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1億3000万分の、独言(ヒトリゴト)

日常の一コマをマイペースに切り取ります

ドクターイエロー効果

2011年10月06日 | 読書
昨日の東京は、シトシト雨+どエラく寒い一日でした。
夜の気温は11月中旬並みということでしたね。
急に気温が下がると身体がついていかないっちゅーねん。

欲しい本があって、新宿紀伊国屋まで足を伸ばしたのだが、
や・ば・いーーー!!
読書の秋とはよく言ったもんだ。
店頭に平積みされているどの本もどの本も、
なぜだかとっても魅力的に見えてしまう

本を買うのにお金をかけるのは、洋服を買うのにお金をかけることより
何となく「許される行為」のような気もするが、
散財は散財なので(笑)
うおおお、どうしよう・・・と迷いつつ、何とか3冊に絞り込む。

本日のラインナップ。

小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』(文春文庫)が
めちゃめちゃ面白そう。
『新編あいたくて』は工藤直子さんの詩集で、佐野洋子さんが絵を描いている。
詩集って普段はあまり手に取らないのだが、
ご本の一番最初に出てくる「あいたくて」という詩があまりにも
良かったのと、
この帯の文↓が泣けたので、購入決定。


『100万回生きたねこ』(講談社)の著者で有名な佐野洋子さんは
去年がんで亡くなったのでした。
この人のエッセイはすごく好きだった。
この帯はその洋子さんへの工藤さんのメッセージで、
あとがきの「文庫版に寄せて」から抜粋されています。

目的の著者の本も発見しましたが、この人の著書があまりにもありすぎ、
しかも全部面白そうだったので、もう少し色々調べてから買いに来よう、と
出直すことに決めた。
こちらのお話はまた後日。


面白そうな本を買ったので、わーい、とゴキゲンで歩く。
真昼の新宿ゴールデン街は、なんだかとってもあっけらかんとしています。


そうそう、ちょっと前に欲しいけどどうしようかなあと諦めた
ダウンベストが、今日立ち寄ったらいきなり35%オフになってた。
「今日からお安くなって、10日まで期間限定なんですよ」と店員さん。
ラッキー!
こないだ無理して買わないでおいてよかった。

ものすごく読みたい!と思った本に出会えたのもラッキー。
収穫がない日は、どんなに本屋を巡っても全然ピンと来ないもんだし。
ドクターイエロー効果に違いない。
うむうむ。











オチる理由

2011年09月04日 | 読書
PCのメールチェックしてみたら、来てるわ来てるわ。

「向井って言うんだけど名前聞いたら分かるかな?もういい年だしそろそろ・・・」
「はじめまして。春馬っていうんだけど・・・」
「突然のメールすみません。岡田のマネージャーをしている者です。・・・」
「ちゃんぐんそくっていいます。かんこくのひとだけどよかったら・・・」

って、こんなビッグネームの方々からメール来ているワタシって何モノなわけ?
こういうメールに引っ掛かる人っているのだろうか、と素直に疑問。
(いたらごめんなさい)
特に一つ目。向井理のことだろうけど、「もういい年だし」って
余計なお世話すぎー!!
噴き出しちゃったよ。

面白いけどめんどくさいので、もちろん開くことなくそのまま全部
ゴミ箱行き。

セルビアに行って、世界史に興味が出たので
本屋で目についた
『忘れてしまった高校の世界史を復習する本』(祝田秀全著 中経出版)
買ってみたけど、おりしもの時差ボケのせいか、教科書パワーか、
開くとすぐにオチてしまう。
教科書だと思うからオチるのかなー。決して教科書っぽくないんだけどなー。
多分時差ボケのせいだと思われるが、このままオチ続けるようなら
眠れない夜に是非活用しよう。

それから目についた他2冊もお買い上げ。
本屋に行くとつい衝動買いする癖はいかがなもんかと最近思うが
↑いつも同じような本買っちゃうし
今回、機内用に買った『仏果を得ず』(三浦しをん著 双葉文庫)
面白かった。
文楽好きで腐女子のしをんちゃん(と私と実妹は呼ぶ)ならではの作品。
久々に文楽が見たくなった。
(大学の時、演習の授業で何回か見たことがあるのでした。)

セルビア写真。
公園のトラムになぜか日本の招き猫。



完成すればヨーロッパ一の長さになる吊り橋を建設中でした。

今通っている橋はボコボコ揺れていて、「いつか落ちるよ」とアテンドの
ミロシュは笑っていた。(笑っている場合か)

施工業者は日本の企業だそう。
おさすが!

さて、今日はなんだかさすがに体調がよろしくないのでした。
ちょっと熱があるようなので、早めに休むことにします。







友だち100人

2011年06月28日 | 読書
今日も東京、日差しが強くて暑かったです!!
昔は夏って言うとこれくらいの陽気だった気がするけど、
温暖化の今は、これからもっともっと気温が上がるのだよね・・・


「顔本」の項では、思いがけずたくさん反応をいただきました。
色々教えて下さって有難うございます。
皆さんがそれぞれの考え方で、それぞれ色々なツールとして利用しているんだと
よく分かりました。

それから、私が「友だちリクエストが来て困った」と言ったのは
もちろん、名前も知らない方々から来たものに関してのみです。
オフの友人知人でリクエストして下さった方々は
洩れなく承認させていただいております!
却ってお気遣いさせてしまってごめんなさい。
もう、ハギコのばかばか!あんぽんたん!!

ちょうど今読んでいる鴻上尚史さんの本の中で、
日本人は
「『友達が多いことは無条件で良いこと。友達が一人もいないことは、
無条件で悪いこと。』という価値観」を
誰でも知っている「ともだち100にんできるかな♪」の歌で
「わずか5,6歳の子どもに刷り込んでいる」
という記述を見つけました。
なるほど、あるかもなあ。
【『孤独と不安のレッスン』鴻上尚史著 大和書房 2011年』61頁より引用】

じゃあ、友達の定義ってなんだ、なんて、
ちょっぴり思春期めいた迷路にハマりそうになって、入り口で止めておく。
ま、私が「友達だ」と思えば友達でいいんじゃないか、と。
定義を突き詰めて満足したとしても、
私は明日も「友達」や「知人」とご飯を食べに行くのだろうし。


最近、無印良●が私の中で「ヤバい」。
今めちゃくそハマっているのが、マドラスチェックの布シリーズ。
枕カバーやマルチカバー、布団カバーなど
かわいい!!!
全部欲しい!!!

色の組み合わせもそれぞれ違う。
ううううう、ムダ使いの匂い・・・・・

















全て当社比ですが

2011年06月27日 | 読書
最近「当たり」のご本に出会うなあ。
本屋は好きなのだが、今って、一歩お店に踏み入れるともう眩暈がするくらい
たくさん本がありすぎて、たまに酔いそうになったりするんですよね。
その中で、「お」と思える本に出会う確率は格段に減ってきた気がする。
本当にピンからキリまであるんだもん。

好みが多様化してるとか、
作家さんじゃなくても本を出版しやすい環境になってきたとか、
理由は色々あれど、
そういう中で残念な本を買ってしまうこともままある話。
幾ら書評を読んだりしても、やっぱり腰を落ち着けて読まないと
内容は分からないし。

でも、最近「本運」はいいな。
またすごい本に出会ってもうた。

『奇跡のリンゴ』石川拓治著 幻冬社文庫 2011年

NH●のプロフェッショナルのナンチャラで大反響を呼んだ(らしい)
りんご農家の木村秋則さんのお話。
いやいやいや、びっくりした。なんつー人だ。
っていうか、電車で読んでて何回も泣きそうになった!危ない危ない。

こういう人もいるんだと思うと、なんというか、
平たく言えば生きる勇気が湧いてきます。


最近良かったといえば、Superflyの新しいアルバム
『Mind Travel』も好きですー。

「タマシイレボリューション」は私が今現役選手だったら、間違いなく
試合前の移動中に延々リピートで聴くだろうって感じのカッコいい曲だけど、
アルバムの中でその「タマシイ」の前に収録されている曲もなんだか印象的で
朝起きるとサビの部分が頭の中で鳴り響いているくらいなのです。(私にとって)

MP3で繰り返し聴きつつ、いいなあと思って曲名を見たら
「Fry To The Moon」なんて、ちょっとろまんちっくな(当社比)曲名で
なんだか嬉しかった。

いずれにせよ、越智さんの声量があってこそのカッコよさだけど。
ボンボン低音効かせて、ガインガイン聴きたいなあ!
車を運転する人はBGMにしたら、間違いなくスピードが出ること請け合い。
↑請合うな


本、音楽と来たら、次は映画ですね。
・・・とかなり強引に持ってきましたが、
今日新宿ピカデリーに行ったら!ら!!

うっきゃあああ!エドとアルだわ!!!

『鋼の錬金術師 ミロスの聖なる星』(劇場版)は7月2日公開だよ!
映画館の大スクリーンで大佐を観るのだ



深夜の笑い

2011年06月17日 | 読書
久々に三浦しをんさんのエッセイを引っ張り出してきて、
東急ハン●で買った文庫本お風呂カバーをかけて、
湯船で読んでは爆笑しているのである。
(私と妹の間では、「しをんちゃん」で通っている)
バクチク(というビジュアル系バンドが私たち世代時とても人気があった
のですが・・・)と
文楽と読書とホモ漫画をこよなく愛する彼女。

「どうして女は『三国志』と『新撰組』が好きなのだろう」

って、それまさに私もご多分に洩れてないしー!!
《『桃色トワイライト』三浦しをん著 新潮文庫より》

深夜、お風呂に響きわたる、若干のぼせ気味の私の笑い声。



昨日は名古屋出張でした。
↑名古屋辺りは今は「出張」と言えるのかどうか。
最近名古屋は週一くらいで出没している気がする。
いや、ぜんぶ仕事がらみですけどね。

名古屋在住のセンパイが、「足」になって下さって助かった。
センパイとちょっとお茶。

再三この日記でも申し上げておりますが、
名古屋(というか東海地方)文化圏は何が羨ましいって、
こういう落ち着いた喫茶店がそこかしこに沢山あること。

センパイが連れて行ってくれたこの喫茶店のブレンドコーヒーも
とってもおいしかったです。
きっとモーニングも美味いに違いない・・・!!!

分類法

2011年06月13日 | 読書
本は印をつけたり、ページを折ったりしながら読むタイプです。
でも、こないだ引越しのとき、そういうことをすると古本屋さんに
売れないということを実感。

印を書き込んだ時点で分かりそうなものですが、
本は「何度も読み返したいか/一度だけで良いか」で整理しています。
一度だけでよいものについては、新しいうちに速やかに古本屋さんへ。
何度も読みたいものを手元に残すようにしておくのですが、
印を書き込んだ時点で琴線に触れたものは案外、
数年経って読み返してみると、あまりピンと来なくなったりすることがある。

つまり、私自身も変わっていくということで(当たり前)
そうすると「蔵書」扱いにした本にも、印なんかは書き込まないほうが
後々賢明なのだと実感したわけであります。


ということで。
書き込む形ではなく、付箋を貼る形に切り替えたのですが。

付箋だらけすぎて、付箋の意味なし。
(6月11日の日記でご紹介した本です)

言うまでもなく、ハギコ家蔵書入り決定。


夜は同世代だけどちょっとオネエサマの2人とご飯。
お2人が私より少し年上なのですが、なぜか態度は私が一番デカい(笑)

梅雨ですね。

女性が諸手を挙げて喜びそうな、生麩と湯葉の連続攻撃。
生麩と湯葉の蒸籠蒸し。

「ゆばふぉんじゅ」ですって。

湯葉と西京味噌にたぶん少しチーズが入っている。
しつこくなくて美味ー!


Tさん、胃の心配を有難う。
新人戦はおかげさまで余裕を持ってやっております。
(人数少ないし、負け元だと)







踊る梅雨

2011年06月11日 | 読書
今、棋士の羽生善治さんの
『大局観-自分と闘って負けない心』(角川ONEテーマ21 2011年)を
読んでいるが、これがべら棒に面白い。
言わずと知れたプロ棋士である羽生さんも、若手の俊才というイメージがあったが
はや不惑の年を越えたそう。(実は私と同じ年)
若い頃のように怖いもの知らずに勝負するのではなく、
経験を重ねたからこそ「決断が怖くなる」今、大局を見て精進をしていきたいと
おっしゃる心のありようは、同世代だからか、ものすごく同調してしまう。

棋士ってそこまで考えてるの!?!?って感じの
人間離れした技の数々は勿論、
(ある局面を見て、プロ棋士なら1時間ほど考えれば
千手くらい浮かぶらしいです。
ってか、1時間考えること自体、大変だっちゅーに
PCの検索一つで溢れるほどの情報が手に入る時代にあって、
やっぱり大事なのは「地道にプラスになるような小さな選択を積み重ねること」
(「ミスについて」より引用)だったり、
一流になるためには必要なのはやっぱり反復練習だったり、
(「毎日の練習がもたらす効果」より)
なんというか、そこかしこに、今自分が欲している情報がちりばめられている
ような気さえしてしまう、今の私にとっては珠玉の一冊なのでございます。

また、最後がいいのだ。
「対局に臨んだら、その時その時の局面で、自分ができることを精いっぱい
やるだけだ。
 その結果がどうであろうと、それは自分ではいかんともしがたいこと
なのである。
 私はこれまで、何と闘うという目標を立ててやってきていない。
 信じていただけないと思うが、常に無計画、他力志向である。
 突き詰めると『結論なし』となる。人生突き詰めてはいけないと思う。何のために
闘うのかは、七十歳になってからじっくり考えたいと思う。」
(「将棋の質が変わっても棋士の志は不変」より引用)

これ私のメンタルの師匠がいつもおっしゃっていることとまさにおんなじ。
私自身、いつも目標がないので(愛読書は五木寛之さんの『他力』 笑)
「ハギコさんの夢は?」なんて訊かれると、しどろもどろで汗まみれに
なるのだが、こうもパキッと羽生さんが言ってくれると勇気が湧くってもんです。
いや、もちろんやることはやったうえでの「他力」じゃないと、ですけどね。


・・・って、「読書」つながりで無理矢理もう一ネタ。

買っちゃった。

だって、コンビニにあったんだもん!!
ずっと迷ってたんだもん!!
ハガレンが表紙なんだもん!!

そして分厚い。

7月2日にはハガレンの映画が公開されるので、ファンの間では
この話題で持ちきりなのですが。
もう終わってしまった連載でこれだけ盛り上がるのも珍しいんじゃないかと
思います。
この分厚いガンガンを開くと、まー、売ってる売ってるハガレングッズの数々。
本編より広告ページの方が多いんじゃないかってくらい、
クリアファイル、フィギュア(大佐のは私も持ってるけどさー)、タンブラー、
貯金箱、グラス、腕時計、ペンダント、リング、キャップ、バングル、ポーチ
etc、etc・・・・・
そして映画館に行けば、先着順にハガレンの「11,5巻」が
もらえるのだ・・・!!!
ぎゃああああ!ほーしーいーーー!!

くうぅっ!!
でも、踊らされなくってよ!!!
(すでに大佐のキューピーストラップ¥700に目が釘付け)








「好き」論

2011年05月30日 | 読書
台風一過。

・・・かと思ったら、
午後の東京は日差しが差したり、また雨がぱらついたりと不安定な天気。


先日ここでご紹介した村上龍さんのエッセイは、
『無趣味のすすめ 拡大決定版』(幻冬舎文庫2011年)

私も趣味らしい趣味がないし、村上龍さんのエッセイは好きなので
手に取ったのですが、
思わず頷いたのは「『好き』という言葉の罠」の下り。

村上さんは小説家だが、小説を書くのが好きではないとおっしゃる。
では嫌いなのかと言われれば、そうでもないとか。

「おそらくそれがなくては生きてはいけないくらい重要で大切なものだが、
非常な集中を要するのでとても好きとは言えないのだ。
わたしにとって小説を書くということは好きという言葉の枠外にある。」
《14ページよりそのまま引用》

そう、これなんだよー!!と、ぶんぶん頷く。←若干オカシい立ち読み者
私にとってバスケットってまさに、これ。
特にバスケットが仕事になってからは。

よく色々な人に(メディアの方含め)
「ハギコさんにとってバスケットって何ですか?」と訊かれて
いつも答えに窮していた。
一言で何か表せないし、何ていうかそれがないと私の人生成り立たないけど
まあなくても何とか生きてはいけるんだろうし、とか。
「でも、好きなんですよね?」と訊かれると
それも答えに窮すわけです。
これだけ続けられるんだから(かれこれ30年ちょっと関わってる)、
たぶん好きじゃないと出来ない。
でも「好き」という言葉で表せるほど単純なもんでもない。
むしろ嫌いとかめんどくさいって思うときも多いし。

うーん、うーん、と頭を捻っていると、知人の、求道者みたいなライターさんが
「それは近親憎悪みたいなもんかな」と言ってくれた。
なるほど、あ、それに近いですってピンと来たのが確かもう10年間。

で、ついこないだ、村上さんのエッセイの中に、更に首肯できる説明があった、と。

好きなことを仕事にするのが幸せか、
好きなことは趣味にしておくのが幸せか、一時期知人と激論していた。
今の私は、正直どっちでもいいんじゃないの、と答えると思うが(笑)
どちらかと言われれば、後者を推奨します。
バスケットを生業にするまで、誰憚ることなく「バスケット、大好き!」と
広言していたし、本当に本当に大好きだった。(はい、過去形)
でも、バスケットを仕事にするようになったある日、タクシーの運ちゃんに
「いいねえ、好きなことしてお金もらえて」とやっかみ気味に言われたとき
まじめに後ろから羽交い絞めにしてやろうかと思った。
好きなことでお金をもらうって、あんたが考えているようなことじゃないんだからって。

・・・って、誰でも出来るもんじゃないんだから感謝しなさいと言われれば
そのとおりですが、それは単に数の問題であって、
その人の費やした時間や労力に対してお金が発生するという社会的な行為
(人はそれを仕事と呼びますな)そのものは、内容・職種如何を問わず
すべて同じで、とっても大変なことなのではないかと思うのであります。
「こんな職業に就けて嬉しいです。ありがとうございます。」と思うときもあれば
残念ながら「だあああああ、めんどくさいよぉ、疲れたよぉ、胃が痛いよぉ、
でもやらねばならないのだよぉ」と思うときもある。
感謝するとすれば、職種如何を問わず、今も何とか生命を維持できていること。


村上さんのこのエッセイ、
「リーダーの役割」「若者と欲望」「決断する力」あたりも
とても面白いです。
なんというか、この人は軸がぶれなくてシンプルなんだな。
ご興味ある方、是非ご一読下さい!


東京から東海のある県にいきなり「移住」した友人と、時間が合ったのでランチ。

彼女と話していて気づいたのだが、
ネット上の友人知人、身内も含め、私の知人たちは
「このヒトには自分の話をしたい!」と思わせる人と
「このヒトには自分の話をするより、このヒトの話を聴きたい」と思わせる人に
二分されるようです。
なんだなんだ、面白いなあ。





天然か、計算か。

2011年03月05日 | 読書
新年度には活動の拠点が移ることになりそうなので
必定、今あっちこっちに出没することになっているのですが、
新拠点(というか古巣と言うか)は何が嬉しいって、
すぐ隣りに生協という名の本屋さんがあること。

昨日もぶらっと冷やかしてたら・・・
み、見つけてしまった。
穂村弘さんのエッセイ。
『もしもし、運命の人ですか。』(メディアファクトリー 2010年)

このヒトのこの文章のセンスって何なんだろう。
もちろん合う合わないはあると思うんだけど、
私の場合は
彼と浅田次郎さんと三浦しおんさんのエッセイを電車の中で
読むのがキケン。
絶対噴く。
間違いなく噴いちゃう。

この作品も噴きまくっているのですが、
例えば。
穂村さんは車は持っていて運転はするのだけど、
運転がニガテなのだそうで、
新宿に車で来るのに、四谷から電車で来るのだそうで。

あー、もうすでに可笑しい。
意味わかります?
つまり新宿には彼の運転技術に見合う駐車場がないので
四谷の路上パーキングに車を止めて、後は電車で新宿に
来るのだそうだ。
この論法で言わせると、
銀座に行く時の「最寄り」駐車場は東京駅パーキングで、
横浜に行く時の「最寄り」駐車場は東京駅パーキングで、
鎌倉に行く時の「最寄り」駐車場は東京駅パーキングになるのだそう。

女の子を乗せて送る時、「おうちはどこ?」と聞きながら
穂村氏は胸のうちで呟く。
『四谷の近くだといいな。或いは東京駅。』

世の中の女の子のほとんどが、四谷か東京駅付近に住んでれば
世話は無い。
ってか、どんだけ選択肢少ないんだー!!!
わははは!可笑しいよー!!!


・・・ってなことで、内容まで書いてしまいましたが。
天然か、それとも完全に天然を装った計算か分かりませんが
とりあえずこの人面白い。
ご興味ある方、是非ご一読下さい。
私はこの本、まだ残り半分もあるので幸せです。
明日は新潟に移動なので、新幹線の中で読もう。


最近の自宅の仕事スペース。
好きなカードとめがねとオイルランプなどなど。










消失記念日

2011年02月03日 | 読書
乳腺科の定期検診。
気になる影が写るようで、3ヶ月に1回来て下さいって言われてた。
前回行った時、「あら、何だか小さくなってきてますね」と。
次は半年後でいいですよ~、と言われて今日行ったら、
「消えました。いい状態です。次は1年後で大丈夫です」と。

おー、消えることってあるんだ。何が良かったのかなあ。
まずはほっと安心。
今日はハギコ的「怪しい影・消失記念日」に制定。
・・・ということで噂の恵方巻・ねぎとろバージョンを
ゲットして、職場の相棒とお昼にわーわー言いながら食べた。
↑無言で食べ切るって、無理だ・・・
恵方巻は、コンビニ始めスーパーにも山積みになってました。
すっかり全国的習わしなのね。楽しいし美味しいから完全に乗っかってるけど。

ねぎとろ太巻きはさすがに美味しかったです。


ちょっと前から2冊の本のことをこちらでお話してますが
今日読み終わりました。
違う切り口で、違う視点から「生きる/死ぬ」をテーマにしていて
面白かった。

南直哉さんのご本『老子と少年』(新潮文庫)の方で、
ふーん、なるほど、と思ったこと。
「生きることが尊いのではない。生きることを引き受けることが尊いのだ」と
言う老師の言葉に対し、少年が「どうして?」と問いかけると
老師は「引き受けなくてもいいからだ」と答える。(101頁から引用)

この本の中で老師は、人が「●●しなければならない」ということが
あるとすれば、それはその人が「●●」は本来しなくてもいいことだから
「しなければならない」と自分に課すのだ、とおっしゃる。
確かにそうだなあ。
「明日は出勤しなくてはならない」ということは
もちろん「出勤しなくてもいい」という選択肢もある。
そちらを選ぶことも本来は不可能ではない。(ま、叱られるだろうけど)
でもそれじゃお金がもらえないし、周りで一緒に働いている人にも
迷惑がかかる。だから出勤「しなければならない」と自分に課す。

本来は「しない」「しなくてもよい」ものについて
「しなくてはならない」と引き受けるから辛いし尊いのだ、と。
生きることも一緒だとおっしゃる。
死ぬことも選べるし、生きなくても本来なら構わない。
(今ここであらゆる宗教上の思想は度外視します)
でも、「生きなければならない」と引き受けるから、尊いのだ、と。

・・・言葉にするとなんか話が違くなるような気もするけど、
きっとそういうことだろう。
私はこういう感じで受け取った。なるほど、と思った。

生きているのが「当たり前」な時代と国に生まれたから、そう思っているけど
実は「生きているのが当たり前」は錯覚なのかもしれないですね。
ちょっと油断すると、乳腺科で「影が写ってます」と言われるくらい
本来なら脆いもんなわけですよ、人間の身体って。
江戸時代の人は、「人間たかがク○袋」(失礼!ご不浄関係の言葉が入ります)と
表現したというけど、そんなもんなんだろうな、ほんとは。

老師のことばで、がつんと来たのは
「生きる意味より死なない工夫だ」(112頁)。
これは、どストライクでした。
普通の日本語の羅列なのに、理由もなく泣きそうになった。


とはいえ、実際にはそうはすっきり整理できるもんではないのだろうなと
思わせるのが、鴨志田穣さんの『日本はじっこ自滅旅』(講談社文庫)。
海外の戦場や東南アジアの貧困な地域で、現代の私たちが知りえないくらいの
生と死の現場をいくつもご覧になって、且つ自身もアルコール依存症に
なって自暴自棄な生活を送っていた著者が、
血を吐いてガンが見つかったことで、身体のことを労わり始めたり、
「死にたくなんかない」「こんなに“死”とは恐ろしいものだったのか」(252頁)
「身体と心を治したい」(323頁)と言う。

そうやって「死にたくない」とこの本を書いていた人が、
もうすでにこの世にいないという真実。
鴨志田さんは2007年に腎臓がんで亡くなった。

死ぬことを免れない、ということだけは、誰でも平等なんだよなぁ。
私もまだまだ頭でっかちでしかないけれど。