にこにこぷん

今日はどんな一日だったかな
2009年8月、’11年8月、’13年7月、’15年10月生まれ
1男3女6人家族です。

11年前 地震の思い出

2006-01-17 22:32:41 | つれづれ
阪神淡路大震災から今日で11年経った。

当時の私は奈良にいた。
確か震度は4だか5だか。
それまで経験したものとは明らかに違った。

・・・とは言え、当初私は寝ぼけていた。
私と姉が寝ている部屋を開けるすごい勢いの音で目覚めたのだ。
『バァァーン』ドアの音。
「布団かぶりー!!!」
と叫ぶ母。
寝ている私の横には大きなたんす。
被害は無かったが、今思うととても恐い光景である。

当時私はまだ14歳で、危機感も無かったのだろう。
しかし父も母も、地震がおきる前の地鳴りで目覚めたという。
『守るべき』責任感を持つ親の成せる業。有難い。

午前6時。普段起きるには早い時間。
しかし眠れなかった。
テレビをつけて、非常に不安になったからだ。
親戚も住む、兵庫。煙があがっている映像。
『無事かなぁ・・・』
しばらく電話がつながりにくかったが、親戚から連絡がきた。
「外壁に大きなひびが入ったけど、家族皆無事です」と。
普通こんな連絡ってしない。
ただならぬ出来事である事を思い知らされた。

大切な人、家、失った人も多くいらっしゃることだろう。
私には何も出来なかったが、この出来事から学ぶべきものを学ばねば、と思う。

それと同時に、家族のありがたさをひしひしと感じる。


被災された方々の冥福を祈ります・・・。

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2 コメント

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おじゃましま~す♪ (み~さん)
2006-01-18 14:54:22
いつも見ていてくれたのね。ありがとう。

14歳の時にあの地震にあわれたのですね。

こわかったよね。

あ・・あんまり覚えてないか・・。

すごい地鳴りだったんだよ。ご~って。

私も「親」になってまだ2年ちょっとだったけど必死でしたね。

「絶対に守ってみせる」っていう気持ちでしたね。

友人はその気持ちのまま・・止まってしまっています。自分が殺したって思っているのかもしれない・・。

救ってあげたい・・でも、なにもできない。

あの時ほど自分の無力さを感じたことはありませんでした。

神戸に住んでいた男性の同僚はパン1個の支給があってから3日間なにも支給がなかったんですって。

でも、その1個のパンを食べずにポケットに入れて娘さんに少しずつ食べさせていたんですって。

しばらくは同じ銘柄のパンが食べれなかったって。

あ・・・ごめんね。

初めてなのにこんなことばかり書いて。

また楽しい記事もUPしますからね。

お料理とか・・も。

なにかご希望があれば言ってください。

また私も遊びに来させてね
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お越しいただきありがとうございます (165)
2006-01-18 22:18:52
み~さん様



うわぁ・・うれしい

いらしてくださったんですね



いつも「お手本にしないと!」と思い読ませて頂いているみ~さんのブログです



地震にも負けない『絆』ってすごいですね

自分にそんなことできるかな・・・と

思ってしまいますが・・



ちゃんと備えをせねばなりませんね!!
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