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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

中島敦「名人伝」

2022-06-19 14:53:28 | 
思うところあって、
中島敦(1909~1942)の「名人伝」を読み返しました。

古代中国、
趙(ちょう)の都、邯鄲(かんたん)に住む紀昌(きしょう)は、
弓の達人となる志を立て、名人・飛衛(ひえい)に弟子入りします。
何があってもマバタキをしない訓練、
米粒大の微小な虫が馬ほどの大きさに見えるようになる訓練等々、
倦むことなく基礎訓練に5年の歳月をかけ、その甲斐あってか、
紀昌は程なくして、師の飛衛と互角の腕前に。
その腕前とは、
百本の矢を射た場合、第一矢の矢筈(やはず・矢の最後部)に、
第二矢の鏃(やじり・矢の最前部)が刺さり、第二矢の矢筈に、
第三矢の鏃が刺さり、第三矢の矢筈に、第四矢の鏃が刺さりと、
百本が百本、全て前矢の矢筈に後矢が命中するというもので、
当然のこと、百本は一本の連なりとなり、百本めの矢は、
射手である紀昌の胸の辺りで揺れているという凄まじさ。
もはや何も教えることの無くなった飛衛は、紀昌に提案します。
更なる高みを目指すのならば、甘蝿(かんよう)老師を尋ねよと。

是非も無く甘蝿の下を訪れた紀昌は弟子入りを志願し、
“ 神業 ” に達したと自負する腕前を、得々として披露します。
それを見た老師は、なかなかできると認めた上でこう言います。

『だが、それは所詮 射之射(しゃのしゃ)というもの、
 好漢まだ 不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬとみえる。』
     (中島敦「名人伝」角川文庫、以下引用元は全て同書)

自尊心を傷つけられた紀昌の不満を察したのかどうか、
老師は目も眩む断崖絶壁の突端に立ち、

『では 射 というものをお目にかけようかな』

しかし老師は肝心の “ 弓矢 ” を手にしていません。
とまどいを隠せない紀昌を尻目に、

『弓矢の要るうちはまだ 射之射 じゃ』

と言うや、
無形の弓に見えざる矢をつがえ、ヒョウッと放ちます。
・・・と次の瞬間、
遠くの空を旋回していた鳶(とび)が真っ逆さまに落下。

『紀昌は慄然とした。
 今にしてはじめて芸道の深淵を覗きえた心地であった。』

以来9年、甘蝿老師に学び、
紀昌は天下第一の名人として故郷に戻ってくるのですが、
帰郷した紀昌からは、かつての精悍さがすっかり消え失せ、
どこかボンヤリとした雰囲気を纏っている上、
いつまで経っても弓術の奥義を披露しようとしません。
しびれを切らした故郷の人々が、その理由を尋ねると、
紀昌は物憂げに答えます。

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』

それから実に40年。
紀昌は、唯の一度も弓矢を執ることの無いまま世を去ります。
そして最後に紹介されるのが、晩年の紀昌に纏わる逸話。

老いたる紀昌が知人の招きに応じた宴席の帰り際、
その家で、ある道具を見かけます。
それは紀昌にとって、確かに見覚えのある物なのですが、
その名前も、使い道も思い出すことが出来ません。
その道具こそは、弓矢でありました。

                 

読む度に、
『芸道の深淵を覗きえた心地』にさせられる作品でありますが、
ここで一旦「名人伝」から離れます。

今を去る4年前、2018年2月20日、
当時シリアの首都ダマスカスで続く空爆により、
多くの子どもたちが命を奪われていることに対し、
ユニセフは抗議の声明文を発表しました。

“ No words will do justice to the children killed ,
 their mothers , their fathers and their loved ones ”
(どのような言葉も、殺された子どもたち、その母親、父親、
 愛する人々のことを言い表せない。)

この短い一文の後には、十行に亘る空白が続きます。
ユニセフの説明によれば、
戦闘に巻き込まれて死んでいった子どもたちの苦しみや怒りは、
とても言葉では表せないからということで、この空白は、
「白紙の声明」「沈黙の抗議」として大きく取り上げられました。

早川はブログ冒頭に「思うところあって」と書きましたが、
「思うところ」とは、この辺りのこと。
上記のような、
子どもたちが戦争に巻き込まれて命を落とすという惨事、
及び戦禍によって引き起こされる悲しみや苦しみは、
千言万語を尽くしたとしても表現できるものではありません。

ユニセフによる「白紙の声明」は、それゆえのことですが、
その「白紙」その「沈黙」が、かえって人々の心に訴え、
人々の心を動かすものと成り得ることを想いますと、
「白紙」には、言葉の記述が無いだけの「白紙」とは異なり、
大小の力を宿した “ 白紙 ” というものがあり、
「沈黙」にも、言葉の行使が無いだけの「沈黙」とは違い、
強弱のエネルギーを孕んだ “ 沈黙 ” があるということが、
自ずと浮かび上がってくるように思います。

そこで「名人伝」に戻りますが、
“ 射之射 ” を超えた究極の境地 “ 不射之射 ” を会得した紀昌は、

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』

と語りました。
至為、つまり行為の至極は、為さないこと。
至言、言葉の至極は、黙すること。
至射、弓術の至極は、弓矢を忘れること。

この辺りの機微消息というものは、
様々な方面に当てはめて考えることも出来るように思われ、
先のユニセフによる「白紙の声明」「沈黙の抗議」というものも、
『至言は言を去り』という辺りと幾らか重なるように感じます。

と、こうして書きながら思い出したことがあります。
出典は忘れましたが、臨床心理学系のテキストに掲載された、
不登校児童に関連した事例紹介であったと記憶します。

関西地方某所、その男子中学生は不登校となって数ヶ月。
親が「登校しなさい」と諭すのはもちろんのこと、連日のように、
担任教師が家庭訪問しては登校を促し、また専門相談員による、
面談や傾聴といった介入も行われましたが、
男子中学生の不登校は解消されません。
そんなある日、彼は路上で近所に住む高齢の婦人と行き会います。
彼は幼い頃から、この婦人を「ばあちゃん」と呼んでいました。
「ばあちゃん」の耳にも、不登校の一件は届いていたようで、
「ばあちゃん」は微笑みながら、
「あんたなぁ・・・」とだけ声をかけます。
思わず立ち止まって「ばあちゃん」と向き合う男子中学生。
二人の間に流れる沈黙の時。
ややあって「ばあちゃん」は、アハハハ・・・と笑いながら、
その場を去ってゆかれたそうです。ただそれだけのことですが、
男子中学生は、翌日から登校を再開します。

彼の中で何が起きたのでしょうか。
このエピソードで思いを致すべきは、
親がどれだけ一生懸命に諭しても、
教育のプロが如何に千言万語を費やして説得しても、
専門家がどれほど技術を駆使して介入しても、
一向に動かすことの出来なかった男子生徒の心を、
近所の「ばあちゃん」が、
“ 沈黙 ” を以て動かしたということでありましょう。

いや “ 沈黙 ” を以て、というより、
“ 沈黙 ” に宿る力を以て動かしたということでしょうか。
加えて「ばあちゃん」の微笑みが影響したのかも知れません。
尤も「ばあちゃん」には、男子生徒の心を “ 動かそう ” 、
などという意図や気負いは全くなかったはず。

親、教師、専門家等々は、自らの立場やプライドにかけて、
何かを「為そう」という意識や、
何か「してみせる」といった気負いを持って事に臨みます。
これは致し方のないことですが、
それが “ アダ ” とも “ 逆効果 ” ともなる場合があります。

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』

「言を去つた」ものが「至言」であるのならば、
「至言」とは “ 沈黙 ” に他なりません。
個人的には不登校が悪いなどとは少しも思いませんが、
少なくとも「ばあちゃん」との間に交わされた “ 沈黙 ” が、
男子生徒に作用を及ぼし、彼が登校を再開したということは、
“ 沈黙 ” という『至言』の矢が彼の心を射抜いたことになります。
ある意味 “ 不射之射 ” と言えるのではないでしょうか。

「ああしよう」「こうしよう」という意識・意図・気負い等々、
総じて “ 欲 ” というものは大事なもので、
“ 欲 ” が無ければ何事も、いや、生きる事さえもままなりません。
只、“ 欲 ” を足し算と仮定してみますと、
足し算を重ねた後に施される引き算によってのみ、
足し算だけでは開きようのない世界が開くようにも思います。
この辺りの “ 呼吸 ” というものは、
長い歳月をかけてしか醸成され得ないものなのかも知れません。
思えば、
「名人伝」の甘蝿老師も、上記エピソードの「ばあちゃん」も、
年齢を重ねておられます。
“ 不射之射 ” を通して語られる世界には、
年を取ることの意味、年齢を重ねることの希望的側面、
“ 枯淡 ” の可能性といったものも秘められているような気がします。

「名人伝」は、
中島敦自身が解説している通り “ 寓話 ” に過ぎません。
しかし “ 寓話 ” であるがゆえにこそ、
そこには真実が潜み、本質が語られているものと心得ます。

『至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし』


皆様、良き日々でありますように!


               







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