道院の修養の中で、坐は特に重要です。
けれど、炁楽仙女の平易なガイドブックにさえ、
馴染みの無い理論や独特の道語が出てまいりますので、
最初から難解に思ってしまう方も居られるようです。
道院の修坐は、既成の修養法ではないため、
初めて聞く特殊な事柄や考え方を理解する事が
必要になります。また、説明する側にも、そのための
独特な言葉や感覚的表現などが必要になります。
また、日常的に使われている言葉、例えば
「自然を大切に」の「自然」という言葉も道語では
先天炁功(炁のはたらき)の自然を指します、という具合に
意味の異なる場合がある事も誤解に繋がるでしょう。
けれど実は、大道の真理は至ってシンプルです。
なるべく修養の初期に、独特の道語や概念を明確に
理解できてしまえば、全ての事が解り易くなるはずです。
読者の方々には、今一度の再読をお奨め致します。
特に、先天炁と後天気の関係、そして異なる点、
何故心坐や形坐が大事か、窔の用い方、等の所ですね。
この機会に要所だけでも再チェック、再確認できましたら、
他所の修坐との根本的な違い等も明確になるでしょう。
私が僭越ながら紹介しております修坐の特徴は、
「自己の真霊の基を設定して、そこに炁を充凝させる」事、
それが古今東西の聖賢の教理、修行法と最も異なっている所です。
単に気を安定するだけではない、真丹を実現する実功です。
その真霊修養法を外しては、今の世界に生きる我々が
永遠の生命を得るなど、不可能あるいは非常に困難でしょう。
私も、更に簡単な方法を平易な説明表現でお伝えできますよう、
努力してはおりますが、未だ暫くの時間を要しそうです。
どうぞ皆様も、ご自身の本心と純粋な感覚に従って、
実行可能な所から毎日少しずつでも真坐を継続されまして、
感知力や理解力を高めてくださいますよう、お願い致します。
と申しましても、決して苦行をお奨めしてはおりません。
既にご承知のように、気持ちよく(気を楽に)が基本です。
気の安定の上で更に先天炁の楽を求める(炁の安定をもたらす)、
順序としてはそうですが、先天炁の安定的な充凝を図ることに由って
真の自己を確立する、その為に先に気を平静にするわけです。
様々な宗教や修法に親しまれ、知識や経験の多い方々には、
却ってシンプルな道理や修法を困難にされやすい傾向を感じます。
単純で一途な動植物たちが、人の修者よりも顕著な成果を上げられた
実例が経典の彼方此方に説かれているのも意味深い事と思います。
この際あらためて、お気持ちをできるだけ真白な状態にして、
頭をすっきりと空っぽに、胎児の頃のように受動的に、
穏やかな静かさの中で、神経感覚を研ぎ澄まして、
先天炁を感じてみられては如何でしょうか?
何も目立った現象が起こらず、ひたすら静かな
蓄えモードが続くならば、それは良い状態でしょう。
形坐の時間だけに痛みや電気的刺激などが来るのならば、
それも亦心身が回復に向かっている良い状況でしょう。
目の前に光くらい見えても不思議ではありません。
一過性の幻色なら、無論かかわる必要はありませんし、
自然に得られた真色でさえ、狂喜する程の事ではありません。
真坐を継続実行していて真色が見えても当然でしょう。
けれど、自然に真色が得られれば、そこから愈々
本格的な真霊養育の修養が始まる、とも謂われています。
修養の静かな楽しみは、益々淡々と延々と続いてゆくでしょう。
お互い、しっかり基礎を固めつつふんわり致しましょう。
皆様のご成功をお祈りしております。
けれど、炁楽仙女の平易なガイドブックにさえ、
馴染みの無い理論や独特の道語が出てまいりますので、
最初から難解に思ってしまう方も居られるようです。
道院の修坐は、既成の修養法ではないため、
初めて聞く特殊な事柄や考え方を理解する事が
必要になります。また、説明する側にも、そのための
独特な言葉や感覚的表現などが必要になります。
また、日常的に使われている言葉、例えば
「自然を大切に」の「自然」という言葉も道語では
先天炁功(炁のはたらき)の自然を指します、という具合に
意味の異なる場合がある事も誤解に繋がるでしょう。
けれど実は、大道の真理は至ってシンプルです。
なるべく修養の初期に、独特の道語や概念を明確に
理解できてしまえば、全ての事が解り易くなるはずです。
読者の方々には、今一度の再読をお奨め致します。
特に、先天炁と後天気の関係、そして異なる点、
何故心坐や形坐が大事か、窔の用い方、等の所ですね。
この機会に要所だけでも再チェック、再確認できましたら、
他所の修坐との根本的な違い等も明確になるでしょう。
私が僭越ながら紹介しております修坐の特徴は、
「自己の真霊の基を設定して、そこに炁を充凝させる」事、
それが古今東西の聖賢の教理、修行法と最も異なっている所です。
単に気を安定するだけではない、真丹を実現する実功です。
その真霊修養法を外しては、今の世界に生きる我々が
永遠の生命を得るなど、不可能あるいは非常に困難でしょう。
私も、更に簡単な方法を平易な説明表現でお伝えできますよう、
努力してはおりますが、未だ暫くの時間を要しそうです。
どうぞ皆様も、ご自身の本心と純粋な感覚に従って、
実行可能な所から毎日少しずつでも真坐を継続されまして、
感知力や理解力を高めてくださいますよう、お願い致します。
と申しましても、決して苦行をお奨めしてはおりません。
既にご承知のように、気持ちよく(気を楽に)が基本です。
気の安定の上で更に先天炁の楽を求める(炁の安定をもたらす)、
順序としてはそうですが、先天炁の安定的な充凝を図ることに由って
真の自己を確立する、その為に先に気を平静にするわけです。
様々な宗教や修法に親しまれ、知識や経験の多い方々には、
却ってシンプルな道理や修法を困難にされやすい傾向を感じます。
単純で一途な動植物たちが、人の修者よりも顕著な成果を上げられた
実例が経典の彼方此方に説かれているのも意味深い事と思います。
この際あらためて、お気持ちをできるだけ真白な状態にして、
頭をすっきりと空っぽに、胎児の頃のように受動的に、
穏やかな静かさの中で、神経感覚を研ぎ澄まして、
先天炁を感じてみられては如何でしょうか?
何も目立った現象が起こらず、ひたすら静かな
蓄えモードが続くならば、それは良い状態でしょう。
形坐の時間だけに痛みや電気的刺激などが来るのならば、
それも亦心身が回復に向かっている良い状況でしょう。
目の前に光くらい見えても不思議ではありません。
一過性の幻色なら、無論かかわる必要はありませんし、
自然に得られた真色でさえ、狂喜する程の事ではありません。
真坐を継続実行していて真色が見えても当然でしょう。
けれど、自然に真色が得られれば、そこから愈々
本格的な真霊養育の修養が始まる、とも謂われています。
修養の静かな楽しみは、益々淡々と延々と続いてゆくでしょう。
お互い、しっかり基礎を固めつつふんわり致しましょう。
皆様のご成功をお祈りしております。
は精神の働きとエネルギーの中間的なように
仙道でいう先天の気と道院の炁の概念が違う為
なかなか一般的には理解し難い考え方だと思われ
ます。
呂洞賓の教えもフーチで伝えられていますね
太乙金華 ユングの黄金の華です。
Oshoの解説がまだ解り易いでしょうが これも
一般的では、ありません。
炁楽仙女様の坐に関するお話 久しぶりに拝読
させていただき
大変 嬉しく感じましたと共に御心配をかけまし
たこと申し訳なく思っております。
どちらにせよ坐によって心と身体が変わって
いくことでしか本当の理解は得られないと
考えております。これからも御指導よろしく
お願いいたします。
また新たなお話 楽しみにお待ちしておりますので
よろしくお願いいたします。
これからもご一緒に、丁寧な修養をしてまいりましょう。