田舎道

東電の町から各町を転々と・・やっと終の棲家を決めました

あれから四年・・・

2015-03-07 21:56:34 | 大震災と原発事故

あれからもう四年も過ぎてしまった。

無我夢中だったので、あれこれ考える暇もなく過ぎた感じがする。

 

 

あの時

震災直後には、長男が仕事から戻る途中に避難場所で会い無事を確認。

主人は一時間以上かかって仕事場から抜け出して来てくれて、避難場所で会う。

下の子は家のお勝手口にダンボールに「無事」の書置き。

 

それぞれが無事だった事は確認したが、そのあと、東電事故で散り散りになる。

私はみんな(主人の実家)とはぐれ一人になり、お隣さんと共バスで避難する事に。

今、落ち着いて考えれば、あの時、主人の職場に向えば・・・

主人の職場のある町にも避難場所があったはずで、そこに向えば離れ離れにはならなかったのに・・・

 

どうなるかわからず、不安な気持ちのままバス移動した。

震えるほど不安だけど、いずれまた家には帰れると信じて、それだけでみんなと行動を共にした。

初めておにぎりが出された時、お腹はすいているのに、飲み込めなくて・・・・水で流し込んだ・・・

日に日に悪化して行く東電。

体育館でみんなでテレビをみながら、これから先どうなってしまうのか、不安の毎日だった。

置いてきたブーさんの事を思い、どうすることもできず、一人泣く。

 

そして、埼玉に行かなければならなく時、どうしよう、どうしようと一人あせった。

当時、主人は病院の事務員、今どんな状態か聞かなくてもわかるのが、たまらず夜中に電話したっけ・・・

 

なんというか、神様仏様のおかげで、埼玉に行くバスにのる直前に救われた。

その後は親戚にお世話になり、一ヵ月後には主人と一緒に住むことができた。

 

今思い出しても、移動するバスの中の事、体育館でダンボールの上に毛布をかぶり寒さと不安で震えながら寝たこと、

思い出すと今でも胸が苦しくなる。

 

東電は廃炉に向けての作業が始まっているが、汚染水漏洩など事故が続いている。

わが町には中間貯蔵施設が出来る事になる。

帰りたくても、帰れない。

 

 

汚染される前の空・・・

 

 

親族、みんな離れ離れになってしまったけれど、みんな無事だった事を思えば幸せだ。

いつまでもグチばっかり言って暗くなっていてはいけない。

それぞれが、その場所、その場所で頑張って行かなければ。

 

まだ仮設住宅の住まわれている方も多くいます。

何とか、復興住宅などに入れるように、小さな希望一つでも見つかるように、心から祈ってます。

 

これから先、まだまだいろんな事、困る事、いっぱいあるだろうけれど、なんとか主人と二人で頑張って行きたい。

一日を大事に、前向きでに生きて行こうと思っている。

 

コメント (4)
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