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MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

【HIRES Hi】。

2017-12-17 04:16:33 | インポート
【HIRES Hi】を観てきた。
#谷掛未森 #小野ミサ @HumanAcademy #地下鉄に乗るっ
(タグに偏りがあるのはご容赦を)

総合学園ヒューマンアカデミー大阪校 パフォーマンスアーツカレッジ 声優・俳優・タレント専攻 第19期生 卒業公演。
とちょっと長いけれど、要するにそういう舞台。
正直言うと、まぁ学生さんたちの舞台だし、ぐらいに考えていて舐めていた。中身は全く逆だった。何から何まで圧巻だった。【悪夢のエレベーター】に比肩するぐらいの舞台だった。

人生観が変わる、という言葉がある。あの場所に行った。あの本を読んだ。理由は様々だ。人生観は割と容易に変わる。行っただけ、読んだだけ。
人生はなかなか変わらない。今までの変えようのない過去があるから。それを含んで自分だから。

男が手を挙げ、タクシーを停める。

タクシーの運転手。男の脚本家。女の脚本家。噛み合っていない3人。
2人の脚本家たちは次々と物語を書き始める。2人は物語を暴走させ、修正し、求めるゴールなどなくただただ登場人物を動かす。どいつもこいつも普通じゃない。一癖も二癖もある、どこにでもいる男と女たち。滑稽なぐらいどこにでもいる男と女たち。
いつの間にか登場人物は勝手に動き出す。
ちがう。
登場人物に2人は動かされていく。物語が暴れだす。だけど、物語はいくらでも書き換えられる。いくらでも書き換えて、都合のいいように捻じ曲げてしまえばいい。
「夢なんていくらでも変えてしまえばいい」
それは気持ちが悪い?バッドエンドしか望みようのない物語をハッピーエンドに変える。
「生きるべきか 死ぬべきか それは問題じゃない。生きるべきだ」
そのために年金を払うのだ。そのために受信料を払うのだ。
不死身の男を、過去に失った、しょうもない、くだらない男に“さよなら”を告げる。いままで、避けてきた“さよなら”を。
それでも、現実の物語の過去が書き換わることは絶対にない。
現実で書き換えられるのは、今、だけだ。

変わらない人生を、変わらない過去を物語の中で書き換えた彼ら。
昂揚するハイヤーの時間は終わる。
女がタクシーを降りていく。次の作品のために。
タクシーの運転手がコンビニに行ってしまう。娘に会いに行くために。
男はタクシーを降りる。夢を変えるために。
そして―
男が手を挙げ、タクシーを停める。


人生を変えることは難しい。
でも、ちょっとしたことで今は簡単に変わる。今が変われば、未来が変わる可能性がある。
だから「夢なんていくらでも変えてしまえばいい」という言葉は、本当にいい言葉だと思う。
すごい舞台だ。一人一人の演者が誰一人欠けることなく的確に役を演じている。役をちゃんと知って演じているんだなと感じた。


夢を持って、ヒューマンアカデミーに通い、この舞台を作り上げた人たちにいう言葉ではないかもしれない。
でも、知っていてほしい。
“才能が無いことを知るのも才能”
これは北野武の言葉で、この【HIRES Hi】はそれを教えてくれる作品だ。
そしてこれは、この作品を演じさせた演出の早川さんからのメッセージだと思う。



【セトウツミ】。

2017-12-13 01:37:16 | インポート
【セトウツミ】読了。
#セトウツミ
ただ川岸で喋るだけの放課後。
ただただ、アホな会話をするだけだった。
だったはず。

瀬戸と内海。
内海の人生は全て自分の思う考えの中でしか起こらない出来事だった。
頭が良すぎるから、すべてのことが分かる。器用だから色々なことが出来る。
だから知っている。自分は平凡だということを。人並み以上に出来たとしても突出することが出来ないということを。
そこに現れたのが瀬戸だ。
瀬戸は内海の全てを超えていた。数字にも出来ず、見た目でもわからない。それでも瀬戸は内海にとって初めての理解できない人だった。
そして、瀬戸は内海を少しずつ変えていった。
瀬戸は、内海にとって、スーパースターだった。

そして、モラトリアムは終わる。
いつまでも川岸にいるわけにはいかない。人は大人になる必要がある。

驚いた
どしたん
母親が話しかけてきた
いや普通やでそれ
明日弁当作ってくれるって
内容も普通中の普通やん
そうか。そうやんな


全ての人が大人になる必要がある。
失敗を認め、でも謝らず、これまでを肯定する。本音をぶつけ、今を壊し、より新しい関係を築く。

お姉さんが思ってるより 人って自由ですよ

モラトリアムの解放。如何に自らを由と出来る世界を作るか。
時間がかかる。まだしばらくは、拠り所が必要だ。

今度こそおやすみ
おやすみ

































そういえばな
寝ろや笑




質問してみよう。

2017-11-19 20:34:32 | インポート
今日やっと疑問に答えてくれる人と喋れた。
日本共産党の金森とおるさん。街頭演説中に声をかけて訊いてみた。
「共産党が党是に掲げる天皇制の廃止を、なぜ前回の選挙で出さなかったのか?」だ。
憲法改正を視野に入れた選挙なのにここに食い込まないのはなんでだろうと、ずっと疑問だったから。執拗に憲法9条に固執するのはなぜかというのも、ある程度疑問が解けた。

憲法改正でまず議論されるのは9条に間違いはなく、”自衛隊”という名をそこに追加することが現政権の目的。
そうすれば、日本が米朝間の緊張の只中に立つ可能性が今よりぐっと高くなる。だから、それを阻止したいと。
日本は米朝の話合いのつなぎ役として機能するべきだ、といった議論もあったけれど、この辺は僕としては受け入れにくいところがある。。。
肝心の天皇制、憲法第1条、については、共産党内での結論として戦後の天皇は「君主ではない」という考え方を取っているため、それほど早急に対応しなくても良い。もっと広く議論をしてから扱うとの姿勢らしい。だから、共産党が仮に政権を取ったとしても現行憲法を維持するだろう、とのことだ。
なるほどな、という感じだ。天皇制については疑問が解けた。

まぁ、何かと訊いてみるもんだな、と。



僕は別に共産党推しでもなんでもない。
取っ掛かりがあったからまず共産党だっただけで。

次は、どこに聞こうかな。。。


【サスペリアPART2】。

2017-07-24 20:09:49 | インポート
【サスペリアPART2】を観てきた。
盆と正月の舞台。

#サスペリアPART2

恥の多い生涯を送って来ました
舞台に立つ二人はまるで少女だ。

少女:人形として完全なる四肢を持ち、人間として不完全な魂を持つもの。

彼女たちの語る言葉は別れ、交わらず、結局一つの言葉に帰着する。
人間、失格

音を使い、リズムを使い、光を使い、少しずつトランス状態に入っていく。催眠状態だ。
それは儀式。
どれほど強い催眠術を使っても、人は人を殺すことは出来ない。生きようとする無様な意識が勝つから。
だけれども、複数人なら催眠状態を作り死ぬことが出来る。

1944年 プンタンサバネタ(バンザイクリフ)
1945年 沖縄戦の集団自殺
1986年 真理の友教会信者集団自殺事件
2004年 埼玉県皆野町、神奈川県横須賀市の自殺サイト
さらには数多のカルト教団が集団自殺を図ってきた。
思い込みを催眠で増幅し揺らがせて自殺させる。

少女は思い込みが強い。自分の人生を、恥、と感じればそれは生き死にに値する恥だ。
同じ境遇を感じている友は、それを増幅させる。揺らがせる。
そして、自分たちで儀式を作り上げる。

少女は飽きっぽい。一通り儀式が終わり、何も変わらないと悟れば、それで全てがどうでも良くなる。けだるい感覚。
ファッション誌に目が向き、甘い物に目が行き、にきびや髪型を気にしだす。
遺されたのは、儀式のあとの散らかった舞台だけ。


すぐに歩いて行こう。この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
(太宰治/『パンドラの匣』)


【13月のゆうれい】。

2017-03-14 22:02:16 | インポート
【13月のゆうれい】を読んだ。
画が80年代のポップなデザインで気に入ってジャケ買いした作品。一年待ってよかった。

女装が好きなキリ(男)と、女らしさに違和感を感じるネリ(女)のそっくりな双子をめぐる物語。
とても人間関係が面倒くさくていささか込み入っているけれどそれが重要。

ジョハリの窓。
自分が自覚していて、他者も気づいている窓。
自分が自覚していて、他者が気づいていない窓。
自分が自覚していなくて、他者が気づいている窓。
自分が自覚していなくて、他者が気づいていない窓。
本当にそれだけだろうか?
自分が自覚していて”他者が思っている自分と違う自分”を自覚しているけれど、誰も気づいていない窓。
という窓はないだろうか?この窓は常にジョハリの窓の裏打ち構造のように張り付いているように思う。
ジョハリの窓は実際のところは窓じゃなくて三次元に展開したジョハリ箱なのかもしれない。

人は多面的で、時間と場所とともに形も色も変わる。矛盾の塊なんだと思う。
精神科学がどういうものか深いところはわからないけれど、非常に静的なものを扱っているのだと思う。でも、人は動的な精神心理を持つ。それを完全に解き明かすことができないように思う。

いつもなら動かないけれどグラグラと動く精神のときに、誰も気づいていない窓が開くことはあるだろう。それが良いことなのかどうかはわからないけれど、可能性の広がりではあると思う。
自分にとって必要な何かに気づいたり、自分が全く必要のない人間だと気づいたり。

キリもネリもとんでもなく面倒くさい道を進んでいるように見える。人は誰もがそうなのかもしれないようにも思うし、そうじゃないようにも思う。
結局どんな窓が開こうが、自分の喜びも苦しみも、そして奇跡すら自分自身だけのもので、誰かに分けたり分かち合うことはできないものだというのは間違いないのだろう。

読み方によってはラブストーリーだし、もうちょっとひねた読み方もできる。面白い作品だと思う。