永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

適正価格?

2011年11月20日 | 日記
知人からの情報で 「生きる!意味と方法」 の中古本がアマゾンで出品されているということを聞きましたので確かめてみました
2冊 出品されていて少し傷みのある1冊は14,800円 もう一冊は59,000円でした

本の内容からすればまだ適正価格よりだいぶ安いと思いますが少し驚きました

世の中は目明き1,000人 盲1,000人などと言いますが
解る人には解るようですね

コメント (14)
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自信について  (きらく仙女さんの日記の転載)

2011年11月04日 | 日記
自信とは 何でしょうか?
あなたは 自信をお持ちでしょうか?

私は今までも今も 自信を持っております
それは 大道と繋がっているという自信です
どんな状況でも 道の中に存在するという自信です
それ故に ピンチの時もポジティブになっていられます

大道と呼ばず 大炁胞でも 大宇宙でも 大親神でも・・・
とも角そういう 自己存在の根拠が 自信の基になり得ます
それは 単なるイメージではなくて 理論的に確かな事ですし
条件さえ叶えば必ず 実感できる機会に遭遇するものでしょう

理論的に確かという理由は 喩えて言えば 指先の1個の細胞も
毛細血管から太い血管へ そして心臓へと 繋がっていますよね
神経のラインも 脊髄そして脳の方へと連絡されているでしょう
更に 1細胞自身にも自己固有のDNAが標準装備されています
ですから 全体とは関係ないという様な認識は不可能なわけです

けれど実感するには機会が必要です ですから 人によっては
不可能ではないにしても 非常に困難な場合は有るでしょう
一つの真理に出会うだけでも それなりの条件が必要です
その最低条件は何か と言いますと それは道理では
その個人の能力的 又はエネルギー的条件ではなく
自己自身の生命に対する「誠があること」です

そもそも「信」とはどういう事か 考えてみましょう
「信」の文字を見れば 言葉と人で構成されていますね
例えば 知人があなたとの約束事を実行した と知った時
あなたは その人を信用できる人である と感じるでしょう 
完行できていなくても 努力していると認識できる 又は
無理からぬ状況変化を察知すれば 不信は起こりません
企業や国家でも 約束の遂行が信用の目安になります

それらは その人や国の「誠意」を感じるからです
即ち 誠が感じられれば信じられる という事です
誠とは 言葉が成る 成就するように努力する義です
それは 自己自身に対しても同様ですから 自分が何か
仕事を成し遂げた 又は目標に向かって努力している場合
自分の誠意ある状態を実感して 自分に好感を持つでしょう
そして そういう事の積み重ねで自信が付いてくるわけです

周囲の人々も 神佛や諸天等も同様で そのような「誠」を感じて
その人に応援の手を差し伸べる気になる それを感応の理と謂います
知人の応援でも 誠が感じられる場合は疑わず遠慮せずに受けるのが
賢明だと思います まして神佛の加護は欲しても得難いものですから
その「機」をチャンスとして活かすことが その個人にとって 又
引いては 周囲や世界全体の環境等にとっても善いことでしょう

この様に「信」と「誠」は非常に密接な関係にあります
道院の 太乙正経午集という経典の第五節第三録には
「古の学ぶ者は 弗見弗聞なれども之(真理)を求め
弗得なれども之(修養)を力行し 力行弗懈(なまけず)
自(おのず)から能く誠堅の境に至る」と説かれています
この場合の古の学ぶ者とは 昔の聖賢たちのことです
誠堅によって自然に 基(エネルギー体)の定固へ また
定固から功候(はたらきと状態)の恒久へ・・・と日々新之
そうなると実感の機も多く 真理が心身に定着してきます

仮に 他人が如何に証拠らしきものを提示して見せたとしても 
自分が実感し納得できなければ 身に付かず実益もありません
例えば 宝くじの当選者が豪華な買い物をした事例が公表され
そういう事が起こり得る と一般的に証明されたとしても
実際に自分が当選しない限り 他人事に過ぎないでしょう

逆に 認知度の低い事や 常識的でない事であっても
もし自分が会得して 有益に活用できるようになれば
それは 他人が何と言おうと何と思おうと 自分にとって
疑う余地のない 現実の事 当然の事となるでしょう
そして更に それが真の自信となってくるでしょう

真の自信は 既に真理を体得した聖賢の場合でなくとも
この道を一歩一歩進んでゆけば必ず目標に到達できるという
確信を得て 自分なりに誠を尽くしている と感じた場合も 
沸々と湧いてくるでしょう その時は 心が輝いています
と言葉で聞いても これ亦 実感してこその機会です

そういう訳で 私達の提案する修養方法に関しましても
ご自身の現在の自信の上で もし理論的に「有り得る」と判断
直観的に「ポジティブな印象である」と感覚された場合には
多少の時間を割いてトライなさる事はご自身への誠でしょう
何事も トライしないで達成することは不可能ですから

勿論ご選択は各位のご自由で 私は情報提供のみです
けれど 最基本の「宇宙の中の自分である」という
自信だけは保って頂きたいです そして願わくは
真の自信に溢れた現実が得られますように

私も亦 諸仙佛善神の慈愛に感応して 
ご参考までの話をさせて頂きました
コメント (2)
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