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不等価交換と等価交換

2009年02月28日 | 経済学

池田信夫blogの資本主義と市民社会より

よく「資本主義」と「市場経済」を同じ意味に使う人がいるが、両者は別の概念である。ブローデルもいうように、資本主義の核にあるのは不等価交換によって利潤を追求するシステムであり、それは等価交換を原則とする市場と対立する。資本主義は、等価交換によって利潤(不等価交換)を生み出すシステムであり、この矛盾がさまざまな軋轢を生んできた。

市場についてもう少し説明すると、市場というのは不等価交換が等価交換をもたらすシステムとして捉えることが出来る。企業家は利潤を上げるために事業を営んだり取引をしたりするのでそれ自体は不等価交換である。しかし、その不等価交換という行為は不足している財を供給したり、資本を生産性の低い場所から生産性の高い場所へと移動させたりするので、結果として市場を等価交換のシステムへと近づける。つまり、市場は部分的には利潤動機という不等価交換に基づく行為が、結果として資源の歪みを解消し等価交換のシステムである市場を機能させるというシステムである。

だから、利益や利潤というものが正しいという主張や、不等価交換自体を正しいとするのは間違いで、その不等価交換が等価交換をもたらすかどうかが重要である。極端な例を考えればすぐにわかることだが、独占は不等価交換をもたらすが社会的・経済的に好ましいものではない。同じように、不等価交換が結果として等価交換を長期的にもたらすのであれば良いが、ずっと不等価交換が続くのであればただ単にっ不平等が延々と続くだけだ。これは、市場が一部の産業家によって寡占的に支配されている場合も、労働組合が労働市場を制限している場合も同じである。

まさにここが問題なのであるが、不等価交換が等価交換をもたらすというのが市場を支持する根拠ではあるのだが、一部の参加者にとってはそれが最も好ましいものではなかった。産業家にとっては不等価交換を延々と続けることが出来ることが望ましかったので、市場の有用性を主張しつつ植民地支配という形で市場に介入したり、カルテルによって市場を支配したりしてより都合のいい不等価交換を維持しようとしてきた。19世紀において起こった資本主義を、「資本家が私的所有によって資本を独占する生産様式は、市民社会に寄生して本源的な価値の源泉である労働を搾取するシステム」として捉えたのがマルクスで、マルクスはそれに基づいて資本主義を批判した。

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