期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

曇りいささか蒸す

2012-05-02 17:10:14 | 日記
 上着を着て外を歩いていると軽く汗ばむが、室内でじっとして本を読んでいると、上着がないと薄ら寒いという微妙な季節である。何しろ暇なので出来るだけ日記でも書いてみる。
 昨日今日と続けて、失業中の身でありながら街に出かけた。用の一つは、大学図書館の利用証を更新してもらうことである。学外者として一年有効の利用証を出してもらっていたのだが、それが四月の二十五日で切れている。去年震災の後しばらくはどこの図書館も開かなくて、いちばん早く開館したのが大学図書館だったと記憶している。それでも蔵書はなかなか見られなかったような気がするが、早速出かけて行って利用証を作ったのを思い出す。
 今年度はついに常勤のお勤めになるから、大学図書館なんてめったに来る暇もなくなるだろうと思っていたが、人の運命なんかわからないものである。来たければ毎日でも来られる身分になってしまった。
 それでも平日は当然学生が多いから、部外者は肩身が狭い。利用者の声の掲示板を見ていたら、最近三十~四十代の不審者がいるという苦情が来ていて複雑な気持ちになった。まさか私のことではあるまいと思うが、まあ普通の学生から見れば何者かと思うであろう。
 ちなみに、私が初めて高校を卒業してこの大学に這入ったのは平成四年である。以来学生だったり部外者だったり出入りは色々あったが、二十年近くこの界隈をうろつき続けているという人は、教職員にもまず居なかろうと思う。学校という所の特徴は、器は変わらねどその中身はたえず入れ替わっているという点で、まさに年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず、なのであるが、桜も一体こいつは何だと思っていることであろう。
 それで連休の谷間を狙って来たのだが、案外学生は多い。一般に大学生は勉強しないとか、分数も解さないとかいうのが世の通説になっているかのようであるが、それも人によるのであって、二十年前から見れば一部の大学生はむしろ勤勉になっている。図書館も昔より混むようになっている。ただその勉強の内容は、司法試験や公務員試験や資格試験の準備が多いようで、いわゆる学問と称してよいかどうかは首を傾げざるを得ない。
 私はもはやそんな俗世の栄耀栄華とは無縁の、出家も同然の身であるから、純粋に自分の教養だけのために、昔から読みたくて読めずにいた本をひたすら読む。昨日から今日の一冊は西郷信綱『古代人と死』(平凡社ライブラリー)。最終章だけ残った。