白金高輪エリアから三田方面を散策中のLOGGY。
続きです。
■キリスト友会フレンズセンター

この建物は1920年(大正9年)にトーマス・E・ジョーンズ邸としてヴォーリズの設計で建てられた。
以前ご紹介した麻布の旧・松方正熊邸と似たデザインである。


■済海寺(最初のフランス公使宿館跡)

1858年(安政5年)に徳川幕府と第二帝政フランスの間で結ばれた日仏修好通商条約にもとづき、
翌年フランス公使宿館が同地に設置された。初代公使としてド・ベルクールが駐在。
■クウェート国大使館

この建物は1970年(昭和45年)に丹下健三の設計で建てられた。
大使公邸と大使館事務室を垂直に分離し、さらに中庭を中間に埋め込んだ
という斬新なデザインである。
■札の辻 元和キリシタン遺跡

徳川三代将軍徳川家光が1623年(元和9年)、キリスト教信者50人を処刑した遺跡。
高層オフィスビルの敷地の片隅に石碑があった。
■御田八幡神社

誉田別尊命(ほんだわけのみこと)を主祭神とし、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、
武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)を配祀とする。
江戸時代には正面に東海道、その向こうは江戸湾の海浜が開けた風光明媚な場所だったという。
若者の参拝者が熱心にお祈りをしていたのが印象的だった。
■高輪大木戸跡

1710年宝永7年)、東海道から江戸府内の入口と南の出入口として設けられた大木戸の跡。
両脇に長さ9メートル 、幅7.2メートル 、高さ3メートルの石垣があり、間に柵と門が設けられた。

さて、大木戸跡から品川方面に歩いて行くと、JR線路を横断できる通路を発見。

高さがかなり低いので、道を熟知したタクシー位しか通らない。

電車がすぐ真上を通るのを見る事ができ、迫力満点であった。
■桂坂界隈

品川手前で再び高輪方面に通じる桂坂を上る。
この界隈には東芝高輪クラブ(旧・朝吹常吉邸)↓や・・・、

洒落た邸宅がいっぱいあるようだが・・・、


お目当ての高輪クラブの外観が新緑の木々に遮られてほとんど見れなかった為、意気消沈。
次の機会に期待するとして、今回はここで撤収したLOGGYである。
続きです。
■キリスト友会フレンズセンター

この建物は1920年(大正9年)にトーマス・E・ジョーンズ邸としてヴォーリズの設計で建てられた。
以前ご紹介した麻布の旧・松方正熊邸と似たデザインである。


■済海寺(最初のフランス公使宿館跡)

1858年(安政5年)に徳川幕府と第二帝政フランスの間で結ばれた日仏修好通商条約にもとづき、
翌年フランス公使宿館が同地に設置された。初代公使としてド・ベルクールが駐在。
■クウェート国大使館

この建物は1970年(昭和45年)に丹下健三の設計で建てられた。
大使公邸と大使館事務室を垂直に分離し、さらに中庭を中間に埋め込んだ
という斬新なデザインである。
■札の辻 元和キリシタン遺跡

徳川三代将軍徳川家光が1623年(元和9年)、キリスト教信者50人を処刑した遺跡。
高層オフィスビルの敷地の片隅に石碑があった。
■御田八幡神社

誉田別尊命(ほんだわけのみこと)を主祭神とし、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、
武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)を配祀とする。
江戸時代には正面に東海道、その向こうは江戸湾の海浜が開けた風光明媚な場所だったという。
若者の参拝者が熱心にお祈りをしていたのが印象的だった。
■高輪大木戸跡

1710年宝永7年)、東海道から江戸府内の入口と南の出入口として設けられた大木戸の跡。
両脇に長さ9メートル 、幅7.2メートル 、高さ3メートルの石垣があり、間に柵と門が設けられた。

さて、大木戸跡から品川方面に歩いて行くと、JR線路を横断できる通路を発見。

高さがかなり低いので、道を熟知したタクシー位しか通らない。

電車がすぐ真上を通るのを見る事ができ、迫力満点であった。
■桂坂界隈

品川手前で再び高輪方面に通じる桂坂を上る。
この界隈には東芝高輪クラブ(旧・朝吹常吉邸)↓や・・・、

洒落た邸宅がいっぱいあるようだが・・・、


お目当ての高輪クラブの外観が新緑の木々に遮られてほとんど見れなかった為、意気消沈。
次の機会に期待するとして、今回はここで撤収したLOGGYである。