哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

Bunkamura『アンドリュー・ワイエス 創造への道程』

2008-11-19 | 展覧会
「できることなら私は自分の存在を消してしまって絵を描きたい。―あるのは私の手だけ、という具合に」アンドリュー・ワイエス

 Bunkamuraザ・ミュジアムの『アンドリュー・ワイエス 創造への道程』を観てきた。知ってる人には言うまでもないことだが、ワイエスはアメリカの画家である。が、現在91歳で存命で、今も旺盛な創作活動を行っているとか。画家は、短命な人が多いので生きていること自体に驚き、また同時代に大好きな画家がいることをうれしく思った。私は、アンドリュー・ワイエスが古今の画家で三本の指に入る位に好きなのである。

 展覧会に入ったのは10時過ぎの開館すぐ。人の入りの具合は、観覧にさし障るほどではなく、かといってさびしいほどではないという絶妙な具合だった。絵のラインナップは習作が多かったのは残念だが、素晴らしい絵がいくつもあった。一枚の完成した絵に対し、2~4枚くらいの習作があって、展覧会のタイトル通りの創作の筋道が分かって面白い。ただ、やはり習作が多いということで、展覧会自体の濃度は薄かったかな。それに、ワイエスの代名詞みたいになっている、テンペラ画の絵も少なかったし。
 ワイエスの絵について、胸を突くような感情的な要素よりも、つつまれるような精神性の高さを感じる。それに西洋画の写実性と東洋の余白の美を合わせたような風格も感じるのである。この画風は、日本や中国の水墨画の墨のかすれや白の美にも通じるのではないかと思う。まあひょっとしたらだけど。さらに、ワイエスの絵には物語性を描くことにも長けていて、ヘルメットや斧、義手、家など、ある人物の人生を象徴する道具や、あるいは自然の年月を感じさせる風景を、ずばりと描くのも上手い。

 最後に、ワイエスの絵に何度も描かれたオルソン姉弟と彼らのオルソン・ハウスについて。ワイエスはオルソン姉弟という友人を何度も自分の絵の中に登場させているのだが、生まれながらに手足に障害をもち、移動するときにも這わねばならなかったのに力強い人生を送った、アンナ・クリスティーナ・オルソンの存在は特に、ワイエスの絵の精神性を象徴しているかのようである。この人が描かれた絵を見ていると、良い意味でのアメリカらしさというのは残っているんだなあと感心させられる。一言でいえば、フロンティア・スピリットというやつだ。素晴らしい。

「この日、もやの中で太陽が白々と輝き、その光に満たされた室内で、色彩感覚は失われていた」
「私は季節の中でも冬や空きが好きだ。風景の中にある骨組みが孤独感、死に絶えたような雰囲気を感じさせる。何かがその下に隠れていて、物語の全ては明らかにされていない。そんな気がするのだ。

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