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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

森鴎外「高瀬舟」

2022-03-27 13:56:45 | 
よく「若者の活字離れ」などと言われますが、
職場で触れ合う若い方々(18~22歳程度)の中には読書家が多く、
彼ら彼女たちから様々なことを学ぶばかり。
早川は自分自身の活字離れを恥じ入ることはありこそすれ、
「若者の活字離れ」を感じたことはありません。
先日も、新旧の小説を月15~20冊は読むという青年が、
学び舎を巣立つに当たり、別れの挨拶に訪れて下さり、

『いやぁ早川さん、「高瀬舟」いいっすよねぇ・・・』

と感に堪えたように話しかけてくれました。
これを「タイカイ、高瀬舟を読め」との天声人語と受け止めました。

               

森鷗外(1862~1922)の短編小説「高瀬舟」。
江戸時代、京都町奉行所に勤める同心・羽田庄兵衛は、
“ 弟殺し” の廉で遠島(島流し)となる罪人の喜助を、
高瀬川を上り下りする小舟、通称「高瀬舟」に乗せ、
港まで護送する役目を命じられます。
ベテラン同心の羽田庄兵衛は、
それまで幾度となく高瀬舟での罪人護送を経験していて、
多くの場合、遠島となる罪人と、同船を許された親族との間では、
悲嘆と後悔が交わされ、涙と呻吟に暮れるのが常でした。

ところが喜助は違っていました。
どこかこう落ち着きの中に在るように見受けられるのです。
尤も、それは同船する親族もなく単身島流しに向かう境遇の為、
悲嘆の涙を流し合うことすら出来ないからなのかも知れません。
そのように思ってみたとしても、
庄兵衛の中に芽生えた、喜助に対する好奇心は拭えません。
その好奇心は、自ずと二つの疑問を生じることに。

一つめは、喜助の表情に見え隠れする晴れやかさからくる疑問、
遠島の憂き目に遭っていることをどう感じているのか?
二つめは、喜助の佇まいに滲み出る穏やかさからくる疑問、
これが本当に “ 弟殺し ” を犯した人間なのだろうか?

ついに庄兵衛は尋ねます。
自分は多くの遠島罪人を見てきた。
皆一様に島流しを嫌がり、船上に苦衷の涙をこぼすものだが、
喜助、お前は少しも嫌がっているように見えない。
それどころか、まるで行楽の旅にでも出かけるかのように見える、
なぜだ。

庄兵衛が抱く一つめの疑問に、喜助は概ね次のように答えます。

「そのように見えましたか。お声がけありがとうございます。
 遠島となって悲嘆の涙に暮れるのは、それまでの生活が、
 それなりに豊かで楽しかった人々なのだと思います。
 自分が嘗めてきた辛酸は、他の方々の想像を超えるもので、
 それに比べたら遠島の罪で流される先の島の暮らしが、
 どうにも楽しみに感じられてくるのです。」

そして彼が幼少期に両親を亡くして以来、
誰にも守られず、世間の中に自分の居場所が無かったこと。
働いても働いても、食べてゆくのが精一杯だったこと。
どのような仕事であっても、骨身を惜しまずに働いたが、
稼いだ金銭は、借財などもあって右から左へと消えたこと。
しかし今、一命だけは助けて貰った上に、
島流しとは言え、自分の居場所を与えられ、
尚「二百文の鳥目(ちょうもく)」までをも授かった。
これ以上に有難いことはない。

といったことが語られるのでした。
「二百文の鳥目」とは、遠島罪人に支給される “ 給付金 ” で、
一概に貨幣換算は出来ませんが、現在の2千円程度でしょうか。

喜助の言葉を聴いた庄兵衛は、自身の身の上に引き比べて、
人間の在り方というものに想いを凝らします。
自分を含め人間というものは、いつも不安の中に在り、
常に “ 渇き ” を覚えながら生きている。
例えば、
今はまだ収入があるけど、仕事が無くなったらどうしよう。
収入のある内に、もっと収入を上げて蓄えが欲しい。
今は健康だけど、明日病気になったらどうしよう。
健康な内に、もっと健康を謳歌したい。
今は愛されているけれど、やがて飽きられたらどうしよう。
愛されている内に、もっと愛を獲得しておきたい。

もっと欲しい、もっと得たい。
人間は、いや少なくとも私や私の妻は、未だかつて、
“ いま・ここ ” に満足したことが無いのではないか・・・。

『人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。
 それを今、目の前で踏み止まって見せてくれるのが此喜助だと、
 庄兵衛は氣が附いた。』
        (引用元:森鴎外「高瀬舟」新潮社刊、以下同)

喜助の晴れやかさの正体が、辛酸にまみれた半生と、にも拘らず、
辛酸に引きずり込まれることなく堕落しなかった事に由来する、

“ 足るを知る ”

の精神に在ったことに深く感銘を受けた庄兵衛は、
尚のこと、二つめの疑問を抱かざるを得ません。
この男が本当に “ 弟殺し ” の罪を犯したのだろうか・・・。

『色々の事を聞くようだが、お前が今度島へ遣られるのは、
 人をあやめたからだと云ふ事だ。己(おれ)に序(ついで)に
 そのわけを話して聞かせてくれぬか。』

幼少期に両親を亡くした喜助兄弟は助け合って生きてきました。
西陣織の作業場に職を得た二人は、
粗末な小屋に住みながら職場通いを続けていましたが、
やがて弟が病気にかかり働けなくなります。ある日、
仕事を終え帰宅した喜助は、血だらけで倒れている弟を発見します。
不治の病を得て働けなくなった弟は将来を悲観し、
兄に迷惑をかけたくない一心から、剃刀で喉を切ったのでした。
掠れた声で弟は言います。

『すぐ死ねるだらうと思ったが
 息がそこから漏れるだけで死ねない。』

見れば、剃刀は喉笛に深々と刺さったままになっています。
痛がり、苦しむ弟。
医者を呼ぼうとする喜助に弟は懇願します。

『医者がなんになる、ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』

刺さったままの剃刀を抜けば大きな血管が切れて、
自分は死ぬことが出来る、楽になれる、だから早く抜いてくれ。
弟はそう訴えているのです。
激痛が増し、いよいよ苦しいのでしょう。

『弟の目は「早くしろ、早くしろ」と云って、
 さも怨めしそうにわたくしを見てゐます。』

なぜ兄は剃刀を抜き、死なせてくれないのか。
早く楽にしてくれ・・・喜助を見る弟の目は、

『とうとう敵(かたき)の顔をでも睨むような、
 憎々しい目になってしまひます。』

喜助も事ここに及んでは、もはやどうすることも出来ません。

『わたくしは「しかたがない、抜いて遣るぞ」と申しました。』

喜助の手により弟の喉から剃刀が抜かれ、噴き出る大量の血液。
弟は、すぐに息を引き取ります。
しかし折悪しく、偶々訪れた隣家の住人がその現場を目撃します。
経緯、事情、事の流れを何も知らない隣人の目に映ったのは、
“ 弟殺し ” の大罪を犯す喜助の姿でしかありません。
すぐさま捕縛され、裁かれ、遠島が申し渡されました。

語り終えて俯く喜助。
聴き終えて俯く庄兵衛。

船が漕ぎ出された頃には耳に届いていた入相の鐘も止み、
夕闇せまる京の町。
高瀬川の水面には、いつしか岸辺の灯火が映り始めています。
庄兵衛には、あらたな疑問が湧いていました。

『これが果たして弟殺しと云ふものだらうか、
 人殺しと云ふものだらうかと云ふ疑が、
 話を半分聞いた時から起って来て、
 聞いてしまっても、其疑を解くことが出来なかった。』

               

「高瀬舟」を読み直し、
あらためて「安楽死」を巡る問題を想いましたが、
この「安楽死」については、また稿を改めることとして、
むしろ今回考えさせられたのは、喜助の弟が自殺を図った経緯。
不治の病を得て働けなくなり、将来を悲観してのことですが、
自らの喉に剃刀を突き立てて倒れているところを発見し、
驚いて抱き起こす兄の喜助にこう告げているのです。

『済まない。どうぞ堪忍してくれ。
 どうせなほりさうにもない病氣だから、
 早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思ったのだ。』

私たちが暮らす社会は、
人間生命というものを経済的価値に換算して成り立っています。
有り体に言うならば、
稼ぐ人間には価値があり、稼がない人間には価値がない、
ということであります。
病気で働けなくなった弟は、自分の存在価値を見失い、
自己肯定感の低下から自殺に及んだのでしょう。
けれども、

『どうせなほりさうにもない病氣』

本人にも、どうせ治りそうにもない病気と分かっているのです。
ならば、
病気の進行に任せて自然死に至るという選択肢もあったはず。
しかし弟は、続けてこう言います。

『早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思ったのだ。』

自分が早く死ねば、少しでも兄が楽になると考えたわけで、
この発言の背景には、
自分は兄の “ お荷物 ” に違いないという思い込みがあります。

もしかしたら自殺を図った理由に占める割合としては、
病気そのものよりも、病気で稼げなくなったことで生じた、
兄に対する “ 申し訳なさ ” の方が大きかったのかも知れません。

               

確かに、稼ぐことは良い事ですし、稼げる人は立派です。
しかしながら “ 働くこと ” と “ 稼ぐこと ” とは、
次元を分けて考えるべきではないかと思います。

喜助の弟は、病気で稼げなくなりました。
けれども「働いていた」と、早川は思うのであります。
どういうことかと申しますと、
「生きている」ということは、生命が活動していることであり、
生命が活動しているということは、そこで活動電位が生まれ、
アデノシン3リン酸が生成され、ミトコンドリアが働き、
細胞が働き、細胞の集合体である脳が働き、
心臓を始めとした内臓諸器官が働き、それら働きの上に、
呼吸という働きが働き、摂取・消化・吸収・排泄の働きが働き、
私たち自身は「何もしていない」と感じている時でさえ、
自律神経系・ホメオスタシス系・新陳代謝系等々、
様々な働きが働き詰めに働いている・・・というのが、
私たちの生命の実態なのであります。

「 “ 働くこと ” と “ 稼ぐこと ” とは次元を分けて考えるべき」
と書きましたのは、そういうことからであります。

尤も、これは詭弁・屁理屈の類いに過ぎないのかも知れません。
只、稼ぐ稼がないに拘らず「働いている」のが生命の真実である、
というところに人間存在の根本を据え、そこを死守しないと、
この世界は、
稼ぐ人だけが生きる事を許され、稼ぐ人だけが認められる・・・、
という殺伐荒涼とした世界に堕するように思うのであります。

喜助の弟は、病気で稼げなくなりましたが、
間違いなく「働いていた」のであります。
生きられる限り、堂々と生きていれば良かったのです。
喜助にしても、負担はあったかも知れませんが、
病気の弟を心の支えにこそすれ、迷惑な “ お荷物 ” などとは、
ついぞ思いさえしなかったのではないでしょうか。

長々と駄文を連ねてしまいましたが、
実はこの辺りを足掛かりと致しまして、
コロナ感染した芸能人や著名人は、なぜ謝罪するのか?
「謝罪」という以上、コロナ感染は「罪」なのか?
病気にかかることは「罪」なのか?
「罪」だとしたら「病人」は「罪人」なのか?・・・という、
ずっと以前から抱く疑問について浅慮を巡らせるつもりが、
もはや紙幅も尽きました。
先の「安楽死」問題と同様、機会と稿を改めます。


『次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人 二人を載せた高瀬舟は、

 黒い水の面をすべって行った。』(森鴎外「高瀬舟」より)



               








「重源」

2021-01-31 15:27:22 | 
『しばらくは 離れて暮らす コとロとナ
 つぎ逢ふ時は 君といふ字に』

「君」という漢字が、“ コ ”と“ ロ ”と“ ナ ”、
三つの組み合わせで出来ていることに気付いたイラストレーター、
田中貞之氏による短歌。

静かに灯るミソヒトモジに、ひととき心の暖を取りながら、
いつの日にかコロナ禍が終息し、
分断された“ コ ”“ ロ ”“ ナ ”の文字の一つ一つが、
『君といふ字に』収まる日が来ることを祈ります。

               

治承四年(1181)東大寺は、平重衡による焼討ちにより壊滅します。
伊藤ていじ著「重源」(新潮社)は、

その復興に向けて勧進活動を行い、遂に東大寺再建を果たした僧侶、
俊乗房重源上人(1121~1206)の軌跡を描いた大作。

勧進活動とは、寺社・仏像・諸堂宇等の新造や修繕にあたって、
その費用を広く一般庶民から募ることを指しますが、
時は源平争乱による内戦、為政者の腐敗、天変地異などにより、
多くの餓死者が生まれ、人々は日々を生き延びるのに精一杯の時代。

『本来ならば国家がなすべき事業を、一紙半銭の資金も与えられず、
 事業費の総額も事業の期間も分らないまま、
 無名の六十一歳から自ら望んで始め、老骨の八十六歳に至るまで、
 痩躯をもって走廻・活動し、
 最後にはすべての財貨と所領を社会に還元し、
 私物を残すことなく生涯を燃焼しつくした男。
 それが重源。』(伊藤ていじ「重源」・まえがきより)

著者の伊藤ていじ先生御自身が工学博士であり、建築史研究家の為、
重源によって次第に出来上がってゆく大仏殿の建築構造、及び、
建築資材の調達・運搬方法等が事細かに詳述されているところが、
数ある“ 重源上人伝 ”とは一線を画していることに加え、
何よりも、こうした社会事業に心身を捧げた人物、
特に宗教者を描いた書籍にありがちな“ 聖人・超人 ”伝承とは、
ある意味で真逆の評伝となっているところに、
本作最大の魅力があるように思われます。
その辺りを、伊藤先生は「あとがき」の中でこう記されます。

『しかし私にとってそれ以上に興味があるのは、
 彼が聖僧とは思えないことである。
 なぜなら彼は、宗教的善行のためには敢て、
 社会的規範や当時の道徳から外れた悪をなしたからである。
 その悪のいくつかは発(あば)かれ追及され、
 彼は良心の咎(とが)を感じはする。
 しかしそれがあっても慨(なげ)き怯(ひる)むこともなく、
 活動をつづける。
 思うにこの悪は、造営事業の理念と実際の行動との間に
 存在せざるを得ない断絶を埋めていたのである。
 それ故にこの断絶による矛盾をかかえこまないと、
 事業は進まない。』(伊藤ていじ「重源」・あとがきより)


高尚な理想や崇高な理念、或いは無我・無欲・無心の態度・姿勢、
そうした精神的世界が人間には必要不可欠だとは思います。
しかし人間が生きるということ、及び生きている日常的世界は、
食事を摂り排泄をし、寒ければ温かい衣類を着、お金が欲しい、
他者より良い暮らしがしたい、嫌なことは避けて通りたい・・等々、
〈崇高な理念〉とは拮抗するであろう〈切実な欲求〉の世界。

『およそ堂舎であれ美術品であれ、
 綺麗ごとだけで出来上がるとは思えない。
 矛盾と裏表とをひとつにまとめあげる行為なくしては、
 完成した形にはならない。多分それは、
 今も昔も変わらないと私にはみえている。』(引用元:前同)

歴史長編「重源」を読み返す度、
東大寺復興に挑んだ老僧の七転八倒が想われ、
自身に夢や本懐があるのならば、したたかで強靭なるものを持てと、
時空を超えた叱咤の声を授かるものであります。

『安易に暮らし、富を蓄え、社会的地位を望む。
 そういう人たちもあっていいとは思う。
 しかし危険を伴わない人生は「無為」に等しく、
 現世に自らの痕跡を持つ機会はない。』(引用元:前掲書)


俊乗房重源上人坐像、念珠を持つ手元部分を敬写謹筆。


              









精神療法面接のコツ

2020-12-27 16:35:05 | 
先程参拝してまいりました城山八幡宮。



「こうよう」は、通常「紅葉」の字を当てますが、



どちらかと言えば「黄葉」の趣でありました。


               

精神科医・神田橋條治先生は、
「精神療法面接のコツ」第四章【学習と文化】の中で、
人間は、
“ ヒト ”という動物種を生きる生体としての存在と、
“ 人 ”というコトバ文化を生きる者としての存在と、
二つの在り方を内在させている、と説かれています。

一人の人間の内的世界は、
“ ヒト ”である以上「~したい」という生体からの欲求と、
“ 人 ”であるならば「~すべき」というコトバ文化からの制約、
これら二つによる矛盾や葛藤を孕んだ世界ということであります。

この“ ヒト ”と“ 人 ”という二つの在り方が、
時に和し、時に争い、混淆交雑の状態にあるという感覚は、
日常生活の中で常に実感することでもあろうかと思います。

「学校や職場に行きたくない」というのは、
「心身を休めたい」という生体からの欲求であるものの、
「学校や職場には行くべき」というコトバ文化からの求めに従い、
生体からの欲求を押し殺し、疲労した心身を引きずりながら、
学校や職場に通い続けた場合、当然のことながら、
生体を生きる“ ヒト ”と、コトバ文化を生きる“ 人 ”との間に、
乖離が生じます。乖離とは、つまり「無理」のこと。

神田橋先生は、この「無理」の蓄積が諸病の原因である、とされ、
精神疾患は、発症した当人の内界で“ ヒト ”と“ 人 ”とが、
一種の柵によって分断されていることに起因し、

『精神療法とは、
 文化の中で生きていくために生じた生体内の柵、
 を少しばかり緩め、
 二つの領域の間に水の行き来が可能なようにすることだ』
(神田橋條治「精神療法面接のコツ」岩崎学術出版社 /
 以下『』内は、全て同書より引用)

として、
“ ヒト ”と“ 人 ”という二つの領域に限らず、
一人の人間が、過去に学習して身につけたこと、
新しく学習して身につけること等々、全ての領域の間を、
水が自由自在に行き来するような状態が、

『健康の理想形であるから、その姿は、
 混沌に酷似しているはずである。
 精神療法の治癒像の理想形は、混沌である。』

と示されます。

私は門外漢ではありますが、
人間の精神・心理・意識の在りよう、及び、それらの構造・作用は、
音楽及び音楽の構造・作用と同義・同体と、個人的に心得ます。

それゆえに私は、神田橋先生の御著書の数々を、
音楽理論書、或いは作曲技法書として読むのですが、
すると、

音楽は、分断あるところに交流をもたらすもの、
音楽は、音による自分自身との対話、他者との対話、
音楽は、秩序でありながら混沌を旨とする・・・等々、

敷衍・曲解も甚だしい、とのお叱りを受けるかも知れませんが、
つい忘れかける“ 音楽への初心 ”とでも言うようなものを、
読む度に想い起こすものであります。

『治癒像の理想形は、混沌である』


               

今年、長い期間に亘って濁りに覆われていた〈気ノ池〉も、

いつしか水質が改善され、周囲の樹林を映すまでになりました。


コロナ禍に翻弄された令和2年でありましたが、
時が巡り、いつしか不安の濁り、恐れの暗雲も消え去り、

現況を懐かしい想いで振り返る日が訪れることを信じます。

この一年、当ブログへ御訪問頂きましたこと、
心より感謝を申し上げます。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!


     それでも世界は希望の糸を紡ぐ






宮沢賢治「おきなぐさ」

2020-10-25 14:43:36 | 
宮沢賢治(1896~1933)の童話「おきなぐさ」
(出典および以下の引用:宮沢賢治童話大全/講談社刊)。

漢字では「翁草」と書かれるキンポウゲ科オキナグサ属の植物を、
賢治が「うずのしゅげ」と呼び、その植物の可憐さを讃え、
人間の賢治が、昆虫の蟻と会話を交わすところから始まる小品。

春まだ浅い季節の中、
小岩井農場の南「七ツ森のいちばん西のはずれの西がわ」に咲く、
二輪の翁草つまり「うずのしゅげ」は、花どうしで語り合い、
天地を照らす変幻自在の光に感じ入り、
風の流れの一つ一つ、雲の動きの一つ一つにも、

『不思議だねえ・・・』
『奇麗だねえ、ああ奇麗・・・』

と感動を分かち合っています。
そこへ雲雀(ひばり)が降りて来て、
いま自分が羽ばたいていた上空は風が余りにも強く、

『わめくも歌うも容易のこっちゃありませんよ』

と「うずのしゅげ」たちに話します。
それを聞いた二輪の花は、確かにそうかもしれないけれど、
自分たちも一度でいいから風に乗って飛んでみたい・・・、
と雲雀に夢を語ります。それを聞いた雲雀は、

『もう二ヶ月お待ちなさい。
 いやでも飛ばなくちゃなりません』

               

二ヶ月が経ち、賢治が再びその場所を訪れると、

『丘はすっかり緑で「ほたるかずら」の花が子どもの青い瞳のよう、
 小岩井の野原には牧草や燕麦(オート)が
 きんきん光っておりました。』

風も二ヶ月前とは違って、南から吹いています。
二輪の「うずのしゅげ」は既に花期を終え、
「翁草」という名前の由来ともなった、
白くて長い髭状の毛を伴った種子へと変容していて、

『すっかり ふさふさした銀毛の房にかわっていました。』

あの雲雀が丘の上を越えて来て、二輪に話しかけます。

『どうです。もう飛ぶばかりでしょう』

風に吹かれて『飛ぶ』。
それは二輪の「うずのしゅげ」にとっては“ 死 ”を意味します。
二輪には、そのことが分かっているので、

『ええ、もう僕たち遠いとこへ行きますよ。
 どの風が僕たちを連れて行くか さっきから見ているんです』

雲雀は問いかけます。

『飛んで行くのはいやですか』

「うずのしゅげ」は答えます。

『なんともありません。
 僕たちの仕事はもう済んだんです』

重ねて雲雀は問いかけます。

『こわかありませんか』

「うずのしゅげ」は答えます。

『いいえ、飛んだって どこへ行ったって
 野はらは お日さんのひかりでいっぱいですよ。
 僕たち ばらばらになろうたって、
 どこかの たまり水の上に落ちようたって、
 お日さん ちゃんと見ていらっしゃるんですよ』

               

いよいよ、二輪の「うずのしゅげ」を次の世界へ送り届ける、

『奇麗な すきとおった風』

がやってきます。その風は、

『まず向こうのポプラをひるがえし、
 青の燕麦(オート)に波をたて
 それから丘をのぼってきました。』

「うずのしゅげ」は叫びます。

『さよなら、ひばりさん、
 さよなら、みなさん。
 お日さん、ありがとうございました』

「うずのしゅげ」の種子、銀毛の房はバラバラになり、
その一本一本が、風に吹かれて北の方角へと飛んで行くのと同時に、
雲雀は猛スピードで垂直に上昇し、

『鋭い みじかい歌を ほんのちょっと歌ったのでした。』

なぜ雲雀は、
「うずのしゅげ」の銀毛が散り去った北の方角へと飛ばずに、
真直ぐに上空へと飛び上がったのか。
賢治は、こう考えます。

『それはたしかに、
 二つの「うずのしゅげ」のたましいが 天の方へ行ったからです。
 そして もう追いつけなくなったとき、ひばりは
 あのみじかい別れの歌を贈ったのだろうと思います。』

さらに賢治は、二つの魂が宇宙空間で変光星になったと推測して、
物語は終わります。

               

久しぶりに読み返した「おきなぐさ」。
物語が始まってすぐの辺り、
“ 山男 ”が登場し、鳥を引き裂いて食べようとしますが、
視線の先に「うずのしゅげ」を捉えた途端、何かを感じたのか、
食べることを忘れて、ジィーっと「うずのしゅげ」を見つめる、
そういう不思議な場面が差し挿まれています。

先日、ある御縁を以って偶々手に取らせて頂いた、
「宮沢賢治の童話でまなぶ ココロの寄り添い方」
(著者:長野保健医療大学教授・外里冨佐江/シービーアール刊)
の中に、この場面には〈許し〉というテーマが潜んでいるのでは?
という問いかけが為されているのを読みました。

上掲書は、
主に学生諸氏の自由な発想とディベートを促すという書籍の性格上、
問いかけだけが示されるに留まり、こうした書籍にありがちな、
「これが正解」という押しつけがましいものがありません。

私は、“ 山男 ”のシーンに〈許し〉という命題が潜在するとは、
考えたことがなかったので、今までとは違う新鮮な視点で、
この場面を読むことが出来ました。

鳥を引き裂いて食べる“ 山男 ”というのは、
動植物の命を摂取して生きる存在のことであり、それはつまり、
宮沢賢治その人のことであり、私自身のことであり、
広くは人類のことであろうかと思います。
〈他者の死〉の上に〈自身の生〉を紡がざるを得ない“ 山男 ”が、
「うずのしゅげ」を目にした途端、鳥を食べることすら忘れ、
「うずのしゅげ」が風に揺れている様子に見入って動かないのは、
この時“ 山男 ”が「うずのしゅげ」の姿や雰囲気に触発され、
自身の内側に在りながらも普段は忘れ果てている暴力性に気付き、
その気付きゆえに思わずたじろぎかけるものの、その“ 山男 ”に、
「うずのしゅげ」から何かが響こうとしているから。

そう考えてみますと、ここは見入っていると同時に、
「うずのしゅげ」から響いて来る何かに“ 山男 ”が耳を澄まし、
聴き入っている光景・・・というようにも感じられます。

では一体“ 山男 ”は「うずのしゅげ」から何を聴いているのか?
それは、もしかしたら〈許しの歌〉とでも言うべきもの。
その歌が心の耳に届けられた時、“ 山男 ”は、
まるで自分が「うずのしゅげ」に許されている・・・と、
そんな感覚に打たれ、それで身じろぎもせず立っている。

これは私の勝手な解釈に過ぎませんが、“ 山男 ”の場面に、
もしも〈許し〉という命題が潜在するとしたならば、
そのようにも読めるのかな?と思いました。

又そういう視点で「おきなぐさ」を味わってみますと、
二輪の「うずのしゅげ」が、いよいよ風に散るという時、
雲雀から『飛んで行くのはいやですか』と問われて、

『なんともありません。
 僕たちの仕事はもう済んだんです』

と答えた時の、この『僕たちの仕事』というのも、
「利益を上げよう」とか「高い評価を得よう」等々といった、
一般的に想像されるような仕事とは次元を異にする仕事、
太古の昔から連綿と続く〈生命の秘密〉に携わる仕事、
それも〈許し〉に関わる仕事、という風にも思われてきます。

前掲書の中で、外里先生も言及されておられますが、
宮沢賢治作品の魅力の一つは「正解がない」というところ。
言い方を変えれば、読む人の数だけ正解があり、
また同じ人が同じ箇所を読んでも、読む度に感じ方が変わり、
どのような解釈をもが許されているということであり、
賢治作品が永く読み継がれている理由の一つと言えます。

               

「おきなぐさ」の終盤では、
風に散る間際の「うずのしゅげ」に寄り添い、
形が消滅する、つまり現象としての“ 死 ”は、

『なんにも こわいことはありません』

と伝え、旅立つ二輪の「うずのしゅげ」に、

『お大事においでなさい』

と、言わば“ はなむけの言葉 ”を贈り、のみならず、
風に散ったあと天へと昇ってゆく二つの魂を、
追えるところまで追いかけて見送る雲雀の姿が描かれています。

この場面を繰り返し読むうち、
これは、ある意味“ 看取り ”であると感じ、かつて私自身が、
父を看取った時のこと、母を看取った時のこと、
その時何が起こり、何を観、何を聴き、何を感じたのかといった、
記憶の数々が鮮やかに甦ってきました。

最後に雲雀は、
大気圏を離れて宇宙空間へ向かう「うずのしゅげ」の魂に向け、

『鋭い みじかい歌を ほんのちょっと歌った』

のですが、この、

『鋭い みじかい歌』

というのは、音楽が抱く陰陽の理から察するに、それは同時に、
どこまでも丸く柔らかな歌、
どこまでも長大な時間を鳴り渡る歌、
どこまでも広大な空間に響き続ける歌のようにも想われ、
“ レクイエム ”の本質と理想形が、ここに在るものと心得ます。






              








ナイルの水の一滴

2020-08-30 14:01:18 | 
志賀直哉(1883~1971)の絶筆「ナイルの水の一滴」。

『人間が出来て、何千万年になるか知らないが、
 その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。
 私もその一人として生れ、いま生きているのだが、
 例えていえば、悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、
 その一滴は、後にも前にもこの私だけで、
 何万年溯(さかのぼ)っても私はいず、
 何万年経っても私は再び生れては来ないのだ。
 しかもなお、その私という存在は、
 依然として大河の水の一滴に過ぎない。
 それで差支えないのだ。』
(「ナイルの水の一滴」/高橋英夫編「志賀直哉随筆集」岩波文庫)

永劫の過去から久遠の未来に至る長大な歴史の中、
どこを探しても“ 私 ”を見つけることは出来ず、
“ 私 ”という存在は、いま現在の“ 私 ”、唯ひとり。

『何万年溯(さかのぼ)っても私はいず、
 何万年経っても私は再び生れては来ない』という、
奇跡的な特異点として存在する“ 私 ”なるものは、同時に、
『大河の水の一滴に過ぎない』ありふれた存在であり、
『それで差支えない』と、志賀先生は達観されます。

世の中には、「命は奇跡である」と唱える人もいれば、
逆に、「命はありふれている」とシニカルに呟く人もいます。

しかし本当のところは、
そのどちらでもなく、そのどちらでもある。
命は、奇跡でありながら、ありふれていて、
命は、ありふれていながら、やはり奇跡である。
私たちの生きている生命世界の実相は、
相容れない二つの価値が相容れ合っている世界、
矛盾する二つの概念が矛盾のままに併存している世界。

尤も、これはあくまでも私がそのように受け取っただけで、
「ナイルの水の一滴」という、不思議な光を放つ文章は、
それに触れた人の数だけ、感じ方や受け取り方があります。

               

公開されたものとしては最後の文章とされる「ナイルの水の一滴」。
この短文については幾つかのヴァージョンがありますが、
いずれもが志賀直哉・最晩年期のものであり、絶筆と心得ます。

寿命には個人差があり、その長短の是非を問うことは出来ませんが、
この短い文章が、志賀直哉・最晩年期のものであるということは、
その一言一句の中に、志賀先生が、
ある時は「命は奇跡である」とする岸辺を歩み、
ある時は「命はありふれている」とする岸辺に佇みと、
大河の流れを挟んだ両岸を往きつ戻りつしたであろう歳月が、
自ずと集約されているものと考えられます。

生涯という長い旅路の果てに紡がれた短い文章は、
言わば“ 歳月の篩 ”にかけられた後の言葉。
そのことが、
「ナイルの水の一滴」をして、時代を超えて受け継がれてゆく、
“ 言葉のバトン ”たらしめている一因かと思います。



『私は来世とか霊魂の不滅とかは信じないが、
 一人の人間の この世で為した精神活動は
 期間の長短は様々であろうが、あとに伝わり、
 ある働きをするものだということを信じている。』
           (「志賀直哉随筆集」より)