『虐殺器官』を観てきた。
完成度がちょっと低い。。。
満足とは言いがたかった。
この作品は、伊藤計劃の作品の中では最も、ありえる世界、の話で、物語で使われている技術は今の世界でも実現されているものが多い。指紋認証、虹彩認証などは当たり前の技術になっているし、人体にGPSのような装置を組み込むなども性犯罪者などに埋め込むことがあるというのを聞いたことがある。自動操縦型の降下装置などは作ろうと思えばいくらでも作れるはずだ。
もちろん、クジラの筋肉を使ったバイオティクスは開発されていないかもしれないし、オーグといった目薬も存在していない。無いものもたくさんある。
でも、ありえない世界、ではない。
この映画の登場人物は、ジョン・ポールという最も平坦でありきたりな名前の人物以外、その顔は印象に残らなかった。クラヴィス・シェパード、ルツィア・シュクロウポヴァ、その他たくさんの登場人物がいたけれど覚えていない。
わざとそうしたのか、それともなのか。わからない。
大事なものを守るために、大事なものとそうでないものを分けるために人は殺し合う。
虐殺器官
本能が先か理性が先か。
どちらがどちらを産んだのか。
本能という排他的な生き方は、結局自分を滅ぼす。
理性という利他的な生き方は、言わずもがな、だ。
どちらかがかけても、人は社会を形成することはできない。両者は同時に人間の高次脳機能として太古から存在していたのだ。
ジョン・ポールはこの2つに揺さぶりをかけ、壊し、彼らとそうでないものを隔絶しようとした。おそらく、手段は何でも良かったはずだ。でも、揺さぶりを増幅し強固にさせていく過程を端折るためには、言葉はもっとも効果的で楽で、限定された対象だけに影響を発揮させることができた。
利己的な理由で、もっとも排除すべき対象を見つけた。
今、アメリカという国はテロに怯えている。
911以降、まさか、いやもしかして。という意識がずっとどこかに根付いている。日本でも重要なサミットなどが開催される場合、駅構内のゴミ箱が消える。
テロに怯えている。
トランプ大統領は特定の国からの門を閉め、日本の航空会社もそれに従った。
テロに怯えている。
なぜ、テロリズムが流行っているかというと、テロが起こる国があるからだ。テロを起こせば救われる国があるからだ。
テロに怯える国が内戦で滅びれば、きっとテロはなくなる。
たくさんの国が救われる。
英語は世界共通の言葉だ。
誰にでもつながる。
ジョン・ポール。
クラヴィス・シェパード。
彼らの言葉は、誰にも止められない。
虐殺器官が奏でる編成音楽。
”メイルストロム”の音が流れ始める。