先日ご紹介した銀座奥野ビル三〇六号室を管理されている方と
お話した時、「戦前まではこのビルの窓から三十間堀が見えて
堀沿いの通りには露店が並んでいた。」という事を教えて頂いた。
資料等によると三十間堀は、空襲で焼け野原となった
銀座一帯の瓦礫の捨て場所として東京都によって
1949年(昭和24年)から3年かけて埋立られたそうだ。
その名残りを残しているのがこの三原橋センターで、
埋め立ての際に三原橋の橋下部分だけを残して地下街にし、
晴海通りをはさんで北と南に二つのビルが建てられた。
設計者は土浦亀城、1952年(昭和27年)の竣工である。
地下街の店舗の中には、埋め立て前の露店時代から営業している店も
あるそうで、まさに歴史の生き証人と言えるだろう。
LOGGYは、その昔地下街の映画館に入った事がある。
今回久しぶりに前を通ると、名画座では萩原健一と水谷豊主演の
TVドラマ「傷だらけの天使」(1974~1975年放送)のポスターが貼られ、
萩原健一映画祭が組まれていて、マニア好みの企画に思わず嬉しくなった。
三原橋センター地下街を南側から出ると、高層ビルの谷間に
三原小路なるレトロな一画を発見。
ちょうど「銀座の顔」とも言える四丁目交差点のごく近くに
ディープな昭和空間が息づいているのも銀座の魅力の一つ。
一番奥にあった洒落た意匠の入口の店は、飲み屋かと思ったら
不動産会社の事務所だった。
・・・まさかここも再開発されてしまうのだろうか!?
三原橋センター地下街、気にしつつも未訪問でした
設計者が土浦亀城と知ったらほっとけないですね
橋だった事がよくわかる
形状をしています。
地上のセンタービルも
本来双子型ビルのはずなのですが、
晴海通り側からは全く違う印象を
受けます。北側も真正面から
写真を撮っておけば良かったと
少し後悔してます。