岩手から帰ってきました。
岩手では寒くて、あまりにも頼りない感じだったフード付きダウンベスト。
東京に着いてコレで外を歩いていると
「うう暑い、これ」。
盛岡からさらにバスで2時間。
三陸沿岸部の宮古市に向かいます。
106線というバスが1時間に1本出ていてとっても便利。
震災の後も、このバスが人や物資を運ぶのに大活躍したのだそうです。
懐かしい感じの切符。厚くて、硬い。

途中、道の駅で3~5分トイレ休憩をします。

さすがに少しずつ紅葉してきていますね。

車の縁石替わりに居た小人さん。

しかし、盛岡市内や宮古までの道中を見ている限り、
震災の影響はほとんど確認することができませんでした。
宮古市に入った辺りで仮設住宅と思しきおウチが建っていたくらいかなあ。
もちろん細かいところや、以前の姿に比べると変わったところは沢山
あるのでしょうけれど、ぱっと見には全くわからん。
こんな短期間でこんなにちゃんと生活を「戻す」なんて
東北の人は本当にすごい、と思いました。
宮古駅到着。

バスを降りると、今回お世話になるチームの保護者さんが車で迎えに
来てくださっていた。
今回私たちが訪れたのは、宮古市でも千徳地区といって、津波の直接被害が
ほとんどなかった地域のチームです。
ただ、津波の直接被害はなかったからといって、電気、水、食料のライフラインは
長い間復旧せず、大変な思いをされたそう。
「少し時間があるので、体育館に行くまで街を回ってみますか?
街の半分は完全に『なんにもない』状態だけど」と、サラリとおっしゃる。
「そうそう、信号も実は一昨日復旧したんですよ!
一昨日になるまで信号があるなんてこと、すっかり忘れてました!あはは」
サラッとカラッとおっしゃってる感じが、逆に体験した人の現実味を感じさせた。
駅から海の方へ近づくにつれて・・・私たちは絶句。
きれいに片付いているが、本当に何もない。
分譲中の団地みたいだ。
かろうじて家の礎部分が残っていても、ほとんど更地。
たまに大きな建物は残っていても、壊滅状態になっているか
営業していないお店か。
「ここはずいぶん高かったんですよ。電信柱の上に捕まって
助かったなんて人がいましたからね」
「ああ、ここには大きな船が引っ掛かってました」
海辺に魚市場(があったところ)があったが、
かろうじて市場だったのかなあ?という感じ。
ところどころある堤防の切れ目から覗く、青くてキラキラしたあの海が・・・
流されてしまった辺りのところは、高い堤防があった。5~6mもあるだろうか。
案内してくださったお母さんがおっしゃるように、高い堤防が続いている
辺りは、おかげでその向こうの海の様子がほぼ全く見えないのだ。
高台にいた人には、波が堤防を超える様子が見えただろうけど、
ここにいた人たちはいきなり波が堤防を超えてきたというふうにしか
見えなかったそう。
ここにも家がちゃんと沢山建っていたんですよ、とお母さんはおっしゃるが
あまりにも更地。
写真を撮るのもはばかられたのだが、お母さんが車をUターンさせるときに
(つまり建物がないので、道路もどこにあるのかが分からず、行き止まりまで
行ってしまったのだった。もちろん道路標識の類は皆無)
1枚だけ車内から写メさせてもらった。

こんな更地が街の半分、延々と続いているんです。
うーん・・・と言葉をなくしつつ、目的地の千徳小学校へ向かう私たち。
お母さんいわく、千徳地区は津波の直接的な被害を受けなかったため、
同じ被災地でありながら「被災している」と認めてもらえず、
被災した方々向けに行われているあらゆる催し事に
「呼んでもらえないんですよ」。
だから、今日は皆さんが来てくださるのを子供も大人もみんなで
とっても楽しみにしてたんです、とのこと。
今度は別の意味で、うーん。
大変失礼だけど、大人の方がそうおっしゃってくれていても
肝心の子どもたちが「そう」じゃないケースは往々にしてあるんだよな・・・
なんてチラッと思ったのだが、
これが嬉しいことに完全に杞憂だった。
学校についたとたん、今日受講してくれる小学1年生から6年生までの
54人が、寒いのに私たちの会社のTシャツ姿で、大拍手でお出迎え。
帰りも、バス停まで男の子が3人ついてきてくれて、
私たちが乗ったバスが見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれた。
こんな大歓待はここ数年、ついぞなかったなあ。
そして驚いたのが、子供たちがとにかく明るくて元気で人懐っこいこと。
1年生の男の子は話しかけたそうに傍に来るのに、こちらが話しかけると
ニヤニヤ・モジモジ。
4年生の男の子は休憩開け1分前に私のところに来て
「(講習を再開する)時間ですよ。やりましょう」と私を見上げる。
私「まだ1分あるけど、いいの?」
「いいですよ。やりましょう。集合かけてください。みんな集まって
きますから」
事前に車の中でお母さまに相棒Gが
「どんな子達ですか?」と聞いたとき
「人の話なんかぜーんぜん聞いてないですよー。特に男の子は」なんて
おっしゃっていたが、いやあ、なかなか。
久しぶりに子供らしい子供たちを見たなあ!って感じ。
教えるのも俄然楽しかった。
こちらが言うことをあまりにも一生懸命やってくれるのが嬉しくて、
途中私が予定の時間配分を無視して暴走しかけ、相棒ズにたしなめられた。
ごめんなさい
しかし、怖い思いや辛い思いを沢山しただろうに、
元気に笑って走り回っている子供たちを見ていて、
この国の一成人として心底ホッとしたし、また嬉しかった。
きっと周りにいる大人の方々がしっかりと、この子らを守っているんだろうなと
思った。
屈託のない笑顔と「また来てね」に
私たちの方こそが勇気とエネルギーをもらえた、貴重な一日でした。
岩手では寒くて、あまりにも頼りない感じだったフード付きダウンベスト。
東京に着いてコレで外を歩いていると
「うう暑い、これ」。
盛岡からさらにバスで2時間。
三陸沿岸部の宮古市に向かいます。
106線というバスが1時間に1本出ていてとっても便利。
震災の後も、このバスが人や物資を運ぶのに大活躍したのだそうです。
懐かしい感じの切符。厚くて、硬い。

途中、道の駅で3~5分トイレ休憩をします。

さすがに少しずつ紅葉してきていますね。

車の縁石替わりに居た小人さん。

しかし、盛岡市内や宮古までの道中を見ている限り、
震災の影響はほとんど確認することができませんでした。
宮古市に入った辺りで仮設住宅と思しきおウチが建っていたくらいかなあ。
もちろん細かいところや、以前の姿に比べると変わったところは沢山
あるのでしょうけれど、ぱっと見には全くわからん。
こんな短期間でこんなにちゃんと生活を「戻す」なんて
東北の人は本当にすごい、と思いました。
宮古駅到着。

バスを降りると、今回お世話になるチームの保護者さんが車で迎えに
来てくださっていた。
今回私たちが訪れたのは、宮古市でも千徳地区といって、津波の直接被害が
ほとんどなかった地域のチームです。
ただ、津波の直接被害はなかったからといって、電気、水、食料のライフラインは
長い間復旧せず、大変な思いをされたそう。
「少し時間があるので、体育館に行くまで街を回ってみますか?
街の半分は完全に『なんにもない』状態だけど」と、サラリとおっしゃる。
「そうそう、信号も実は一昨日復旧したんですよ!
一昨日になるまで信号があるなんてこと、すっかり忘れてました!あはは」
サラッとカラッとおっしゃってる感じが、逆に体験した人の現実味を感じさせた。
駅から海の方へ近づくにつれて・・・私たちは絶句。
きれいに片付いているが、本当に何もない。
分譲中の団地みたいだ。
かろうじて家の礎部分が残っていても、ほとんど更地。
たまに大きな建物は残っていても、壊滅状態になっているか
営業していないお店か。
「ここはずいぶん高かったんですよ。電信柱の上に捕まって
助かったなんて人がいましたからね」
「ああ、ここには大きな船が引っ掛かってました」
海辺に魚市場(があったところ)があったが、
かろうじて市場だったのかなあ?という感じ。
ところどころある堤防の切れ目から覗く、青くてキラキラしたあの海が・・・
流されてしまった辺りのところは、高い堤防があった。5~6mもあるだろうか。
案内してくださったお母さんがおっしゃるように、高い堤防が続いている
辺りは、おかげでその向こうの海の様子がほぼ全く見えないのだ。
高台にいた人には、波が堤防を超える様子が見えただろうけど、
ここにいた人たちはいきなり波が堤防を超えてきたというふうにしか
見えなかったそう。
ここにも家がちゃんと沢山建っていたんですよ、とお母さんはおっしゃるが
あまりにも更地。
写真を撮るのもはばかられたのだが、お母さんが車をUターンさせるときに
(つまり建物がないので、道路もどこにあるのかが分からず、行き止まりまで
行ってしまったのだった。もちろん道路標識の類は皆無)
1枚だけ車内から写メさせてもらった。

こんな更地が街の半分、延々と続いているんです。
うーん・・・と言葉をなくしつつ、目的地の千徳小学校へ向かう私たち。
お母さんいわく、千徳地区は津波の直接的な被害を受けなかったため、
同じ被災地でありながら「被災している」と認めてもらえず、
被災した方々向けに行われているあらゆる催し事に
「呼んでもらえないんですよ」。
だから、今日は皆さんが来てくださるのを子供も大人もみんなで
とっても楽しみにしてたんです、とのこと。
今度は別の意味で、うーん。
大変失礼だけど、大人の方がそうおっしゃってくれていても
肝心の子どもたちが「そう」じゃないケースは往々にしてあるんだよな・・・
なんてチラッと思ったのだが、
これが嬉しいことに完全に杞憂だった。
学校についたとたん、今日受講してくれる小学1年生から6年生までの
54人が、寒いのに私たちの会社のTシャツ姿で、大拍手でお出迎え。
帰りも、バス停まで男の子が3人ついてきてくれて、
私たちが乗ったバスが見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれた。
こんな大歓待はここ数年、ついぞなかったなあ。
そして驚いたのが、子供たちがとにかく明るくて元気で人懐っこいこと。
1年生の男の子は話しかけたそうに傍に来るのに、こちらが話しかけると
ニヤニヤ・モジモジ。
4年生の男の子は休憩開け1分前に私のところに来て
「(講習を再開する)時間ですよ。やりましょう」と私を見上げる。
私「まだ1分あるけど、いいの?」
「いいですよ。やりましょう。集合かけてください。みんな集まって
きますから」
事前に車の中でお母さまに相棒Gが
「どんな子達ですか?」と聞いたとき
「人の話なんかぜーんぜん聞いてないですよー。特に男の子は」なんて
おっしゃっていたが、いやあ、なかなか。
久しぶりに子供らしい子供たちを見たなあ!って感じ。
教えるのも俄然楽しかった。
こちらが言うことをあまりにも一生懸命やってくれるのが嬉しくて、
途中私が予定の時間配分を無視して暴走しかけ、相棒ズにたしなめられた。
ごめんなさい

しかし、怖い思いや辛い思いを沢山しただろうに、
元気に笑って走り回っている子供たちを見ていて、
この国の一成人として心底ホッとしたし、また嬉しかった。
きっと周りにいる大人の方々がしっかりと、この子らを守っているんだろうなと
思った。
屈託のない笑顔と「また来てね」に
私たちの方こそが勇気とエネルギーをもらえた、貴重な一日でした。