「空気」に異議あり!

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リテラ(笑)の権威・権力の犬ぶりに絶句

2016-06-05 | マスコミと空気
<リテラ(笑)の権威・権力の犬ぶりに絶句>

当ブログでは、朝日その他新聞やテレビ局のような、主に「一般国民を洗脳すること」を目的に巧妙な情報操作を繰り返す大手メディアを中心に批判しています。危険性が高いからこそ、それが嘘八百だということを示していきたいからです。

一方で、一般国民が読んだ瞬間に軽蔑するような幼稚な記載をしているものも存在します。そのうちの1つがリテラです。以前にも述べましたが、当ブログではリテラ(笑)と呼称します。


報ステ、国谷のギャラクシー賞受賞でネトウヨ=安倍応援団が「偏向報道大賞」と攻撃! その権力の犬ぶりに絶句
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0604/ltr_160604_1477430362.html


まずタイトルにいきなり「ネトウヨ」などという差別レッテル用語を書く始末。
この時点でもはや記事でもないし、メディアとも呼べません。
単なる感情的で幼稚な罵言雑言です。

しかもこれ、今回だけたまたまだと思ったら大間違いです。
毎回のようにこの差別レッテル用語を繰り返し書いているんです。
別に特に愚かな記事を1つ抜粋した訳ではないんです。毎回この次元というか、もっと酷いのも数多く存在するくらいです。

一般市民をひたすら差別し攻撃するものが、メディアと呼べますか?
まさに狂った差別主義者そのものです。

軽蔑してもしきれないし、失笑してもしきれない程の存在ですね。


そしてもう1つ驚くべきことは、こんな差別丸出しの罵言雑言を、ポータルサイトでありながら掲載しているbiglobeの見識のなさ。
恥ずかしくないんでしょうか?


それから、その内容も100%的外れというか、完全に180度逆のことを言っています。
奴等がネトウヨとレッテルを貼って差別する対象は、おそらくネットを中心にメディアを批判している一般市民のことでしょうが、そうした一般市民は実社会で巨大メディアによって言論の自由を委縮させられ、ネットで巨大権力に対して抵抗している、まさに「反権力」を絵に書いたような人達です。

またこの件で言えばその一般市民たちは、ギャラクシー賞などという、「権威」らしきものを批判している訳です。

つまりリテラ(笑)が差別迫害しようとしている一般市民は、「反権力」「反権威」な訳です。
一方、巨大メディア権力のファシズム支配に都合の悪い批判者を差別し、ひたすら攻撃し、弾圧しようとするリテラ(笑)こそが、権力の犬であり、権威の犬であることは、どこをどう見ても明白です。


このリテラ(笑)がその暴言を読ませたい対象は、自分達(ネットで「パヨク」などと呼ばれている幼稚な層)と、あと自分達に批判的な市民。それだけが対象でしょう。都合の悪い相手を罵倒して自分達の溜飲を下げるオナニーと、弾圧したい市民にたいして直接暴言を吐き、不快な気持ちにさせることだけを目的にしている。

朝日やテレビ局などの巨大メディアは、「どちらにも属さない大多数の家畜国民」を洗脳することも大きな目的にしているため、見出しに気を付けていることが多い訳ですが、そういう「目的」もなく、リテラ(笑)はただ敵に暴言を吐いて不快にさせ、自分達がオナニーする、というだけのことを繰り返しています。

つまり巨大メディアは、内心では幼稚な言葉を使って罵倒したくでも、何とか信用を失わないために、表向きは社会人として最低限のマナーを守るふりをしている一方、リテラ(笑)はそのむき出しで幼稚な本音をそのまま口汚く発散するという、社会人として、いや普通の人間としての最低限のラインをとっくに踏み外している訳です。幼稚園児でもある程度は我慢するでしょう。リテラ(笑)はそれ以下の精神年齢です。

「しばき隊のネット版」という感じですね。荒れ狂うネオナチそのものです。


前に津田大介がツイッターでリテラ(笑)を引用したら、すぐに「それを引用したら信用が一気に落ちますよ」と批判されていました。もはや津田に信用も何もない訳ですが、かつては一応中立ぶったりしていた人間も、これを引用した途端にこれまで形だけでも保ってきたものが全て台無しになる、という次元のものですね、リテラ(笑)は。


<権威主義の愚かさとチャップリンの対比>

かのチャップリンが、最初にアカデミー賞を獲得した際、そのオスカー像を無造作に、自宅のドアを止める道具として使っていたそうです。チャップリンは、

「少数の人間が決めた賞など価値はない。私は大衆の支持を得たい」

と言ったそうです。


私はあらゆる「賞」の類に、あまり価値を置きません。アカデミー賞もノーベル賞も皆、少数者が内輪の論理で決めたもので、それで世の中の「価値感」を少数者の思うままに決めようとし、大多数の一般大衆に押し付けようとする傾向には、常に批判的に見ています。

多くの人は、そうした賞を得ることで、「権威」を得ることができるから、物凄く喜び、大衆の支持以上に権威の賞を得たがる人も多いくらいです。特に日本の有名人には多い気がします。それもなぜか白人の賞ばかりなのは、有色人種に対する人種差別意識が強いのでしょう。

それに引き換え、チャップリンの対応は、まさに本質を見極めた見事なものです。
大衆なら信用できる、というものではありませんが、少なくても閉鎖的な少数者による権威よりは、多様な視点が存在することだけは間違いありません。

チャップリンと言えば、反戦平和を訴えた左翼系の人物と見なされています。それは事実かも知れませんが、ただ少なくても、「今日の日本の左翼系」とは全く逆です。

なぜなら、チャップリンはその主張によって、一度ハリウッドを追放されているからです。追放されるようなことを主張したのは、「反権力」である証拠です。

一方日本の左翼系は逆に「追放する側」、つまり「権力」側です。彼らは巨大メディアや学会や司法を支配し、都合の悪い発言をする人を追放するファシズム権力を有しています。
どこをどう見ても、100%「権力」です。


私はチャップリンを100%支持している訳ではありませんし、むしろ批判的に見ている側面もありますが、彼がその時本当に反権力を貫き、権威主義に陥らなかったという意味では、やはり筋の通った人物だと認めざるを得ません。


アカデミー賞やノーベル賞などの世界の賞も信用に値しませんが、特に狭い世界に引き籠って内輪の論理に走り易い日本の賞は、さらに閉鎖的で、全く信用に値しません。

以下はかずさんによる、ギャラクシー賞と放送批評懇談会に関する記載ですが、まさに閉鎖的な内輪の論理で自作自演を繰り返し、その価値観を一般市民に押し付けようとしている。


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ギャラクシー賞って要は米国のピューリッツァー賞を真似た劣化版であり、ギャラクシー賞を主催する放送批評懇談会は、放送局が金を出し、放送権力の犬どもが審議委員に名を連ねるBPOと全く同じです。

『放送批評懇談会(英文表記:ASSOCIATION OF BROADCAST CRITICS 略称:放懇)は、1963年(昭和38年)、「放送に関する批評活動を通じて、放送文化の振興を図り、放送の発展に寄与すること」を目的として、放送評論家、メディア研究者などが設立した自主独立の団体です。
 任意団体として活動してきましたが、2005年5月2日付けで、特定非営利活動法人(NPO)となりました。
 デジタル化で放送の環境が激変している時代のなかで、放送と視聴者市民を結ぶ橋渡しとしての仕事を充実させたいと考えています。
 現在、放送批評懇談会の「正会員」は、放送評論家、メディア研究者、ジャーナリスト、放送局OB・OGなどを中心に200名近くを数えます。NPOへの切り替えを期に、視聴者・市民のみなさんのさらなる参加を期待するところです。
 また、放送局、制作会社をはじめ放送関係団体や企業に「維持会員」となっていただいており、その数は100社・団体を超えています。
 会の運営は、維持会員の会費を柱に、会の自主事業からの収入(「GALAC」の広告収入・売り上げ、ギャラクシー賞の参加料、シンポジウムの参加料その他)、正会員の会費などで支えられています。』
http://www.houkon.jp/houkon/index.html
 
 
正会員・名誉会員
http://www.houkon.jp/houkon/member_sei.html
維持会員(一部の制作会社&芸能プロダクションと多数の放送局)
http://www.houkon.jp/houkon/member_iji.html
 
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こんなものを盾に、批判する市民を差別攻撃するリテラ(笑)が、ますます

「権威・権力の犬」

であることは明白です。




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