ザクとは違うのよね

投稿再開しました。 できるだけこまめに更新します。。。

河井継之助

2006-01-29 23:50:03 | テレビ
 ほぼ1ヶ月遅れで、年末時代劇「河井継之助~駆け抜けた蒼竜~」を観た。

 河井継之助なる人物は、幕末の長岡藩において奥羽越列藩同盟として北越戦争を戦った時の家老で、あまり知名度は高くないが旧幕府軍側の隠れた傑物だったとは知っていたが、あまり詳しくは知らなかったので、今回の放送は非常に興味があった。

 主演は中村勘三郎だったが、芸者遊びをしているシーンは「元禄繚乱」の大石内蔵助を思い出してしまった。のほほんとしながらできるキャラが何とも昼行灯ぽくて。
 その他にも歌舞伎関係者が多数登場。藩主に坂東三津五郎、息子の勘太郎、七之助も揃って出演。岩村精一郎役で中村獅堂も出てた。

 継之助は、永世中立国スイスのように長岡藩も薩長軍と旧幕府軍のどちらにも属さない中立国として何とか戦争を回避しようと考えたものの、結局戦わざるを得なくなり、奥羽越列藩同盟に加わることになってしまった。
 今の時代なら、本当に民のことを考えているのなら薩長軍につくしかないし、どちらにもつかないなんてそんな調子のいいこと許されるわけないだろうと簡単に言えるが、譜代大名としての歴史、会津藩との関係を考えれば、それを容易に切り捨てられることはできなかったんだろうな。
 
 何とか戦争を回避しようと、小千谷の薩長軍本営へ嘆願書を渡しに出向いた時の軍監岩村との面談は、たった30分で終わってしまうが、この時のことを岩村は後の回顧録で若気の至りであったと述べている。
 まずは、河井42歳に対して岩村は若干23歳ということもあり、岩村には甘く見られまいという気負いがあったようだ。加えて、当時の家老といえば、門閥家=馬鹿家老という先入観を持っていたらしく、河井が中級武士から異例の大出世を遂げた傑物だとはまったく知らなかった。河井自身も、あまりに堂々としていたため、傲慢ととってしまったことも不幸だった。

 面談相手が岩村でなかったら北越戦争は避けられたかもしれないという評価もあるらしいが、当時イケイケドンドンだった薩長軍が長岡藩だけを特別扱いしてくれたかどうかは分からない。結局は戦争せざるを得なかったとは思うが、まだ日本で3門しかなかったガトリング速射砲を2門も購入して国防の重要さを説いたその先見の明は、人材の乏しかった旧幕府軍の中では異彩を放つ。彼が生きていたなら、明治の世においても大きな業績を残したに違いないと思う。

 おまけ。
 去年の大河ドラマに続いてオセロ松嶋が出ていた。この前よりもセリフがぎこちなかったな。関西人が江戸の芸者役とはちと難しかったか?
 河井の先見性を表すエピソードとして坂本竜馬とのくだりがあったが、別にあれはいらないんじゃないの。向かい合って座った時、太刀が左に置いたままだったのがちょっと気になった。普通右に置くんじゃないだろうか?
 稲葉隼人のいた松代藩は、真田幸村の兄信之が藩祖。幕末においても薩長軍に恭順し、無事明治を迎えた。時節を読む力は健在だったようだ。
 「鬼官兵衛」こと佐川官兵衛は、ただのうるさいバカ侍としか思えなかったのが残念。家老にまでなった人なのに。
 吹越満を見ると、なぜか「大鳥圭介?」と思ってしまった。


 <関連記事>
 久坂玄瑞と高杉晋作~on the way~ゆうゆう日記
 競馬伝道師Kの禅問答
 緑風院日月抄
 Soliton綴り
 歴史と地理な日々(新版)
 豆若茶房
 ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記
 亜州茶亭へようこそ
 妄想グラフィカル
 雑談ブログ
 TVつけっ話°
 猫も歩けば
 若旦那のアフター5
 *Cafe Japanesque
 かつおの日記
 果報は寝て待て!
 

何とかゲット

2006-01-29 10:44:22 | 音楽
 今日の10時から大塚愛のライブチケットの一般発売が始まるっていうんで、パソコンを立ち上げて、電子チケットぴあで申し込もうとしたら、なぜか名古屋公演は「※@電子チケットぴあでの一般発売はなし。」だって。

 なんじゃぁそりゃ~!

 もっと早く言え~!(自分が確認してなかったんだが)

 大慌てでサンデーフォークに電話をするが、なかなか繋がらず。刻々と時間は過ぎ、これで特電の番号を聞いて、それからまた電話するとして、いったい間に合うんだろうか?と焦ること20分、ようやく繋がった。
 特電の番号を聞き、早速TEL。そこから5分ほどして繋がったが、一般席は既に完売。仕方なく立見席を申し込むことに。うーん、立見席ってだいぶ遠いよなぁ。立ちっ放しも疲れるし。それでも行けないよりはましか。去年のコンサートは良かったから、今年も期待しよう。立見でも行って良かったって思わせてちょうだいよ。