哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

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国立西洋美術館『ヴィルヘルム・ハンマースホイ~静かなる詩情~』

2008-11-17 | 展覧会
「私は、常にこの部屋のような美を思っていた。たとえ、人がいないとしても、いや、正確に言えば、誰もこの部屋にいないからなのだろう」ヴィルヘルム・ハンマースホイ

 国立西洋美術館の『ヴィルヘルム・ハンマースホイ~静かなる詩情』(~12月7日)を見てきた。といってもちょっと前の話なのだが。行ったのは金曜の19時頃で、夜間の観覧。そのせいか、昼間よりも観客の年齢層が低く、かつ落ち着いたい雰囲気だった。

 ヴィルヘルム・ハンマースホイはデンマークの画家で、最近見直され評価が高まっているとのこと。僕自身、ポスターなどで告知を見て、かなり良さそうな感じだなと思った。それに、今まで聞いたこともない名前の画家に、面白そうな作品があれば良いなと単純に感じるのである。

 ハンマースホイはフェルメールの影響を受けた画家ということだが、その画面の表面から受ける印象は、室内画としての静謐さの他は全く違うと言っていい。フェルメールの絵が肉感的なのに対し、ハンマースホイの絵は影の薄い印象である。たとえれば、フェルメールが装飾的なアンティーク家具だとしたら、ハンマースホイの絵は北欧家具だと思った。実際に、ハンマースホイの絵の舞台となった、自宅のアパートの様子も(最近の)北欧的な印象があるのである。
 そのハンマースホイの絵の特徴は、まず、人物が描かれることが比較的少ないことと、しかもその人物が画面に対して背後を見ていて、さらに風景そのものに溶け込むようなことろがあって、総じて人物の存在感が薄いこと。さらに、影の向きや家具の構造がありえないものだったり、モデルがある室内画から家具を省いたりと、違和感のような奇妙さとがらんとした空虚さをたたえている絵が多い。半びらきに開いた扉が連なる絵を描いたりと、家の中にいながら霧の中に迷い込むような戸惑いさえ覚える。
 だからと言って、ハンマースホイの絵に動きがないというわけではない。むしろ、白い壁を背景としても、その色には微妙な色が加えられて、モネの描く水面のようにゆらめいている。僕は、ハンマースホイの絵については、その平面の揺らぎが一番好きだ。むしろ、壁やドアなど、本来室内画において背景となっているものこそ、ハンマースホイの絵の主役になっているのではないかと感じるほどに。一言でいえば、世界の最後の日の光景のように、揺らぎ続ける静謐さ、とでもいうものがハンマースホイの絵の本質と感じた。
 展覧会自体は、面白いものだったが、正直なところ僕自身はハンマースホイの絵はそれほど好きというわけではない。画面の色彩のアンドリュー・ワイエスとも似ているかなと思ったけど、どちらかを選べと言われれば、僕は迷わずワイエスを選ぶ。ただ、再評価されている画家の絵を見るというのも楽しみなので、絵画に興味のある人にはためらわずお勧めする。そして、夜の少し疲れた雰囲気にも合うので、金曜の夜に行くのはなお良いかも。人も比較的少ない。

 ところで、国立西洋美術館を文化遺産にという運動が今行われているけど、どうなのかなあとは、少し思う。確か、有名な建築家が設計していたはずだけど、そこまで、そこまでなのか。どうせ文化遺産登録をしたいなら、上野公園全体を対象にした方が良いのではないかと思うのだが、うーむ。

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