MARUMUSHI

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『星ガ丘ワンダーランド』。

2016-03-13 14:47:20 | 映画日記
『星ガ丘ワンダーランド』を観てきた。
正直、後半の展開になるまでのっぺりとした話が続くので少し退屈。
でも、終わりごろから怒涛のようにさまざまな事実が出てくる過程は面白い。
人の記憶そのものだと感じるから。

子供の頃の記憶。
良しにつけ悪しきにつけ、小さな頃の記憶というのは朧げながら残っている物がある。
それは本当に微かだから、所々が抜けていたり間違っていたりする。当たり前だ、小さな頃の脳みそと今の脳みそは違う動きをしているはずだから。
僕の経験からすると、その記憶が残っているのは、感情が大きく動いたときの前後だ、という気がする。
強く楽しいと感じたり、悲しいと感じたりするとき。人はそれを記憶する。でも脳みそはその感情に引きずられてしまって記憶を間違って書いてしまう。あるいは消してしまう。

彼は小さく寂れた駅の駅員。そこには小さく寂れていても沢山の遺失物が届く。一見ゴミにしかみえないその落し物たちは、本当にゴミとして捨てられていってしまう。
そして、母と別れた自分まで、いつのまにかゴミのように感じてしまっていたのかもしれない。
そして、ゴミのように捨てられた昔の遊園地。
星ガ丘ワンダーランド。

子供の頃の記憶。
断片的で、身勝手で、(これは大人になってもだけれど)一方的な記憶。メモリのフラグメント達。
だから、同じ場所にいても違う記憶がそこにはある。
「お前って、本っ当に母さんそっくりだよな。自分のことしか考えないんだからよ」
兄にいわれる彼。
兄は、少なくとも彼よりは、家族のことを考えていた。不器用だけれども父を亡くした後も父の思いを継ぎ、母のために動いていた。

星ガ丘ワンダーランド。
そこに自分の設計した灯を点す。

そしてその願いは、寸でのところで達せられた。何も出来ない彼の、兄によって。
兄の手で達せられたその願いは、父や母には届かない。
でも、それを見た人たちの心に仄かな明かりを灯し、記憶に少しは残るかもしれない。星ガ丘ワンダーランドの最後の仕事だったのだろう。

雪が積もりそれでも降りつづける、広野の一本道。
彼は遠くに母の背を見る。少しだけ振り返り、それでも迷いなく向こう側に歩いていく、彼の記憶の中の母。彼は母に対する想いを一言にこめて小さくつぶやく。
「さよなら」



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