Shevaのブログ
サッカー、テニス、バレエ、オペラ、クラシック音楽 そのほか
 



サイモンのインタビューPart6




An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Part 6


指揮者
聴衆「では指揮者はどうです?お好みはありますか?」
サイモン「ある。こうする指揮者が好みです。(オーケストラに音を抑えるように指示するゼスチャーをやってみせる。)オケにこの指示を出してるのを見ただけで、その指揮者が大好きになります(笑)。そうそう見られるもんじゃありませんよ。いつも指揮者が超有名人であるわけではありませんが、僕は指揮者には繊細で、しかも、言ってみれば、開けっぴろげであってほしいんです。

メータ
聴衆「具体的には誰がいいのですか?」
サイモン「う~ん最近はね。ズービン・メータは最高ですよ。話し合いが持てるから。こんな感じ。
『ズービン、違う、僕はこうやりたいんです。なぜかっていうと…』
『なぜかと言うと?』
『こうしたいからです。~♪~♪~♪』
『じゃあやりたまえ。』
『いいんですか!』
で、うまくいかないと…
『やっぱあかん! やめろぉ!』

ムーティ
ムーティは気難しいです。ほんとに。でもいろいろ教わりましたよ。イタリアのやり方をね。リハーサルはもう気疲れでくたくた。でも我々二人だけだと、友人と呼べる存在です。みんなの前では、『マエストロ!』と言うしかありません。答えは返ってこない。舞台の上では。でも彼はすばらしい音楽家です。ムーティのモーツァルトはイタリアのモーツァルトだと言う人もいますけど。たとえそうだとしても、すばらしい音楽なので僕はかまわないんですけどね。」

ヴェルザー=メスト
聴衆「ヴェルザー=メストは?」
サイモン「彼は昔からの友人で、だからこそあまり仕事はいっしょにしてこなかった。これは健康的なことです。なぜなら指揮者と友情を築くということは簡単なことではないからです。そうなんです。指揮者と歌手の関係はフェンシングの試合をやっているようなものです。でもフランツとはもう知り合って15年以上にもなるし、少しずついっしょに仕事し始めています。

聴衆「それはあなたがヴェルザー=メストの仕事の仕方が好きだからですか?」
サイモン「友達は好きですよ。深遠なる音楽性を共有する友人は。でもステージでその人が何を成し遂げるかということは、その人の人格や音楽性とは関係ないことなんです。」

司会「両者には違いがあるということですね。」
サイモン「あるかもしれない。個人的には、僕は、わが友フランツの才能をよくわかっているので、今後たびたびいっしょに仕事したいと思っているのです。
僕達は、シューマンのすばらしい合唱曲、ゲーテの「ファウスト」からの情景(Szenen aus Goethes Faust)」と『ドン・ジョヴァンニ』をチューリッヒでやるつもりです。

司会「そのシューマンはどこでやるのですか?」
サイモン「チューリッヒ。」
聴衆「チューリッヒ?」
サイモン「そうです。」
聴衆「いつですか?」
サイモン「いつだろうね。」
司会「でもヴェルザー=メストはもうチューリヒ(歌劇場音楽監督)を離れるんじゃ…」 (※註6-1)
サイモン「あー、そうだったね。まあもう音楽監督ではないから、客演になるわけだね。これは、政治とは無関係とは言えないが、僕は、フランツや、僕達ヨーロッパの歌手や指揮者は、違うパースペクティヴを持つことが重要でないかと思うことがあるんだ。だから、フランツにとってクリーヴランド行きはすごくいいことだと思うんだ。(※註6-2)
何よりも、まったく違う世界を体験することは自身の向上にもつながるし、いいことだと思うのだよ。フランツはすばらしい音楽家だし、彼がどこへ行こうと、僕の友達でいてくれるなら僕はハッピーなのです。

サー・ピーター
聴衆「ミュンヘンでは何をやりますか?」
サイモン「フィガロ。」
聴衆「ケント・ナガノが振るの?」
サイモン「ナガノだって?」
司会「ナガノがミュンヘンで…」
サイモン「ナガノがここで振るの?」
(インタビュアーは聴衆に説明する。「来年はサイモンはアルマヴィーヴァ伯爵と「ファルスタッフ」のフォードを歌うのです。」)
サイモン「で、誰が振るんだって?ナガノ?」
司会「いやナガノが振るのは『ビリー・バッド』ですよ。」
サイモン「僕のじゃなくて?」
聴衆「ナガノが来るのは来年以降です。」
サイモン「ズービンはどうしたの?」
聴衆「ズービン・メータはもうやめるんですよ。」
サイモン「何だって!」
司会「2006年に。」
サイモン「それは残念。」
聴衆「ジョナスのあとはアルブレヒトです。」
サイモン「誰?」
司会「サー・ピーター(ピーター・ジョナス・バイエルン国立歌劇場総裁)がやめたら、ゲルト・アルブレヒトが来るのでしょう。ジョナスはバイエルン国立歌劇場にとっては、人畜無害だったな。」
サイモン「ピーターはすてきな紳士で、いつも公演に来てくれる。これはなかなかないことですよ。頼りがいがあって、僕は大好きだよ。君がどう思ってようと、僕がどう思ってようと、かまやしない。言葉より行動が雄弁に物語っているから。」

では最後の歌を聴きましょう。

音楽:シューベルトの歌曲、「月に寄せるさすらいの歌(Der Wanderer an den Mond)」

サイモンはいやそうだったが、最後の小節を口笛で吹いた。
サイモンはせきばらいする。

司会「きょうはありがとうござました。ささやかなプレゼントがあります。」
(歌劇場のバッジ)
サイモン「えぇ、僕に? そんな、よかったのに。とってもすてきだ。ありがとう。きょうは、いらしてくれてありがとう。皆さん。」
(インタビュアーは聴衆にサインをもらうよう促す。)
司会「キーンリーサイドさんはこの後すぐに、「ロデリンダ」にいらっしゃるので…」
(ちょうどその夜は歌劇場でヘンデルの「ロデリンダ」が公演されていた。)

サイモン「最後に一言言わせてください。どんなに楽しかったことでしょう。
誰かに感謝すればするほど、その言葉が薄っぺらくなるものですが、それでも僕は言いたい。ピーター・ジョナスに感謝したい。ここはヨーロッパのどこよりもすばらしい音響の歌劇場です。ここで歌えることは幸せだと、彼に言いたい。浅薄に聞こえるかもしれないが、ほんとなんです。」
司会「じゃあここで歌って楽しかった?」
サイモン「楽しいどころか深遠な体験でした。この経験に感謝したいと、ピーターに言いたい。ますますウソっぽく聞こえるけど、ピーター、僕はここが好きだよ! 言葉で言い表せないぐらい。さあ、これでよし。
ミュンヘンの小さなバッジ、すてきだよ。」
(了)



※註6-1 ヴェルザー・メストは2005-06シーズンから、チューリヒ歌劇場音楽監督に就任するらしい。Franz Welser-Möst took on the newly created position of General Music Director at Zurich Opera House on 1 September 2005. His contract runs until 31 July 2011

※註6-2 In September 2002 Welser-Möst accepted the position of musical director of the Cleveland Orchestra, although he maintained his links with Zurich Opera as its Principal Conductor

※数々の助言と暖かい励ましをくれたSardanapalusさまに感謝いたします。
彼女のご指摘で主なものはコメント欄に書かせていただきましたが、ほかにも沢山、恥ずかしくて書けないような基本的な間違いも訂正させていただきました。本当に感謝です。
※参考にさせていただいたサイトさんはリンクしてあります。ありがとうございました。






An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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サイモンのインタビューPart5




An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Part 5


ジェルモンのパパ
司会「これからやろうと思っている新しい役は何ですか?」
サイモン「ドン・カルロ、それから(椿姫の)ジェルモンのパパ。
ジョルジュ・ジェルモンはすごくリリックだし、クロスワード・パズルみたいな役なんだ。僕にとっては。今のところはこんなところですかね。わかんないけどね。」

マゼール「1984」
司会「また現代音楽もやるんですよね。」
サイモン「うん。また地元のイギリスでね。」
司会「いつになるのですか?」
サイモン「知らない。来年じゃない?」
聴衆「5月でしょ。」
サイモン「5月?あ、そう。」
司会「ロリン・マゼールさんの新作はそれまでに完成するでしょうか?」
サイモン(ぶっ!)
司会「コヴェント・ガーデン(ROH)でやるんですよね。」
サイモン「えぇ。」
司会「ロリン・マゼールの『1984』がコヴェント・ガーデンで初演の予定です。」

サイモン「ウィーン国立歌劇場総裁のホーレンダー氏(Holender)の話をしたいんだけどいいかな? 失礼に当たらないといいんだけど。

ホーレンダー氏が僕に言うんです。
『どうしていつも君は、ジョヴァンニやドン・カルロやジェルモンを私がオファーすると断るんだい?』
『だめです。出来ません。』
『どうして?』
『どうしてって…ホーレンダーさん。うちに帰りたいからです。』

そしてマゼールの「1984」の音楽についてですが、これがいったいどんなものになるのかわかりません。僕はもう契約書にサインしてしまったんです。この会話の最後にホーレンダー氏がぼくに言うんです。(ホーレンダー氏の声色を真似て)『キーンリーサイド君、心配いらんよ。どうせありがちなもんになるよ、だから歌うのも簡単さ。』なんて皮肉なんだろ!」

聴衆「それで、楽譜は一部でも見たんですか?」
サイモン「ぜんぜん。まったく。マゼールさんは一度僕に電話してきて…」
(聴衆は「1984」が当初2000年の初めに上演されるはずだったと簡単に説明する。)
サイモン「悪いけど聞いてなかった…」
聴衆「(繰り返して)まだできてないの?」
サイモン「う~ん、」
司会「でもマゼールさんと話したんでしょう?」
サイモン「そう、マゼール氏は一度だけぼくに電話してきて、その時僕の甥っ子が
僕の足に獰猛に喰らいついていたんです。(サイモンは飛び上がってやってみせる。)まるで犬のようにね。
『こらっ、ベン!離れろ!』そして
『はい、はい、マゼールさん。何ですか?』
『ベン、あっち行けよ!』
『もちろんですともマゼールさん、マエストロ、喜んで。』
『ベン、やめろったら!』(笑)
これがマゼールとしゃべった唯一の機会でした。(笑)

司会「でもあなたは契約書にサインした。」
サイモン「そうです。マゼールの魅力にころっと騙されたかな。なぜだろ。」

ウェールズ
司会「歌手だからいつも留守がちな一方で、あなたはは自分の家にいるのが好きなのですよね。」
サイモン「そうです。」
司会「それでウェールズとロンドンのあなたのうちではどういう風に過ごしているのですか?」

サイモン「休みの最初の1週間はいつもとまどいますね。街の喧騒の真っ只中にいるわけで。それで、ガールフレンドといっしょか、もしくは一人で、ウェールズに行くんです。そこは静寂の世界です。何をしてるかって? 4日後は日中の時間が惜しいぐらいで、しょっちゅう出かけています。魚釣り、ダイビング、散歩。農業用の納屋もあるので楽しくってしょうがない。

司会「小さな農場で、牧草地には花が咲き乱れ、隣家の羊が草を食んでいる…」
サイモン「植林したんだよ。」
司会「カバ、カラマツ、」
サイモン「カシ。」
司会「カシは育つのに時間がかかるんじゃ…」
サイモン「そう、でも半分は僕が植えたんだ。」
司会「オーク(樫)を?」
サイモン「基本的にはね。オークがこの高さになる頃は僕はもう老人になってるけど、カバは育ってる。見込みありそう。」
司会「あなたの趣味はほかにもありますよね。果物をどうとかする…」
サイモン「はい、はい。」
司会「果樹園で何をするんだっけ?」
サイモン「ジャム作りね。(笑)」
司会「『1984』やなんかのオペラでロンドンに長く滞在するから、ジャムを作ってるわけ?」
サイモン「そうとも言う。
おもしろいんだけど、僕の仲間で金のないやつがいて、ホテルに泊まれないから、2ヶ月も僕んちにいるんだ。そいつが僕に言うんだ、
『サイモン、きょうは、西洋スモモがとれたよ!』
ほらあれみたいな木で…」
聴衆「りんご?」
サイモン「あぁ。」
聴衆「プラム?」
サイモン「そう、プラムの一種。
友人『もう持ってきたよ。』
サイモン『じゃあ、冷凍庫に入れといて。』
友人『でももう入れる場所がないよ。』
サイモン『じゃぁ、アラン、ジャムにしてくれよ(笑)。』
それでアランは2日かけて西洋スモモのジャムを作った。これが最初の木で、翌週にまた2本植えたんだ。」

司会「そんなにジャムばっかり誰が食べるんです? その時はジャムだけで生きてるの?」
サイモン「そんなわけないだろ。でも全部食ってやるとも!」
聴衆「誰かにあげたら?孤児院とかに。」
サイモン「あげる相手に不自由はしてません。」

聴衆「どこでお生まれになったか聞いてなかったんですが…」
サイモン「ロンドンです。」
司会「ロンドンに就学前まではいたけど、寄宿学校に入ったんですよね。」
サイモン「そう。」
司会「ケンブリッジにある学校。」
サイモン「7歳でした。」

果樹園
司会「ロンドンにも果樹園をお持ちだそうで。」
サイモン「借りてるだけですけどね。」
司会「土地は借りてても果物はあなたのでしょう?」
サイモン「10年前に果物のなる木を植えたんだ。そろそろ収穫できるようになったんだ。全部。梨、プラム…」
司会「梨、プラム、りんご、」
サイモン「白スグリ、赤スグリ、黒スグリ。4種類のプラムにりんご。そんなにたくさんの量ではないけどね。」

司会「スグリを全種類?」
サイモン「うん。」
司会「ラズベリーも?」
サイモン「ラズベリーも、そう。いや。今年はダメだ。どうしてかっていうと、夜ウィーンから帰ってきたら、管理人から手紙が来てて、
『あなたの果樹園は雑草が伸び放題です。それに…何たらかんたら。』
それで僕は、夜なのに、子供のおもちゃのようなやつで、こいつがまたうるさい音を立てるんだ、」
司会「その電動のこぎりで」
サイモン「ギュィ~~ン!!」
司会「ラズベリーまで刈っちゃったと。」
サイモン「そうそう。全部だよ、きれいさっぱり… それでもう今年はラズベリーは出来ない。悲しいことに(笑)。」

ビリー・バッド
聴衆「ウィーンとかミュンヘンでまた『ビリー・バッド』をやる予定は?」
サイモン「僕はもうビリーをやるには歳をとりすぎている。だから残念だがあと2回しかやらない。そのうちひとつは、ウィーン国立歌劇場の製作だが、僕はこれは気に入ってないのです。ウィリー・デッカーはすばらしい演出家だと思うけど、この作品は僕には理解しがたい。船があって、みんな青い服を着ているが、白い服の若い男がやって来て、まるで天使のようで… というのは僕向きじゃない。でもウィーンでこれをやります。それから2年以内に、これが最後になるんですが、イングリッシュ・ナショナル・オペラでロンドンでやります。いつでもいいよと言ってるんだ。この小屋は好きなんです。少し難はあるけどね。この英語のオペラのために僕はジョン・トムリンソンと、ジョン・ダスザックやほかの人に出演をお願いした。もちろん自分も含めて。彼らがいいよと言ってくれたので、できそうなんだ。ウェールズのすばらしい作品だ。言ってみれば(ENOじゃなくて)ウェールズ・ナショナル…」

聴衆「旧作ですか?」
サイモン「そうだよ、ウェールズ出身の演出家の。あれ、名前をド忘れしちゃった。そんなに古代の人じゃないんだけど。」
司会「でもある程度昔の作品?」
サイモン「そうだけど、いい作品ですよ。また新装開店するんです。残念だが、これが僕の最後の「ビリー・バッド」です。でも歌えるだけでもありがたいことです。」

ハムレット
聴衆「ロンドンでまたハムレットをやるつもりは?」
サイモン「やらない。」
聴衆「えっ?」
サイモン「やらないよ。悪くはない作品ですが。最初僕はハムレットが最後に死なないのは違うんじゃないかって思っていたけど、まあ別に死ななくてもいい。真摯な作品ではありますね。」
聴衆「でも『オーパングラス(オペラグラス)』の批評は特Aでしたよ。」
サイモン「ナタリー・デッセーがね。彼女となら真に迫ったステージが出来る。ナタリーはすばらしい。」

批評
聴衆「批評は読んだりします?」
サイモン「読まない。いい評を読んだら悪いのも読まないといけないだろ?
悪いレビューなんて読む気にもなれないしね(笑)。自分が悪くない出来だったら読む必要はないし、批評なんてやぶにらみの老人が読むものさ。自分がひどい出来だったら自分でわかってるさ。
でもレビューってさあ、読んでみるとえんえんとストーリーが書いてあるんだよ。
僕らの麗しい歌や歌い方についてはなんにも書いてない。」
司会「最後の三行ぐらいかな。」
サイモン「だいたい誰が『セビリアの理髪師』のストーリーなんか知りたいんだよ。必要ないだろ?
批評家は知性的だって聞いてるし、自分に関するものじゃない批評は読みますよ。
イギリスでも、多分ここドイツでも。わかってるものもある。
僕はリハーサルの最初の日には台本を全部暗記しているし、これは契約だからね、
その役についての知識や今までの伝統的な演じ方も仕入れているよ、自分の役のみならずね。
僕が言いたいのは、批評家は批評する作品の歴史さえも理解してないんじゃないかってこと。
学生じゃないんだから。そういう評を読むとむかつくんだよ。

共演者
聴衆「誰と共演したいとか思ったりしますか?」
サイモン「またこれはいい質問だね(注:皮肉)。まったくもって。僕は今まで誰々さんと共演したいなんて言ったことは一度もないよ。なぜって、今までに一度も聴いた事のない歌手だって驚くほどすばらしかったりするものだからです。
例えば、ナタリー・デッセーがウィーン国立歌劇場の『フィガロの結婚』をキャンセルした時にスザンナ役を代役で歌ったタチアナ・リズニック、モルダビア出身の若い女性ですが、今までで聞いた誰よりもすばらしいスザンナだったと思う。
すごく自然で。
だから『僕は誰々とは共演したくない』という方がどっちかというと重要なのかもしれないけどね、まあ、そうでもないか。」



Part 6へ続く。






An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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サイモンのインタビューPart4




An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Part 4


歌曲
司会「あなたにとって、歌曲とは何ですか? 歌うのはドイツ歌曲だけですか? フランス語や英語のも歌われますか?」
サイモン「僕にとって、ドイツ語やフランス語の歌曲は人生そのものです。僕の人生を映し出す鏡のようなものです。今のところ、CDを録音したりする気になれません。そういう予定にはなってるけど、それは僕自身ではない。CDショップで僕の顔がついたCDを見るのはうんざりだし、そんなの意味ないことです。僕はその気になれば、2年に1回は自分でCDを作れるんです。今のところはブラームスの歌曲にぞっこんです。でも昨年は違いました。フーゴー・ヴォルフメーリケ歌曲集("Gedichte von Eduard Mörike für eine Singstimme und Klavier")が好きでした。
なぜかって? これらは僕にとって恋人みたいなもの、個人的な悩みであり、子供が生まれた喜びのようなものです。そして僕にとっては常にそんな感じなんです…僕には、皆さんと同じように、人生の意味なんて分かりません。難しすぎるっていう以外に言い表せないんですけど、(※3)ほかに表現するすべがありません。

イギリスの金持ちの農業を営む人が、レコーディングスタジオを持っていて、いつでもEMIのエンジニアといっしょに行けば、録音できるのです。自分一人でですよ。私にとってはこれ以上のことはないのですが、レコーディングする時間がないのです。問題なのは、これです。もっと休みが欲しい、ウェールズに行く時間が欲しい。これは新しいCDを録音するよりも僕にとっては必要なことです。

聴衆「1年間にどのくらい歌ってますか? 何回ぐらい公演していますか?」
サイモン「どのくらいって、公演回数? 歌うことと公演することは別物ですね。歌うのはほとんど毎日(笑)歌ってますよ。公演回数は、わかんないな。まったくもって。
聴衆「40回? 50回? それとも80回ですか?」
サイモン「ほんとにわからないんです。日記をつけてないし。思索や絵を書き付けるための小さな赤いノートは持ち歩いているけど。マネージャーが電話してきて、
「明日はウィーンに行く予定です、それから…」
「わかったよ。」
そんな感じで、契約書を読んだことは今までで2回しかない。契約書を読むなんてこんなつまらないことはないよ。だからほんとにわからないのだけど、公演が多すぎるような気がするんです。今年は4月と7,8月と12月はあいてるのでいいのですが、来年は2週間しか休みがない! 最悪だ。」

司会「この曲は、シューマンの「ケルナーの詩による歌曲集」から「さすらいの歌」で、シューベルティアーデ音楽祭で録音されたものです。あなたがCDを録音したがらないので、ラジオ放送を録音したんですけどね。」
サイモン「そうか、ごめんなさい。」(嘆息)

サイモン「これはユスティヌス・ケルナー(Justinus Kerner)の詩に曲をつけたもので…

音楽♪さすらいの歌

サイモン「うわっ。これはいやだ。どうしてこれをかけるんだよ。」

司会:(…を?)引用する「『舞台で歌うときはひとりきりだ。たった一人で劇場全体を震撼させるのだ。』」
サイモン「これは難しい、かなり難しいことですよね。演技もしないでただ歌うだけでは…大変なことです。でもすばらしいことなのです。挑戦しなくてはいけません。」

聴衆「歌をけいこするのはどうやって? 自分でピアノを弾くのですか、それとも先生に習うのですか?」
サイモン「詩に関しては、詩集を読むんです。一人でね。公園を散策しながら、歩きながらちょっとしたゲームをするんです。一歩ずつあるテンポで歩くんです。暗誦しながら。間違ったり、テンポに合わなかったりしたらまた戻ってやり直しです。(笑)だからすごく時間がかかるんです。僕はピアノが弾けないし、1週間ぐらいは歌わないで、ピアノを聴いて、詩集を読み続けるんです。こんな感じで僕はいつもゲームをしてるようなものなんです。でも僕にはこのゲームが必須なんです。」
司会「つまり、あなたは、正しいリズムで詩集を」
サイモン「そう~」
司会「読んでる」
サイモン「そう~」
司会「書かれている言葉に」
サイモン「そう~そう~」
司会「より親しんで、歌うときにいいように。」
サイモン「あぁ、そうなっているといいんだけどね。」

司会「あれ?どこまで行ったんだっけ?」
(インタビュアーはあんちょこを指で追う。)
サイモン「はい、はい、いいえ、はい、終わり(笑)」

司会「今度は、まったく違う歌を聴きたいと思います。この『さすらいの歌』は大変いきいきした歌だった。どうしてこんな曲を選んだのかとあなたは言いましたが、それは生き生きした曲だからです。今度はまったく正反対の歌です。僕の意見ではもっとも難しく、もっともすばらしい歌曲です。「冬の旅」から、「ライアー回し」です。2004年の6月17日の録音です。」
(聴衆「おぉ!」)
サイモン「ふむ。」
聴衆「この時、『冬の旅』全曲を歌われた?」
サイモン(囁く)「ライアー回しだけだ。」
司会「え?」
サイモン(幾分大きな声で)「ライアー回しだけです。」

音楽♪シューベルト『冬の旅』から「ライアー回し」

司会「特に驚嘆すべきは、ドイツ語の発声法です。非の打ち所がなく、すばらしく明瞭です。」(拍手喝采)
サイモン「でも忸怩たるものがあるんですよ。」
司会「何がです?」
サイモン「僕はいつも、言語において、よそ者だからです。」
(マイクを倒してしまう。)
サイモン「あっちゃ~ごめんなさい。…ドイツ語は僕の母国語じゃないから、いつも疎外感を感じていなければいけないのです。しょうがないことですが、焦燥感を感じるところでもあります。」

司会「だって英語の歌曲だってあるでしょう?」
サイモン「たくさんあります。よく聴きますし。」
司会「歌わないんですか?」
サイモン「歌わないです。」
司会「英語の歌も?」
サイモン「あんまり。僕の先生は始めっから僕にシューベルトやシューマンやブラームスやヴォルフやドビュッシー、フォーレにプーランクなどなどを教えました。
全部歌う時間はありませんでしたが。僕は最初に決めたんです。僕はヨーロッパ人。英国人じゃない。祖先をたどれば、ヨーロッパの血がミックスされている。
でもベンジャミン・ブリテンの作品では好きなのがあって、「ウィリアム・ブレイクの歌と格言(Songs and proverbs of William Blake)Op.74」のことですけれども、僕はブレイクの詩がすきなんです。でも、それ以外は、僕の歌手仲間がイギリスやアメリカの歌を歌うときは僕は「なんて美しいのだ!」と、美しいとは思うのだけれど、これは僕の歌じゃないとも思うんです。

司会「母国語で歌わないから僕はよそ者だと言いながらも、あえてフランス語やドイツ語の歌を選ぶというのですね?」
サイモン「当然のなりゆきです。」
司会「当然?これは大したことではないですか?」
サイモン「それはおかしな質問ですよ。だってロジャー・キルターとシューベルトのどちらを選ぶかと言われたら、シューベルトでしょ? ブリテン、シューマン、ブラームス、ヴォルフの方を選ぶでしょう? 僕にはわかりきったことです。偉大な天才作曲家は家族みたいなものです。それは僕が歌い手だからです。僕はその家族にはぐくまれていて、僕のような者たちのために書かれたその音楽に抱かれているのです。それに僕は、反国粋主義者です。単に言語が違うという壁があるだけで、母国語でないという壁があるだけで、ほかの壁はないと思っていますから。

司会「あなたは国粋主義者ではなく、あなたにとって偉大な作曲家は、シューベルト、ブラームス、ヴォルフなんですね。」
サイモン「それに、プーランクとドビュッシーもです。」
司会「フランス人のプーランクとドビュッシーも。」
サイモン「それとラヴェルとか。」
司会「ラヴェルにフォーレも忘れちゃいけない…」
サイモン「フォーレももちろん…アンリ・デュパルク(Henri Duparc)もすばらしいです。」

シューベルティアーデ
司会「ここミュンヘンでのリサイタルはいかがでした?」
(聴衆の熱い反応。)
サイモン「僕はよくシューベルティアーデの責任者の、ゲルト・ナハバウアーと、ふざけ半分(with tongue in cheek)で話をするんですが、
『ねぇ、ゲルト、シューベルティアーデでフランス語の歌を歌ってもいいかな、ラヴェルとかどうかな。』
『ダメ、ダメ』
『じゃあ、ドビュッシーは?』
『だめだよ、サロン音楽じゃないか。』
(笑)彼は間違ってる。絶対に。でもあの音楽祭は彼のもんだから。」

司会「でもナハバウアーは従来のシューベルティアーデの形を打ち破ったんですよ。もともとはシューベルトの作品しかだめだとされていたんですから。」
サイモン「ドイツ語の歌曲限定だったと思うけど。」
司会「いや、シューベルト限定だったんですよ。」
サイモン「でも僕はヴォルフを歌ったよ。」
司会「でもナハバウアーさんはあなたの(フランス語の歌を歌いたいという)希望に
は取り合ってくれなかったんでしょ。何を歌ったか忘れたけど、ヘルマン・プライもベートーベンを歌ったんですよ。」
サイモン「そうだね。」
司会「でもシューベルティアーデの最初の4年間はシューベルトしか演奏されなかったんです。」
サイモン「でも10年後にはつまんなくなるよね、シューベルトの作品は500から600ぐらいだから。」
司会「だからもう『シューベルティアーデ』じゃないんですよ。」
サイモン「そうだね。半分はね。6-4の割合だね。」

司会「ほかにリサイタルはやりました。もうミュンヘンではやりましたか?」
サイモン「あの、(聴衆が代役で出たと説明する。)そう。代役で。そこの劇場の音響はよかったですが大変でした。」
司会「ミュンヘンのDas Cuvilliér-Theater は歌いにくいですよね。」
サイモン「うん、そう。ほかにはどこで歌ったかって? ロンドンのウィグモア・ホールですね。英国では歌曲は人気ありますから。」
司会「イギリスでは歌曲が好まれている?」
サイモン「ロンドンではね、そうですね。」
司会「ウィグモア・ホールが一番そういった…」
サイモン「そう、毎日歌曲の夕べをやってますよ。」
司会「バービカン・センターもですよね。」
サイモン「毎日ってわけじゃないですがね。ロンドン、パリ、ジュネーブ、カーネギー・ホール、いろんなとこでやりましたよ。誰かが「リサイタルはどうだい?」って言うと、僕が歌うことになるわけで。」

ロシア
サイモン「ご存知、ロシアのボリショイ劇場でもリサイタルをやりましたよ。リハーサルしようとステージドアの前に行きました。そこには太った馬鹿でかい女性と4人の小男がいました。
『僕はシューベルトを歌いに来たんです。声楽曲。僕が舞台で歌うんで…』
『ニエット!(ダメダメ!)』
『僕は(イタリア語で)ソリストなんですよ、シューベルトを歌うんです…』
『ニエット、ダー、ニエット!』(笑)

それでホテルに戻ってジャケットを着たんです。(服を着るまね)ネクタイをして、また入り口に行きました。

『Elena Moškováさんは? ボリショイ劇場の。ぼく、シー・モン・キンリーシディ』
『歌手(=Cantante)。歌手。歌うの。僕が。僕がこれ歌うの。Elena Mošková(呼んで)。』

『あぁ!』男はやっと気づいた。
『エレーナ・モスコワ。はい、はい。エレーナ・モスコワね、云々かんぬん…』

『あぁ、よかった。わかってくれて』
外で待ったが、20分たってもエレーナ・モスコワさんは出てこない(笑)のでまた行ってみた。
『エレーナ・モスコワは…』
『ダメ!』(※4)

それでリハーサルもできなかった。断られたんだよ。
おまけに、リサイタルをいざ始めようって時に、女性が来て言うんだ。

『テキストがないの。悪いんだけど、全部の歌を訳してもらえるかしら。』
『無理ですよ。そんな時間ありませんよ。』

それでとっても恥ずかしい話なんだけど、シューベルトの歌曲のリリックな旋律を、
すべてイタリア・アリア風に、歌ったんです。
(やってみせて笑う)でないとわかってくれなさそうだったんで。
まったく未知の世界の旅でした。

おまけにリサイタルが終わる頃には、背後で声がするんです。
『オネーギンは!』『オネーギンは歌わないのか!』」(笑)

オネーギン
司会「それでオネーギンを歌ったの?」
サイモン「コヴェント・ガーデンで事故があって、パリでの『オネーギン』公演をキャンセルしたんです。とても残念なことでした。パリでのオネーギン、初役だったのに。この「パリ―モスクワ」、パリでロシアのオペラをやるのはとてもエレガントだと思う。おもしろいと思います。」
司会「それまでにオネーギンを歌ったことはなかった?」
サイモン「なかったんです。それが初役のはずだったんだ。」
司会「でもいつかはやられるんでしょうね。」
サイモン「そうですね。」
司会「数え切れないほど多くのレパートリーのひとつとして加わるわけです。」
サイモン(息を吐く)「オネーギンという役は手ごわいですよ。」


Part 5へ続く。






An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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サルヴァトーレ・リチートラ テノール・リサイタル





2005年 11月26日(土) 23:25 ~ 翌 03:25 サルヴァトーレ・リチートラ Bモード・ステレオ
テノール・リサイタル
11月26日(土) 23時25分20秒 ~ 翌 01時23分20秒 [1時間58分00秒]




1. 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」 から
   「前奏曲とシチリアーナ」
   「乾杯の歌」 ( マスカーニ作曲 )
2. 歌劇「仮面」 序曲 ( マスカーニ作曲 )
3. 歌劇「トスカ」 から
   「たえなる調和」
   「星はきらめき」 ( プッチーニ作曲 )
4. 歌劇「スザンナの秘密」 序曲 ( ウォルフ・フェラーリ作曲 )
5. 歌劇「アンドレア・シェニエ」 から
   「ある日、青空をながめて」 ( ジョルダーノ作曲 )
6. 歌劇「運命の力」 から
   「この世は地獄」
   「天使のようなレオノーラよ」
   序曲 ( ヴェルディ作曲 )
7. 歌劇「仮面舞踏会」 から
   「永久にきみを失えば」 ( ヴェルディ作曲 )
8. 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」 序曲 ( ニコライ作曲 )
9. 歌劇「マルタ」 から
   「夢のように」 ( フロトー作曲 )
10. つれない心 ( カルディルロ・サルヴァトーレ作曲 )
11. ナポリ民謡メドレー
12. オー・ソレ・ミオ ( ディ・カプア作曲 )
[ アンコール ]
13. 歌劇「アルルの女」 から
   「ありふれた話」 ( チレーア作曲 )
14. 歌劇「西部の娘」 から
   「やがて来る自由の日」 ( プッチーニ作曲 )
15. ビー・マイ・ラブ ( ブロスキー作曲 )
16. 歌劇「トスカ」 から
   「星はきらめき」 ( プッチーニ作曲 )

--------------------------------------------------------------------------------
テノール : サルヴァトーレ・リチートラ
管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団
指 揮 : ユージン・コーン
字 幕 : 小畑 恒夫

[ 収録: 2005年7月4日, サントリーホール ]





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サンクトペテルブルク建都300年ガラ





サンクトペテルブルク建都300年ガラ Bモード・ステレオ
11月27日(日) 01時24分20秒 ~ 03時17分50秒 [1時間53分30秒]




1. 歌劇「ホヴァンシチナ」 第3幕 から ( ムソルグスキー作曲 )
2. 歌劇「悪魔」プロローグ から ( アントン・ルビンシテイン作曲 )
3. 歌劇「スペードの女王」第2幕 第1場 から ( チャイコフスキー作曲 )
4. 歌劇「エフゲニー・オネーギン」 第1幕 から
   手紙の場面 “わたしは死んでしまいそうだ” ( チャイコフスキー作曲 )
5. バレエ「ラ・バヤデール」 第3幕 から ( ミンクス作曲 )
6. 歌劇「ボリス・ゴドノフ」 第3幕 第2場 から ( ムソルグスキー作曲 )
7. 歌劇「イーゴリ公」 から “ダッタン人の踊りと合唱” ( ボロディン作曲 )
8. 「声と管弦楽のための協奏曲」 から 第1楽章 ( グリエール作曲 )
9. バレエ「瀕死の白鳥」 ( サン・サーンス作曲 )
10. 歌劇「スペードの女王」第3幕 第3場 から ( チャイコフスキー作曲 )
11. バレエ「海賊」 から “グラン・パ・ド・ドゥ” ( アダン作曲 )
12. 歌劇「イオランタ」 から “フィナーレ” ( チャイコフスキー作曲 )

--------------------------------------------------------------------------------
ソプラノ : タチヤーナ・パヴロフスカヤ (3曲目)
  〃 : ルネ・フレミング (4曲目)
  〃 : アンア・ネトレプコ (8曲目)
メゾ・ソプラノ : オリガ・ボロディナ (6曲目)
テノール : ウラディーミル・ガルージン (6, 10曲目)
バリトン : ドミートリ・ホロストフスキー (3, 10曲目)
バス : セルゲイ・アレクサーシキン (1曲目)
バレエ・ソロ
ディアナ・ヴィシニョーワ (5曲目)
ウリアナ・ロパトゥキナ (9曲目)
スヴェトラーナ・ザハロワ (11曲目)
ウラディーミル・ポノマリョフ (2曲目)
レオニード・サラファーノフ (5曲目)
イーゴリ・ゼレンスキー (11曲目)
バレエ : マリインスキー劇場バレエ
合 唱 : マリインスキー劇場合唱団
管弦楽 : マリインスキー劇場管弦楽団
指 揮 : ワレリー・ゲルギエフ

[ 収録: 2003年5月30日, マリインスキー劇場 (サンクトペテルブルク) ]




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サイモンのインタビューPart3




An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Part 3


「タンホイザー」のヴォルフラム
司会「比較的新しいオペラの文献で読んだのですが、あなたは商業主義や、スターダムには背を向けて、ひたすら探求心を持っていて、演出家の実験的な作品は好まないと。」
(聴衆も大きく賛同。)
司会「みなさんも同意ですよね。例えば、この劇場の「タンホイザー」のような、ある程度演出家の実験的な作品と言えるものを歌うのはどうなんですか?」

サイモン「ほかのタンホイザーは知らないから…」
司会「これしか知らないって?」
サイモン「まぁ。」
司会「あなたが出演したこの(オールデン演出)版だけしか?」
サイモン「そうだよ。」
聴衆「まぁ、かわいそうに(= infelice)。」
(サイモン、笑)
司会「なんですと?」
サイモン「黙らっしゃい(=Stumm)(笑)。でもどうしようもないだろ?これしか知らないんだから。でも、この役は難しかった、だってヴォルフラムは理解しがたい人間だから。他の多くの天才たちと同じように、ワーグナーも、モーツァルトと似ているところがあって、例えばモーツァルトにとって、「コジ・ファン・トッテ」のグリエルモがそうであるように、ヴォルフラムはワーグナーの精神状態を象徴するものだと思うんです。ヴォルフラムは完璧な人間ではないし、あんまり共感できない。」
司会「そうですね。」
サイモン「彼を演じてると、なんか、最初から終わりまでモノクロームの世界にいるようで、4時間も、もたない感じがするんですよ。」
司会「それは(出番が1幕の後半からで)1時間半も待たされてからの出番だからじゃなくて?」
サイモン「いや、そういう意味ではなくて、最初から…」
聴衆「盛り上がんない?」
サイモン「いや、うん、いいや…」
聴衆「展開がない?」
サイモン「その通り。それだ。」

聴衆「でも火曜の公演を見たら、このオペラは「タンホイザー」から「ヴォルフラム」に名前を変えたほうがいいんじゃないかって思いますよ。」
司会「それこそさっき僕が引用した評にも書かれていたことです。」
聴衆「どうやって役作り(=アプローチ)したのですか? 特別な教師についたとか?」
サイモン「舞台の上でアプローチしました。」
(聴衆、笑)
サイモン「ほんとですってば。この役を実際に演じる、生きることで、いつも発見があります。これは僕なりのやり方だから、間違ってると、人は思うかもしれませんね。でも僕は本やなんかでは学べない。舞台上で演じないと。(それ以外のやり方は)僕には意味がない。」

聴衆「マスコミは、あなたはこの役のコンセプトにすごく合ってるって書いていましたね、それはヴォルフラムという男は、通常は、誰よりも高尚な、自信に満ちた人物像として描かれるからなんです…」
サイモン「僕が?まさか。」
聴衆「いや、あなたではなくヴォルフラムが、ですよ。この作品では、ヴォルフラムはほんとにみすぼらしいですよね。」
サイモン「はい。」
聴衆「このレビューでは、あなたはベルント・ヴァイクルよりもヴォルフラムらしかったと書いてます、ヴァイクルは巨漢ですからね。それではヴォルフラムらしくない。あなたの方がこの役のコンセプトには合っていたと。」

サイモン「でも言わせてもらえば、ベルント・ヴァイクルはすばらしいアーティストで、ヴォルフラム役を何回も演じているし、この役をよく知っている。おそ、おそらく僕も50歳、55歳ぐらいになればそうなるかもしれないけど。つまり、ジョヴァンニを歌うことは僕にとって僕自身であること、これはもう自家薬籠中の物になっているけど、ヴォルフラムはジョヴァンニのようにはできないんだ。ベルント・ヴァイクルは、ヴォルフラムに関して、僕がまだ理解していない部分もわかっているだろうし、こう言うだろう。「君のはヴォルフラムじゃない。ヴォルフラムは誇り高く、威厳があって、弱々しくない。」でも僕はただオールデンが言ったように演じた。「ヴォルフラムは、こわれもののように繊細な人物だ。」だからそう演じなければならないんだ。

聴衆「でも、あなたはここでドン・ジョヴァンニを歌うことになるかもしれない。ジョヴァンニもかなり貧相ですよ。」(笑)
(観客は会場にミュンヘンのジョヴァンニのプロダクションを説明。
司会「私達のジョヴァンニはきっとあなたにぴったりですね。」
(観客「…最後には、彼(ジョヴァンニ)は完全に狂って這いずり回らなきゃ
いけないんです」)(※2)

サイモン「はい…はい…そうですね…なんておっしゃいました?誇り…でしたっけ。それはまったく退屈なことですね。僕にとってほんとにおもしろいのは、人間の弱い部分、傷つきやすい部分だからです。

One Hamlet
興味深いことですが、イギリスの大学時代の古い知り合いのインタビューを受けたことがあります。サイモン・ラッセル・ビールというすごいシェークスピア役者で、私達は二人ともハムレットを演じていた。私はアンブロワーズ・トマのフランス語のオペラでハムレットを演じ、彼は、(ロンドンの)サウスバンクの劇場ですばらしいハムレットを演じていた。
僕は彼に尋ねた、「ねぇ、サイモン。いったいどうしたらいいんだい? 人生でいったい何パターンのハムレットを演じればいいのかな?」
彼は笑って、こう言った、「ひとりの役者につき、ひとりのハムレットだよ。オテロだってそうだよ。」

このインタビューの後で、こう考えた。
「落ち着け!」
どうせ、2種類以上のパパゲーノはできないんだから…
鳥人間だったり、爺いだったり、おバカだったり、それほどおバカじゃないやつだったり…
するかもしれないけど…

ジョヴァンニも同じさ! もうこれ以上いろんなジョヴァンニはできない。
でもいいのさ、偉大な役者がお墨付きをくれたんだから。
「ひとつで充分。」
ジョヴァンニをやる時はそのプロダクションにあったものを演じようとがんばりますけど、ほんとはほんとに違うものなんてできないんですよ。」
聴衆「でも衣装とかメイクで変えられる部分もありますよね。」
サイモン「えぇ、もちろんやりますとも。新しいかつらをかぶればいいんでしょ(笑)。」

ジークムントとベックメッサー
司会「今のところワーグナーのレパートリーはヴォルフラムだけですか?」
サイモン「そうです。」
司会「ほかの役はやりたいと思いますか? もうそういう予定があったりとか?」
サイモン「まだないですね。やりたいのは「ニュルンベルグのマイスタージンガー」のベックメッサーかな。今のところ。すばらしい作品だし、いい役ですよ。
あと、こんなバカなことも考えてます。「ワルキューレ」のジークムントをコンサートで歌いたい。ぜひやってみたいんです。指揮は友人のフランツ・ヴェルザー=メストでね。(クリーブランド・オーケストラの指揮者)だからアメリカで。」
司会「そんな遠くまで行けないです。ここでやってくださいよ。」
サイモン「もちろん、アメリカまで来ていただきます。フランツはコンサートで「ワルキューレ」の2幕をやろうって言ってるんですよ。これはいい考えです。(注:2幕はジークムントがブリュンヒルデと出会い、殺されるところまで。)
これがうまくいったら1幕もできるよねって。(注:1幕はジークムントが出ずっぱりで歌いまくる。)
こういうことだと思います。僕は20年前に陸上をやっていて、400メートル走の選手と、800メートル走の選手では違うことがわかっています。400メートル走の選手は、800メートル走れないわけではありません。走れますが、準決勝、決勝と勝ち残ってはいけません。そういう両者の違いがあるんです。そのように、高音部を歌えるリリック・バリトンと、ヘルデン・テノールの違いがあるのです。ジークムントを1回は歌えますが、3週間も5週間も歌うのは難しい。毎回ヘルデンにはなりきれません。共演者にも申し訳ないし。」

聴衆「それに、テッスィトゥーラ(=tessitura;最高音と最低音を除いた歌唱可能声域)も高いでしょう?」
サイモン「いえいえ、ジークムントのテッスィトゥーラはそう高くありません。ただ、毎日6時間、4週間も公演するのは無理だと言っているのです。」

プライベート
司会「この文献にはこうも書かれていますね、
『キーンリーサイドは、この歳にしてはほかの歌い手と比べても多くの役を歌ってきたが、そこはかとない孤独感を漂わせている。キーンリーサイドは、ハンプソンが喜んで受け入れるものから、逃れようとしている。』
これは事実?」
サイモン「なんだよ、それ!」
(顔をしかめて、笑う)
サイモン「確かに、こういうとこに座っておきながら、自分はプライベートな人間だなんて言ってるのはへんだよね。でもそういうことなんだ。マスコミに自分のすべてを語るなんて僕はしたくないし、それはそうなんだ。」
(聴衆、拍手)
サイモン「ご声援ありがとう。」


Part 4へ続く。






An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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「ドン・カルロス」





間違って買っちゃった「ドン・カルロス」フランス語ヴァージョン。
いや~でもよかった~ 感動。
マイヤーのアリアがサイコーです。
キャストがすべて演技派ですばらしいですわ。

フェリペ2世を見ていると、どうしてもブッシュ大統領が頭に浮かんでしまう。「世界の半分を統治している、」とロドリーグが言うように。
そしてその統治してない半分は王の敵なのだ。
エボリはコンドリーザ・ライス国務長官で、
ロドリーグは、コリン・パウエル元国務長官。
大審問官は、ラムズフェルド。
もしくはカール・ローブ?

彼を心の中では裏切っている妻、エリザベートは、フランスの大統領。
カール5世はパパ・ブッシュ。
ではカルロスは??


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Winterreise D.911






冬の旅。
このクソ陰気な歌曲集を聴きながら、思っていた。どうして、ノイマイヤーはこれを作品にしたのか?
その答えはCDの解説書にあった。
D.911
Winterreiseは911だったのだ。
ノイマイヤーは911を、ナチスのガス室と結び付けていたが、明らかにあの歴史上の分岐点である、2001年の9月11日を意識していた。
それはともかく、このノイマイヤーの作品を見るときに勉強不足だった自分を呪うし、恥じる。




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サイモンのインタビューPart2




An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Part2


デビュー
司会「それで、いよいよ、最初のオペラに出演する。」
サイモン「そう、ハンブルクで。」
司会「きのうは違うことをおっしゃってましたよね?」
サイモン「あぁ、そう。オールデバローでの「ルクレティアの陵辱」(ブリテン)です。
みなさんはこの作品をご覧になりましたか?」
(サイモン、聴衆に尋ねる。この作品はちょうどこの時バイエルン州立歌劇場で上演されていた。一同肯定の返事。)

サイモン「どうでしたか?(聴衆、良い感触)おもしろいですよね~ 僕的には最後の5分間は納得できないけど(笑)。それはおいといてもすばらしい作品です。実に。プリンツレゲンテン劇場(Prinzregententheater)(=バイエルン州立歌劇場、公演会場のひとつで、夏のオペラ・フェスティヴァル用に、バイロイト祝祭劇場を模して建てられた。)は、音響がオールデバローのに似ていて、ちょっと疲れてしまう。(ブリテンの)「戦争レクイエム」や「レイプ・オブ・ルクレティア」のような、“quasi religioso”(すごく宗教的な)オペラとかをやるにはね。音響材が良くないと思うんだけど。」
司会「でも、プリンツレゲンテン劇場はオペラ・ハウスですよ。」
サイモン「わかってますけど、でも、すべて音響材(吸音材)が木製のオペラハウスってへんじゃない?」
司会「それはね、プリンツレゲンテン劇場はバイロイト祝祭劇場を模して建てられたからなんですよ。」
サイモン「そう、え!そうなの? バイロイトには行ったことないです。」
司会「バイロイト祝祭劇場とおんなじで、オーケストラピットが覆われてるんですよ。」
サイモン「そうそう。」
司会「だからオペラハウスなんです。」
サイモン「ふーん。」
司会「今でこそ、オペラよりコンサートの方に多く使われてますけどね。」

司会「で、「ルクレティアの陵辱」では何の役を歌われたのです?」
サイモン「タルクィニウス(=ターキニアス)です。(笑)ルクレティアを歌いたかったけど、ダメだって。」

司会「さあ、そしてほんとのキャリアのスタートになります。オーディションを受けに行ったんですね?」
サイモン「バリトンのオーディション!ブレーメンやケルンやハンブルクでね。そうですとも。」
司会「それでどうしてハンブルクでのデビューになったんですか?」
サイモン「運かな。単なる偶然ですよ。」
司会「単なる偶然?」
サイモン「えぇ。」
司会「でもドイツ語圏でキャリアを始めたかった?」
サイモン「そうです。」
司会「なぜですか?」
サイモン「笑える話だけど、僕はドイツ語を上達させたかったんですよ(笑)。」
司会「だって、イギリスでドイツ語は習ってたんでしょう?」
サイモン「まさか。」
司会「まさかって…。じゃあその時になってドイツ語を始めたんですか?」
サイモン「ひどい言われようだなあ。そうじゃなくて、僕の先生、ジョン・キャメロン先生がね、先生は君と僕の友人でもありますが、(知人と思われる最前列の男性を指しながら、)ドイツ語を始めるなら、ドイツでデビューしてそこに住んだ方がいいって。さもないと… だって君は、ドイツの歌曲を歌うのに人生をかけてるんだろ、って…。」
司会「最初からドイツ語の歌曲を歌おうと思ってた。」
サイモン「ただし、ドイツ語の文法なしでね。ちょっと手強いってわかりました(笑)。」

聴衆「なまりのない、すばらしい発音の歌曲の録音がありますが…。」
司会「じゃあ聴きましょうか…」
サイモン「俺のじゃないよね(笑)。」
司会「いいえ、あなたのです。」
サイモン「やだ!」

司会「ハンブルクで、「フィガロの結婚」のアルマヴィーヴァ伯爵役でデビューしたと書かれていますが、これはほんとのことですか?それとももっとちょい役だったのですか。」
サイモン「そのとおりで、小さな役をいろいろ歌いましが、これは駆け出しとしては当然のことで、みんなが知ってるいろんなお話のいろんなちょい役をこなしました。」
司会「でもあなたの 履歴(CV=curriculum vitae)には、その時、「フィガロの結婚」のアルマヴィーヴァ伯爵役だったって書いてありますよ。」
サイモン「そのようだね。」

フィガロの結婚
司会「それではこれから「フィガロ」の第3幕のアリアを聴きましょう。2001年の6月18日、リッカルド・ムーティ指揮のウィーン国立歌劇場の録音です。」
サイモン「もしド下手だったら「やめてくれ!」って言うからね。これは聴いてなかったな。音源はラジオから?」

サイモンの歌が流れる。
♪Hai gia vinta la causa!(もう訴訟に勝っただと)~Aria- Vedrò mentr'io sospiro(溜め息をついている間に)

(サイモンはスケッチ・ブックを取り出し、ハミングしながら描き始める。でも明らかに愉快ではない様子。)

サイモン「自分の歌を聴いたり、生で歌ったりするのがどんなに苦痛か…わからないでしょうね。」
司会「みなさんは、もちろん生で、この作品を聴くチャンスがありますよ、次のシーズン、サイモンはここで何回も公演しますからね。」

サイモン「そう。この作品(フィガロ)は大好きですよ。モーツァルトはもう、10年、12年近く歌ってます。
私の声には適していました。なぜなら私の声は少しずつ(peu à peu)ものになってきたので、当時は小さなリリックな声だったですから…これは普通のことなのでこの点に関しては言い訳しません。ただ単に古いやり方なのです。(※1)
最近のやり方では、若いもんはやり過ぎなぐらい(大声を張り上げて)歌うのがいいってされてるからね。だからこそ、僕はモーツァルトを歌うのです。「魔笛」を歌っていて退屈だと思ったことは一度もないし、いつも初めて歌うかのように新鮮に感じられる。ダ・ポンテの脚本は曰く言い難いぐらいすばらしいものですし。」

ドン・ジョヴァンニ
司会「今でもモーツァルトをよく歌ってますか?」
サイモン「えぇ。コシ・ファン・トッテはもうやらないけど。」
司会「でも、「フィガロ」と「魔笛」のパパゲーノはやると。」
サイモン「パパゲーノ。そう。「魔笛」とか…」
聴衆「ジョヴァンニ?」
サイモン「ジョヴァンニ、そうですね。これはあまり多くはできません。ジョヴァンニを歌うのはちょっと無理をしますから。だから4ヶ月も続けてこの復讐劇を演ってたらね、僕はいっぱいいっぱいになっちゃう。2ヶ月でいいかなと。」

聴衆「何年か前に、アッバード指揮のジョヴァンニのCDを買いました。タイトルロールはサイモン・キーンリーサイドが歌っています。どうしてアッバードはあなたを選んだんですか?」
サイモン「偶然ですね。ブリン(ターフェル)は僕の親友でよく一緒に仕事をしていました。ブリンはパンテオンの若手のスターでした。それでアッバードが僕を聴いて、OKを出したんです。」
司会「ジョヴァンニも聴きましょう!」

サイモン「でも、僕はこの録音は気に入ってないのです。僕のパートはひどいもんだ。この当時は10日間で7回も公演していました。まったく馬鹿げたことです。新しい「ドン・ジョヴァンニ」像を作る必要なんてない、細かい部分や、考え方や、概観などにおいて、ほかのものを持ってくるだけ。でもこの「ドン・ジョヴァンニ」漬けの中では、どうして新しい試みができるでしょう。その、10日間に7回の公演の合間に、3日間は、僕らは、一日に6時間も缶詰にされてレコーディングですよ。僕は、もう死にそうでした(死んで椅子から落っこちる真似)。」
司会「その話、さもありなんですよ。」
サイモン「そうだろ。」

サイモンとワイン
司会「さてドン・ジョヴァンニの話になったところで、赤ワインの登場ですよ。」
サイモン「やった!」
司会「ドン・ジョヴァンニでは、ワインを飲んだらすぐに死んじゃうから酔っ払っても問題ないから実際に舞台で本物のワインを飲めるとあなたはおっしゃっていましたけど、パパゲーノは、ワインを飲んでもまだまだ歌わなくっちゃいけないわけで、ちょっと困りますよね。」
サイモン「そう。それが僕が言いたかったこと(笑)。」
司会「だからパパゲーノにはワインはせいぜい1杯か2杯で我慢してもらわないと。」
サイモン「パパゲーノには…ぼ、僕にはたった1杯でけっこうです。」
(グラスをカチンと鳴らす)
司会「でもきょうはパパゲーノを歌うわけじゃないから2杯許可します。」
サイモン「そうするよ!あとでレストランでね。それで一晩中歌ってやる(笑)。」
司会「でも明日はドイツで一番高い山に登るんじゃないの?」
サイモン「そうだった。」

イタリア・オペラとフランス・オペラとドイツ・オペラ
司会「イタリア・オペラとフランス・オペラとドイツ語のオペラでどれが一番好きですか?」
サイモン「いい質問ですね。僕はパパゲーノを演じるのが大好きです。歌うのは難しくない、でも俳優としていい訓練になるし、僕にとってはドイツ語の勉強にもなる。すばらしいよ。モーツァルトは…、アルマヴィーヴァ伯爵は、歌うのは難しくない。高くもなく低くもなく、中間の音程だ。でも出ずっぱりで演技しなくちゃいけない。ところが、「タンホイザー」や「ドン・カルロ」では完璧に自分を律しなくちゃいけない。どっちがいいとは言えない。緑色か黄色か、雨の日か晴れているかという違いであって、いずれにせよすばらしいのです。」
司会「(今イタリア語とドイツ語のオペラの話ししか出なかったので)でもフランス語のオペラも好きでしょう?」
サイモン「もちろん!大好き! ペレアスはセ…(c’est)(いきなりフランス語になる)ちょっと(=un peu)特別な作品。「トーリードのイフィジェニー」は演じ甲斐があるよ。好きですね。」

司会「それは、言い換えると、すごく演技をして作り上げていかなくてはいけない役に、特に魅かれる、ということですね?」
サイモン「興味ありますね。僕の最初の役はパリアッチでした。Piero Cappuccilliと仕事をするのはとても楽しかった。若い頃、です。彼を大好きでした。彼は僕に言いました。“イタリア・オペラをやらないでほっとくと手遅れになるよ。”最初僕は反対の意味に取りました。“イタリア・オペラをやるには15年歳をとってからだ”と。
「でも、どうしてですか?」
先生「君はイギリス人だから、15年以内にイタリアオペラを始めるのはすごく大変だろうから。」
始めるのでさえです。でも先生は正しかった。今でも正しい。でも彼はこうも言った。「演じるということは、イタリアの古い諺にもあるように、prima la voce(歌う前に)まず演じなくてはいけないのです。

学生の頃にはわからなかった。そんなの、つまらないイタリアのやり方で、ただ歌えばいいんだと思っていた。僕はなんてバカだったんだ。先生はいつも僕にこう言っていた。
「いつも君の声で演じなさい。」
それがようやくわかったんです。今ようやく!

偉大な詩人がいて、詩を読む時には、聴衆の前で、奇をてらう必要はありません。僕らにも同じことが言えるのです。

たとえば「ドン・カルロ」のロドリーゴはそんな役です。ステージの上では特に何もやることはありません。でも、声は出来うる限りのあらゆる色彩を帯びなくてはいけない。これは、ますます僕を虜にします。」

ファウスト
司会「さて、もうひとつ、フランス語のオペラの音源があるんですが…、「ファウスト」は最近ロンドンで放送されました。」
サイモン「うっ!」
司会「ヴァランタンのアリアです。どうぞ。」
サイモン「マイクのあるとこで、油を売ってたわけじゃないんだけど。スタッフが来て、ロベルト(アラーニャ)を見に来たようだったから。僕の前にマイクがあったなんて。録音されてたなんて知らなかったよ。」

♪“Avant de quitter ces lieux”
(サイモンは絵を描き始める。)

聴衆「そう悪くないと思うけど。そんなにしなくても。」
サイモン「実におもしろい…じゃなくて面白くない! マイクが生きてないんじゃないの? 強弱の違いがないじゃない。切れ目がないよ。(性急で余韻がない。)不満だね。」

司会「じゃあ、(サイモンが不満顔なので)この歌劇場ではうまく歌えてるフランス・オペラもあると言っておきましょう。ペレアスとか。」
サイモン「ペレアスは大好きだ。愛してるよ。」




Part3へ続く





An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ in Japan





TV放送情報
▼Opera
ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ in Japan
  Vincenzo La Scola in Japan
  2005年11月27日 21:00~21:55 BS フジ









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サイモンのインタビューPart1




An interview with Simon Keenlyside at Bayerischen Staatsoper July 2004


イントロダクション
サイモン「やあ、みなさん、どうもこんばんは。これ、僕に? うれしいな。」
司会「赤ワイン、ボトル1本ですよ。」
サイモン「これ、使うの?」(マイク)「マイク苦手なんですけど。」
司会「できればその…」
サイモン「しょうがないね。」
司会「あなたについてのレビューを短く紹介したいのですが。
“あまたいるオペラ歌手の中でも、サイモン・キーンリーサイドだけが、知的常識人ヴォルフラムを演じて忘れがたい印象を残してくれる。”
そしてまさにその忘れがたい我らがヴォルフラム、サイモン・キーンリーサイドがきょうのお客様です。ようこそいらっしゃいました。
キーンリーサイドさん、最近、トーマス・アデスの新作オペラ「テンペスト」で、プロスペロを歌われましたね。
あなたにとって、現代音楽とは何ですか?」

サイモン「その前にいいかな。僕のドイツ語はひどいもんだけど、ドイツ語でしゃべらせてください。うまくいかなかったら… それに、マイクなしでやりたいんです。もし声が小さかったら言ってください。僕はマイクが苦手です。いつもマイクに煩わされてばかり。」
司会「じゃあ、どけときましょう。」
サイモン「悪いね。あっ、ついでに言うと、CDも苦手です。」

トーマス・アデス「テンペスト」、現代音楽、バロック音楽
サイモン「さて、(さっきの質問についてですが)、テンペストがすばらしい作品かと聞かれると、単に歌い手としては非常に答えにくい。でもすばらしい作品なんです。僕の意見じゃありませんが。プロスペロを歌うのは、リリックではない役なので、すごくのどに負担です。すっごくがんばって(作曲者の思惑通り)達成してみせたとしても。“fulfilling”はドイツ語でなんて言ったらいいのかな。
司会「達成された?」
聴衆「難しい?」
サイモン「難しい? その通り、死ぬほどね。むちゃくちゃ低くて、高すぎる。ある時はテナーだったかと思うと、次の瞬間には、すごく低い。でもそういうものなの。楽譜どおりにやることが僕には重要でした。」

聴衆「トーマス・アデスはどんな作曲家ですか? シェーンベルグみたいなんですか? それともケーゲル? 後期ロマン派とか?」
サイモン「トーマス・アデスみたいですね。」
(聴衆、笑)
サイモン「ほんと言うとね、僕がトーマス・アデスの作品を知ってたら引き受けなかったよ。僕がうちに2ヶ月しかいなかったもんで、知らなかった。でもそれは最初思っただけで、この作品をやった理由の半分は、これが物まねでないということ。これは大したことです。」

司会「プロスペロはかなり難役だとおっしゃいましたが、現代音楽はよくお歌いになる?」
サイモン「いや、現代音楽はあまり歌いたいとは思いませんね。なぜかって? われわれ歌い手は、新しい音楽を作っていく責任はあるけど、そればっかりじゃない。僕が好きなのは叙情詩です。昔の貿易の時代の歌です。僕はこれにすごく関心があって、自分でも歌いたいと思っています。17,18世紀頃がいいんです(笑)ベンジャミン・ブリテンよりもね。あぁ、もっと時間が欲しいよ。」

司会「古い音楽(old music)ですか。普通はold music とはルネッサンス時代から初期のバロック時代の音楽を指すんですよね。バロック音楽は歌いますか?」
サイモン「モンテヴェルディは?中世の音楽ですか?」
聴衆「ルネサンス後期、バロック前期です。」
サイモン「モンテヴェルディの「オルフェオ」は、ためしに一度歌ったことがあります。これが驚きで、すごくよかったんです。だから質問の答えはこうです。バロックは、モンテヴェルディを歌いましたが、そう度々は歌いません。リサイタルには向いてますけど。」
司会「リサイタルはけっこうやってますよね。」
サイモン「そうですね。」

生い立ち バックグラウンド
司会「あなたの家族は音楽一家だったそうですね。」
サイモン「うん。」
司会「だから幼い頃から音楽に親しんでいた。どうだったか教えていただけますか?」
サイモン「祖父は有名な、バイオリンの演奏家、いわゆる「バイオリン弾き(フィドラーズ)」でした。最初は、1940年代は、祖父は、「エオリアン・ストリング・カルテット」という弦楽四重奏団に入っていて、父もやってたので、うちで歌曲を聴いたことはありませんでした。」
司会「バイオリンだけだった?」
サイモン「そう。母が僕をみょうちきりんな寄宿学校に入れて、そこでは僕らは一日に4時間も8歳になったばかりで歌わされるんです。そしてしょっちゅう演奏旅行ばかりしていました。」

司会「ケンブリッジの有名な少年合唱団。」
サイモン「そうそう。」
司会「演奏旅行ばかりだったんですね。歌ってたのは教会音楽だけだったのか、
それとも世俗的な歌も歌っていたのですか?」
サイモン「教会音楽ですけど、半分は近代音楽もやりまして、
メシアン、ティペットとかいろいろ出会いました。」
司会「じゃあ、その時(すでに)近代音楽を歌っていたんですね。」
サイモン「合唱団で、ですけどね。音楽レベルはプロのレベルでしたね。」
司会「プロのレベルですって?」
サイモン「そうです。」
司会「もうヨーロッパ以外にも公演旅行していたんですよね。」
サイモン「そう。」
司会「ヨーロッパだけ?」
サイモン「いや、アメリカ、オーストラリア、日本、ヨーロッパのあらゆるところに行きました。」
司会「子供の頃からスターだったんですね。」
サイモン「合唱団が、だよ。僕がそうだったわけじゃない。」
司会「ソロも歌ったんですか、それとも合唱だけ?」
サイモン「そうですよ、両方やらなくっちゃいけないんです。」
司会「じゃ、ソロも歌った?」
サイモン「両方ね。歌いました。」
司会「ソプラノですか、アルトですか?」
サイモン「ソプラノだけですよ、高音部です。少年合唱の高音、なんてったらいいのかな。」
司会「少年合唱は、ソプラノでもアルトでもないの?」
サイモン「そう、イギリスでは。「トレブル」と「コントラ」です。「コントラ」とはカウンターテナーのことです。」

司会「でも結局は音楽の世界にしばし別れを告げて、動物学を専攻する。」
サイモン「まあ、そうですね。」
司会「なぜですか?」
サイモン「情熱ですかね。あまたの動物達の中でもただひとつの動物へ抱く情熱ですよ。」
(聴衆:笑)
サイモン「でもほんとに思うんです。自分の人生をかけて、この世界を見て回って、この惑星を共有する動物たちを見て回りたいって。」

司会「それが、学業を早くに離れて、音楽の勉強もいったんはやめていた理由なのですか。」
サイモン「いいえ、僕はずっと大学で勉強していたんです。それで結局24歳まで、大学にいましたけど、それはイングランドでは普通なことです。それから4年間、29歳になるまで音楽大学に通っていました。イングランドでは、それはちょっと遅めだったんですが。」
司会「イングランドではね。ここでは普通です。」
(サイモン、笑)
司会「それはマンチェスターの学校(the Royal Northern College of Music)ですか?」
サイモン「そうです。」
司会「たくさん有名な歌手を輩出しているところですよね。」
サイモン「そうです。とってもいいところでした。学費が安かったからです。これは肝心なことで、水兵さんや消防士と同じで、リスクは少ない方がいい。たとえば、課程全ての学費が500ポンドでしたから、レベルの高い学生がたくさん通えました。(お金の問題は)大きいことです。

司会「ここでは、(ドイツでは)私立の寄宿学校に行くのでもなければ、学費は免除で勉強できます。」
サイモン「なるほど。」
司会「大学も少しはかかりますが、同じようなもんです。」
サイモン「僕も大学の学費を払ってませんでしたが、第二課程は自分で払わなくてはいけませんでした。」


Part 2へ続く






An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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月刊モーストリー・クラシック




雑誌紹介
月刊モーストリー・クラシック 2006年1月号
▼Opera
ベルギー王立歌劇場「ドン・ジョヴァンニ」
 写真6枚(大1、小5)のうち2枚は既に新聞に掲載されたものと思われる。
 写真6枚のうち5枚にキーンリーサイドが映っている。
 
▼Ballet
ミュンヘンバレエプリンシパル、ルシア・ラカッラ

▼Classic Music
 第15回ショパンコンクール特集

▼付録のDVD
DVD新譜紹介
 ▽リーヴィング・ホーム1「火山の上の踊り」
   ※サイモン・ラトルのワーグナーとベルクの解説、演奏
 ほか








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サイモンのインタビュー




サイモンのファンサイトがUPしたサイモンのインタビュー、めちゃおもろいの~。
これはドイツ語で彼が喋っているのを英語に直しているので、ちょっと可哀相ではありますけど。「えっと、その~、なんて言うんだっけ?」が多いので。
彼はドイツ語だからインタビュー受けたのかしら?

おもしろいのは、彼がワグナーのジークムントをフランツ・ヴェルザー=メスト(Franz Welser-Möst)指揮のコンサートで歌いたい、と語っていること。言うまでもなくジークムントはテノールの役だ。
「ジークムントは(キーは)そんなに高くないんだよ。」(だからギャンビルさんの当たり役なのかしら。)
これ、アメリカまで行って、聴きたいわ。さぞステキでしょうね。
(Sardanaさま、ご指摘ありがとうございました。)
でも彼は言っている、「1回でいい。これを4週間、毎日6時間も歌うのは無理。」

それから、面白いのは、「マイク嫌いなんだよ」。
マイクを落したりしてるし。「あっ、ごめんなさい。」

年に何回パフォーマンスしてるの?
「わかんない。」
彼らしー。

「マネージャーが電話してきてさ、あしたはウィーンでどうたら…」

「母国語でしゃべれる日があまりないので、フラストレーションがたまるよ」
そうでしょう。

自分の歌の音楽を流されるとさっさと興味なさげに絵を描いている!
アーティストですね。

ワインの話。






ロシアの話。

「オネーギンは?」
「オネーギンを歌え!」
「…」

オネーギンはまだやってない、という話。(Sardanaさんに前教えていただいた話ですね。)
「でもいつかはやるんでしょうね。えんえんと加わっていくレパートリーの一つで」
「この役は大変だよ。」

「…が僕に言うんだ。
“どうしていつも、ジョヴァンニやドン・カルロやジェルモンを僕がオファーすると断るんだい?”
“うちに帰りたいからだよ。”」

ハンプソンとの違いを突っ込まれて、
「マスコミには僕の全てを話す必要はないと思ってるよ。」

サイモンは英語の歌よりもドイツ語やフランス語の歌の方に親しんでいる。ウィリアムブレークは好きだけれども。
「シューベルティアーデでフランス語の歌を歌えないかな?」
「ダメ。」

To be continued






An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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スペードの女王




The Queen of Spades
Tchaikovsky

Ghermann: Plácido Domingo (tenor)
Prince Yeletsky: Dmitri Hvorostovsky (baritone)
Lisa: Galina Gorchakova (soprano)
Pauline :Olga Borodina (mezzo soprano)
The Countess : Elisabeth Söderström (soprano)
Tomsky : Vassily Gerello
Tchekalinsky : Ronald Naldi
Surin : Julien Robbins
Chloe : Olga Trifonova

conductor : Valery Gergiev
The Metropolitan Opera 1999
choreography : John Meehan



スペードの女王

出演:
  ゲルマン: プラシド・ドミンゴ (テノール)
  リーザ:ガリーナ・ゴルチャコワ(ソプラノ)
  エレツキー侯爵:ドミトリー・ホロストフスキー (バリトン)
  トムスキー伯爵:ワシリー・ゲレーロ (バリトン)
  チェカリンスキー (テノール)
  ナルーモフ
  チャプリスキー
  伯爵夫人:
  ポリーナ:オルガ・ボロディナ
  家庭教師
  マーシャ
  世話役
  エカテリーナ2世

指揮:ワレリー・ゲルギエフ

これもすごい作品です。
一番最後のシーン。賭博場で、舞台の奥にも手前にもシャンデリアがあって、カーテンが幕が、閉まるとき、奥のカーテンも閉まる。? これは鏡なのかな?
印象的。

セットはすごい。さすがメト。
リーサが自殺する橋の上とか。
遠くに巨大な船が浮いてて、波が押し寄せている。

とにかくドミンゴが圧巻。
もう、こういう役はやはり彼の独壇場。

一方、クールに怒り狂っているプリンスのディーマが…形容できないぐらいかっこいい。
あのアリアなんて、ゲルギエフがオケ止めたもん。

ゲルギエフは拍手が大嫌い。音楽を切るから。
強引に演奏続けるので、拍手が歌い出しにかぶっちゃう。歌手は可哀相。
さすが巨匠だね。

チャイコフスキーは悲劇が似合うなぁ…

おばあちゃん、演技うますぎ。
ぞっとする。
床下から出てきたときはギャグがと思った。

劇中劇のソプラノがめちゃ可愛い。



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ギリシャの踊り




ダンスへの招待【第7話】
[出演]モーリス・ベジャール
  ジャン=クロード・ガロッタ
  ミシェル・ハレ=エガヤン
  アルフォンソ・カタ
  リヨン国立バレエ団、
  グループ・エミール・デュボワ
  バレエ・ド・ノルド他

[演目]ミシェル・ハレ=エガヤン振付:仮題、夏の組曲
  ジャン=クロード・ガロッタ振付:ルーヴル、パンドラ
  アルフォンソ・カタ振付:ルビス
  モーリス・ベジャール振付:妖精のキス、ギリシャの踊り 
  他、約55分

2005年にクラシカジャパンで放送。







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