MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『ノルウェイの森』。

2010-12-12 00:38:03 | 映画日記
『ノルウェイの森』を観てきた。

この原作である村上春樹の作品を読んだのは、中学三年の冬だった。よくよく覚えている。
印象的な赤と緑の上下二冊の本。
誰が買ったのか分からないけれど、本棚の片隅にあったのを何となく手にとって読んだ。
ザラザラとしていて、硬質な手触り。けれど、その感触とは裏腹に暖かさがあった。
そして、それまで読んだどんな本よりも、確かな質量を感じたのを覚えている。
すごく抽象的な感想だけど、それがこの本の感想だった。
悲しいとかそういう感情は一切なかった。


映画の感想としては、原作ほどの質量を感じることはなかった。
個人的には、頭の中でイメージしていた世界が映像になっていて驚いたけれど、なんだか物語の不連続さが気になって仕方なかった。
原作では間として成立している不連続さが、映像になった途端に違和感に変わった。



物語の最後の方で、”僕”とレイコさんと結ばれるシーンがある。
俺にはどうしてもこの行が消化しきれない。
どうして、そうなる必然性があったのか?
人はパンのみで生きるわけじゃない。つまり、必然性だけで生きているわけじゃない。
言い換えれば、冗長と言われるものになるんだろう。
この物語の”僕”は、シンプルに生きているようでとても冗長性に溢れた人物だ。
”僕”とレイコの関係は冗長性に属するものなんだろうか?
違う気がする。
どうやっても俺の中で収まりが悪い。

レイコは”僕”にとっての直子の代わりなのか?
それとも、レイコの現世に戻るための通過儀礼だったのか?



『武士の家計簿』。

2010-12-12 00:16:50 | 映画日記
『武士の家計簿』を観てきた。

力はないけれど、お家芸のそろばんを武器に、幕末を生き、家族を守った武士のお話。
武士といえば、丁髷に刀というイメージがどうしてもあるけれど、
丁髷にそろばんという武士もいてたんやなぁ。。。


この映画の監督の森田芳光は前作『わたし出すわ』に引き続き、この作品でもお金というものをテーマの一つにしている。
お金はとても大事なものだ。それ無しでは生きていくことは出来ない。
けれど、お金は人生の目的にしてはならないと思う。
お金は、手段だ。
生きるための一手法に過ぎない。

この映画のなかに出てくる主人公は、倹約を旨としている人物だ。
雨の日も風の日も、そして、家族が旅立つその日にも、彼はそろばんを弾いていた。
それしか生きる道はなかった。それ以外の道を知らなかった。
角が立つこともあったろう。親子の確執も、顕在化したのは別の原因だったとはいえ、”そろばん侍”と半ば馬鹿にされていた父に腹が立っていた息子の反発が内在されていたはずだ。
しかし、彼にとってはお金を計算することが、生きることそのものだったのだ。
だから、彼はそろばんを弾き続けた。決して、お金を目的とした生き方をしたのではない。

結果として、その道が正しかったかどうかは分からない。
けれど、幕末という混乱期を、刀を使わずそろばんで、彼は懸命に生きた。
それは、カッコいい人生だと思う。