先ほど、16時になったので隣の親戚の放置状態の家から飛び出している植物を伐採していました。
はっきりいって他所の家から出っ張っているものですから、いくら親戚だからと言って手を出すことは本当は出来ないですし、やる義理も無いのですが、近所づきあいの手前(文句をポストに入れてくる人もいるので)やらないわけにもいかず、半ば、いやいややっていました。
近所の年配の男性が通ろうとしたときに、路地が切った植物で、とっちらかっていたので
「あっ すみません」といったところ
「あっ いやいや ご苦労さんです」と言って、通っていってくださいました。
特別、意味のある言葉では無かったのかもしれませんが、この時、いやいややっているのが少し恥ずかしくなりました。
親戚なんだから、なんとかしろと文句をいう人も一部にはいるのですが、ご近所でも事情をわかってくださっていて、気の毒だと言ってくださる方も何人もいらっしゃいます。
きょうは、この年配の男性が発した「ご苦労さんです」のひとことにどれだけ気持ちが救われたかわかりません。
東京も捨てたものではないよな...と我が故郷を想いました。
はっきりいって他所の家から出っ張っているものですから、いくら親戚だからと言って手を出すことは本当は出来ないですし、やる義理も無いのですが、近所づきあいの手前(文句をポストに入れてくる人もいるので)やらないわけにもいかず、半ば、いやいややっていました。
近所の年配の男性が通ろうとしたときに、路地が切った植物で、とっちらかっていたので
「あっ すみません」といったところ
「あっ いやいや ご苦労さんです」と言って、通っていってくださいました。
特別、意味のある言葉では無かったのかもしれませんが、この時、いやいややっているのが少し恥ずかしくなりました。
親戚なんだから、なんとかしろと文句をいう人も一部にはいるのですが、ご近所でも事情をわかってくださっていて、気の毒だと言ってくださる方も何人もいらっしゃいます。
きょうは、この年配の男性が発した「ご苦労さんです」のひとことにどれだけ気持ちが救われたかわかりません。
東京も捨てたものではないよな...と我が故郷を想いました。
こちらではご無沙汰しておりますが、毎回楽しく拝見しております。
人に感謝し、人を思いやり、そしてねぎらう・・・。
みんな心のどこかにその気持ちはあるはずなのに。
臭い言い方で、遠い未来かもしれませんがいつか来るであろうみんなが気持ち良く言葉を交わせる世界を信じて。
小生も気持ちを伝えたいと思います
近時,ATM などで先に済ませた人が「お先にでした」という人(オバハン)が滅多にいません。会釈さえしない人がほとんど。そのサイドでは,自動機がお決まりの挨拶をしているというのに。このひとことが,社会の潤滑剤になります。
ただ、確かに坂井さんがおっしゃるようにそういうことができない社会になってきていることは事実ですよね。
やっぱり人と人はコミュニケーションが大切だと思います。