朝を迎えました。
散らかった家の中は、足の踏み場もないほどになりました。
本棚は倒れ、クロゼットの扉はあき、中の段ボールが崩れ落ちる寸前。
何をしたらいいのかわからなかったけれど、片付けたりしていました。
その間も余震が続き、何度も何度も怖い思いをしました。
ケータイは相変わらずつながりにくい状態がつづいていました。
それでも、メールボックスには、友人や家族からの安否を心配するメールが届いていました。
ヘリコプターが何往復も、何往復も飛びます。
ご遺体を搬送するためです…。
朝早くから、暗くなるまでずっとずっと往復しています。
今でもヘリの音を聞くたびに怖い気持ちになります。
わたしが住んでいるところは、わりと早く電気がとおりました。
(それは、大きな遺体安置所があったから、と言われています。
ご家族がご遺体との対面(確認)をするために…)
電気がとおったので、ご飯が炊けるようになりました。
ごはんを炊いては、おにぎりを握り続けました。
今でもおにぎりを握るたび、その時のことを思い出します。
テレビが見れるようになって、目に映ったものは沿岸部の津波の被害でした。
親戚の家も津波で全壊になりました。
友人の家に石油ストーブを貸しにでかけたのですが、
泥だらけの町。道路のいたるところに流されたクルマ。
そのクルマの上にクルマ。さらにその上にクルマ。
駐車場にもたくさんのクルマが流れ着いている。
歩道に打ち上げられた船。
ヘドロと瓦礫だらけになった田んぼ。
水没している道路。
おびただしい台数の消防車…
(ガスタンクが爆発・炎上していた)
昼なのに煙で空は暗く、臭いもすごい…。
あぁ………
言葉にならないよ。
毎日流れる悲しいニュース。
テレビから目が離せなくなりました。
それに加えて福島の原発…。
日本は、東北はどうなってしまうのか、と本気でおびえていました。
それからは、
トイレのタンクに入れるための水を確保するため、川に行ったり、
発電機を稼働させるために義父と夫が奮闘したり、
近所の方と食べ物を分け合ったり、炊き出しの列に並んだり、
買い物をするのにも、2~3時間並ぶのは当たり前。
お店によっては、一人10点まで、とか制限もありました。
「今日は●●スーパーが開店するみたいですよ」という情報交換をするのが
日課になりました。
ガソリンを入れるのに5~6時間並んだことも。
一生懸命に過ごしていたとおもいます。
必死だった。
だって何かしていないと、滅入ってしまいそうだったから。
四六時中来る余震に怯えて、眠れない日々。
夜が来るのが怖くて、ばんごはんを食べたあとは、
ガクッと落ち込んでいました。
お風呂も入れないので、ごはんを食べたらあとは寝るだけ。
いつまた大きな地震がくるかわからないので、
すぐに逃げることができるように、
服のまま眠っていました。
すぐそばにはスノボ用のウエア。
毎日くるしくて、人に頼ることもできなくて、ちょっと無理してがんばってた。
泣きごとなんて言えないって思ってた。
津波で、たくさんの人が犠牲になっているのに、
家が流されて、不便な避難所で生活している人もいるのに、
わたしは恵まれてるって思ってたから。
もっとツライ想いをしている人が、大勢いるのを理解してたから。
あぁ……ちょっとキツくなってきた。
一気に書きすぎると、感情が止まらなくなってしまいそう。
また後日。
散らかった家の中は、足の踏み場もないほどになりました。
本棚は倒れ、クロゼットの扉はあき、中の段ボールが崩れ落ちる寸前。
何をしたらいいのかわからなかったけれど、片付けたりしていました。
その間も余震が続き、何度も何度も怖い思いをしました。
ケータイは相変わらずつながりにくい状態がつづいていました。
それでも、メールボックスには、友人や家族からの安否を心配するメールが届いていました。
ヘリコプターが何往復も、何往復も飛びます。
ご遺体を搬送するためです…。
朝早くから、暗くなるまでずっとずっと往復しています。
今でもヘリの音を聞くたびに怖い気持ちになります。
わたしが住んでいるところは、わりと早く電気がとおりました。
(それは、大きな遺体安置所があったから、と言われています。
ご家族がご遺体との対面(確認)をするために…)
電気がとおったので、ご飯が炊けるようになりました。
ごはんを炊いては、おにぎりを握り続けました。
今でもおにぎりを握るたび、その時のことを思い出します。
テレビが見れるようになって、目に映ったものは沿岸部の津波の被害でした。
親戚の家も津波で全壊になりました。
友人の家に石油ストーブを貸しにでかけたのですが、
泥だらけの町。道路のいたるところに流されたクルマ。
そのクルマの上にクルマ。さらにその上にクルマ。
駐車場にもたくさんのクルマが流れ着いている。
歩道に打ち上げられた船。
ヘドロと瓦礫だらけになった田んぼ。
水没している道路。
おびただしい台数の消防車…
(ガスタンクが爆発・炎上していた)
昼なのに煙で空は暗く、臭いもすごい…。
あぁ………
言葉にならないよ。
毎日流れる悲しいニュース。
テレビから目が離せなくなりました。
それに加えて福島の原発…。
日本は、東北はどうなってしまうのか、と本気でおびえていました。
それからは、
トイレのタンクに入れるための水を確保するため、川に行ったり、
発電機を稼働させるために義父と夫が奮闘したり、
近所の方と食べ物を分け合ったり、炊き出しの列に並んだり、
買い物をするのにも、2~3時間並ぶのは当たり前。
お店によっては、一人10点まで、とか制限もありました。
「今日は●●スーパーが開店するみたいですよ」という情報交換をするのが
日課になりました。
ガソリンを入れるのに5~6時間並んだことも。
一生懸命に過ごしていたとおもいます。
必死だった。
だって何かしていないと、滅入ってしまいそうだったから。
四六時中来る余震に怯えて、眠れない日々。
夜が来るのが怖くて、ばんごはんを食べたあとは、
ガクッと落ち込んでいました。
お風呂も入れないので、ごはんを食べたらあとは寝るだけ。
いつまた大きな地震がくるかわからないので、
すぐに逃げることができるように、
服のまま眠っていました。
すぐそばにはスノボ用のウエア。
毎日くるしくて、人に頼ることもできなくて、ちょっと無理してがんばってた。
泣きごとなんて言えないって思ってた。
津波で、たくさんの人が犠牲になっているのに、
家が流されて、不便な避難所で生活している人もいるのに、
わたしは恵まれてるって思ってたから。
もっとツライ想いをしている人が、大勢いるのを理解してたから。
あぁ……ちょっとキツくなってきた。
一気に書きすぎると、感情が止まらなくなってしまいそう。
また後日。