文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

そう言えばあのとき、駐リビア米大使が殺され、それを聞いた国務長官ヒラリーが仮病で入院した。何か関係があったのだろうか。

2021年02月04日 15時32分35秒 | 全般
以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
アラブで実験を
10年前、無許可で露店を出したチュニジアの青年が婦人警官にしばかれた。 
青年は屈辱に耐えられず焼身自殺した。 
アラブ世界を仕切るイスラムの戒律は自殺の自由すら認めない。 
戒律はまた「劣った女はチャドルを被せて家に閉じ込めるよう」命じていた。 
そんな女たちがいつの間にかチャドルを脱ぎ棄てて警察官になっていた。 
そしてコーランでは女より遥かに偉い男を公衆の面前で張り倒した。
男の方も戒律に背いて自殺した。 
この事件は統治者ベンアリが戒律に拉(ひし)がれた民の目を見開かせみんな自由になつたことを示していた。 
しかしニューヨーク・夕イムズとか国際世論は別の見方を提示した。 
べンアリを「23年間も民の自由を奪い貧困を強いた独裁者」と呼び、青年の死を悼む民衆に抗議デモを仕掛けるよう嗾(けしか)けた。 
その声はSNSを通して瞬く間に全土に広がり、ベンアリは1ヵ月も持たずに追われた。
世界はそれを「アラブの春」と呼んだ。 
その波にエルバラダイも乗った。
国際原子力機関事務局長を務めただけでなぜかノーベル平和賞まで貰ったエジプト人だ。 
彼はカイロのタハリール広場に立ち、ベンアリより長期政権を続けるムバラクの独裁を糾弾した。 
ここでもSNSが力を発揮したが、チュニジアとちょっと違ってイスラムが強かった。
「アラブの春」はイスラム坊主の仕切りでムバラクを潰した。 
エルバラダイは逆に「西欧の使徒」とされて「死刑」のファトア(宣告)が出された。
『悪魔の詩』のサルマン・ラシュディと同じ。
それで彼は逃げ出した。 
次にSNSが潰すべき独裁者と名指ししたのがイスラムの女性見下しの象徴、四人妻制を廃したリビアのカダフィだった。 
ただここの民はSNSに反応しなかった。
それで誰かが「イスラム国」系の戦士を送り込んで、米国製の武器も補給した。 
NATO空軍も5000回出撃してカダフィ抹殺が実現された。
世界は「アラブの春」に染まるリビアを祝福した。 
あれから10年。
そのリビアでは四人妻制が生き返り、女は閉じ込められ、部族同士の殺し合いが続く。 
ほかの国々も同じ。
春どころか冬に逆戻りし、日本の新聞もあの騒ぎが何だったか、答えも出せていない。 
そんな中、渦中にあったエルバラダイが「アラブの春は早すぎた」と英字紙に自省の記を載せた。 
彼は「独裁者は倒すべきだ」としながらも、倒す側に「成熟した政党や自由な論調を語るメディアが欠けていた」と指摘する。 
だから独裁者を倒したあと、収拾のつかない混乱に陥り、せっかく外した宗教のくびきにまた繋がれるという後退も起きた。 
あのとき俄かに巻き起こった「民主化の波」は決して民の中から自然に湧き上がってきたものではなかったと示唆する。 
では誰があの波を起こしたか。
先日の産経新聞の「21世紀の分岐点」に興味深い一節があった。
「米国務長官コンドリーザ・ライスがチュニジアを訪ね、べンアリにインターネットの自由を求めた」という。 
彼は諾々と応じフェイスブックが解禁された。 
それが人々の生活になじんだころ、そのSNSから青年の自殺とベンアリヘの非難と抗議デモ情報が溢れ出してきた。 
SNSがどんな影響力を持つか。
一国を倒すことも可能か。
それを誰かが実験したことは確かだ。 
そう言えばあのとき、駐リビア米大使が殺され、それを聞いた国務長官ヒラリーが仮病で入院した。
何か関係があったのだろうか。 
因みにトランプはアラブの春を見てSNSの威力を知った。
それでいい加減な新聞に頼るよりツイッターでの政治をやり始めた。 
バイデンも倣った。おかしな大統領選のあと、すぐツイッターとGAFAにトランプと彼のフォロアーの発信を封じさせた。 
バイデンはヒラリーと習近平を足して2で割った老人に見える。
 

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