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生産性と分配に関する対立点

2010年01月12日 | 経済学

民主党の藤末健三議員の労働分配率を上げるという発言が話題になっている。典型的な左翼的な思考回路に基づく資本家から労働者へと所得を移転させるという主張でで、大部分の人はそのような政策に期待もしていないだろうが、なぜほとんどの国において分配政策が失敗したのかを理解する上で面白いスタート地点である。

まず根本的な問題として、分配に関しては二つの対立点があった。一つは、資本家や経営者と、そこで働いている労働者との間の利害対立である。生産をしてその売り上げによって得たお金をどのように分配するかという問題である。しかし、実はもう一つの対立点があり、それが社会全体で部門間、産業間、労働者間でどのように所得を分配するのかという問題である。

賃金は限界生産性によって決まるというのが近代経済学の基本的な結論である。性格に言うと限界生産性の価値によって決まる。限界生産性の価値というのは、限界的な生産量に作った商品の交換価値をかけたものである。しかし、限界生産性の価値は労働者の能力や経営者の経営能力だけではなく、どのような製品を作っていたのかということにも影響を受けるので、どのような製品を作っているのかによって限界生産の価値も変わってくることになる。

だから、保護されている産業や有力な製品を生産している企業の労働者の見かけの限界生産性の価値は、価値が低い製品しか生産させてもらえない労働者の限界生産性の価値よりも高くなってしまう。これは製造を行う労働者だけでなく、セールスマンにおいてもいい商品を扱った方が簡単に高い売り上げを上げられるだろうし、売り上げと利益の上がりやすい部門を担当すれば無能な管理職でもいい成績が上げられるというように他の形態の労働者についても同じである。

このように、部門間、産業間、労働者間の所得の分配というのがもう一つの問題である。この問題に対して、本来市場が競争的であれば労働者を含む資源の移動が起こって部門間の格差が解消するはずだから、それを行うべきだというのが一つの考え方で、このような部門間の差はすべて労働者や経営者の能力差であるに違いないからこのような格差を尊重し正当化することが経済を成長させるというのがもう一つの主張だ。

競争論者が格差の容認や、弱肉強食によって生産性を高めることを主張するのは、後者の立場を取っているからである。もし、前者であれば高すぎる賃金を新規参入によって下げることによって生産性の向上と効率化を図らないといけないことになる。スウェーデンモデルの基になっているレーン・メイドナー・モデルがまさにこちら側の考えに基づく理論である。

藤末議員の主張は、労働者間で考えると限界生産性の違いがありその分所得の違いがあるのは当然であるが、経営者や資本家は何の貢献もしていないのでその分を労働者に分配するべきであるというものである。ほとんど何の貢献もしていない年収一千五百万円の中高年社員と資本家とではどちらが経済に貢献しているのだろうか、高所得の労働者の所得を上昇させるのとそれを低所得者層に分配するのとではどちらが好ましいのだろうか。それが基本的な問題である。

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