永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

人の退化について2 (きらく仙女さんの日記の転載)

2022年04月24日 | 日記
人が退化する原因は、端的に申せば、道理の不明と自霊の消耗です。
そして、人が他のものより退化し易い原因は、種々あると思われますが、
人が特に与えられている知的能力との関係が大きい事は否定できません。

道理の不明は学習不足や不適正な学習体験が主原因であると考えられます。
自霊の消耗は万物に起こりますが、特に人の思考特性がそれを加速します。
人は同じ状態を長く維持する事や単純な作業の繰り返しを苦手としています。

人の好奇心や探究心、抽象的な物事に対する思索などは消費量を増大します。
その特性は、進歩や創作性には有利でしょうが、心坐や静かな修養が行い難く、
目先の物事に気が放散し易いです。その事は経典中にも度々指摘されています。

適正な状態が自然にできるような良知良能の時期は、現在の新生児などでも
観察されます。けれど、それも周囲の後天世界の影響が日々繰り返されるうち、
だんだんと薄らいでゆきます。良知良能を持続する事は特に現代では困難です。

そして、炁気の仕組みを正しく知る、理論的に認識する機会が得られませんと、
たとえ良知良能の適正状態であっても、それを維持する重要性が分かりません。
まして、最適な状態に回復する方法を実行する事はほとんど不可能でしょう。

更に、物理的に先天から後天へはエネルギーが流れ易く、また後天世界では
エントロピーの増大が自然です。それ故、何らかの物事に関心や興味が生じて
エネルギー消費のサイクルに入りますと、そこから容易に出られなくなります。

そうして次第に後天の具体的な物事を意識して生活する習慣が身に付いてゆき、
公心や天命から離れて目先の欲望や感情に自らが振り回されるようになります。
人は意識の拡大が得意であるだけに、際限なく欲望が膨らむと収拾が困難です。

明日、一年後、百年後、と将来を想像的に心配する事も人の思考特性でしょう。
特に、恐怖から防御や攻撃の必要性を感じると、猜疑心や闘争心が強まります。
あれこれと想像、思索を巡らす度に自霊のエネルギーが消費されてゆきます。

この後天世界には様々な訴求力の強い現象、誘因性を競うような物事が溢れ、
これでもか、という程ひしめいております。しかも嘘や間違い、不適正な情報
等も多いです。その中で暮らす人々が退化してゆくのは非常に簡単でしょう。

そのような状況で現れてくる人災、天変地異などが刼と呼ばれていますね。
鎮心経の中には、人心から災刼が起こる説明がありますので、お持ちの方は
今一度再読されますと、刼の状況が道理に照らして見え易くなると思います。

刼は先天の虚心からは発生し得ません。後天の己心、私心から発生します。
また、他人事、例えば一部の特別に邪悪な人々が起こす現象ではありません。
この世界の刼は、衆生一人一人、各々の小天地の刼と無関係ではありません。

人は常に、所縁の世界から様々な影響を受けています。それと共にその世界に
影響を及ぼしています。小宇宙や小天地と呼ばれる自己自身を治めず鎮めずに、
所縁の世界の安寧に貢献するような善い影響を及ぼすことが可能でしょうか?

必ずしも理想的な完成状態でなくとも、日々それを目標に努力し修養する事が
自己自身に対する誠です。その道理を多くの人が認識されるよう願う次第です。
その認識が先ず、如何なる悪循環からも脱出する第一歩であろうと思います。

それは言い換えますと、人道を再確認するとも言えるでしょう。この場合の
人道とは、万霊の代表として模範的な真霊状態を維持または獲得するように、
修養する生き方を指します。人が人を殺す、食べる、売るなどは論外です。

今、世界中で人道が叫ばれています。特に実戦中の人々は、人知を駆使して
互いに相手側の非を暴露あるいは詐譎して反人道を指摘し合っているようです。
それぞれの大義名分があるでしょうが、それが本当に公的に適正でしょうか?

先ず双方、各自が、自己自身を反省して適正な生き方に修正すべきでしょう。
我々には今、エネルギー補給して進化する方法も時間も与えられています。
読者の皆様には、その有利な条件を活かして頂きたいと願っております。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の退化について1 (きらく仙女さんの日記の転載)

2022年04月17日 | 日記
色とりどりの草木や花々が季節の変化を知らせています。
その光景は自身の大切な生命エネルギーを放出している姿です。
そして、それを見て楽しめば、気はその方へ流れ、精が消費されます。

美しい物事を見て美しいと感じる反応自体は、無駄な消費とは言えません。
宇宙の運営コンセプトや真霊の完全性に通じる美的な反応でありましょうし、
又そこから、この世界や物事に対する余裕や慈しみさえ湧いてくるでしょう。

けれど、元々四時の設定は植物の過繫殖を制御するのが主目的であるそうで、
それに由り動物も制御されます。というような基本的事実を一応知った上で、
季節の美観にも振り回されず、あっさり適当に楽しむようにしたいものです。

さて、そのようなエネルギー消耗のリスクが常に溢れている後天世界の中で、
人の生命機能が時間経過とともに劣化する現象はどなたもお分かりと思います。
原始的な生態を保持している生物も知られていますが、人は劣化傾向が大です。

時間経過とともに文化文明が発展すると言っても、地球人は進化していません。
例えば、太古には普通に可能だったテレパシー的な意思疎通や自然な和気交流が
現在はできなくなっています。そういう能力を失った事は進化ではなく退化です。

天地宇宙の制御システムとして、日本では四季のサイクルが解かり易いですが、
地球目線で見れば、太陽や月のサイクル、水のサイクル等が施行されていますね。
そのシステムは又、長期間に亘って適当な状態を維持するためでもありましょう。

後天の形態は永久ではありません。後天の形は皆リサイクルされます。後天気は
必ず先天炁に戻る事が天然の作用です。また、先天炁は必ず自然に後天気に化して
後天の世界を展開します。そのシステムの故に宇宙は完璧に永久性を保持できます。

その中で我々地球人は、この銀河の太炁の流行や各天体の位置関係に由り生じる、
エネルギー的密度の相違や電磁波の飛来、素粒子の活動変化などの影響を受けて、
生存に適する時期と不適不安定な時期を循環的に体験するとも謂われています。

時間的に見ますと、上元、中元、下元の流れがあり、その各々にも上中下の区分、
その各々にも更に上中下の区分があって、下元の下元の下元まで時間が経過すると
上元の上元の上元に戻る、環境条件の変化が循環する仕組みであると謂われます。

又この世界では、後天のもの達の横暴や劣化の対策としても寿命が定められて、
有形の物達が各々の因果状況に由って急に先天の材料世界に戻る場合もあります。
繁殖し過ぎた物が絶滅したり、自滅的行動を起こす例なども知られていますね。

人霊は一応、輪廻するようになっていますが、回復不可能なほど霊昧しますと、
後天気の天然に従い材料世界に戻ります。自ら墓穴を掘る如き行動をとる場合も、
天地のリサイクル機能が正常に作動している一例に過ぎないのかもしれません。

もし、そうならば、自滅的行動は善悪是非の問題の外、喜怒哀楽の感情の外の、
自然天然の節理の現れでしょう。「天地は衆生を藁狗と為す」とも謂われます。
各々の生命は各自にとっては重大ですが、マクロ的には一瞬の泡のようです。

ただ、人は各個有のエネルギー管理を認められている、小天地の主宰です。
どのような環境条件であろうと、必ず心身の状態を劣化しなくてはならない、
霊的消耗をしなくてはならない等と義務付けられている訳ではありません。

災刼さえ免れて長い年月、生命を保つ植物の種なども存在していますのに、
様々な有利な条件を天与されている立場であります「人の退化」が何故に
起こり易いのでしょうか?そして何故に複雑化深刻化するのでしょうか?

すでにお察しの読者も、どうぞ今一度お考えになってみてください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする