産経ニュースの記事より
大阪府門真市立第三中学校の昨春卒業式での国歌斉唱集団不起立問題で、斉唱時に着席し文書訓告処分を受けた50代の男性教諭が今年2月、市民団体の集会で講演し、「今後も不起立を貫く」「これから処分があると思うが頑張っていく」などと訴えていたことが5日、関係者の話で分かった。・・・
関係者によると、「不起立報告」と題した講演の中で教諭は、「君が代強制の先には、国のために命を投げ出す子供を育てるという目的がある」「『日本人は他の民族より優秀』と教え込むことにつながる」といった内容の持論を述べ、「君が代反対にこだわるのは、こういう教育をしたくないから」と説明した。
今回の不起立問題をめぐる市教委や府教委の事情聴取についても批判し、「ずっと卒業式では不起立をしてきた。今後も貫こうと思う」と宣言したという。
昨年3月13日の卒業式では、この教諭のほかに男女7人の教諭と、男子生徒1人を除く卒業生159人が国歌斉唱時に着席。市教委は7人に対しては口頭厳重注意処分、管理責任を問い校長に文書訓告処分を言い渡している。
国歌斉唱に反対する教師たちが大阪で処分を受けたようだ。国歌斉唱に反対する自由を主張する教師達。問題は、日本国歌斉唱に反対しそれを否定することは他のものの自由を大きくけなしているということだ。それぞれの人間にはそれぞれ自分の考えを持つ自由がある。しかし、国歌反対のようにそれを嫌う人間がいるからといってその人間に配慮して国歌斉唱を行わなかったら、他の人間の国歌を歌いたいという権利を損なうことになるだろう。今回も、教師の指導によってほとんどの生徒が国歌斉唱時に着席していたようだ。
他の人を尊重する。いかにも左翼が好きそうな言葉だ。しかし、尊重するとはお互いにし合うものである。片方の考えや意見を尊重するのは支配であり、優越である。これは、日常においてもそうであるし、国家間においてもそうである。日本と他の国がお互いに分かり合う、尊重しあうにはお互いを認めあることが必要だ。韓国や中国が言ったからといって尊重するのであれば、それは優越を認めるということであり尊重しあうということではないだろう。現在の世界の中で、国家は重要な位置を占めている。その国家をお互いに尊重しあうことは、お互いを認め合うことに繋がるのではないだろうか。