〈気ノ池・気ノ森〉の周辺は公園として整備され、
そこにはたくさんの桜が植えられています。
毎朝、公園前にある通勤バスの停留所に向かうのですが、
この季節は、いかに無粋俗物のワタクシめであっても、
桜という小生命を通して移ろってゆく、
春という大生命の見えざる流れに深く打たれ、
心を揺さぶられずにはいられません。
特に今春において心を震わせられる理由は、
新型コロナウィルス感染拡大という現況下にあって、
「もしかしたら自分にも死が訪れるかも知れない。」
「来年の桜は観ることが出来ないかも知れない。」などといった、
平常時では思わないことを思うからかも知れません。
レイチェル・カーソン(1907~1964)は、
その著書“ SENSE OF WONDER ”の中で読者に対し、読者一人一人が、
「もう自分は明日を迎えることはない」という想いを抱いて、
目の前に広がる世界と向き合ってみて欲しいと訴え、
ほんの束の間でも、もしそのような想いで世界と向き合えたなら、
世界は、切ないまでに感動的な姿を現すだろうと謳いました。
これは読者に向けて、一つの思考実験として勧めたわけですが、
カーソン先生自身は、この時すでに末期がんを患っていて、
「もう自分は明日を迎えることはない」という自覚の中にあり、
執筆後、56年の生涯を終えて旅立たれます。



〈限りある命〉を想う時、
誰しもの内界に湧き上がるとされる“ SENSE OF WONDER ”は、
愛しみ・慈しみ・もののあわれ、といった感覚と重なります。
新型コロナウィルス感染の拡がりを受けて、
否が応でもを〈限りある命〉を自覚せざるを得ないという状況は、
私自身の内界に宿る“ SENSE OF WONDER ”のひとひらを、
図らずも揺り動かすこととなったようで、
通勤バスが来るまでの僅かな時間でさえ惜しく感じられ、
心急くままに桜と触れ合ってまいりました。
ゆく春への惜情を御一緒させて頂けましたら有り難く存じます。
渦潮桜 ~ うずしおざくら
背景音楽には、2009年に作曲したストック楽曲を使用。
渦潮桜(うずしおざくら)は実在の品種ではありません。
動画冒頭の桜は、今にも朽ち果てそうな老木ですが、
余程深く大きく、その根を地中に張っているのかして、
捻じれ、曲がり、傷付いた幹を通して尚、枝の隅々にまで力を送り、
空いっぱいに花を咲かせます。
渦巻き状に天へと向かうような樹態が無意識の層に働きかけ、
私の脳内に〈鳴門の渦潮〉か何かのイメージを結ぶのか、
この老桜の前に佇んでおりますと、いつも決まって、
聞こえるはずのない潮騒が、遠く近く聴こえてくるような気がして、
いつしか「渦潮桜」と呼ぶようになりました。
老桜にしてみれば、あまり嬉しくない呼び名かも知れません。

皆様、くれぐれも御体調等お気をつけ下さい。




そこにはたくさんの桜が植えられています。
毎朝、公園前にある通勤バスの停留所に向かうのですが、
この季節は、いかに無粋俗物のワタクシめであっても、
桜という小生命を通して移ろってゆく、
春という大生命の見えざる流れに深く打たれ、
心を揺さぶられずにはいられません。
特に今春において心を震わせられる理由は、
新型コロナウィルス感染拡大という現況下にあって、
「もしかしたら自分にも死が訪れるかも知れない。」
「来年の桜は観ることが出来ないかも知れない。」などといった、
平常時では思わないことを思うからかも知れません。
レイチェル・カーソン(1907~1964)は、
その著書“ SENSE OF WONDER ”の中で読者に対し、読者一人一人が、
「もう自分は明日を迎えることはない」という想いを抱いて、
目の前に広がる世界と向き合ってみて欲しいと訴え、
ほんの束の間でも、もしそのような想いで世界と向き合えたなら、
世界は、切ないまでに感動的な姿を現すだろうと謳いました。
これは読者に向けて、一つの思考実験として勧めたわけですが、
カーソン先生自身は、この時すでに末期がんを患っていて、
「もう自分は明日を迎えることはない」という自覚の中にあり、
執筆後、56年の生涯を終えて旅立たれます。



〈限りある命〉を想う時、
誰しもの内界に湧き上がるとされる“ SENSE OF WONDER ”は、
愛しみ・慈しみ・もののあわれ、といった感覚と重なります。
新型コロナウィルス感染の拡がりを受けて、
否が応でもを〈限りある命〉を自覚せざるを得ないという状況は、
私自身の内界に宿る“ SENSE OF WONDER ”のひとひらを、
図らずも揺り動かすこととなったようで、
通勤バスが来るまでの僅かな時間でさえ惜しく感じられ、
心急くままに桜と触れ合ってまいりました。
ゆく春への惜情を御一緒させて頂けましたら有り難く存じます。
渦潮桜 ~ うずしおざくら
背景音楽には、2009年に作曲したストック楽曲を使用。
渦潮桜(うずしおざくら)は実在の品種ではありません。
動画冒頭の桜は、今にも朽ち果てそうな老木ですが、
余程深く大きく、その根を地中に張っているのかして、
捻じれ、曲がり、傷付いた幹を通して尚、枝の隅々にまで力を送り、
空いっぱいに花を咲かせます。
渦巻き状に天へと向かうような樹態が無意識の層に働きかけ、
私の脳内に〈鳴門の渦潮〉か何かのイメージを結ぶのか、
この老桜の前に佇んでおりますと、いつも決まって、
聞こえるはずのない潮騒が、遠く近く聴こえてくるような気がして、
いつしか「渦潮桜」と呼ぶようになりました。
老桜にしてみれば、あまり嬉しくない呼び名かも知れません。

皆様、くれぐれも御体調等お気をつけ下さい。



