昨夕はいろいろ書き連ねているうちに炊飯器を仕掛けるのを忘れて、あわてて早炊きでスイッチを入れてしまってから、いややっぱり晩御飯が遅くなると思って、ちょうど一束残っていたパスタを茹でて食べた。
それで今日も性懲りなくあれこれ取り留めもなく書いてみるのだけれど、昨日は久しぶりにメディアテークに行って、面白い本を見つけて一冊読み倒してしまった。
山岸俊男・メアリーC・ブリントン『リスクに背を向ける日本人』 (講談社現代新書)
今日び題名だけ見ると、リスクも考えず原発再稼動に突き進むのは問題がある、みたいな話かと思ったのであるが全くそうではなく、具体的な例を挙げるとすれば、若者が留学しないとか、未婚化少子化が進むとか、日本の個人も社会も全体的に内向きになっていることについて、二人の社会心理学者による対談の形で平易に論じられている。
一つこの本を読んで新しい言葉を知ったのであるが、よく、「日本では…であるがアメリカでは~」とか、こういう事ばかり言う人を「出羽守」と言うんだそうである。この本の、とくに山岸先生が非常に平衡感覚にすぐれている点は、こういう単純な「では」論には陥らない。どちらがよいとか決めつけない。そして日本や日本人はかくあるべき、と一方的に押しつけない。こういう姿勢が行き届いている所であろう。
その上で、二人が語り合う所は、要するに日本の社会はセカンドチャンス・サードチャンスが極端に無い、ということに行き着く。一度失敗したら次はない。一方で既得権益は厚く保護される。だからみんな現状にしがみつくことにばかり懸命になって、社会の活力が失われているのである。
とまとめてしまうと、このくらいのことは結構広く知れわたった命題ではないかという気がするかも知れない。記憶に新しいところでは、歴代首相の中にも、失敗してもやり直せる社会を、とか、再チャレンジの機会を、とか言い出した人がいた(安倍晋三だ)。そう言えば、再チャレンジ枠として鳴り物入りで設定された国家公務員試験、私も受けたことがあったが(当然落ちた)あれ今はどうなってるんだろうね。
この本が出たのは二〇一〇年十月だそうだが、日本の社会の硬直性は全くもって変わる兆しがないと言ってよいであろう。私が一番なるほどと思ったのは、アメリカでは、いわばすべての労働者が非正規なのだそうである。身分はきわめて不安定である。それでもみんな楽天的で、ここが駄目でも次があるさと思えるのは、風通しがよくて公正な労働市場が形成されているからである。
と言うとやはり、日本でも一応、男女雇用機会均等とか、産休育休とか、制度はそれなりにあるじゃないのという話になるかも知れないが、やはり実際この本を読んでみると、しょせん建前にすぎないというのがよくわかる。大体アメリカでは、採用選考の時に年齢を聞いちゃいけないんだそうである。停年なんて法律違反だという。
やはりアメリカは自由の国だすばらしいと言っても、大方の日本人はこの国で生きていくほかはないし、そう簡単に世の中の仕組みが変わるわけはない。それは山岸先生もそう言っている。
ただ、今の私にとって非常に元気付けられる気がしたのは、ここが駄目でもどこか別の場所がある、という考え方なのであった。この本には書いてなかったが、おそらく、一所懸命という農耕民族のメンタリティと、フロンティアを求める開拓者精神という、国柄の違いが大いにあると思うが、それでも、自殺者が年に三万人というのは異常である。アメリカ的楽天性を少しは見習ってもいい所ではないか。という辺りで、また、次回。
それで今日も性懲りなくあれこれ取り留めもなく書いてみるのだけれど、昨日は久しぶりにメディアテークに行って、面白い本を見つけて一冊読み倒してしまった。
山岸俊男・メアリーC・ブリントン『リスクに背を向ける日本人』 (講談社現代新書)
今日び題名だけ見ると、リスクも考えず原発再稼動に突き進むのは問題がある、みたいな話かと思ったのであるが全くそうではなく、具体的な例を挙げるとすれば、若者が留学しないとか、未婚化少子化が進むとか、日本の個人も社会も全体的に内向きになっていることについて、二人の社会心理学者による対談の形で平易に論じられている。
一つこの本を読んで新しい言葉を知ったのであるが、よく、「日本では…であるがアメリカでは~」とか、こういう事ばかり言う人を「出羽守」と言うんだそうである。この本の、とくに山岸先生が非常に平衡感覚にすぐれている点は、こういう単純な「では」論には陥らない。どちらがよいとか決めつけない。そして日本や日本人はかくあるべき、と一方的に押しつけない。こういう姿勢が行き届いている所であろう。
その上で、二人が語り合う所は、要するに日本の社会はセカンドチャンス・サードチャンスが極端に無い、ということに行き着く。一度失敗したら次はない。一方で既得権益は厚く保護される。だからみんな現状にしがみつくことにばかり懸命になって、社会の活力が失われているのである。
とまとめてしまうと、このくらいのことは結構広く知れわたった命題ではないかという気がするかも知れない。記憶に新しいところでは、歴代首相の中にも、失敗してもやり直せる社会を、とか、再チャレンジの機会を、とか言い出した人がいた(安倍晋三だ)。そう言えば、再チャレンジ枠として鳴り物入りで設定された国家公務員試験、私も受けたことがあったが(当然落ちた)あれ今はどうなってるんだろうね。
この本が出たのは二〇一〇年十月だそうだが、日本の社会の硬直性は全くもって変わる兆しがないと言ってよいであろう。私が一番なるほどと思ったのは、アメリカでは、いわばすべての労働者が非正規なのだそうである。身分はきわめて不安定である。それでもみんな楽天的で、ここが駄目でも次があるさと思えるのは、風通しがよくて公正な労働市場が形成されているからである。
と言うとやはり、日本でも一応、男女雇用機会均等とか、産休育休とか、制度はそれなりにあるじゃないのという話になるかも知れないが、やはり実際この本を読んでみると、しょせん建前にすぎないというのがよくわかる。大体アメリカでは、採用選考の時に年齢を聞いちゃいけないんだそうである。停年なんて法律違反だという。
やはりアメリカは自由の国だすばらしいと言っても、大方の日本人はこの国で生きていくほかはないし、そう簡単に世の中の仕組みが変わるわけはない。それは山岸先生もそう言っている。
ただ、今の私にとって非常に元気付けられる気がしたのは、ここが駄目でもどこか別の場所がある、という考え方なのであった。この本には書いてなかったが、おそらく、一所懸命という農耕民族のメンタリティと、フロンティアを求める開拓者精神という、国柄の違いが大いにあると思うが、それでも、自殺者が年に三万人というのは異常である。アメリカ的楽天性を少しは見習ってもいい所ではないか。という辺りで、また、次回。