goo blog サービス終了のお知らせ 

 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

ガブリエルの左手には 2024

2024-06-16 11:25:54 | 
今年もユリの季節が巡り、
千種公園内のユリ園を訪れてまいりました。

古来、西洋宗教絵画においては、
左手にユリを捧げ持った大天使ガブリエルが、
聖母マリアの前に降臨して受胎告知を行う場面が、
繰り返し描かれてきました。
中でも、ヤン・ファン・エイク(1395~1441)や、
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)による作品は、
よく知られたところでもあり、当ブログでは、
毎年この時期「ガブリエルの左手には」というタイトルで、
千種公園のユリを掲載させて頂いております。

我が邦においては、
夏目漱石(1867~1916)や宮沢賢治(1896~1933)も、
ユリという多年性植物には格別の想いがあったようで、
夏目漱石は「夢十夜」で、
宮沢賢治は「ガドルフの百合」「四又の百合」で、
ユリを現実世界と幻想世界、
その境界領域に咲く花として登場させています。

本日は「四又(よまた)の百合」に触れてみます。

おそらくは古代インド、架空の国。
“ 正遍知(しょうへんち)” が訪れて下さるらしい・・・、
そのような報告が王様のもとに届きます。
“ 正遍知(しょうへんち)” とは、
仏(ほとけ)とか如来(にょらい)のこと。
以下、如来とします。

王様を始めとする王宮の為政者および国民は、
この報を受けて欣喜雀躍し、
早速、国を挙げて如来を迎える準備を始めます。

道という道は掃き浄められ、白い石英の砂が撒かれ、
千人分の食事が支度され、千人分の宿舎が建てられ、
如来が説法するための寺院が突貫工事で造営されます。

王様は興奮と緊張で眠れないまま、
されど爽やかな心地で如来を迎えに出発し、
如来が到着予定とされる “ ヒームキャ河 ” の岸辺に立ち、
ふと家臣に尋ねます。

『百合は もう咲いたか。』
(宮沢賢治「四又の百合」講談社刊・童話大全より、以下同)

そして、自分は百合の花を如来に捧げたいと明かし、

『大蔵大臣、お前は林へ行って百合の花を一茎
 見附けて来てくれないか。』

命を受けた大蔵大臣は独りで林に入り百合を探すのですが、
どこにも見当たりません。
けれども林を巡り歩くうちに白く輝く家を発見。

『その家の前の栗の木の下に一人のはだしの子供が
 まっ白な貝細工のような百合の
 十の花のついた茎をもって
 こっちを見ていました。』

さて、ここから交わされる大蔵大臣と子供とのやりとりが、
不思議かつ奇妙なものなのですが、

まずは大蔵大臣の、

『その百合を おれに売れ。』

という高慢にして横柄な物言い。

子供は「いいよ」と快く売ろうとするものの、

大臣『いくらだ』
子供『十銭』
大臣『十銭は高いな』
子供『五銭』
大臣『五銭は高いな』
子供『一銭』
大臣『そうか。一銭。それではこれでいいだろう』

と言うなり、
自らが着けていた紅宝玉(ルビー)のネックレスを外し、
子供に渡すのであります。

たった今『十銭は高いな』と言い、
子供相手に値切りに値切っていた大臣が、
極めて高価であろう宝石の首飾りを惜しげも無く与える。

もしかしたら大臣は最初から高額な首飾りを渡すつもりでいて、
値切り交渉は、ひとときの余興だったのかも知れません。

子供は大臣に向かって尋ねます。
その百合を誰に差し上げるのか・・・と。

「如来にあげるんだよ」と大臣が答えるのを聞くや、
「それなら返してくれ!」と子供は首飾りを投げ返すのです。

実はその百合、
子供が自分で如来に渡そうと思って摘んでいたのでした。

それを知った大臣「じゃあ返そう」と言うのですが、
何を思ったか、その子供は「やっぱりあげる」と。

この辺りの会話は賢治童話ならではの不思議さ、面白さ。

そもそも一国の大蔵大臣が林の中を歩き回り、
独りで百合を探すという設定が “ 変 ” ですよね。

賢治童話は “ 隠喩(メタファー)の海 ” であり、
如来を始め、王・大臣・百合・林・はだしの子供・
白く輝く家・栗の木・ルビーの首飾り等々、
全てが何らかの意味を秘めながら揺らいでいますが、
その意味自体もまた揺らぎの中に在り、
“ 隠喩の海 ” を泳ぐ読者は、それぞれが自由に意味を探り、
意味を求め、意味を創造してゆく楽しみに与ります。

例えば「四又の百合」の「四又(よまた)」とは何か。
童話の中に「四又」は一切出てきません。
ユリの花弁は6枚なので「六又(むまた)」でこそあれ、
「四又」ではないはず。
すると「四又の百合」とはユリの中でも特別なユリと、
そのようにも考えられます。

そこで巷間「四又」とは、仏教で説かれる “ 四無量心 ” 、
「慈・悲・喜・捨」という四つの心を指すのでは?
といった解釈を施す方もあれば、
「四又」が示す「四」という数字、
「百合」が宿す「百」という数字、
それらの数字そのものに意味ありと説く方もおられます。

「四又の百合」という題名ですので、
意外と『はだしの子供』の名前が「四又(ヨマタ)」で、
ヨマタ君は仏教説話に現れる “ 聖なる童子 ” であり、
如来の先触れ、もしくは如来なのかも知れません。
思えば仏教開祖:釈尊の異名は「雪山童子(せっせんどうじ)」。
それはともかく、百合を手に入れた大臣は、

『お城においで』

と子供に告げヒームキャ河に戻り、
岸辺に立つ王様に百合を手渡します。

『立派な百合だ。ほんとうに。ありがとう。』

そう言って恭々しく押し頂く王様。

さぁいよいよ如来が到着するようで、

『川の向こうの青い林のこっちに
 かすかな黄金(きん)いろが
 ぽっと虹のように のぼるのが見えました。』

王様はひざまづき、付き従う出迎えの総勢は地にひれ伏します。

物語を締め括る最後の一文は、

『二億年ばかり前
 どこかであったことのような気がします。』

これは童話なのか、
賢治が好んだ法華経の中に説かれた光景なのか、
それとも賢治が観た白昼夢なのか。

『二億年ばかり前
 どこかであったことのような気がします。』

地球から “ わし座 ” 方向へ約二億光年の先には、
渦巻銀河 “ UGC 11537 ” があります。
この銀河の中心には超巨大ブラックホールがあるとされます。

賢治は唄いました。

“ 赤い目玉のさそり
 ひろげた鷲(わし)のつばさ ”

賢治の心は、

今なお何億光年を隔てた銀河を巡り、
『石炭袋』と名付けたブラックホールを訪れ、
事象の地平面を往来しているのでありましょう。

『二億年ばかり前
 どこかであったことのような気がします。』

皆様、良き日々でありますように!


               









微分の考え方

2024-05-12 14:27:23 | 
保坂直紀氏の著作「謎解き・海洋と大気の物理」(講談社)には、

海の状態と地球の気象が、お互い密接かつ複雑に関わり合い、
影響し合っていることが分かりやすく説かれています。

海流の動き、大気の流れを扱うのは “ 流体力学 ” 。
この流体力学について、

『水や空気の流れという、
 とらえどころのない あつかいにくいものを、
 それまでの物理学が得意とする手法で解決できるように
 工夫したところが、流体力学のポイントなのだ』(前掲書)

として、その『物理学が得意とする手法』こそが、
微分積分の「微分(びぶん)」であることを明かし、
この「微分」について、こう記されています。

『微分の「微」は「微(かす)か」と読む。
 だから微分というのは、
 全体を小さくかすかなものの集まりに分割することで、
 見通しをよくしようという考え方なのだ。』(前掲書)

『微分の発想は、べつに難しいものではない。
 たとえば自分はどういう人間かを考えるときに、
 「自分はまわりとどう違うか」
 「いまの自分は、ちょっとまえの自分とどう違うのだろうか」
 という具合に、周囲や過去と比較して現状を知る、
 という考え方なのだ。』(前掲書)

この “ 微分 ” の発想により、

『いまの自分だけを見るのではなく、
 空間的に、あるいは時間的に少しずれたところにあるものと、
 いまの自分とを比較して、その変化の傾向をつかんでおけば、
 自分の置かれた状況がはっきりしてくるというわけだ。』

そして “ 微分 ” の形で書かれている物理学を応用した、
流体力学を用いれば、

『海流の動きや大気の流れが計算できる。』

                 

自分自身を含む様々な存在を始め、
事象の動き・流れ・巡り・運びといったものを、
“ 微分化 ” することで浮かび上がる実態がある。
自分が向かおうとする “ 道 ” や “ 夢 ” といったものも、
一旦細かく “ 微分化 ” して眺めることで、
アプローチの仕方や方策が見えてくる可能性がある。
確かに難しいかも知れないけれど、
「なぜ難しく感じるのか」さえも “ 微分化 ” しつつ、
さぁ数理・物理の世界へ入ってゆこう。

もしも高校時代、
そんな風にして微分積分の世界にいざなわれていたら、
数式アレルギーを起こすことは無かったかもなぁ・・、

この書籍を読み返す度、そう思うのであります。


“ Dragon dynamics ”
~ 龍体力学 ~

皆様、良き日々でありますように!


               









「水の巻」より

2023-12-10 17:22:26 | 
本日(2023年12月10日)は、
用あって名古屋駅へ行ってまいりました。
名古屋駅および駅周辺の商業施設は、

クリスマス一色であります。


名古屋JRタカシマヤ前のクリスマスツリー

写真左手に見えるエスカレーターで2階に上がり、


そこから眺めますと、こんな感じ。



こちらは名鉄百貨店入り口の、

“ ナナちゃん ” 人形。

                 

宮本武蔵(1584~1645)が記した「五輪書」。
地・水・火・風・空、
森羅万象を生成する五つの輪(要素)になぞらえて、
剣の心と技を説いたものですが、
特に熱量の高い章が「水の巻」とも謂われます。

「水の巻」冒頭、

『兵法二天一流の心、水を本として、
 利方の法をおこなふによって水の巻として、
 一流の太刀筋、此書に書顕すもの也』
(宮本武蔵「五輪書」/ 解説:神子侃 / 徳間出版)

二天一流の兵法は、
水の心に習い、水の動きを研究し、
水の在り方を手本としていると、
武蔵自身が語っているのであります。

その「水の巻」には “ 太刀の持やうの事 ” 、
つまり “ 刀の握り方 ” について記載があり、
そこには、

『惣而 太刀にても、手にても、
 いつくとゆふ事をきらふ。
 いつくはしぬる手也。
 いつかざるはいきる手也。
 能々心得べきもの也。』

上掲引用元書籍の解説者:神子侃氏は、

『すべて太刀のうごきにせよ、
 手のもち方にせよ、
 固定してしまってはならない。
 “ 固定 ” は “ 死 ” であり、
 “ 固定せぬこと ” が “ 生 ” である。
 これを十分に心得るように。』

と現代語に訳された上で、
以下のように明察されています。

『物事は、変化し、発展することによって価値がある。
 国家も、企業も、個人も、進歩をとめた時、
 それは死滅を意味する。
 流れる水はくさらない。
 武蔵が短い言葉で、
 生成発展の理を説き明かしたことは、
 おどろくほど新鮮である。』

『流れる水はくさらない』

という辺りが、
水の在り方を旨とする二天一流の心なのかも知れません。

とかく世の中は、
「落ち着いた性格」「落ち着いた言動」
「落ち着いた振る舞い」「落ち着いた生活」、
総じて「落ち着いた人」が尊ばれます。
只、見方を変えますと、
「落ち着き」とは、
地面に落ち、そこに固着固定することでもあり、
武蔵の言葉を借りれば、

「いつく」

ことにもなりかねません。

『いつくは死ぬるなり。
 いつかざるは生きるなり。』

「いい加減、もう少し落ち着いたらどうだ」
「いい年をして、まだそんな夢をみてるのか」
「そんな浮き草人生でどうする」

そうした言葉を投げかけられる向きも多いかと思います。
早川もその一人。

いささか自己弁護に傾くようで恐縮ですが、
落ち着かないとか、
いい年してフワフワしているというのは、
良くも悪くも変化し続けられること、
流れ続けられることであり、
案外「いつかざる」に通じているのかも。

『いつくは死ぬるなり。
 いつかざるは生きるなり。』

生きてまいりましょう。


“ Dance of the Dragon Ⅲ ”
~ 龍神舞踊 其の三 ~

皆様、良き日々でありますように!


               









自己の真影

2023-06-18 14:43:06 | 
先程(6月18日 昼過ぎ頃)城山八幡宮を参拝しましたところ、
木喰い虫の害から守る為 “ 連理木 ” が養生されていました。

養生シートが外されるのは、秋半ばと思われます。

                 

『一生のうちには、ぬきさしならず、
 人としての真影をみせねばならぬときが、
 一度はあるように思う。』
(宮城谷昌光「鳳凰の冠」文藝春秋刊より)

御承知置きの通り、宮城谷昌光氏の世界は、
国々が興亡を繰り返し戦乱絶えることなき古代中国を舞台とし、
野心と欲望の渦巻く人間世界に在って尚、
又そのような人間世界だからこそ、
徳義を尊び、道心に生きようとする人物が、
読み手の心闇を照破するような筆致で描かれます。

上掲引用文は、春秋時代(紀元前771年から約300年間)、
晋(しん)の国の太傅(たいふ / 司法長官)として政務を執った、
“ 叔向(しゅくきょう)” の生きざまを著した「鳳凰の冠」の一説。

「鳳凰の冠」に描かれる叔向は、
権謀術数入り乱れて混濁する政治世界という海の中、
博識と情誼を以て「真っ直ぐに生きる」ことを自らに課す人物。
しかしながら古代から現代に至るまで、いつの時代に在っても、
「真っ直ぐに生きる」などということが許されるほど、
世の中は優しくも甘くもありません。

真っ直ぐに生きようとすれば、
そうはさせまいという有形無形の力が働くのが人生の常。
紆余曲折を強いられる日々において、叔向は、
自分自身の “ 真影 ” というものに想いを巡らせます。
“ 真影 ” とは、つまり自己の偽らざる本当の姿。

この “ 真影 ” なるものが、
鮮やかな光を放つものであれば良し、
さもなくば生きる甲斐なし・・・というのが、
叔向の人生指針なのであります。

                 

『人としての真影』

物語を読み返す度、いつもこの言葉の傍らで立ち尽くします。
なぜと申して、
私が私自身の “ 真影 ” を捉えるためなのでありますが、
実際のところ、自己の “ 偽影 ” を “ 真影 ” と誤認したまま、
日々、“ 偽影 ” に振り回されているのではないか・・・などと、
不明瞭な想いが湧くばかりで、自己の “ 真影 ” を捉えきれません。

そもそも「真っ直ぐに生きよう」などと思わぬ質の早川、
その “ 真影 ” は、いびつなものでありましょう。
それゆえにこそ叔向のような人物に憧れ、
ひいては宮城谷昌光氏の描く世界に惹かれるのであります。


“ Dragon stream ” ~ 彩ノ帯、縒り合わさりて龍となる



“ Purple Dragon ” ~ 紫龍、天と地を往来す

皆様、良き日々でありますように!


               










中島敦「名人伝」

2022-06-19 14:53:28 | 
思うところあって、
中島敦(1909~1942)の「名人伝」を読み返しました。

古代中国、
趙(ちょう)の都、邯鄲(かんたん)に住む紀昌(きしょう)は、
弓の達人となる志を立て、名人・飛衛(ひえい)に弟子入りします。
何があってもマバタキをしない訓練、
米粒大の微小な虫が馬ほどの大きさに見えるようになる訓練等々、
倦むことなく基礎訓練に5年の歳月をかけ、その甲斐あってか、
紀昌は程なくして、師の飛衛と互角の腕前に。
その腕前とは、
百本の矢を射た場合、第一矢の矢筈(やはず・矢の最後部)に、
第二矢の鏃(やじり・矢の最前部)が刺さり、第二矢の矢筈に、
第三矢の鏃が刺さり、第三矢の矢筈に、第四矢の鏃が刺さりと、
百本が百本、全て前矢の矢筈に後矢が命中するというもので、
当然のこと、百本は一本の連なりとなり、百本めの矢は、
射手である紀昌の胸の辺りで揺れているという凄まじさ。
もはや何も教えることの無くなった飛衛は、紀昌に提案します。
更なる高みを目指すのならば、甘蝿(かんよう)老師を尋ねよと。

是非も無く甘蝿の下を訪れた紀昌は弟子入りを志願し、
“ 神業 ” に達したと自負する腕前を、得々として披露します。
それを見た老師は、なかなかできると認めた上でこう言います。

『だが、それは所詮 射之射(しゃのしゃ)というもの、
 好漢まだ 不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬとみえる。』
     (中島敦「名人伝」角川文庫、以下引用元は全て同書)

自尊心を傷つけられた紀昌の不満を察したのかどうか、
老師は目も眩む断崖絶壁の突端に立ち、

『では 射 というものをお目にかけようかな』

しかし老師は肝心の “ 弓矢 ” を手にしていません。
とまどいを隠せない紀昌を尻目に、

『弓矢の要るうちはまだ 射之射 じゃ』

と言うや、
無形の弓に見えざる矢をつがえ、ヒョウッと放ちます。
・・・と次の瞬間、
遠くの空を旋回していた鳶(とび)が真っ逆さまに落下。

『紀昌は慄然とした。
 今にしてはじめて芸道の深淵を覗きえた心地であった。』

以来9年、甘蝿老師に学び、
紀昌は天下第一の名人として故郷に戻ってくるのですが、
帰郷した紀昌からは、かつての精悍さがすっかり消え失せ、
どこかボンヤリとした雰囲気を纏っている上、
いつまで経っても弓術の奥義を披露しようとしません。
しびれを切らした故郷の人々が、その理由を尋ねると、
紀昌は物憂げに答えます。

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』

それから実に40年。
紀昌は、唯の一度も弓矢を執ることの無いまま世を去ります。
そして最後に紹介されるのが、晩年の紀昌に纏わる逸話。

老いたる紀昌が知人の招きに応じた宴席の帰り際、
その家で、ある道具を見かけます。
それは紀昌にとって、確かに見覚えのある物なのですが、
その名前も、使い道も思い出すことが出来ません。
その道具こそは、弓矢でありました。

                 

読む度に、
『芸道の深淵を覗きえた心地』にさせられる作品でありますが、
ここで一旦「名人伝」から離れます。

今を去る4年前、2018年2月20日、
当時シリアの首都ダマスカスで続く空爆により、
多くの子どもたちが命を奪われていることに対し、
ユニセフは抗議の声明文を発表しました。

“ No words will do justice to the children killed ,
 their mothers , their fathers and their loved ones ”
(どのような言葉も、殺された子どもたち、その母親、父親、
 愛する人々のことを言い表せない。)

この短い一文の後には、十行に亘る空白が続きます。
ユニセフの説明によれば、
戦闘に巻き込まれて死んでいった子どもたちの苦しみや怒りは、
とても言葉では表せないからということで、この空白は、
「白紙の声明」「沈黙の抗議」として大きく取り上げられました。

早川はブログ冒頭に「思うところあって」と書きましたが、
「思うところ」とは、この辺りのこと。
上記のような、
子どもたちが戦争に巻き込まれて命を落とすという惨事、
及び戦禍によって引き起こされる悲しみや苦しみは、
千言万語を尽くしたとしても表現できるものではありません。

ユニセフによる「白紙の声明」は、それゆえのことですが、
その「白紙」その「沈黙」が、かえって人々の心に訴え、
人々の心を動かすものと成り得ることを想いますと、
「白紙」には、言葉の記述が無いだけの「白紙」とは異なり、
大小の力を宿した “ 白紙 ” というものがあり、
「沈黙」にも、言葉の行使が無いだけの「沈黙」とは違い、
強弱のエネルギーを孕んだ “ 沈黙 ” があるということが、
自ずと浮かび上がってくるように思います。

そこで「名人伝」に戻りますが、
“ 射之射 ” を超えた究極の境地 “ 不射之射 ” を会得した紀昌は、

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』

と語りました。
至為、つまり行為の至極は、為さないこと。
至言、言葉の至極は、黙すること。
至射、弓術の至極は、弓矢を忘れること。

この辺りの機微消息というものは、
様々な方面に当てはめて考えることも出来るように思われ、
先のユニセフによる「白紙の声明」「沈黙の抗議」というものも、
『至言は言を去り』という辺りと幾らか重なるように感じます。

と、こうして書きながら思い出したことがあります。
出典は忘れましたが、臨床心理学系のテキストに掲載された、
不登校児童に関連した事例紹介であったと記憶します。

関西地方某所、その男子中学生は不登校となって数ヶ月。
親が「登校しなさい」と諭すのはもちろんのこと、連日のように、
担任教師が家庭訪問しては登校を促し、また専門相談員による、
面談や傾聴といった介入も行われましたが、
男子中学生の不登校は解消されません。
そんなある日、彼は路上で近所に住む高齢の婦人と行き会います。
彼は幼い頃から、この婦人を「ばあちゃん」と呼んでいました。
「ばあちゃん」の耳にも、不登校の一件は届いていたようで、
「ばあちゃん」は微笑みながら、
「あんたなぁ・・・」とだけ声をかけます。
思わず立ち止まって「ばあちゃん」と向き合う男子中学生。
二人の間に流れる沈黙の時。
ややあって「ばあちゃん」は、アハハハ・・・と笑いながら、
その場を去ってゆかれたそうです。ただそれだけのことですが、
男子中学生は、翌日から登校を再開します。

彼の中で何が起きたのでしょうか。
このエピソードで思いを致すべきは、
親がどれだけ一生懸命に諭しても、
教育のプロが如何に千言万語を費やして説得しても、
専門家がどれほど技術を駆使して介入しても、
一向に動かすことの出来なかった男子生徒の心を、
近所の「ばあちゃん」が、
“ 沈黙 ” を以て動かしたということでありましょう。

いや “ 沈黙 ” を以て、というより、
“ 沈黙 ” に宿る力を以て動かしたということでしょうか。
加えて「ばあちゃん」の微笑みが影響したのかも知れません。
尤も「ばあちゃん」には、男子生徒の心を “ 動かそう ” 、
などという意図や気負いは全くなかったはず。

親、教師、専門家等々は、自らの立場やプライドにかけて、
何かを「為そう」という意識や、
何か「してみせる」といった気負いを持って事に臨みます。
これは致し方のないことですが、
それが “ アダ ” とも “ 逆効果 ” ともなる場合があります。

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』

「言を去つた」ものが「至言」であるのならば、
「至言」とは “ 沈黙 ” に他なりません。
個人的には不登校が悪いなどとは少しも思いませんが、
少なくとも「ばあちゃん」との間に交わされた “ 沈黙 ” が、
男子生徒に作用を及ぼし、彼が登校を再開したということは、
“ 沈黙 ” という『至言』の矢が彼の心を射抜いたことになります。
ある意味 “ 不射之射 ” と言えるのではないでしょうか。

「ああしよう」「こうしよう」という意識・意図・気負い等々、
総じて “ 欲 ” というものは大事なもので、
“ 欲 ” が無ければ何事も、いや、生きる事さえもままなりません。
只、“ 欲 ” を足し算と仮定してみますと、
足し算を重ねた後に施される引き算によってのみ、
足し算だけでは開きようのない世界が開くようにも思います。
この辺りの “ 呼吸 ” というものは、
長い歳月をかけてしか醸成され得ないものなのかも知れません。
思えば、
「名人伝」の甘蝿老師も、上記エピソードの「ばあちゃん」も、
年齢を重ねておられます。
“ 不射之射 ” を通して語られる世界には、
年を取ることの意味、年齢を重ねることの希望的側面、
“ 枯淡 ” の可能性といったものも秘められているような気がします。

「名人伝」は、
中島敦自身が解説している通り “ 寓話 ” に過ぎません。
しかし “ 寓話 ” であるがゆえにこそ、
そこには真実が潜み、本質が語られているものと心得ます。

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』


皆様、良き日々でありますように!