の浄域という “ 蓬莱 ” 。
国も時代も隔てて無関係だった二つの “ 蓬莱 ” 、
「あの世」と「この世」の違いを持つ二つの “ 蓬莱 ” 、
本来的には繋がるはずのない二つの “ 蓬莱 ” が、
いにしえの人々の観想力・想像力、或いはまた、
見立て、重ね合わせ、照応させる力といったものにより、
いつしか別々の存在ではなくなり繋がっていったのであります。
そういった辺りを踏まえた上でコチラの光景を御覧下さい。

女性の方々が熱心に水をかけておられます。
宙を舞う水の向かう先に在るのが・・・、
件の「楊貴妃の石塔の一部」と伝えられる石。

知らずば「ただの石」。
その「ただの石」が、時の巡りの中、
人間の心・思考・意識・言葉・文化等々と交わり結び合うことで、
「ただの石」から「ただならぬ石」へと変貌を遂げます。
想えば 「ただの剣」であったはずのものに霊威が宿り、
「ただならぬ剣」として崇められ、
「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」の尊称を冠せられ、
その「草薙神剣」を御霊代(みたましろ)として、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が降臨し、
その天照大御神が宿った「草薙神剣」を、
“ 熱田大神(あつたのおおかみ)” として祀るのが、
熱田神宮でありました。
“ それ ” は “ それ ” のまま、
“ それ ” に宿る意味や意義が変化変容してゆく不思議。
その不思議を探るつもりが、もはや紙幅も尽きました。
長々と駄文を垂れてしまいましたが、

数々伝えられる “ 熱田の伝説 ” 、その全ては生きています。
“ Toward the light Ⅲ ”
~ 何度でも挑もう ~

皆様、良き日々でありますように!





