期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

晴れ風強し

2012-05-12 17:29:59 | 日記
 昨夕はいろいろ書き連ねているうちに炊飯器を仕掛けるのを忘れて、あわてて早炊きでスイッチを入れてしまってから、いややっぱり晩御飯が遅くなると思って、ちょうど一束残っていたパスタを茹でて食べた。
 それで今日も性懲りなくあれこれ取り留めもなく書いてみるのだけれど、昨日は久しぶりにメディアテークに行って、面白い本を見つけて一冊読み倒してしまった。
  山岸俊男・メアリーC・ブリントン『リスクに背を向ける日本人』 (講談社現代新書)
 今日び題名だけ見ると、リスクも考えず原発再稼動に突き進むのは問題がある、みたいな話かと思ったのであるが全くそうではなく、具体的な例を挙げるとすれば、若者が留学しないとか、未婚化少子化が進むとか、日本の個人も社会も全体的に内向きになっていることについて、二人の社会心理学者による対談の形で平易に論じられている。
 一つこの本を読んで新しい言葉を知ったのであるが、よく、「日本では…であるがアメリカでは~」とか、こういう事ばかり言う人を「出羽守」と言うんだそうである。この本の、とくに山岸先生が非常に平衡感覚にすぐれている点は、こういう単純な「では」論には陥らない。どちらがよいとか決めつけない。そして日本や日本人はかくあるべき、と一方的に押しつけない。こういう姿勢が行き届いている所であろう。
 その上で、二人が語り合う所は、要するに日本の社会はセカンドチャンス・サードチャンスが極端に無い、ということに行き着く。一度失敗したら次はない。一方で既得権益は厚く保護される。だからみんな現状にしがみつくことにばかり懸命になって、社会の活力が失われているのである。
 とまとめてしまうと、このくらいのことは結構広く知れわたった命題ではないかという気がするかも知れない。記憶に新しいところでは、歴代首相の中にも、失敗してもやり直せる社会を、とか、再チャレンジの機会を、とか言い出した人がいた(安倍晋三だ)。そう言えば、再チャレンジ枠として鳴り物入りで設定された国家公務員試験、私も受けたことがあったが(当然落ちた)あれ今はどうなってるんだろうね。
 この本が出たのは二〇一〇年十月だそうだが、日本の社会の硬直性は全くもって変わる兆しがないと言ってよいであろう。私が一番なるほどと思ったのは、アメリカでは、いわばすべての労働者が非正規なのだそうである。身分はきわめて不安定である。それでもみんな楽天的で、ここが駄目でも次があるさと思えるのは、風通しがよくて公正な労働市場が形成されているからである。
 と言うとやはり、日本でも一応、男女雇用機会均等とか、産休育休とか、制度はそれなりにあるじゃないのという話になるかも知れないが、やはり実際この本を読んでみると、しょせん建前にすぎないというのがよくわかる。大体アメリカでは、採用選考の時に年齢を聞いちゃいけないんだそうである。停年なんて法律違反だという。
 やはりアメリカは自由の国だすばらしいと言っても、大方の日本人はこの国で生きていくほかはないし、そう簡単に世の中の仕組みが変わるわけはない。それは山岸先生もそう言っている。
 ただ、今の私にとって非常に元気付けられる気がしたのは、ここが駄目でもどこか別の場所がある、という考え方なのであった。この本には書いてなかったが、おそらく、一所懸命という農耕民族のメンタリティと、フロンティアを求める開拓者精神という、国柄の違いが大いにあると思うが、それでも、自殺者が年に三万人というのは異常である。アメリカ的楽天性を少しは見習ってもいい所ではないか。という辺りで、また、次回。

つづき

2012-05-11 17:58:28 | 日記
 思えばネットを始めた頃から、ブログという種類の自己発信の場はいろいろと持っていて(そういえば昔はブログではなくて日記をわざわざHPにしていたこともあった)作ってはつぶしという繰り返しを何度かしたものであるが、実はここを始める前には某ミクシに頁を作っていて、それは実は今でも続いていて、この頁を始める時ある人に、ミクシがあるのにどうしてもう一つ余計なものを作るのかと言われた事があった。その時の自分にはそれなりの理由があったのだが、やはりはっきりと分ける意識もなく同質のものを作ると面倒くさい。反省した。
 でまあ何を言いたいかというと、前回のこの稿について、別の某所でコメントをしたら懇切な反応を頂いて、さらに色々考えたということである。一ヶ所で話が完結すれば判りやすいのだが、まあ仕方がないここでは自分の考えた事をまた書いてみる。
 某所でコメントを頂いて一つ有難かったのは、元のNHKの番組紹介頁がわかった。こんなの自分で調べる気さえあれば簡単に判るのだけれど、基本的に面倒がりである。
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0507/index.html
 それでこの頁を見てさらに突っかかってみるのだが、私が非常に違和感を感じるのは、最後の「放送されなかった流儀」の、

ある人が生きづらさを感じるのは、実は、その人自身の考え方が原因の場合もある。そうした場合、そのことを黙認してしまうのは、結果的にはその人のためにならない。

というくだりである。私がつねにぼんやりと意識している事として〈支配〉〈管理〉そして〈教育〉という三者の関係があるらしい。今の場合に当てはめてみると、自殺しようという人を助けるというのは、確かに「その人のため」であるというのに誰しも異論はないであろう。そして生きづらさの原因が「その人自身の考え方」であるというのも、一つの事実として私も大いに同意する。ただ、それを「黙認」するとかしないとか、そうするのが「その人のためにならない」というのは、私から言わせればなんかちょっとどこか一線を越えてるんじゃないの?と思うのである。
 前回から言うように、実践も何もしない人の勝手な寝言であるのだが、それぞれちがった価値観(人格と言ってもいい)を持った個人が、あくまで対等な立場で自律的に交わりたいものだと私は思う。ところが片や自殺者、片やそれを助ける人、となるとそれだけで原理的に上下ができてしまう。いやそんな意識はないあくまで人間平等であると、あの牧師さんは言うかも知れないけれど。
 これはたいへん微妙な所で、番組頁を見ると、このくだりは「自分の価値観は曲げない」と題されていて、私はそれには大いに賛成なのである。本文には番組当局の恣意が忍び込んでいる可能性もあるが、あの牧師さんの雰囲気を見ていると、やはり人助けの裏には支配と管理が無意識に貼りついていると思う。
 何度も言う所であるが、自殺者を助けて社会復帰させるなんて大事業には、必然的にそういう過程が伴うというのであれば、私は一言もないのである。ただ思うのだけれど、人が生きづらいという時、どうしてその人だけが自分を改めて、社会に合わせて行かなければならないのか?世の中の方に問題があるという考え方はないのか。
 あの牧師さんにそんな話を持っていくのは筋違いだと思うが、一言に自殺防止と言っても、それを個人の問題に局限してしまうとどこか息苦しくなって来る。それをどうやって開いて行くかということとか、もう少し続きはありそうなのだけれど、それはまた別稿で。

晴れ

2012-05-09 17:36:36 | 日記
 私の身の上も一応は落ち着いて、淡々とした毎日を送っている。ただ相変わらず貧血はあるようで、時に身動きが辛くなるほどだるくなる。
 一昨日の晩であったか、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀という番組を見ていたら、自殺防止の運動をしているという牧師さんが出てきた。確か九州かどこかの(正しくは和歌山。南紀白浜だった。後日訂正)、海に面した断崖絶壁がいわゆる自殺の名所みたいになっている所で、そこの電話ボックスに連絡先とコインを置いておいて、死にに来た人が最後の助けを求めて来ると、教会に引き取っていろいろと相談に乗ってあげて、社会復帰を支援しているのだそうである。
 私としては人ごとではないと思って、つい夜更けまで見入ってしまったのだが、結論から言うと、非常に気分は沈んだ。この教会で共同生活をしているという人々を見ていると、人間こうはなりたくないもんだと思った。久しぶりにまた死にたくなったと言ってもいいほどである。
 おそらくこういう所に私の性格の問題があるんだろうと思うが、同じ人間として生まれて、どうしてこう生き難さに違いがあるのかと、それこそ神さまに疑問をぶつけたくなる。この牧師さんは私の一歳上らしいが、人を救うという自分の生き方に何ら疑いを持たず、自信たっぷりに生きている。
 一方で、この世における自分の人生に絶望し、この牧師さんに「救われて」教会で共同生活を送っている人々は、まあ確かに弱い人間であるのだろう。依存症があるとか、気が弱いとか自制心がないとか、一言で言えばロクデナシである。だから人生つまずいて破綻に至るのである。
 そういう人らを、この牧師さんは優しくも厳しくも導いて、社会で一人で生きて行けるように自立支援をする。といえば聞こえはいいが、そこには相当〈管理〉という側面が入ってくる。たとえば、この人たちが働いて給料をもらうと、手許に残せるのは月々一万円だけで、後は全額この教会を出るまで牧師さんの預かりになるんだそうである。
 これはある意味やむを得ないことであって、おそらくこうでもしないと、こういう人たちは飲んだくれたり博打に費やしたりするということがあるんだろうと思う。以前少し問題になった、光あれ何とかいうアル中の更生施設でもこういうことがあった。
 定時制の高校で講師をした経験からいっても、この手の人たちは実際つきあってみるとなかなか困ったものであることは想像に難くない。そういう現実の苦労は何も知らずに言うのだが、それでも、私がどちら側に立つかといえば、この牧師さんよりはロクデナシの人々の方である。
 これは価値観の問題であるが、この人たちはこの教会に居て本当に幸せなのかしらという気がした。こんな風に他人に手を差し伸べられて、魂を預けて、管理されて生かされているくらいなら、自分の意思で死ぬ方が人間らしいのではないかと思う。これはもちろん自分自身に真っ先に適用される話であって、私はこのテレビを見ていて、わざわざこの牧師さんの所の自殺の名所に行って死んでやろうかとまで思ったのである。深夜だと全く馬鹿なことを考える。
 しかしこう書いているとただの分らず屋か天邪鬼であるが、芥川や太宰や川端を挙げるまでもなく、文学の世界では自殺ということについて真剣に考えた人はいたのである。たとえば菊池寛の短編に『身投救助人』(題名はあやふや)という作品があった。やはりこの牧師さんのように、河に身を投げる人を助け上げるのを仕事のようにしていた老婆が、ある事情で自分が同じように自殺に追い込まれる羽目になる。身投げをして引き上げられた、その時初めて、自分がよかれと思って助けてきた自殺者の気持ちがわかったという話だったと思う。
 やっぱり自分もまたロクデナシであるという痛切な自覚がないと、人助けは傲慢にならざるをえない。何度も言うが、あの牧師さんの現実の苦労は全く知らずに言っている。さらに、自ら弱さを抱えながら、弱い人間を助けるというのは、自分も引き込まれる危険があるから至難の業なのである。しかしそれでもなお、お互いに同じ水準に立って活きる中で他人を助けるためには、どうしてもそういう〈弱さ〉を抱えた人間でなくてはならないと思う。私? 残念ながら私はそんな超人ではないです。

晴れおだやかなり

2012-05-07 17:42:47 | 日記
 穏やかでなかったのは昨日である。竜巻で甚大な被害を受けた地方もあったようであるが、当地仙台も、午後からは昼とは思えないほど真っ暗になり、雷がはためき雹が降った。停電したら困るなと思って懐中電灯を充電したが、幸い何事もなく済んでよかった。
 しかしさらにその前(三日)の大雨では、県内には浸水した仮設住宅もあったようで、これは全く気の毒としか言いようがない。震災から一年の間に、他にも大雨で仮設が水没した例があったが、毎年のように天災で家財を失い住居をおびやかされるというのは、はっきり言って異常である。
 そういえば今回も、福島から避難してきていたら竜巻にやられたという人がいたそうだ。何だか日本中、方丈記のような世界になって来た感がある。
 かくの如き諸行無常の世界において、私の処方箋は、とにかく皆が生きている今を大切にしましょうということに尽きる。そこで今日は仮設実家に赴いて、母と一緒に昼食を食べてきた。
 ここで話は全く変わるけれど、前回ここに書いた夢の続き、おもしろいことにこうして書いてみたら全く見なくなった。それなりに解釈をつけたから、それ以上見る意味がなくなったということだろうか。私の現実の混迷は何ら解決していない(と思われる)筈なのであるが。
 だいたい現実に対処する指針を夢から得ようという発想が安直であったのかも知れない。その辺はよくわからない。もしかするとそのうちまた同じ夢を見る可能性もある。その時には少しはストーリーが進歩しているといいのだけれどね。

晴れ時々曇り

2012-05-05 22:26:06 | 日記
 相変わらず暖かい。外を歩くにはちょうどいい気候である。
 例の痔疾は一昨日あたり、劇的に回復したと思ったのもつかの間、大学図書館まで二日続けて歩いて往復したら、また悪化してしまった。血行をよくするために運動しようと思ったのだが、程度によるようだ。もともと貧血で体力が落ちているので、汗が流れて動悸が打つくらいの負荷をかけてはいけない。せめて片道にすればよかったのだけれど、ここにバス代を節約しようという不純な動機が加わった報いはてきめんである。
 ところでここ何日か、毎晩のように同じ夢を見る。わかりやすいといえばわかりやすいのだが、学校の校舎の中をひたすら駆け回っている夢である。具体的にはどこの学校とも決まっていないようなのであるが、共通しているのは、目的地にいつまで経ってもたどり着かない。自分が授業をするにしても受けるにしても、どこかひたすら教室を探していることもあるし、トイレを探していることもある。この時は現実にそういう生理的要求が反映していたようであるが。
 わかりやすいというのは、要するにこの手の夢は、私が現実の人生において全く混迷の状況にあることを反映していると思われるからである。人生の半ばにおいて云々という、まさに『神曲』みたいな状態である。わずか二週間の辞職によって、自分には専任の教員は務まりがたいということが思い知らされた。オファーがあるかどうかは別として、では非常勤に戻るという単純な選択でよいのか。非常勤というのは、いずれ専任になるにしても、他にやる事があるにしても、先の見通しもなく漫然と続けるものでは本来ない。
 でまあ色々思い悩むわけだけれども、私が今考えているのは、今度この夢を見たら、夢の中で何か解決が得られないかしらということである。鎌倉時代に明恵上人という高僧がいて、この人は生涯にわたって自分の夢を記録し続けたという。それは単なる物好きや道楽ではなく、夢に宗教的な意味を信じていたのである。仏さまが出て来る夢が途中で切れて、未完に終わったので、念じることによって続きを見ることも出来たらしい。
 この明恵上人と夢については、かのユング心理学の河合隼雄先生が取り上げて有名になった。この間も「愛着」の話を取り上げたが、心理学というのも面白いと思う。

曇りいささか蒸す

2012-05-02 17:10:14 | 日記
 上着を着て外を歩いていると軽く汗ばむが、室内でじっとして本を読んでいると、上着がないと薄ら寒いという微妙な季節である。何しろ暇なので出来るだけ日記でも書いてみる。
 昨日今日と続けて、失業中の身でありながら街に出かけた。用の一つは、大学図書館の利用証を更新してもらうことである。学外者として一年有効の利用証を出してもらっていたのだが、それが四月の二十五日で切れている。去年震災の後しばらくはどこの図書館も開かなくて、いちばん早く開館したのが大学図書館だったと記憶している。それでも蔵書はなかなか見られなかったような気がするが、早速出かけて行って利用証を作ったのを思い出す。
 今年度はついに常勤のお勤めになるから、大学図書館なんてめったに来る暇もなくなるだろうと思っていたが、人の運命なんかわからないものである。来たければ毎日でも来られる身分になってしまった。
 それでも平日は当然学生が多いから、部外者は肩身が狭い。利用者の声の掲示板を見ていたら、最近三十~四十代の不審者がいるという苦情が来ていて複雑な気持ちになった。まさか私のことではあるまいと思うが、まあ普通の学生から見れば何者かと思うであろう。
 ちなみに、私が初めて高校を卒業してこの大学に這入ったのは平成四年である。以来学生だったり部外者だったり出入りは色々あったが、二十年近くこの界隈をうろつき続けているという人は、教職員にもまず居なかろうと思う。学校という所の特徴は、器は変わらねどその中身はたえず入れ替わっているという点で、まさに年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず、なのであるが、桜も一体こいつは何だと思っていることであろう。
 それで連休の谷間を狙って来たのだが、案外学生は多い。一般に大学生は勉強しないとか、分数も解さないとかいうのが世の通説になっているかのようであるが、それも人によるのであって、二十年前から見れば一部の大学生はむしろ勤勉になっている。図書館も昔より混むようになっている。ただその勉強の内容は、司法試験や公務員試験や資格試験の準備が多いようで、いわゆる学問と称してよいかどうかは首を傾げざるを得ない。
 私はもはやそんな俗世の栄耀栄華とは無縁の、出家も同然の身であるから、純粋に自分の教養だけのために、昔から読みたくて読めずにいた本をひたすら読む。昨日から今日の一冊は西郷信綱『古代人と死』(平凡社ライブラリー)。最終章だけ残った。

晴れのち曇り、暖かい

2012-05-01 22:07:47 | 日記
 先日祖父母の法事で和尚さんのお経を聞いて涙が出てきたという話を書いたが、そういえばそれにはさらに前段があって、その日出かける朝の駅の待合室でラジオから流れて来た歌を聞いた時も思わず涙ぐんでしまったのだった。

  元気でいるか 街には馴れたか
  友達 出来たか
  寂しかないか お金はあるか
  今度いつ 帰る

 こんな風に歌詞を書いていたら著作権法に抵触するんじゃないかと不安になって来たが、知っている人も多いであろう、私も聞いたことはあったが題や何かよく憶えていない。上の歌詞もうろ覚えだから間違いもあるかも知れない。確かさだまさしの歌だったと思うが、私が聞いたラジオではたぶん岩崎宏美が歌っていた。
 進学で実家を離れた子供を思いやる親の歌であるが、しかしいま故郷を離れている震災被災者には、心に沁みる人多いんじゃないかと思う。特に、今度いつ帰る、と言葉をかけてくれるような家、そして故郷の町は今はもう無いのである。そう思うと尚のこと切なくなって来る。
 私だけかも知れないが、震災から一年を経て、被災者の中には改めて悲哀の感情が潮の満ちるように静かに溜まって来ているのではないかという気がする。今夜のテレビのニュースで、福島の何とか村で、早く自宅を除染してもらってまた孫たちと暮らしたい、と話しながら涙ぐむおばさんを見て本当にそう思った。各方面からの支援のおかげで、被災地も着々と復興しつつあって、希望に満ちて力強く歩んでいるかのようであるが、心に空いた穴の大きさがひそかに実感されてくるのはむしろこれからだという気がする。
 これは私じしんそうであって、被災して家を失い家族と離れて、それでも一人で仕事しながら自活して、一年間何ということもなかったから、これはもう大丈夫なんだろうとばかり思い込んでいたが、そう単純には行かなかったらしい。今の私の精神状態は、新しい仕事に適応できなくて凹んでいるというよりは、逆に、もともと心が弱っていたために新しい仕事の荷重に堪え切れなかったと見た方が正確かも知れない。
 私がとつぜん放り出した後の授業はどうなったのか、もう全く知りようもないが、こう考えると、私が担当に当たった生徒だけ気の毒だったということになる。今さらの話ではあるのだけれど。