日本では実社会において、左翼的な発言はしやすい一方、その左翼を批判する発言をすると右翼、国粋主義者、差別主義者などのレッテルを貼られるという恐怖心があり、しにくい空気があります。つまり言論の世界は左翼が支配しているのです。
そのように支配しているということは、左翼は現在の日本人の中で多数派なのでしょうか?
違いますね。国政選挙の選挙結果を見れば分かります。共産党、社民党などの左翼政党の議席の割合はごくわずか。自民党より左寄りで前に政権を取っていた民主党も惨敗。以前に民主党が勝利した際も、国民が期待したのは年金や政治の無駄、公務員制度改革であって、民主党の左翼的な外交を期待した訳ではありませんでした。左翼的な日本人はむしろ少数派だと言えるでしょう。
なぜ、少数派が言論を支配しているのでしょうか?
考えてみればこれは学級での「いじめ」と同じほぼ構図です。
以前もいじめ問題でお話したように、元々いじめの中心人物はわずか数名。しかもいじめが始まった頃は、クラスの大半は「いじめは良くない」と考えているという調査結果があります。それが時間の経過と共に、「いじめは良くない」と考えていた多数派はいじめの傍観者となり、いじめを助長するようになってしまう。
この間に多数派に何があったかと言うと、最初「いじめは良くない」と思っていたので、できれば抗議したいと思っている人も多い。しかしここからが重要です。日本人特有のマイナス思考によって、「自分が抗議しても誰も賛同しないのではないだろうか?すると自分もいじめられるのでは?」という思考回路となり、皆が抗議せずに黙っている。
すると、時間の経過と共に、「よくない」と思っているのに、見て見ぬふりをしている自分に罪悪感を生じる。その罪悪感に耐えられなくなり、「いじめられる方が悪いんだ」と「逃げ」の思考回路に陥ってしまう。こうして「いじめ」は完成する。
一番鍵になるのは、既に述べたように
<日本人特有のマイナス思考によって、「自分が抗議しても誰も賛同しないのではないだろうか?すると自分もいじめられるのでは?」という思考回路となり、皆が抗議せずに黙っている。>
の部分です。なぜなら、この段階で皆が抗議すれば、多数派なのですから、少数のいじめっ子に勝てるはずなのです。にもかかわらず、慎重で臆病で繊細なマイナス思考のために、結局少数の連中の言いなりになってしまう。
この構図はまさに、日本の言論界を左翼が支配しているのと似ています。
皆が勇気を持って発言できれば問題なかったところ、誰も言えないでいるうちに、図々しい少数派に牛耳られてしまう(少数派であってもマスコミという情報発信手段を握っているのも大きい)。左翼と隣国人はまさに日本人のその弱点を突いてきているのです。
ただ選挙は違います。誰に投票したかがバレない秘密選挙なのでいじめる側に投票しない人が多い。しかし他人の目がある実社会では、いじめられるのが嫌だからいじめる側に媚びる発言をしてしまう。
近年は選挙だけでなく、幸いネットの普及によって、いじめられっ子同士がいじめっ子に身元をバレずに情報を共有できるようになり、いじめっ子に対する批判などがしやすくなりました。それでも未だに実社会でいじめっ子批判はできないような萎縮した窮屈な空気が漂っています。
これを打破するためには、個々の勇気が必要ですが、その前に、
「左翼や隣国はいじめっ子である」
という事実を確認することが先決ではないかと思います。
彼らはいじめっ子でありながらいじめられっ子を装っています。
しかしまずそこから反論していくのが先です。
左翼批判をしている人の中には、自分がいじめられていることを認めたがらない人が多いような気がしますが、そんなプライドを捨てられないと、汚い左翼や隣国人には勝てません。
現在、ネットを中心に左翼批判が行われているからこそ、左翼はネットを毛嫌いする。つまり左翼はもっと「いじめ」を続けたい訳です。そういう左翼のいじめをこれ以上許してはならない。そのためには我々のあらゆる意識改革が必要です。
そのように支配しているということは、左翼は現在の日本人の中で多数派なのでしょうか?
違いますね。国政選挙の選挙結果を見れば分かります。共産党、社民党などの左翼政党の議席の割合はごくわずか。自民党より左寄りで前に政権を取っていた民主党も惨敗。以前に民主党が勝利した際も、国民が期待したのは年金や政治の無駄、公務員制度改革であって、民主党の左翼的な外交を期待した訳ではありませんでした。左翼的な日本人はむしろ少数派だと言えるでしょう。
なぜ、少数派が言論を支配しているのでしょうか?
考えてみればこれは学級での「いじめ」と同じほぼ構図です。
以前もいじめ問題でお話したように、元々いじめの中心人物はわずか数名。しかもいじめが始まった頃は、クラスの大半は「いじめは良くない」と考えているという調査結果があります。それが時間の経過と共に、「いじめは良くない」と考えていた多数派はいじめの傍観者となり、いじめを助長するようになってしまう。
この間に多数派に何があったかと言うと、最初「いじめは良くない」と思っていたので、できれば抗議したいと思っている人も多い。しかしここからが重要です。日本人特有のマイナス思考によって、「自分が抗議しても誰も賛同しないのではないだろうか?すると自分もいじめられるのでは?」という思考回路となり、皆が抗議せずに黙っている。
すると、時間の経過と共に、「よくない」と思っているのに、見て見ぬふりをしている自分に罪悪感を生じる。その罪悪感に耐えられなくなり、「いじめられる方が悪いんだ」と「逃げ」の思考回路に陥ってしまう。こうして「いじめ」は完成する。
一番鍵になるのは、既に述べたように
<日本人特有のマイナス思考によって、「自分が抗議しても誰も賛同しないのではないだろうか?すると自分もいじめられるのでは?」という思考回路となり、皆が抗議せずに黙っている。>
の部分です。なぜなら、この段階で皆が抗議すれば、多数派なのですから、少数のいじめっ子に勝てるはずなのです。にもかかわらず、慎重で臆病で繊細なマイナス思考のために、結局少数の連中の言いなりになってしまう。
この構図はまさに、日本の言論界を左翼が支配しているのと似ています。
皆が勇気を持って発言できれば問題なかったところ、誰も言えないでいるうちに、図々しい少数派に牛耳られてしまう(少数派であってもマスコミという情報発信手段を握っているのも大きい)。左翼と隣国人はまさに日本人のその弱点を突いてきているのです。
ただ選挙は違います。誰に投票したかがバレない秘密選挙なのでいじめる側に投票しない人が多い。しかし他人の目がある実社会では、いじめられるのが嫌だからいじめる側に媚びる発言をしてしまう。
近年は選挙だけでなく、幸いネットの普及によって、いじめられっ子同士がいじめっ子に身元をバレずに情報を共有できるようになり、いじめっ子に対する批判などがしやすくなりました。それでも未だに実社会でいじめっ子批判はできないような萎縮した窮屈な空気が漂っています。
これを打破するためには、個々の勇気が必要ですが、その前に、
「左翼や隣国はいじめっ子である」
という事実を確認することが先決ではないかと思います。
彼らはいじめっ子でありながらいじめられっ子を装っています。
しかしまずそこから反論していくのが先です。
左翼批判をしている人の中には、自分がいじめられていることを認めたがらない人が多いような気がしますが、そんなプライドを捨てられないと、汚い左翼や隣国人には勝てません。
現在、ネットを中心に左翼批判が行われているからこそ、左翼はネットを毛嫌いする。つまり左翼はもっと「いじめ」を続けたい訳です。そういう左翼のいじめをこれ以上許してはならない。そのためには我々のあらゆる意識改革が必要です。
左翼の本来の意味である、共産主義者や社会主義者、アナーキストは、太一さんが仰る様に日本では少ないと思います。
原理主義的なサヨクも同様です。
あと、僕が思うに、サヨクや外国勢力は、太一さんが指摘される虐めの構図に加え、「今保持している既得権や、目先の利益(私益)を死守したい」という人間心理、欲望に付け込んだ戦略を展開していると思います。
態々、飴を拒絶したり、ぬるま湯から抜け出したり、自分の身包みを剥がしたい人間は、そうそう居ないでしょうから。
マスメディアの分野で一例を挙げると…。
電通等の広告代理店や、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等が協力して作り上げた韓流ブーム。
この韓流ブームに乗っかり、CS放送では数々の韓流ドラマ専門チャンネルが開局。
また、日本のテレビ局やドラマ制作会社、コンテンツ販売企業と、韓国政府が出資している会社が共同で、ドラマ制作ファンドを立ち上げられました。
(日韓メディア関連企業、ドラマ制作支援の投資ファンド創設へ http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD280GO_Y1A720C1TJ1000/)
この様に、日本の言論空間を支配し、尚且つ膨大な既得権が根強く存在するマスコミ業界に食い入り、新たな既得権、金のなる木を作る。
そういう形でマスコミ業界や財界を篭絡する事により、韓国(外国勢力)は自分達への批判を封じ込めるだけでなく、自分達にとって都合のいい言論空間を日本に形成させようとしています。
日本の戦後における左派勢力も、同じ様な戦略・戦術を使い、様々な分野に付け入り、そして日本の言論空間全体に多大なる悪影響を与えてきました。
本来、自国を悪く言って他国に媚びるような言論は嫌われるはずですが、なぜそれが簡単に支配できるのか。
もちろん韓国や左翼の熱心さ、努力もあったのは認めますが、それだけでは達成できないと思います。
その原因はやはり、日本人の他国の目を病的に気にする特性、事なかれ主義、格好付け体質などが大きく影響していると思いますね。
>日本人の他国の目を病的に気にする特性、事なかれ主義、格好付け体質などが大きく影響していると思いますね。
日本が明らかに他国の支配下になったのは、大東亜戦争敗戦後のGHQ占領時ぐらいですから、外国人との接し方や、外国人の裏の顔、大陸に住む人々の性質、領土の大切さ等を殆ど理解していません。
そこへ持ってきて、島国、村社会で平穏に暮らす生き方が染み渡っている訳ですから、酷い有様です。
僕が前述した、目先の益や、立場を死守しようとする心理もそうですが、長年に渉って培われてきた、日本人の民族性におけるマイナス面の影響は計り知れません。
「戦前の日本人は違う」という指摘をする人もいます。
確かに戦前の日本人の感覚は今とはだいぶ違うと思います。
ただおそらく、敗戦という一度の大きな挫折で全てを失いやすい国民性、
(大陸国のように勝ったり負けたりの免疫がない)
一気に雪崩のように左翼や綺麗ごとに寝返る国民性などが、
戦後のこのどうしようもない国民性を作ったんでしょう。
>「戦前の日本人は違う」という指摘をする人もいます。
うちの父も、以前その点を指摘していたのですが、父の場合、その戦前の感覚(異論を排除したがる全体主義的傾向)が異常であり、現代に生きる日本人こそ、本来の日本人だと言っていました…。
>確かに戦前の日本人の感覚は今とはだいぶ違うと思います。
日本人の感覚、行動様式の著しい変化は、弥生時代(大陸からの渡来人移住)や、明治時代にも起こっています。
弥生時代に起きた変化の場合…。
南方に住む民族の様に、比較的穏やかで、争いを忌避する気質を持っていた縄文人(日本列島に先住していた人々)を押し退ける様に、大陸から移住してきた渡来人が、耕作等の技術を伝え、統治に必要な組織を作り出しました。
一説によると、大陸から移住してきた渡来人の多くは北方系で、北方の寒くて厳しい環境で皆が生き残る為に、一定のルールを設けたり、組織という枠組みを作る等、戦略的な民族性が根付いていた様です。
また、渡来人は大陸・北方の厳しい環境で暮らしていたが故に、戦闘的な性格も形成されていました。
なので、結果的に渡来人は、社会の枠組みのみならず、戦闘・闘争も日本列島に持ち込む形となりました。
上記の様に、社会システムの構築、戦闘行為の流入、そして縄文人と大陸・北方系民族との交雑・同化により、それまで日本列島に暮らしていた日本人の気質とは異なる、新たな気質が育まれ始めました。
(縄文人的気質でも生きる上では何ら問題ないと思いますが、社会として発展していく上では弥生人・渡来人的気質がやはり重要になってくるのでしょう。)
因みに、アジア北東部に住んでいた騎馬民族が、朝鮮半島を経由し日本列島に移住したことにより、天皇が誕生したり(所謂、騎馬民族説)、稲作文化が持ち込まれたという話が、現在の日本では通説とされ、朝鮮半島との友好関係構築を主張する人々がこの通説に依拠しているのですが、朝鮮半島経由で渡来してきたとされる騎馬民族が、大和朝廷を築いたという明確な物的証拠は現在のところ存在しません。
(朝廷ではなく、文化面で言うと、「金剛」と名のつく寺院や地名、言葉が日本には存在していますが、これは、朝鮮半島に現存する金剛山という山と同様に、大陸の影響を受けたものだろうと思います。)
そもそも、当時朝鮮半島から渡ってきたとされる騎馬民族が、大和朝廷を築いたのだとしても、その騎馬民族と現在の朝鮮半島に住む人々が同じ民族とは限りません。
また、最近になってようやく寒冷地に適応出来る稲が開発されたにも関わらず、弥生時代以前から朝鮮半島以北の地域で稲作が行われていたとは極めて考え辛く、稲作は南方から伝わってきたと考えるのが妥当だと思います。
そして後者の、明治期に起こった変化の場合…。
西洋化、欧米列強が齎した影響も然ることながら、江戸時代までは、日が昇れば起きて仕事をし、日が沈めば仕事を終えて床に就くという感じで、普段、余り気に掛ける事が無かった「時間」というものを、明治期以降の日本人は重要視し始め、現在の日本人は時間の正確さに重きを置いた生活をしています。
事実か否かは不明ですが、これも一説によると、明治天皇が全国を巡幸した際、天皇を出迎える現地の人々や関係者等が、粗相のないお出迎えをする為に、天皇陛下の到着日時を正確に把握する様に努めた事が切っ掛けで、日本人が時間の正確さに拘る様になったそうです。
上記2つの事を同列に扱うのは不適切でしょうが…、前者は、日本列島に土着していた縄文人基準で考えた場合、前者・後者とも目の前の現実、出来事に順応する形で、気質・生活様式の変化が起こっています。
(ただ、前者の場合、渡来人の流入が無ければ、自ら意識して生活様式を変える必要性はほぼ無いと思われますし、どの民族も、外的環境の変化に順応する生活をするのが普通でしょうが…。)
この様に、自発的に何かを行ったり、何かを変えたりするよりも、その場その場に順応する生き方を最も好むのが日本人であり、この大昔から引き継がれてきた性質というものは、非常に変え難い強固なものだと思われます。
(今更、同じ様な事ばかり述べてすみません…。)
上手い表現だと思います。
>今更、同じ様な事ばかり述べてすみません…
いえいえ、内容は近くても、それをどう言葉で表現するかが難しいと思います。
そういう意味で、かずさんはよく短い言葉でズバリとうまくまとめられることが多いので、参考になります。