永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

過ぎ去ってゆく風景

2023年02月25日 | 日記
最近、久しぶりに立ち寄ろうとした商店が閉じていました。
時々覗いて顔見知りの店員と少しおしゃべりする、そういう店が、
特にこの2~3年のうちに、10軒以上は忽然と姿を消しました。

強烈ショックでもありませんが、一抹の虚しさを感じます。そして、
生者必滅会者定離という言葉が浮かんでまいります。あるいはまた、
一期一会という言葉も浮かんでまいります。昔からの風景のようです。

全く、この後天の世界は常に止まらず変化して物も人も過ぎ去ってゆく、
と昔から謂われている通りですね。現世と書いてうつしよとも謂われます。
鏡や水面に映している如く実在しない世界というニュアンスでしょうか。

それが善い悪いではなくて物理的な法則なので、その環境の中で如何に
自分を保って、悔いの無いよう、自分の気が済むように生きてゆくか、
それが古来から延々と続いて人々に提示わされている課題のようです。

そして基本的に、人は過去にも未来にも直接存在する事はできませんね。
今現在にしか生きられません。今この時に何をするか、どのようにするか、
という選択決定だけが自分の意志で可能な事でしょう。けれど、それも、

中々思案が纏まらなかったり、最善と決めても外部の条件が厳しかったり、
自己の身体が思い通りに動かなかったりしますとアイディア倒れになります。
結局、意識だけが最初から最後まで自由な可能性を有する自己そのものでしょう。

それにしましても、永遠の未来が存在して当然という大道の真理と巡り合って、
現実にその恩恵を受ける事ができるケースは本当に本当に希であるようです。
私も懸命に声を発して道のお話をお伝えしてまいりましたけれど、なかなか

縁を得られる人は少なく、縁を得ても関心が薄くて直ぐに去ってゆく人や、
方法を知って実行しても結果が得られず諦めてしまう人、中には曲解して
批判するばかりか、他者のチャンスまで閉ざしてしまう人も見かけます。

何事も自己の意識で判断して生きる自由が認められている現世である故に、
そこに生きる者の楽しさ厳しさ、喜び悲しみも自由に展開されてゆきます。
そのようにしてバラエティに富んだ舞台劇が演じられてゆくのでしょう。

ただ、各々の因縁果の織りなす風景は、全てに一々原因要因があります。
もし、その詳細が分かれば、必ず納得せざるを得ないものでありましょう。
たぶん、ブッダや大真人はそのような魯迅通的な視野だと拝察いたします。

私の場合は、本心の気の済むよう悔いの無いように、と思っております。
その方針で参経や修坐を続け、思い付く道のお話をお伝えしております。
それらが今の私にできる事でありますし、気の済む事であるからです。

日々新発見がありますから、だんだん賢くなっているかもしれませんが、
それだけ過去の自分が愚かだったと呆れます。通りすがりの人に対しても
もし今日なら、もっと適正な言葉をかけてあげたりできる気がいたします。

けれど、その時々の物事に意識を集中して自己の本心に正直に考え行動する、
そこまでが自己の責任で、それ以降の経過や結果は天地神明にお任せします、
と割り切らないとストレスを溜め込む状態にもなるのではないでしょうか。

そこで、前々から申します鍵は、できるだけ静息の状態に近づく練習です。
それに由って心身が柔らかくなり、必要な情報のみがスーッと受けられ、
適正な言動が自然に発せられる、という気楽な生活に至れるはずです。

そこから更に修養が進めば、やがては時間と空間を超越する真の人の
生き方が見えてくるでしょう。そうしますと、過ぎ去ってゆく風景を
止める事も過去のエラーを訂正する事も理論的には可能なはずです。

ですが、そのような立場になった時に過去をいじる行為は、どなたも、
余程の必要が無い限り為されないだろうと思います。個人の自由と責任に
新たな問題が生じたり、第一この現世芝居が面白くなくなりますからね。

という訳で、あの時は楽しかったな、もう少しこうしたら良かったかも、
とか思い出す記憶は各人の持ち物、財産のようなものかもしれません。
それらが、なるべく明るく爽やかであってほしい、と私は思います。

未だ寒いですが、どうぞ皆様お元気で。そして、閉じた店舗の方達が
ひとまず静養されて、春の芽吹きのように新しい出発をされるなど、
今の時間を明るく生きられますよう、心よりお祈りいたします。
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節分と立春 (きらく仙女さんの日記の転載)

2023年02月03日 | 日記
こちらは連日寒いですが、日差しは春めいてまいりました。
今日は節分、明日は立春ですね。季節の変わり目である節分は
四季にある筈ですけれど、立春の直前だけが重視されています。

昨年お知り合いになりました真言宗のR長老のお話しに由りますと、
節分には、各人の生まれ年の星と今年の星回りの両方の悪影響を除き、
善い影響が及ぶようにという主旨で星供養が執り行われるのだそうです。

元々は弘法大師が日本に伝えられた加持祈祷の方法が妙見信仰と結びついて
節分の日の勤行となって今も続けられているとの事。その際に特徴的なのは、
北極星を意識して行うという事です。諸々の星々が中心に従う構図になります。

その概念はかつて孔聖が注目されていました調和のあり方とも共通しています。
論語の為政の中で、「譬えれば、北辰が其の所に居して、衆星が之に共する如し」
と理想的な賢政の状態を示唆しておられます。共は向かうで恭の義を含みます。

道院には北極の文字を冠した経典が多く伝わっていますが、そのネーミングは
まさしく衆星が中心の星を尊敬してその周囲をとりまき、和を保ちながら巡る、
そのような拠り所となる尊い書物であると讃えて付けられているとの事です。

ただ、道院では節分より立春が大事な日になっていて、重要な伝授が為されたり、
特別の式典も行われます。森羅万象の展開が愈々開始される輝く春の始まりの如く、
修者の今年の道慈活動がいよいよ起動するという清々しい緊張感に溢れた時です。

というようなポジティブな上にもポジティブな心境で、立春に向けて気持ちを整え、
備えたいものです。と、私もこれまで毎年漠然と習慣的に思ってきましたけれど、
今年は何故か現実的に本気で感じられてまいります。皆様は如何でしょうか?

一般家庭では、必ずしも特別なお祀りなどしなくても大丈夫です。けれども、
凛と気持ちを整える事は有意義と思います。鎮心経に毎日親しんでいない方も、
このような区切りの日だけでも5〜6回お誦えされるようお奨めいたします。

ともかく、どなた様も、この特別な時間に、できるだけご自身の体調を整え、
できるだけ大らかな気持ちになり、明るく平和な世界、万物の安寧を願って、
二度と戻って来ない今年の節分と立春を慈しんでお過ごし下さいませ。
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