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絶対計算者

2009年03月19日 | 経済学

経済や社会の分野において統計的なデータや分析手法が大きな役割を果たすようになってきている。そのような統計的な手法に頼る人たちを絶対計算者として描いた『その数学が戦略を決める』イアン・エアーズに次のようなくだりがある。

人間の心には、よく知られている各種の認知的な欠陥や偏りがあって、これが正確な予測能力を歪めてしまっているのだ。人は、重要そうに思える特異なできごとをあまりに重視しすぎる。・・・

人は偏った予測をしてしまいがちなばかりか、それについてとんでもなく自信過剰である・・・実は偏りと自信過剰の問題は、予測が複雑になるにつれて一層悪化する。・・・ノイズの多い環境だと、どの要因を考慮すべきかははっきりしないことが多い。・・・

絶対計算者たちは予測にあたりどの要因をどれだけ重視すべきか見極めるのがうまい。・・・変数がたった二、三個のずいぶん雑な回帰分析でも人間より予測がうまいのは、まさに変数の適正な重みづけがずっとうまいからだ。・・・

専門家は自分は専門としている分野についてよく知っていると考えている。しかし、実はたくさんの知識や経験は、より優れた予測や行動に結びついていないかもしれない。もしかしたら、専門家が長年の経験と知識から導き出す結論は、その分野の間違った伝統や思い込みからくるものに過ぎないのかもしれない。

上の例で面白いのは、専門的な知識が間違っているのではないということだ。それぞれの知識自体は正しいが、その重み付けによって実は多くの結論の可能性があるということだ。経験を積めばより優れた結果を残せる可能性もあるかもしれないが、もしかしたら経験を積むことによってその分野の間違った偏見や思い込みを受け継いでしまうかもしれない。

これは、多くの分野で言えることだろう。長年の経験者ではなく、どこからともなく現れた新参者がその分野の地平を変えてしまう。専門家は、昔の知識を学び、それを理解することが大事だ。自分勝手な我流でやって上手くいくはずがないと言うかも知れない。問題は、その中にはその時代の専門家達が勝手に正しいと思い込んでいる前提が紛れ込んでいるかもしれない。過去の知識を知っておくことは重要かもしれない、しかし、それを知った上で伝統にこだわって物事を客観的に見ようとしない専門家たちに挑戦しようとする新参者が現れたらどうだろう。それこそ、よく起こっている現象なのかもしれない。

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