永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

鎮心経の写経 (きらく仙女さんの日記の転載)

2020年07月23日 | 日記
最近、たま出版経由で読者のお便りが届きまして、
住所の近い友人に協力をお願いした、という事がありました。

その読者は常識や教養のある方で、鎮心経を写経されているそうです。
と友人から聞いて、そういう方も居られるのかと新鮮な印象を受けました。

私は昔、少々書画に凝っていました頃、写経を習っていた時期もありました。
久しくご無沙汰しており、鎮心経を毛筆で写経した事はありません。けれど、

静かな写経の時間を持つ事は、自心を鎮めるには大変善いのではと思います。
また鎮心経は文字数の点でも、時間的労力的に写経に適する経咒でしょう。

写経用紙が無くても普通の半紙や料紙、綺麗な包装紙などに墨や筆があれば
案外手軽にできます。書体もいわゆる写経体でなくて構わないと思います。

要は心を鎮める事です。なるべく適当な環境で道具を整えて墨を磨る・・・、
一連の作業の中で静かさを味わえば至福の贅沢な時間が得られるでしょう。

ご自宅で退屈な連休を過ごしておられるような方には、鎮心経の写経は
最適かもしれません。私も時間を捻出してトライできればと思います。

ただ、鎮心経の最も重要なコンセプトは災刧の弭化です。それにはやはり、
声を発する誦経の音の波で周囲環境を鎮化してゆく慈行が大事になります。

ですから、鎮心経を活用されるには、できるだけ道理を理解され、なるべく
坐のモードで誦経を実行される事が善行で、写経は必須ではありません。が、

もし写経に由って鎮まった心境で誦経されれば、ご自身も非常に気持ち良く、
その波動に因る弭化の効果もさらに発揮されて素晴らしいに違いありません。

ところで、たま出版本をお持ちの場合、経咒のページの「静」などの文字が
新書体になっている個所があります。著者として不備をお詫びいたします。

音読には支障ありませんし、危険を招くような事ではないと思いますが、
気になる方は写経の前に風詠社版の試読サイトでご確認下さいませ。

また、ご感想、修養のアイディアなどお知らせ頂ければ幸いです。
簡単で良い方法などは皆様と情報を共有したいと思っております。

皆様のご健康と善行の成功をお祈りいたします。
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初めての避難勧告 (きらく仙女さんの日記の転載)

2020年07月12日 | 日記
昨夜は、滝のような豪雨が1時間以上続きました。
皆様はご無事でしょうか?気象状況は如何でしょうか?

数日前には朝から、在住の村に初めての避難勧告が出まして、
「命を守る行動をとってください」との放送が響き渡りました。

私の住居は屋根も破損個所が有り、見た目では危険そうですけれど、
道の書類などがありますし、親しい諸天善神もご協力下さっています。

ですから、いつもの聖号や咒をお唱えした後に、今現在の大雨について、
被害が最小になるよう、なるべく速く通過してゆくようお願い致しました。

それが善因となったという物的証拠は提示できませんが、見える範囲では
間もなく雨が治まり、外に干し物ができそうなほどに晴れてまいりました。

村の放送で避難勧告の解除が知らされたのは、その3~4時間後でした。
他の村民もたぶん、何事も無かったように日常生活に戻られたのでしょう。

道の修養をする上で使わせて頂いている種々の方法は本当に得難いものだと、
時々は思いを新たにしませんと慢性化してしまい易い、と反省致しました。

昨夜はまた、豪雨の音で眠れないのを利用して、形坐の時間を頂きました。
瀧の側で坐っておられる補陀落山観世音菩薩にあやかるような感じでした。

間もなく雨は穏やかに過ぎ去って、今朝からは久しぶりの晴天となりました。
最高気温が30℃にもなるという予報で、嬉しい事ばかりとは言えませんが。

まだまだ、これから色々な問題が次々と身近に降りかかってくるでしょう、
と言われても誰も驚かない、常識になってしまっている今の地球環境です。

皆様も、ご自身でできる有効な方法を、遠慮せず躊躇せずにご活用下さい。
その場合、重要なコツと申しますか、注意点が2つ挙げられると思います。

一つは、どのような緊急事態であっても、目前の難を逃れたい場合であっても、
先ず静かな大きな気持ちになって、世界や多くの人々の安寧を願うことです。

その事によって先ず心が鎮まります。そして身体の機能が正常に働きます。
いわゆる「平常心を保つ」から一歩進めて意識を拡大、安定させる訳です。

もう一つは、望むような結果に成らなかった場合に、絶対に卑下や落胆、
特定の誰それが悪いというような思いなどに拘らない事です。そして逆に、

望むような結果に成った場合に、自分の手柄や功績のように思わない事です。
自己は誠を尽くすだけ。力は先天炁の力、功は周囲の善神やみんなの功です。

その2点に気を付けていますと、自身の安全性も当然益々高まるでしょう。
どのような難問が降りかかって来ようと、静穏に心身を保ちましょう。
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仕事があるという事 (きらく仙女さんの日記の転載)

2020年07月05日 | 日記
コロナウィルス問題に大雨なども加わって、
心配な日が続きますが、皆様お元気でしょうか?
日常生活が変わってしまっている方も多いと聞きます。

沢山の仕事の重圧を受け時間に追われる毎日も大変でしょうが、
する仕事が無く暇なのはもっと辛いかもしれません。やはり人は、
気に入りの仕事が適度にできる状態である事が望ましいと思います。

必ずしも職業としてではなく、また世間で称賛されるような活躍でもなく、
個人的なちょっとした用事、日常の簡単な家事や趣味的な作業なども含めて、
自分の仕事があって、それをできるという事は何方にとっても重要でしょう。

特に高齢者や療養中の方たち、心身の不自由になっている方たちにとっては、
自分のできる仕事がある、何らかの作業を自分でする、できるという事が、
精神的な励みになり、身体的なトレーニングにも繋がる重大事でしょう。

私の場合は未だ、この世界で為すべき仕事がありますので、もう暫くは
なるべく心身の健康を保って精進するつもりでおります。それに現実は、
筍の世話が終わればミニトマト、ブルーベリーなどと次々用事が来ます。

人は本来「存在するだけで有意義な役目を担うために生まれてくる」、即ち
天地人「三才」という運営システムの安定に貢献するのが人の仕事ですので、
それができる人に成り且つ実行する事が人に求められています。その人とは、

必ずしも未だ真霊体を自立していなくても、私利私欲の薄い、公心の人ですね。
本来の人の性質は「善良で穏やかで誠実である」との旨が経典にもあります。
その本性を基に各々の個性や能力が発揮される事が最も善い状態でしょう。

この「善い」とは勿論、先天炁が自然に順調に活動できる状態を指します。
そういう性質を発揮できるように成っている人だけでなく、そういう意識に
一時的でも為っている状態の人が三才の運営に貢献できるという道理です。

という訳で、知能や身体に問題があろうと、外見が素晴らしくなかろうと、
この「善良で穏やかで誠実である」という事を踏まえて、あるいは追究して
日々を送っているならば、それだけで道的に有意義な仕事と言えるでしょう。

天地、神仏に感謝する気持ちを起こす事も、善良で誠実な人のラインです。
日々そのような気持ちで過ごし、周囲に、特に若年者や子供たちに善良で
誠実な生き方を示すのは大善事です。それは当然自身にも返ってきます。

安静状態を強いられているような立場でも、意識があって、心坐をしたり、
心の中で鎮心経などをお唱えする作業を実行される場合は、実行しなくて
常識的に暮らしている人たち以上の善事ができていることになる筈です。

そのような意味で、思う活動ができなくて時間を持て余しておられる方、
動的に活躍できない高齢者やご病人にも、今の時間を大いに活用して、
本来の仕事に繋がる善い仕事をして頂きたい、と希望いたします。



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