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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

“ Silent Air ”

2020-05-24 14:17:00 | 音楽
こちらの動画、御視聴頂けましたら幸いに存じます。

“ Silent Air ”

2007年作曲/TBS系「世界遺産」特番用楽曲から抜粋して改題

               

上掲“ Silent Air ”の御視聴をお願いしたわけでありますが、
“ air ”という単語を辞書で引いてみますと、
当然のこと「空気・大気・空・雰囲気」等々とあり、
それら以外の意味として、解説項目の一番最後あたりに、
例えばライトハウス英和辞典(研究社)には、

「楽曲・旋律」

プログレッシブ英和辞典・第2版(小学館)には、

「音楽の節(ふし)・旋律・メロディー・ソプラノ」

と載せられていて、どちらの辞書も、その用例として、
“ Londonderry Air(ロンドンデリーの歌)”を挙げています。

               

音の波が、空気を媒質として、その振動を伝えるということは、
空気の存在と、音の存在とは二つで一つということであり、
この物理現象が意味するところは、

音楽あるところ、必ずや空気あり。
空気なきところ、また音楽もなし。

という極めて自明の理でありますが、自明の理というものは、
それが自明であるがゆえに、普段は意識されることがありません。

この自明の理に想いを巡らせてみますと、
地球上で音楽を聴く、作る、奏でることが出来るということは、
地球が大気に包まれ、空気に恵まれた惑星であればこそ、
ということが浮かび上がってきます。

これを逆に申せば、
地球上で音楽を作ったり奏でたりするという行為は、
地球が大気に包まれ、空気に恵まれた惑星であるということを、
それを意識する、しないに拘わらず、
行為者自身が明らかにしている行為、ということになります。

すると、
地球上のありとあらゆる音楽は、どのようなジャンルや内容であれ、
また上手いとか下手とか、プロとかアマといった差異分別を超え、
その本質は、大気の存在を証明し、空気の恩恵を賛える・・・、
言わば〈大気圏賛歌〉であるようにも感じられ、
何気なく発し、また発せられる、ただ一つの音にさえ、
原始地球に生じた大気圏が、その後辿った46億年の歳月と、
現在の窒素主体空気へと変遷する数十億年の歳月が凝縮している、
そのようにも思われてきます。

人間と多くの生命にとって、欠くことの出来ない“ air ”。
「空気」と「音楽」、二つの意味を併せ持つ“ air ”。

一音を紡ぐ、一音を奏でる、一音を歌う・・・その一音には、
大気圏の存在と、地球が大気圏を持つに至った宇宙の全経緯と、
地球上での生命進化の全行程が宿っている。

“ air ”という言葉の魅力にいざなわれ、
ついついバイアスのかかった妄想の翼を広げてしまいました。
言葉の解釈としては、誇大に過ぎたかも知れません。
しかしながら、
〈音の細道〉を往く者、一音と向き合う者の心構えとしては、
少しも誇大ではなく、むしろ基本姿勢と心得ます。





              









Hymnos ~ 賛歌 ~(2013)

2020-05-10 14:55:07 | 音楽
“ STAY HOME ”を心掛け、外出時には、
検温して平熱であることを確認しマスクを着用、
他者との社会的距離を保ち3密を避け、うがい手洗いを励行し、
その上で、コロナ禍を生きる人間としては、
祝詞(のりと)の中に謳われる、

『祓いたまえ 浄めたまえ』

の願いに心を合わせ、
この危機的事態が一日も早く収束することを祈るべく、
城山八幡宮に参拝してまいりました。

拝殿の両脇にはタチバナの樹が立っていて、冬場には、

御覧の通りの珠果を実らせます(写真は今年1月上旬)。


今の時期、そのタチバナには白くて小さな花が無数に結ばれて、

顔を近づけますと、これがまた〈結界香〉とでも申しましょうか、
拝殿両脇にあって、まさしく邪気を祓う芳香でありました。
“ コロナ禍退散、祓いたまえ浄めたまえ ”

               

“ Hymnos ~ 賛歌 ~”は、確か7年ほど前に作曲したもの。
聞けばキリスト教世界で“ Hymnos ”と言う時、
カトリック系の典礼で歌われるとか、歌詞はラテン語に限るとか、
色々と決まりがあるそうですが、不明にして私には分かりません。
広い意味での自然賛歌・人間賛歌といった感じで作曲しました。
ご視聴頂けましたら、幸いに存じます。

Hymnos ~ 賛歌 ~(2013)


この曲を作るに際しましては、まず旋律ありきで、
頭に浮かんだ旋律に、後から歌詞を当てていった経緯もあり、
大部分で歌詞のテロップ表示はしていませんが、
特にコレは、という歌詞は表示しました。その内の一つが、

“ Something is waiting you.
 Someone is waiting you. ”

これには参考元があり、臨床心理士・諸富祥彦先生が、
「100分de名著」(NHK出版)シリーズでお書きになった、
「フランクル・夜と霧」の中の一節がそれであります。

御承知置きの通り「夜と霧」は、
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害政策により、
両親、兄、新婚間もない妻を殺害され、自身も収容所に容れられ、
苛酷な日々にさらされながらも生還した精神科医、
V.E.フランクル(1905~1997)が収容所での体験を綴ったもの。

因みに、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害政策により、
推定1200万人のユダヤ人が収容所に送られ、
少なくとも800万人以上が死亡したと伝わります。

苛酷な状況、地獄とも言える日々にあって、
人間はどのように変わってゆくのか、
どういう人間が命を落とし、どういう人間が生き延びたのか、
精神科医としての眼差しと使命感を以って収容所を臨床の現場とし、
築き上げられた思想は「ロゴセラピー」として体系化されます。

諸富先生が、その「ロゴセラピー」について解説なさっています。

『ロゴセラピーとは「ロゴス(意味)によるセラピー(癒し)」』

人それぞれが、それぞれ自らの生きる意味を見出し、
その人の人生を紡ぎあげてゆくことを支援する心理療法であるとし、
フランクル思想のエッセンスを、諸富先生はこう記されています。

『どんな時も、人生には、意味がある。
 なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
 この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。
 あなたを必要とする「誰か」がいる。
 そしてその「何か」や「誰か」は、
 あなたに発見され実現されるのを「待って」いる。
 「何か」があなたを待っている。
 「誰か」があなたを待っている。
 私たちは、常にこの「何か」「誰か」によって必要とされ
 「待たれている」存在なのだ。
 だから、たとえ今がどんなに苦しくても、
 あなたはすべてを投げ出す必要はない。
 あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か、
 人生に「イエス」と言うことのできる日が必ずやってくるから。
 いや、たとえあなたが人生に「イエス」と言えなくても、
 人生のほうからあなたに「イエス」と光を差し込んでくる日が、
 いつか、必ずやってくるから。』(引用元:前掲書)

新型コロナウィルス感染拡大で不安と恐れが蔓延する日々、
誰しもが喪失感や閉塞感に陥り、不信や焦燥の念を抱きがちですが、
人生に期待できなくても、人生の側があなたに期待していて、
未来を信じられなくても、未来の側があなたを信じて待っている。
「何か」があなたを待っている。
「誰か」があなたを待っている。

フランクル思想の世界が、他の思想や哲学と一線を画するのは、
ユダヤ人大量虐殺の現場で篩にかけられ鍛えられた思想であり、
机上の空論ではないというところ。
フランクル思想の世界と、それを説く諸富先生の言葉は、
今あらためて心に刻みたいメッセージと思います。


              







Life goes on. 4

2020-05-03 16:01:33 | 音楽
「ショウちゃ~ん!」
近隣住民の方々からは、そう呼ばれています。

“ いま人間世界は大変みたいだニャア・・・”


“ では・・・ひとつ癒してあげちゃおっかニャア ”

ショウちゃん、ありがとう。

               

地球は北極が〈S極〉、南極が〈N極〉という巨大な磁性体であり、
地球上の各地には、各種各様の地磁気が流れていると言われ、
渡り鳥・ミツバチ・サケなどの生物は、
そうした地球の地磁気を利用しながら生きていると聞きます。

先年、東京大学とカリフォルニア工科大学の共同研究チームが、
従来までは“ 人間には無い ”とされてきた地磁気を感じる能力が、
実は人間も持っているということが分かった、と発表しました。

行われた実験の内容は煩瑣に過ぎて、私には書き得ませんが、
研究チームの東京大学・准教授、真渓歩(またにあゆむ)先生は、

「人間に未知の第六感があることが確認された。
 これを意識的に利用することは非常に難しいが、
 今後さらに詳しく調べて探っていきたい。」

と話されています。
(引用元などの詳細は遺失して手元にありませんが、
 各種報道で取り上げられた内容であり、当時何度も読み直し、
 ノートに書き写した部分を書かせて頂きました。)

先行き不安にして不透明な現況であればこそ、
私たち自身に備わる「未知の第六感」というものを信じ、
「これを意識的に利用することは非常に難しい」ものの、
地球の地磁気が、脳活動に何らかの作用を及ぼすと仮定し、
内界に震える〈心のコンパス〉が指し示す方角を探ってみる・・・、
つまりは、自らの正直な心の声に耳を澄ますという作業も、
“ STAY HOME ”の一環として意義あることのように思えます。

               

Life goes on. 4


使用楽曲は先週の動画“ Life goes on. 3 ”でお聴き頂きました、
「20世紀ララバイ」(1999年作曲)の後半部分であります。
約20年前に作った楽曲なれば恥ずかしい部分も多々ありますが、
お聴き頂けましたら幸いに存じます。

動画中に2回ほど登場する、こちらの大きな樹は栗の樹で、

毎年スズメバチが棲み家としていて、おいそれとは近づけません。
ある一定の距離を侵すと、途端に激しい威嚇と攻撃を受けます。

いま人間世界は“ social distance ”を掲げていますが、
そもそも自然界には“ natural distance ”というものがあり、
通勤・通学を始めとする混雑は、自然物であるヒトにとっては、
極めて不自然かつ非自然であることが想われ、コロナ禍終息の後、
またしても、あの乗車率150%の混雑が甦るのか、と思いますと、
いささか複雑な気持ちに捉われます。

皆様、くれぐれも御自愛下さい!


              








Life goes on 3

2020-04-26 15:50:33 | 音楽
新型コロナウィルス感染防止の為、オンライン業務・テレワーク等、
在宅で勤務なさっている方々がおられる一方、
医療・警察消防・公共交通・銀行・物流・社会インフラ等に携わり、
どうしても出社・出勤せざるを得ない方々もおられます。
日々の暮らしにに近いところでは、
薬局やスーパーでレジ打ち業務に就かれている方々も又、
休むに休めないお立場の方々かと思います。
レジ台にビニール膜を張り、Social Distanceを保ったとしても、
「接する」ということにおいては大勢の買い物客と接するわけで、
感染リスクに曝されながらの業務には、
大きなストレスを感じておられることとお察しします。

平常時は、当たり前のように買い物をしておりましたが、
非常時に置かれてみますと、当たり前のことなど何ひとつ無く、
「当たり前」が、どれほど「有り難い」ことかを身に染みて感じ、
日頃の我が身が、いかに〈感謝の心〉を忘れていたか、
そのことを思い知らされる毎日であります。

               

ハタチの青年がいて、その青年が、ある人にこう言います。
「人生に絶望したので死のうと思います」と。
その苦悩を告げられた人は、
「それはあなたの自由だ」とした上で、青年に向けて語ります。

あなたは、20年前に人間の子供として、この世に生を受けた。
その子供を産道から取り上げた人、へその緒を切った人、
へその緒を切る医療用ハサミを作った人、そのハサミを運んだ人、
そのハサミの原材料となる鉱物を採掘した人、
その子供に当てる紙オムツを作った人、紙オムツを運んだ人、
その紙オムツの原材料となるパルプを製造した人、
その子供の離乳食の原材料を育てた人、食品に加工した人、
皿・コップ・スプーンから住居や家具、水道・ガス・電気、
日々に手足を通した衣類の全て、目にした言葉・文字・絵画の全て、
耳にした音楽の全て、あなたを支え、通り過ぎたものの全ては、
みな誰かの手によって作られ、誰かの労力によって生まれたもの。

このように考え試算してみる・・・すると、
一人の人間が産声を上げてから、およそ二十歳の成人に達するまで、
その一つの命に何らかの形で関わった人々の数は、
少なく見積もっても〈5000万人〉。

「あなたは、その5000万人の一人一人に会って、
 感謝の意を伝え、そして自ら命を絶つことを詫び、
 そのことを了承してもらわなければならない。
 死ぬのは、それからだ。」

青年は、自ら命を断つことをあきらめます。
巷間よく語られることのある、一種の箴言でありますが、
私自身は、件の青年と同じハタチ前後の頃にこの話を聴き、
自分は自分の力で生きているように思っていたけれど、
それは思い違いであったこと、
「当たり前」に在るように見える事物・事象も、
けっして「当たり前」には存在し得ないこと、
どこかとどこか、誰かと誰かは繋がっていること等々、
何かこう背筋を正されるような感覚に打たれました。

               

愛知専門尼僧堂の青山俊董師は、
一つの命は、138億年の時間と空間の賜物であり、
長大な時空において、いかなる物理現象の一つでも欠けていたら、
アナタもワタシも存在し得なかったとして、
たった一つの命が成立するにも、

「宇宙総がかり」

と説いておられます。

“ 一つの命に集う5000万人のチカラ ”
“ 一つの命を在らしめる宇宙総がかり ”

現象を現象たらしめている無数の現象。
存在の背後に隠れている無数の存在。
事象の背景に秘められている無数の事象。

新型コロナウイルスの感染拡大に怯える不安な日々は、
不安であるがゆえに、普段は余り考えないそうしたものに、
自ずと意識が向き、想いを寄せる日々でもあります。

Life goes on 3

動画内の音楽は、
1999年に作曲しました“ 20世紀ララバイ ”なる楽曲の冒頭部。
映像は、漫然と撮り溜めている〈気ノ池・気の森〉の風景です。

皆様、御体調等くれぐれもお気をつけ下さい!


              








気ノ池・気ノ森の風光二編

2020-04-19 14:18:07 | 音楽
紫陽花の若葉の上に、桜の花びらが落ちていました。

桜から渡された、季節のバトンを受け継いで、
今年の紫陽花は又、どのような花を咲かせるのでしょうか。

               

以前にも書かせて頂いたことですが、
折に触れて当ブログに登場する池と森は、
江戸期に作られた灌漑用水池とその周辺の森のことで、
古くから冠せられた公的な地名を下敷きとして、
私は〈気ノ池・気ノ森〉と呼んでいます。

市街地に隣接する池と森ながら、
私自身にとっては、大小様々な気付きを授かる〈場〉、
オノレの弱さ・至らなさ・愚かしさを自覚する〈場〉、
ある意味〈道場〉・・・

と、恥ずかしげもなく〈道場〉などと思い定めている辺り、
既にして愚かしい感じがしないでもありませんが、それはともかく、
当地へ転居してまいりました当初は、
池の水・水面の波紋・水鳥や野鳥・ウシガエル・昆虫・樹林の数々・
変化する雨と風・ゆれ動く光と影・どこからか聴こえる不思議な音、
そうした事物・事象の全てに、私という人間を量られているようで、
水辺を歩くにつけ、森に入るにつけ、何となく緊張感を覚え、
水にも樹々にも受け入れられていないなぁという感覚がつきまとい、
土地と自分との間に隔たりが有ることを感じたものでありました。

それから3年、
虫に刺され、蜘蛛の巣に絡み、木の根に足を取られては転びつつも、
四季折々に飛来する野鳥の種類を、その鳴き声で知り、
春夏秋冬に移ろう一木一草と触れ合い、語らい、耳を澄ます内に、
いつしか緊張は解け、感じていた隔たりや疎外感も消え失せました。
つまりは、水に親しみ、森に馴染んだ・・・ということであります。

〈気ノ池・気ノ森〉の風光二編。
ごく短い動画ではありますが、ご視聴頂けましたら幸いに存じます。

気ノ森 ~ 桜 ~

ソプラノ:家城涼子   音楽:早川太海
2007年放送のTBS系「世界遺産」特番用楽曲を改変使用。


気ノ森 ~ 新緑 ~

演奏者等、桜編に同じ。

そもそも人気(ひとけ)の少ない池水緑地帯であることに加え、
人のいない場所と時間帯に訪れることを旨としておりますが、
新型コロナウイルスの感染防止を勘案し、撮り歩くことを控え、
動画内映像の多くには、昨年来撮り溜めたものを使用しました。
「新緑編」には、新緑の頃とは異なる時期の映像も挟んでいます。

               

中世ペスト禍の後には、
人間ひとりひとりが持つ精神と尊厳の大切さが説かれ、
“ 人間復興・ルネッサンス ”の潮流が生まれたと言われ、
また約百年前に猛威を揮ったスペイン風邪(インフルエンザ)では、
日本国内だけで4000万人が罹患し、死者は38万人に上りましたが、
この病災を機に公衆衛生学とその実践の道が開いたとも伝わります。

危機的状況が、新しい変化・変革を起こし、
窮迫的事態が、価値ある発見を生むことは歴史が物語るところ。

〈淮南子〉には『人間万事塞翁が馬』
〈史記〉には『禍福は、糾(あざな)える縄の如し』
〈易経〉には『窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず』

と記されていますが、そうであるとするならば、
苦難や困窮によって変わらざるを得ない強制的変化であっても、
「変ずれば」思わぬところへ「通ず」るのかも知れません。

出口の見えない閉塞状況にも必ず何らかの意味があるものと信じ、
やがて希望の光が射し込むことを切に祈ります。