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LOGGYと竹坊の物見遊山

浅草橋~人形町ブラ散歩 -後編-

2013-02-18 | 建築散歩

後編のスタートは、1928年(昭和3年)に東京市の設計で
建てられた復興小学校の十思小学校から。
現在は十思スクエアという多目的施設として使用されている。

建物全体を見渡す為、校庭の方に回ると養護施設が建設中で
フェンスで囲われて基礎工事が始まっていた。
校舎をこの角度から眺められるのもあとわずかになりそうだ。

校庭に隣接して十思公園と大安楽寺がある。
江戸時代から明治8年までの約270年間、
この付近には伝馬町牢屋敷が存在した。
安政の大獄では、吉田松陰、橋元佐内ら、五十余人が伝馬町牢送りとなり、
そのほとんどが当地で処刑された。死罪の延べ人数は10万を越えたという。

そのため、跡地の利用が出来ず、明治中期にやっと誘致した
大安楽寺・日蓮宗身延別院(大黒天)・瑞法光寺(鬼子母神)などが今も残り、
大安楽寺境内の処刑場跡には延命地蔵がある。
残る大部分が十思公園で、江戸時代最初の時の鐘「石町時の鐘」の鐘楼が移設されている。

さて、人形町通りに戻り、江戸三森神社の1つ橸森神社でしばし休憩した後、

堀留町交差点を左折すると、典型的な歴史様式の銀行建築のビルが見えてくる。



この建物は、1932年(昭和7年)に川崎貯蓄銀行富沢町支店として建てられ、
その後常陽銀行東京支店となり、現在では耐熱ガラス製造のハリオグラス社が使用している。

コリント式列柱で全体をまとめ、洒落た外壁装飾が彩る立派な建物だ。


休日の堀留町は人通りも少なく、思う存分撮影した。

そして今回の終着点、人形町へと到着。

「日山」や「今半」などの老舗店舗が軒を連ね、人出も多かったので、
路地をひと巡りしてざっくりと撮影。

この界隈は別の機会にじっくりと巡ろうと思ったLOGGYである。

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