永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

葉っぱ療法(きらく仙女さんの日記の転載)

2021年10月21日 | 日記
皆様いかがお過ごしでしょうか?
こちらは木々の色が秋から急速に冬に向かい始め、
色とりどりの木の葉が次々と大地に降り注がれております。

ところが、私としたことが、不注意から足の神経を少し傷めまして、
重症ではないものの、坐や湿布薬では中々回復が遅くなっておりました。
そこへ丁度、友人からのメールで「葉っぱ療法」というのを知らされました。

方法は、何でもよい生の葉っぱを足の裏か内クルブシに貼るだけとのこと。
高齢者施設でのキャベツを用いた実験で、有意な歩行改善が見られたとか、
又別の歩行困難な女児が短時間の実施で歩けるようになったとか・・・。

何だかウサン臭い情報だな、と思いました。けれど、実験は好きですし、
簡単で道具や特殊な物も不要なので、私も一週間ほど試してみました。
ただ、私の場合は日々の坐や定番のストレッチ等に加えての実施です。

近辺で採取した木の葉でも、葉物野菜の断片でもOKだそうですが、
皮膚に直接貼るので、毒性や刺激性の強い葉は避けるべきでしょう。
そして、暫し張り付けておくための靴下とかテープなどは必要です。

私は身近な白菜、キャベツ、ドクダミ、青シソ等を用いてみました。
小片を両足の内クルブシに貼って靴下を着用した状態で就寝しまして、
起床後に新しい葉っぱに張り替えて、夜の入浴後にまた張り替えます。

それを3日続ける内に、痛めていました個所が意外に楽になりきました。
特に、形坐の時に葉を貼っていますと、優しい波動が足から伝わってきて
気の循環が促進される感じがあります。そして集中力が上がるようです。

触覚的に足先まで意識が喚起されるという意味では必ずしも生葉でなくて
他の物、例えば平穏な咒を印した紙、水晶やテラヘルツ鉱石の小片の方が
効果的かもしれません。生葉っぱを用いる意味が特にあるのでしょうか?

その療法の提唱者の説では「人の幽体の損傷が肉体の不調に反映していて、
天然の葉っぱだけが創造神に繋がっている。それを貼ると幽体が回復して
肉体の症状が良くなる」そうです。私にはその説はよく解かりませんが、

道院の経典の中に、「山川河沢、草木昆虫は、地の脳髄なり。」とあります。
人の脳髄は神経系の重要ツールですね。それに対応する地の神経系の髄に
譬えられるのが草木で、葉に至っては神経系の末端に相当するようです。

そして別の経典では、人が本来の善良で穏やかな性を失っている世では、
草木の方が天然の性を保っている、というようなお話が説かれています。
ですから、草木の天然性に触れる、親しむのは善い事でありましょう。

経典には、生の葉を貼る逸話も登場しませんし、そういう提案もなく、
人が元々の性を取り戻す、という事は霊性を回復するという事なので、
その回復対策として、玄関の坐を実行するように提案されています。

先天炁による修坐では、真霊の完成が目標ですから、それに向かうべく、
身体の脳や心臓の修復が最優先されます。例えば現代医療で対処不可能な
大脳の損傷で炁の力が劇的に発揮でき、足先の傷などは後回しになります。

ケガをして流血している時などは、先ず止血処置をするのが当然ですよね。
先天炁が理論的に万能であっても、後天気や後天物質を使う方が速いです。
後天物質で解決不可能な時ほど、坐や息に由る先天炁功が頼りになります。

そういう訳で、その時々の状況に応じて先天炁の功も後天物質も利用して
問題を解決し、心身ともに健康になる事が理想的であろうと思われます。
葉っぱに対して、その応援物質の一種であると考えるのは妥当でしょう。

そして又、坐の機会が得られない状況では、草木の天然性に繋がるよう、
食物として摂取したり、森林浴や園芸作業に由って草木に親しみますと、
人本来の善性と機能を幾らかでも取り戻す可能性は大いにあるでしょう。

食用可能な葉っぱの小片を貼る療法では、顕著な効果が感じられなくとも、
害は起こり難いでしょう。ですから特に、歩行に問題のある幼児や高齢者、
ベッドや車椅子生活の方達には、数日でも試して頂きたい気がいたします。

私の実験は気温が下がってきて一応終了しました。今から試されるなら、
あまり足が冷えないように暖かくして行って頂きたいと思います。また、
様子を見て不適ならば休止や中止をされると宜しいのではと思います。

現在、私の症状は、少し違和感が残っている程度に回復いたしました。
今回、身体の不自由さを少しは体験でき、幾つかの方法の実験もでき、
日ごとに回復する楽しさを体感することもできたと感じております。

ともかく、足先にまで神経が順調に巡る事は身体にとって重要です。
人は足から老化してゆくとか謂われますね。足の血流は特に大事で、
筋肉を使わないと固まってしまって動けなくなるのは事実でしょう。

実に後天の身体は、この世界での真霊の修養を支える基ですから、
良く動かしましょう。心坐しながら動かせば効果倍増のはずです。
どうぞ皆様、益々身体にも留意してお過ごしくださいませ。
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今ある物を活用 (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年09月14日 | 日記
皆様お元気でしょうか? 私は最近、
外出を控えています分、時間の余裕ができまして、
長年の習慣を見直すなどして、結構新鮮な暮らしになっております。

新しく購入せずとも、色々な道具や未使用の衣類などもあるものです。
こんな物を仕舞い込んでいたのか、と我ながら可笑しくなったりします。
例えば、室内運動の時に役立つ座布団や着られそうな服も見つかりました。

忘れていた物の再発見も面白いですが、いつも使って見慣れている道具でも、
置き場所や置く向きを少し変えるだけで随分と使いやすくなる事があります。
何故こんな簡単な事に気付かなかったのかと不思議な感じまでいたします。

それは多分、そういうものだと思い込んでいて、もっと使い易くするには?
等の問題提起をしないまま習慣的に過ごしていたからであろうと思います。
気付く事は不思議に繋がります。そして、昨日より今日が改善される筈。

ところで、今ある物で活用すれば素晴らしく有益な物の代表は、やはり、
自己の身体と感覚器官でしょう。道縁を得て修養をされている皆様には、
ご自身の様々な機能を十分に使いこなして頂きたいと改めて思います。

自身に備わる、生命に直接係わる高機能の修養道具が、もし活用されずに
仕舞い込まれていたり、使い方が良くないなら、実にもったいないです!
形坐は毎日行っていると思っておられる方も、今一度ご確認願います。

形坐の時の基本事項でも、早合点や我流の習慣など無いでしょうか?
例えば、順調に気が巡る状態では手の位置が外れても支障ありませんが、
初心の間や調子の良くない時はピタッと決めないと軌道に乗り難いです。

歯磨きを毎日の習慣にしている人は多いけれど、しっかりと効果的に
磨けている人は少ないと謂われていますね。実行しているつもりでも、
適正に実行できていない場合は、望ましい結果に繋がってきません。

鎮心経をお持ちの方は、良い使い方で活用されていますでしょうか?
ご存じのように、経咒をお誦えする行為は、自己修養の坐に対して、
慈に相当します。鎮心経は慈行の代表的な道具であると思います。

お誦えされていて、得意になったりふざけたりは無いと思いますが、
時には疲労や心配事などでネガティブな気分になって、誦経する気に
なれない場合があるかもしれませんね。そのような時こそ鎮心経です。

どんな状況であっても、とりあえず呼吸を整え、気持ちを平静にして、
大道の真理と自己の生命力を信じ、周囲の人々の安寧を願って、更に
天地宇宙の安寧を願う、大きく明るい気持ちでお誦えなさって下さい。

続けて5~6回がお奨めですが、ともかく1回数十秒でも構いません。
特に改まって身だしなみを整えて御神前などで真剣に行わなくとも、
誠意があれば、何時何処でも、小声の誦経でも問題無いでしょう。

そうしますと、必ずご自身の気分が良くなるでしょう。そして必ず、
様々な物事が好転し始めるはずです。と断言できます理由は、その
心境と願いの種類が天地宇宙のあり方、主旨に叶っているからです。

それぞれ御用があり、ご都合がおありでしょうが、折角の人生です。
特に今は非常に大事な時期ですし、修養の機会は確率的に希です。
できるだけ有効に、後々悔いの無いように過ごしたいものです。

今ある物が有効に使えているかどうかを点検、確認します事は、
中々面白い作業ですし、自身の軌道修正にも役立つはずです。
どうぞ、気付いた所からチェックなさってみて下さい。
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適という事 (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年08月14日 | 日記
こちらでは雨が続いています。
皆様の所では大雨の影響など大丈夫でしょうか?
万物を育む雨も、一時に多量では災害にもなります。

人体に必要な水分も栄養も、多過ぎれば害になりますね。
「磨く」でも「正しい反省」でも、頑張ってやり過ぎますと、
「過ぎたるは猶及ばざるごとし」以上のダメージにもなります。

最近、炁楽仙女の読者で、咒などを唱えすぎて喉を傷めた人がいました。
善い事で、基本的に安全な事でも、程度が過ぎますと心身に良くありません。
「程々に」と言うと曖昧ですので、「適」を感じるように提言させて頂きました。

Yahooでは更に強印象の記事を見ました。車椅子生活の女の人の手記です。
活発な女の子だった小学生の頃、学校でコウモリ大会というのがあって、
鉄棒に膝を掛けてぶら下がる耐久力を競うという催しだったそうです。

その人は、誰よりも頑張って優勝しました。ところが、その直後から
異変が始まり、保健室で休養したくらいでは治まらず、強烈な痛みが
全身に広がってきて、入院、車椅子生活へと繋がっていったそうです。

その人は現在、頭脳や上半身を活用するお仕事をなさっているとの事。
そして、事故当時からの経緯を振り返って、様々な思い、ご家族の苦しみ、
自分より更に厳しい症状の子供達に出会った体験など発表されていました。

客観的に考えてみれば、膝窩動脈が過度に圧迫されるのは恐ろしい事です。
リズミカルに指圧するならば血流改善に有効で、重症者の回復に役立った
という実体験を出版していた人もおられましたが。やはり「適」ですね。

保護者や学校関係者が危険性を考慮して、又は異変が現われた際の対応が
適していたら笑い話で済んでいたかもしれません。薄情なようですけれど、
誰より先ず自分が日頃から「適」を感じて無理をしない事が肝要でしょう。

最も重要な事は、全ての生物に共通して、自己の本来の感覚を大切にし、
それに従う行動を優先すれば必ず最適な結果に成る、という道理です。
例えば形坐でも咒でも、足りたと感じれば止めるのが賢明と思います。

その本来の感覚を大切にするためには、平静の習慣化が必要不可欠です。
常に平静にではなく、平静を基として、何時でも直ぐにその状態に戻れる
ように練習する事です。それに由り、本来の感覚に繋がり易くなります。

それは予防的に有益な事であると同時に、既に問題が発生した状況でも、
本来の感覚を最優先にすれば、早めの適正な対応が可能になるでしょう。
医療の場面でも、行う側も受ける側も適切な処置が可能になる筈です。

現状では丁度、Cウィルス感染症の予防と、既に感染した場合の対策、
話題のワクチン接種を受けるか否かの選択、受けない場合の安全性、
既に受けている場合の生活、などにも応用できる事ではと思います。

オリンピックも閉会され、続いてパラリンピックが始まりますが、
競技関係者の方々も、無理に頑張って心身を酷使されませんよう、
適度に催しを楽しまれては如何かと個人的には思っております。

末筆になりましたが、過ぎたる禍で辛い状況の方々に
心身の安寧が得られ、新たな幸福が得られますよう
この機会をお借りして、お祈りいたします。
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正しい反省 (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年08月02日 | 日記
暑い中、熱い戦いが次々と繰り広げられているようです。
泣いても笑っても勝敗が決まってしまうオリンピックゲーム。
開催についても賛否両論あるそうですが、TVで愉しんでいる方も。
私はTV習慣を卒業したままですので、ネットでチラッとだけ見ます。

勝敗やプレイに一喜一憂せず恬淡でありたいので、報道が目に留まっても、
特定の国や地域、個人やチームを感情的に応援しないようにしております。
けれど、家のフスマの破れた所にBカメラのカレンダーが貼ってあって、
そこに日本の女子ソフトボールチームの選手達の写真が載っています。

それで時々目に入ってくるというご縁がありまして、頑張ってるかな?
みたいな気持ちでおりました。そのチームが、金メダルだったのですね。
競技会は、どの選手もチームも、監督その他の関係者も夫々が様々な思いで
練習や研究努力を積み重ねて来られた結果を試す機会の一つなのでしょう。

競技に敗れた人の爽やかな態度や落胆の思いも一つ一つドラマのようです。
ですから、「おめでとうございます!」という言葉は遠慮させていただきます。
ただ、そのチームの主将の上野投手のコメントが報道されていました中で、
私が特に印象深く感じましたのは「正しい反省をする」という言葉でした。

反省という行為や態度は日本や儒教思想圏ではお馴染みの美徳らしいです。
その割には、正しい反省について明確に意識されなかった気がいたします。
そうそう、少しうなだれて反省らしきポーズをとるおサルさんもいましたね。
反省を表現するならば、そのような自分の非を悔いる如き様子でしょうか。

道の理論では、正しいとは先天炁の功が自然に無理なく行われる状態です。
我々の日常では、その炁功の自然に法って一つ一つの事を丁寧に行うのが
自分自身にとって真に有益な正しい事であると謂われています。ですから、
正しい反省は炁の自然を阻害している 考えや習慣を改善する行為でしょう。

報道されていた「正しい反省」の意味は多分、何か問題に気付いた場合に、
感情や情緒、過去の固定概念に囚われず、しっかり現実的に問題点を捉えて、
改善や予防の対策を立てて実行するというような意味であろうと思います。
そういう考え方は、道理に照らしても正しいですよね。ポジティブですし、

自身の進歩に貢献する前向きな事です。正しい反省は良い未来に繋がります。
その為には、偏見を持たず状況を冷静に把握する事が重要でしょう。けれども
何か問題があるようで明確化されていない、いわゆる無題的問題の状態では、
正しい反省より先に問題を明確化する、有題的問題にする必要があります。

問題意識を持たず、マンネリ化した生活では正しい反省にも繋がりません。
道院には、石や樹木の形態から修養に目覚めて大真人にまで成られた史実、
猿や鹿の姿から修養の道に入られた例も伝えられています。彼らの共通点は、
自己の生命に関して問題意識が生じた事がきっかけであると推察できます。

人の姿を持つ我々は、心坐や形坐が行い易いという有利な立場にあります。
例えば、形坐をしている時、微妙な問題点に気付いたり、それを解消できる
良いアイディアが浮かんだりします。難しい問題を抱えている場合などでは、
それを放念して坐をしますと、不思議に最適な判断が湧いてくるものです。

心坐や形坐を日々少しずつでも実行していますと、その最中に自然に「何?」
と感じる時があります。それを静かに吟味してみる、それが今の我々にとって
最善の正しい反省に繋がり、最適な結果に繋がる方法であろうと思います。
日々の小事から宇宙の大事まで、問題解決は楽しいし有意義でしょう。

正しい反省から望ましい結果が得られた話は、どこの国の話でも、
どの個人、どのチームの話であっても、清々しいものです。
他人事と思わず、実感してみましょう!!暑い中ですが、
どうぞ、炁気を感じる静かな時間を楽しんで下さいませ。
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磨く(きらく仙女さんの日記の転載)

2021年07月17日 | 日記
最近、持ち物の片づけをしておりますと、
拾ったり買ったり贈られた石たちが目に留まりました。
そういう物を見ますと、つい手入れが始まってしまいます。

久しぶりに、磨くという作業が毎日少しずつ暫く続きました。
形を変えたくない物は、ただ柔らかい布などで拭くだけですが、
造形的に気になれば改刻と言いますか、刀入れが必要になります。

少し時間を掛けて丁寧に磨きますと、みんなピカピカになりました。
中でも土産物店にあった小さな翡翠の仏像などは素晴らしくなりまして、
私が触ると価格のゼロが増えると言っていた人達の事を思い出しました。

けれど、一寸磨いて驚くほど美しくなる石は希です。作硯の師匠の説では、
「良質な石は磨くと化ける。良くないと、いくら磨いても無駄。」だそうです。
やはり素材の価値が発揮されていない場合の手入れは張り合いが有ります。

人も同様かもしれません。一つのきっかけ、一言の提案から別人のように
輝き始める人は殆んど希だと思います。私も亦そういう種類に属せたら、
と思います。そして又、そういう人達とご縁があれば、とも思います。

磨くという作業は大抵楽しいです。家の床でも、古い家具や日用品でも、
それなりの輝きを取り戻すか、又はそれならではの古色の輝きを始めます。
ただ、物は必ず原料の世界に戻りますから、輝きや楽しみも一時的です。

永遠に輝ける物は人の真霊であると謂われます。自身の真霊を修養して、
輝きが増してくる様子が感じられるのは楽しい事です。それは3次元の
物たちが磨かれてだんだん綺麗になってくるのを見る時と似ています。

ご縁があって来られても、中々修養の実践と成果には繋がりません。
誠意さえ通じない場合があります。けれど、どのような状況でも常に
誠意を持って対応する事は他者の為ではなく、自身の為になります。

人には他者の形態を磨く事は可能で、手助けや機会の提供も可能です。
けれども、自己の本心や真霊を磨く作業は自己自身にしかできません。
そして、自己を消耗したり傷害する事も自己自身にしかできません。

今、こうして文章を書き起こしていますと、自然に平静になれます。
そして考えが整理されてきます。言葉を選ぶうちに客観的になれます。
それは思考力や観察力などが磨かれる功候と言えるかもしれません。

物を磨く作業は、一見つまらない暇つぶしのように見えそうですが、
様々な効果があり、奥深い世界に通じる不思議な作業であると思います。
皆様も、お手許に縁じて来ている物を磨いてみられては如何でしょうか?

石の場合は、思い出の石や標本店などにある石、極端に高価でなくて、
なるべく良質な、水晶とかジェダイトとか透明感のある物がお奨めです。
それを市販のサンドペイパーの1000~2000番くらいで丁寧に磨きます。

自然に気持ちが静かになり、その石の中に吸い込まれてゆくかと思うと又、
表面がだんだん鏡のように輝いてきて、心地良い時間が延々と続いてゆく、
そのような状態になります。善い修養法の一種であると言えるでしょう。

磨かれた作品は、飾って偶に布で拭いたりするのも優雅でしょう。また、
同様の感覚を有する人にプレゼントすれば楽しさは広がるでしょう。
そのような感覚の人が増えてこられると宜しいでしょうね。
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「生きる!意味と方法」試読サイト再開 (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年06月25日 | 日記
bookway、風詠社から出ております、炁楽仙女の
「生きる!意味と方法」は元々立ち読みが可能でしたが、
その機能が無くなっている、と友人が知らせて来ました。

私も視てみまして、すぐに管理会社に連絡いたしますと、
試読のページをめくる画像が古いバージョンだったため、
というような説明がありました。対策には2~3時間ほど
かかりましたが無事に、試読できる状態になりました。

題名だけでは普通っぽい本のようで、少し読んでみて初めて
興味を持って頂けるような内容ですので、機能不具合の間に
アクセスされて道との善縁を逸せられた方もおられるかも。
早く気が付かなかった事は申し訳ない気がしております。

けれど、試読バージョンも新しく視やすくなりました。
これから視にいらして下されば、目次も見られますし、
面白そうと感じる方もおられるのでは、と思います。
縁というものは、そういうものかもしれません。

入手されるにしても、早いほど良いわけではなく、
その方にとって最適なタイミングで縁じられる事が
後々の成果にも繋がるのではと思います。この機会に、
初版本をお持ちの読者も、気軽にお立ち寄りになって、

パラパラと立ち読みしてくださいませ。何か新鮮な
印象があるかもしれません。もちろん購入する義理も、
人に紹介する義務も無く、散歩感覚のご訪問歓迎です。
他のサイトで電子書籍版を入手されるのもアリです。

ご自由な時間が多い方は、炁楽仙女の本に限らず、
色々な実用的な本や楽しい書物もご覧になって、
どうぞ、気分好くお過ごしくださいませ。
取り急ぎ、お知らせさせて頂きます。

https://bookway.jp/fueisha/
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忘れるという事 (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年06月13日 | 日記
最近、忘れる事が多くなりました。
忘れる能力が向上したのかもしれません。

必要な事が必要な時に出て来ないと不便ですし、
その状態は認知症などの疑いが指摘されるでしょう。
けれど、不要な事を記憶しなくても問題無いはずです。また、
忘れたい事を忘れられないのは苦痛や不幸ではないでしょうか。

親しかった高齢者は晩年、すぐ忘れるからと言って、必要な要件は勿論、
見聞きした地名、人名、植物の名、新語などまで熱心にメモしていました。
「面倒くさい事を忘れるのは善い事やよ!」と私は時折励ましていました。
その様子は微笑ましい思い出として今も記憶されていて偶に思い出します。

脳の海馬には大容量の記憶が保存されると謂われます。微細な印象までも。
消去するのが無理なら仕舞い込んで風化させたい、そんな記憶は厄介です。
道院には、物事の原因を消去する咒やリセットする咒も伝わっていますが、
必ずしも咒を使わずとも、記憶を整理する方法は色々あると思います。

常識的には、ぐっすり眠る、その為に良い環境を整える事、あるいは
適当な食事や運動、入浴などを実行する事、気に入りの仕事や趣味に
没頭する、座禅やヨガの瞑想なども有効だと謂われていますね。特に
真坐や参経は心配事や心身の不調のリセットに大いに役立つ筈です。

印象は感情や情緒と結びつくと記憶され易く想起され易い、また、
バランスされない印象は把住されやすい、等とも謂われています。
強烈な印象は勿論ですが、些細な事でも未解決の不安定な状態で
気に掛かる場合は、未解決案件として保留され易いのでしょう。

嫌な事を何度も繰り返して思い出し、怒りや嫌悪感を加えますと、
忘れるどころか益々それが増幅され、しっかりと刻み込まれます。
ですから、忘れたい深刻な記憶は思い出しても強化しないことです。
一度原因や経路を明確にして決着を付けるのも良いかもしれません。

あれこれ考えるほど不快な迷路に入るような場合は、堂々巡りせずに、
全ての物事を白紙に戻すような無極虚空、空観のような意識感覚になる、
あるいは自分が今現在、人の形態で生きているという事実に着目して、
不快な記憶をきっぱり切り捨ててポジティブになる事も好手でしょう。

けれど、最も有効な方法は予防です。不適正や不要な物事の印象を、
早めに軽く流してゆけば、不快な記憶の定着を抑えられるはずです。
もし恬淡を日々の基本にしますと、嬉しい、面白い、素晴らしい
等と率直に強く感じた印象だけが残ってゆくことになります。

そして、気の平静を続けるうちに、自身の感覚がだんだんと
研ぎ澄まされて、微機に対応できるようになるでしょう。
善い事や必要な事だけ、忘れないように楽しく印象する、
そういう能力を高めて、明るく恬淡に生きましょう!
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母の日♡ (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年05月02日 | 日記
明るい陽射し、微妙な新緑、溢れる花達・・・
今年も母の日と呼ばれる日が近づいてまいりました。
その発祥やカーネーションの話は毎年語られていますね。

何か特別の計画や贈り物を用意された方もおられるでしょう。
私の場合、実母も母のようだった婦人達も既に現世におりません。
子孫もおりませんので、お祝いする事もされる事も特に無い状況です。
長年、離れて暮らす実母の安寧のために短い咒を毎日送っておりました。

その必要が無くなりまして、凡ての母なる存在に対して敬意と感謝、親愛を
込めて、ご苦労を讃える事にいたしました。その習慣は今も続いております。
個人の生母や養母も大切でしょうけれど、地球という星や日本の国土、そして
太陽も、この銀河も母ですよね。というような感覚は共感頂けるでしょうか?

母という文字の点々はおっぱいで、母乳を表す象形文字というのが定説です。
母は乳児に対して、自身の血液から作られると謂われる母乳を与えますね。
何という慈愛の行為でしょうか。出産だけでも大変でリスキーな仕事です。
女子は慈愛行動の天命を帯びているようです。私は気楽な天命ですけど。

道院の経典には母の文字は頻繁に出てきます。その中で、果仏と呼ばれる、
ブッダのルーツとされる方が、親のルーツ且つ大師匠でもある老祖様に対して、
「万物の母とは言うのに、万物の父とは聞いたことが無いのは何故ですか?」
と質問をされている数行の文があります。その場面で、老祖様の御回答は、

「万物の母は、已に化育して後に之を定するなり。その未生の先の一炁囫圇に
在りては、即ち真陽の生を有するかな。先天は化を論し、後天は得ようとせず
して之を先とする。是に、陽たるや母の母と為り、陰たるや万物の母と為る。」
化育された事物が有って、化育した存在が客観的に母と呼ばれるようです。

陰陽から万物が生じるという観点から天地を父母と捉える認識は易にもあり、
多くの宗教にもありますが、陰陽以前の世界には父母という概念はありません。
我々は陰陽の世界に生きていますから、父も母も軽視はできませんけれど、
まあ常識的に見て、慈愛を以て我が子や人々を養育するような人に対して、

率直に親のように感じる事は当然ではないでしょうか。そういう意味では、
子どもの日や母の日以上に「親の日」がお祝いされるべきかもしれません。
親を尊敬する思想は戦前日本の教育を彷彿とさせると嫌う人もおられる
かもしれませんが、単純に「凡そ血肉を有すれば親を思うべし」です。

ただ、この世界では十分尊敬に値する理想的な親や人など希でしょう。
その理想の判定さえ個人的見解です。けれど、やはり生きている間に、
親または人として為すべきと思う事をできるだけ成したいものです。
親のようだ、母のようだ、と評価するのは他人や後人でしょう。

母について想いを巡らすと限りがありませんが、毎年一度、
そのような思索のひと時をプレゼントしてくれる母の日。
暖かく、穏やかで、爽やかでありますように!
ともかくも、happy mother’s day!!
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早めのブレーキ (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年04月08日 | 日記
私の危機感知反応は普通より少しは速いようで、
他者運転の車に乗せてもらうと、つい危険を感じて、
「ブレーキ!」と声が出てしまう傾向がありました。

私としては、事故を予防するという単純な意図なのですが、
プライドを傷つけられたように感じる運転者もいるようです。
うるさく注意するな、というような不快感を露わにする人も。

それで、「早めのブレーキ!」という表現に変えました。その方が
押しつけがましい印象が和らぎ、運転者や周囲に気配りしている、
安全を願う意図が伝わりやすい、と自分では気に入っております。

また、その表現が他の様々な場面で有効である事に気付きました。
例えば、お酒を飲みすぎて体調を崩すとか、好きな趣味に没頭して
周囲に迷惑が及ぶ場合とかにも「早めのブレーキ!」は有効です。

言葉のアヤではなく、道理に叶っています。たとえ善い事や必要な事
であっても、やり過ぎは宜しくありません。折角の効果が得られにくい
どころか逆に色々な問題さえ発生します。実に「慎せざる可けんや」です。

適量より尚控えめな量のお酒を愉しむなら、心身の健康にも良さそうです。
けれど過ぎますと一回でも肝臓への負担が大で、心臓や脳も影響を受けます。
たった一度、一瞬のブレーキミスが大事故になるケースとも似ていますね。

そうなってからでは、次回の楽しみも無く、平穏無事な生活さえ望めません。
その道理を良く理解して、「早めのブレーキ」を心掛けている人も見かけます。
彼らは賢明であり、その態度は自身に対する誠の一種であろうと思います。

道理は分かるけど、そうは言っても・・・と言い訳をする人も居られます。
不適正を正当化しているうちに残念な結果にならないよう願うばかりです。
「自生自滅 各有其因」天地間の生物には自由意思が認められています。

先ずは、気付いた事から、気付いた者から、用心いたしましょう。
何事も、気を平静に丁寧に行うのが転ばぬ先の杖です。そして、
周囲の人にも一言、言ってあげては如何でしょうか。

「早めのブレーキ!ですよ!!」
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完全ポジティブに (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年03月14日 | 日記
どこへ往くにもマスクで用心の毎日、
皆様は、お元気でお過ごしでしょうか?

早春なのに爽やかでない環境かも、と感じまして私は、
実習目標として、完全ポジティブ思考を目指すことに致しました。

何事もポジティブに!と言えば、心配なさる方もありますでしょう。
一応自分の立ち位置を決めた上で、所謂マイナス思考を払ってゆこう!!

そのような目標を思い付いて以来、色々な物事が楽になって参りました。
そう、思い付いただけでも確実に変わり始めるところが面白いですね。

毎日、暗い報道があり、私のサイトにも異様なアクセスがあるなど、
色々な事がありますけれど、別に大した事ではない気がいたします。

私の場合、若い頃に解析理論などを学んだ折、最悪の事態を予想して
安全対策を講じるのが賢いのだとか聞いて、一応納得しておりました。

事実、この宇宙は本来、何事も「閉じる事を知った上で開く」システムに
なっているそうです。それは管理運営上適正で、その通りとうなずけます。

けれど、それとはまた別に、宇宙はポジティブな意識が基本になっていて、
「ポジティブでありながら厳正である」いわゆる「渾噩」が重要とされます。

そして、人心の想念や思いの発生、波及については、因果という現象もあり、
ポジティブな思念から発してこそ、ポジティブな結果がもたらされる道理です。

ともかく、楽観的だと自分が楽です。ストレスに由るダメージから開放されて
気楽になれば健康に悪いはずがありません。そう思うだけでも明るくなります。

現在どんな深刻な問題があろうとも、ネガティブ思考で解決できるでしょうか?
考えれば考えるほど、ストレスが重なり、憂鬱になり落ち込んでしまいます。

私の知人の中に、高齢になるほどポジティブ思考になった人がいました。
辛い事が起こると、その方が善かった、良い時期だった等と言っていました。

努力していたか、天然になっていたか、両方だったかもしれません。そして、
かなり白くなっていた髪が黒くなり、最期までお箸が上手に使えていました。

形坐を奨めても、素直に感心するだけで実行はされなかったようです。けれど、
穏やかで不摂生もせず周囲から大事にされ、無事に善良な一生を卒業されました。

もし、読者の皆様が、ポジティブ指向と並行して、真坐や経咒の実行を心掛けて
短時間でも日々継続されるなら、必ずポジティブライフの輝きが増すでしょう。

考えるより行ってみると簡単で、ちょっと見方を切り替えるだけで笑顔になり、
「そう思えばそうだな」と難問題やストレス状況から立ち直れるでしょう。

もちろん、気分が明るくなるだけでは根本的な問題解決にはなりませんが、
具体的な妙案も閃くに足る、思考機能発揮の基が定まることは確かです。

今さら申すまでもない当然の事かもしれませんけれど、改めて
ポジティブ思考のスイッチONをされてみては如何でしょうか。
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食物の重要性と習慣 (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年02月08日 | 日記
コロナ問題は未だ継続中ですが、皆様お元気でしょうか?
私の住まい周辺では、身近に感染者を見聞きしていないためか、また
日常生活に緊急の変化が少ないためか、危機感の薄い人が多いようです。

隣町の商店では、マスクの氾濫期に入り、様々な素材や色柄の物、それに
関連する雑貨小物の他、消毒用品や化粧品なども所狭しと並んでいます。
そして、店内での殺菌やお互いの接近抑制の配慮が続けられています。

けれど喜ばしい事に、大抵の食品や日用必需品、野菜や果物は豊富です。
必要な情報と具体的な物流が途切れないという状態は非常に重要でしょう。
人体で言いますと、気脈や血流が順調である事が生命維持には不可欠です。

先ごろ、日本民族の存続を危惧しているという人と電話でお話ししました折、
結論として、「(何時の時代でもでしょうが)今後は特に食糧管理が重要です。」
と強調されていました。安全性の高い食糧の安定供給という意味と思います。

昨年から親しくしている青年達とも、食糧管理の重要性の話をしております。
彼らは食糧関係の仕事に携わって熱心に実践しています。そのような人達が
健全に育ってくださるなら、この地球世界の未来も明るい気がいたします。

各人には、各々の理想や持論があり、立場や生き方がありましょうけれど、
共通して必要な物は食糧でしょう。衣類や住居以上に、食が足りてこそ、
自己の仕事をしっかりと実行でき、成果を出すこともできるでしょう。

私の身近な小菜園では今、小松菜や水菜などが少しずつ育っています。
店頭で一際目立つ、綺麗で立派な大根や人参で低価格のものは、やはり、
放射能汚染を懸念されている某有名産地のものが圧倒的に多いようです。

けれど、実際に簡易測定してみますと、あまり過激な数値は検出しません。
なので、まあ良いかなと買って食することもありますが、それにしましても、
「閉じるを知らず開くは呆なり」という経典の一節が浮かんでまいります。

この星に暮らす限りは、太陽エネルギーに依存しなくてはなりませんが、
そういう立場で安易に食品を製造して消費し、不要な物を大量廃棄するなど、
次々と面倒な問題を生み出し続けると、結局は自分の心身を害し苦しめます。

特殊な人たち、例えば現在この世界でも何名か知られている人たちのように、
食品を摂取しなくても心身を維持できるなら、環境的にも好都合でしょうし、
その個人にとっても時間の余裕が多くなるし、経済的にも楽だと思います。

道院の先輩たちは、ゆるい菜食のような人が多かったように聞いています。
高雄の林雅志氏は魚類がお好きでした。台湾総主院のカリスマ長老などは
「何でも食べますよ」と話しておられました。事実、お酒もお強いようでした。

香港で誦経会の際の会食で、全員に精進料理が出された記憶があります。
台湾では大抵どこの道院でも式典日などの会食は普通食テーブルが大方で、
素菜のテーブルは大変少なく、各人の積極的な食事の様子が印象的でした。


道院は宗教ではありませんので、日常の所作まで細かい規則などありません。
経典にも、何を食べてはいけない、というような記述は見当たりません。ただ、
十分に修養が進みますと、先天炁だけで快適に生存してゆける道理です。

私の場合は未だ、長年の食事生活の習慣から完全に卒業しておりません。
頂き物や私のために特に用意された物を、折角なので頂いてしまうとか、
栄養不足などと心配して下さる人達にも、つい気を遣いがちになります。

若い頃、暫く自宅で断食をしたことがありますが、当時を思い出しますと、
最も辛かった事は周囲の人の心配でした。常識的に普通の食事をさせようと
躍起になられた善意の攻撃のような事が特に強烈な思い出となっています。

食事療法などを実行される場合は、それなりの理論と実績のしっかりした、
人格的に信用できる人の指導の許で、適切な環境や周囲の理解協力があって、
計画的に無理のない条件で実践されるなら、得る所があるのではと思います。

私の今の食生活は、果物と野菜が主ですが、厳密な潔斎はしておりません。
なるべく普通そうに見えるように気を付けて暮らす習慣になっております。
そのため、絶対必要でもない物や量まで食べ過ぎているかもしれません。

この世界では色々制約が多いですけれど、修養に由って感受性が高まれば、
必要な物や安全な物を適正に判断して選択する能力も当然高まるはずです。
その為にも、なるべく「先天炁に近い食物を頂く」習慣が善いのは確かです。

その事は現実には、牛より豚、豚より鳥、鳥より魚・・・という健康理論と
同じような話になってまいります。また、腸に負担の少ない食物が良いとか、
低温で固まりにくい脂質が健康に良い、などの説にも通じてくるでしょう。

又、同じ食材でも、調理方法や組み合わせ、タイミングで結果が違うはず。
そして、食する時の意識と申しますか、天地や食材、調理者に感謝するとか、
落ち着いて良く味わって頂くとか、あるいは複数で和気藹々と頂く、・・・

等々、考え反省する時間のある今のうちに、食事の習慣を見直してみて、
よりシンプルで健康的な食生活を実践してゆきたいものです。それが、
自己の心身に対して「誠」を行うことに繋がるはずとも思います。
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お知らせ (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年01月31日 | 日記
今年の2月3日は道院の母院(済南道院)成立100周年の慶祝とともに、
現在も続いているCOVID-19 疫情を鎮化するために、各友好国の道院において、
同時に太乙北極真経を合誦しようと、香港道院から呼びかけがありました。

誦経儀式はZoomVideoの形式で行うという事で、その接続情報と会議のIDなどが
伝えられています。日時は2月3日(水曜日)香港時間の午前10時からとの事。
自宅等で参加したい修方は、真経を1回黙誦、又は真経邃秘を100誦。

各地の同修のエネルギーを集合して地球規模の災劫を化したい主旨でしょう。
私としましては、院外の有志の方達も、この機会に参加されまして、
鎮心経5~6回(それ以上は任意で)誦えられるようお奨め致します。

院外の方達は真経や邃秘を使えないので仕方なく鎮心経で代用する、
という事ではありません。災刧弭化は鎮心経の方が適していますから、
本当は道院でも、もっと積極的に合誦されるべきと思っております。

皆様ご存じのように、善意を持って誦経することは必ず、それなりの何か
善い結果に繋がってまいります。そして、特定の組織とは関係なく、
立春という日には人の善意や誠意のパワーがより発揮されるはず。

そういう意味では必ずしも同じ時間でなくても、と思います。
それぞれご都合もあるでしょうけれど、できれば、
ご一緒に有意義な立春を迎えましょう!
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新年 (きらく仙女さんの日記の転載)

2021年01月01日 | 日記
新年のご挨拶を申し上げます。

子に続いて丑の年が巡ってまいりました。
天に続いて地が開く、そういう時間と謂われています。

丑は、手の先を曲げてつかむ象形文字で、すぼめ引き締める意を含む、
と漢字源にあります。糸ヘンが付いた紐の方が元の意味に近いようです。

石や金属の印材にヒモを通して用いる、そのヒモを紐と言ったのが変化して、
印材に彫刻された動物や人物、植物、風景などを紐と呼ぶようになりました。
「印判を押す」という特別の行動のカナメ的な意味もあるかもしれません。

丑の文字は元々、動物の牛とは関係なかったようですが、牛が我々の身近で、
又は映像で大地を踏みしめて歩む姿は、いかにも堅実な感じがいたします。

牛は日本では天神の御使いと謂われ、天満宮の撫で牛などは有名ですね。
ヒンドゥーではシヴァ神の乗り物と謂われ、敬意を持たれています。また、
古代の農耕文化圏では、牝牛が価値の尺度のような存在であったそうです。

道院の「太乙北極真経」は子から亥の順序で説かれていますが、丑集は
「炁輪心始」即ち、「先天炁の輪運は心により始まる」所以の御話です。
それについて軽々しく語ることは遠慮させていただきます。けれど、
この場合の「心」は勿論、私利私欲の人心のことではありません。

ちょうど今年、道院は創立百周年を迎えるそうですが、この状況で、
人の交流が自粛されますため、各々の道院別に式典を行うようです。
東京では西暦3月21日が創始記念日の典礼の予定とのことです。

そして、道院では今日、1月1日は慧聖の御生誕日に当たります。
西暦と農暦の関係で、昨年は慧聖誕日の典礼は行われませんでした。
今年は元日から、地球における道理ご指導の最高顧問のようなお立場の
慧聖の誕日をお祝い申し上げる事ができまして実に喜ばしく感じます。

今年も色々と未体験の事が起こってくるかもしれませんけれども、
あれこれ想像して恐れず、自身の固有の元神に誠を尽くして、
農耕の牛のように、急がず、しっかり大地を踏みしめ、
一歩一歩を丁寧に進めてまいりましょう!!
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今年の師走 (きらく仙女さんの日記の転載)

2020年12月27日 | 日記
今年もあと僅かになりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

初めは穏やかそうに始まった子年でしたけれど、
コロナ問題で、水害や火災より風害が目立だったようです。
けれども、台風は暫くぶりに1個も日本に上陸していない年でした。

これでも日本では、感染症の爆発的な拡大は押さえられているようですし、
暴動も起こらず、物価の上昇も軽減されているように私には感じられます。
深刻な事態が報道される外国に比べると相当に平穏ではないでしょうか?

それは様々な立場の方々が日々努力されてきた結果でもありましょう。
また、鎮心経の誦経に参加されている皆様の誠意も必ず影響しているはず、
という証拠やデータはお示しできずとも、何方も否定はされないでしょう。

私の場合、個人的には、親しい人達が亡くなるなどの出来事がありました。
けれど、それは又それで、その人達の安否を心配しなくても良くなった
という状況でもありますから、今は非常に安堵した気がしております。

そして、一つの区切りがついておしまいかと思いましたら、予想外に
新しい人達が、有望な青年たちですが、縁じて来られるなどの事があり、
私の用事もまた、新しい未知の段階に入ったような感じがしております。

隣の修方さん宅では、春からネズミが大活躍しました。そしてその結果、
家の破損個所の修理や物品の整理整頓をせざるを得ないようになりました。
私も手伝って大変でしたが、今思えば必要な事、善い事だったと感じます。

世間の明るいニュースとしましては、はやぶさⅡの成功が思い浮かびます。
目立たない機械や道具、物たちも、たとえ誉められずとも、感謝されずとも、
昼も夜も人を支えて、各々の能力の限りを尽くして頑張ってくれています。

天然のものを大切に、自然環境を大切になどと謂われますけれど、人工の
機械や道具、物たちも大切にしたいものです。物質文明が人類をダメにする
のではなく、物質が支えきれない場合に滅亡に向かうのではないでしょうか?

一つ一つの物たちが皆、それぞれの天命と申しますか、役割を持って生まれ、
存在している、という事を、私は今年になって初めて、理論ではなくて現実の
視覚的体験によって知りました。今年はそのような体験の年でもありました。

子年は、天の開く年と謂われ、色々な物事が開始される年とも謂われます。
良し悪し両方あるでしょうけれど、過去に経験の無いような事が起こるなど、
今までと異なる世界になってきた感じは、どなた様も持たれているでしょう。

来年の事はまた、年が改まりましてから感想を申し上げたいと思います。
さて、丑の年はどうなりますか、・・・楽しみもあり、心配もありますが、
あれこれ予想せず、黙ってポジティブに構えていることに致しましょう。

黙の話は日記でも時々いたしますが、黙は修養において本当に重要です。
ともかく、自身のエネルギーの節約と補充をしっかり実行するために、
来年もまた引き続いて「黙」をキーワードにする事は有益でしょう。

今年も静かに、きらく仙女の日記をご覧いただきまして、
有難うございました。思い付いた時だけですけれど、
どうぞ、来年もまた、お立ち寄り下さいませ。

どなた様も、清々しいお気持ちで
元日をお迎えになられますように!!
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冬至の坐 (きらく仙女さんの日記の転載)

2020年12月20日 | 日記
冬至の坐のお知らせを忘れておりました。
もう今日の0時を挟んで実行された方もおられるでしょうか。

未だの方は、夕食や入浴を早めに済まされて、今日の深夜が最適ですが、
又は明日、明後日くらいは冬至範囲内と思いますので、お奨めいたします。

毎日リセットするに越したことはありませんけれど、やはり年に一度の
大リセットに適する時期と謂われますように、特に有益であるはずです。

明るい来年の機運のためにも、少しの時間ですから、億劫がらずに
丁寧に、そして楽しみながら冬至の坐を実行いたしましょう。
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