期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

暑いんだか寒いんだか

2012-06-22 17:47:37 | 日記
 このごろ季節の変わり目というのか、何を着てよいかわからない気候である。部屋でじっとして物を読んでいるとだんだん冷えて来て、毛のカーディガンを羽織る。外出する時は薄い上着を着るかどうか迷う。外を歩いていると暖まって来るが、どこかに落ち着くと涼しくなるし、冷房なんか掛けられた日には上着がないととても対抗できない。
 昨日は久しぶりに仮設実家に帰省した。だいたい週末ごとに行くことにしているのだが、先週は学会を聴聞したから行かれなかったのである。
 仮設実家は二部屋しかなくて、行くとたいてい茶の間でじっと座っているしかない。両親と話をして、テレヴィを見たり、新聞や雑誌を眺めたりする。私の部屋にはテレヴィも新聞も雑誌もないから、改めてこの三つは心休まるものだと思う。枕草子ふうにいうと、つれづれ慰むもの、である。正確に言うとテレヴィだけは携帯電話で見られるが、なにしろ小人の画面だから時に何が映っているかよくわからない。
 仕事を辞めてなんにもすることがなくなって、ひたすら本を読んでいればいいやなと思っていたが、しかし実際には一日じゅう書物を読んで過ごせるものではない。古典のテクストとか専門書とか読むのは案外エネルギーを使う。だからずっと読んでいると脳にばかり血液を取られて、低体温になって身体が冷えてくる。
 それでつくづく思ったのは、文学書を一日読んでいても大丈夫、という人が研究者になるのである。この点からして私は落第である。私という人間は、適当に働いて、その余暇に適当に本を読むという、いわば小市民的あり方が理想であるらしい。
 しかし今の世の中、この晴耕雨読といったような生活はきわめてむつかしくなっているように思われる。働くとなると本なんか読む暇は全くなく、本を読みたいと思うとまともな職には就かれない。まるっきり二者択一になってしまう。時間は自分で作るものだなんて言う人がいるけれど、それは作れるような境遇にある人の言い分である。
 それはさておき、そんなわけで仮設実家に帰ると、半日まったく本も読まずに、世間話をして、テレヴィを眺めてぼんやりする。こういう時間を過ごすと、一人で黙って部屋に閉じ籠もっているといかに煮詰まっているかがよくわかる。自分がこの地上で為すべきことはもう何も無いのではないかとかいう意識がいい具合に鎮静する。有難いことにうちの両親は、こんなデクノボウの子供に、早く職を探せとか全く言わないから助かる。本人が全く暗中模索であるのに、周りから煽られたらどうしようもなかったと思う。

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