goo blog サービス終了のお知らせ 

東京サンフィッシュ

落語ときものとマンガとマンボウを愛するコピーライター(こやま淳子)のブログ。

不思議な照明 ラミナイヤのマリー

2011年07月31日 09時54分03秒 | マンボウ日記
じつは最近、青山に引っ越しました。

引っ越したのは5月でしたが、大変でした…家具をそろえるのが。

なんせキレイではあるものの、全く収納のない部屋を選んでしまったものですから。

友人たちには「収納のない部屋と収入のない男はやめたほうが」などとさんざん止められたものですよ。ええ。


しかしやっとそんな私の部屋も、生活するのに不便のない感じになってきました。

照明会社に勤める友人Tさんに相談し、

目黒通りのお店に連れて行ってもらったり、いい雑貨屋さんを教えてもらったり。

とりわけダイニングの照明は彼女に選んでもらいました。



で、その私の部屋が、照明ブランドRayのサイトにケーススタディとして掲載されてます。

Rayブランドサイト Case Study

この照明(ラミナイヤのマリーというそうです)、

無垢のテーブルや北欧家具たちともとても合っていて、

モダンなようでいてなつかしいような、調和しているようでいて主張もしているような、

和にも洋にも合いそうな、不思議な魅力のデザインです。

Rayブランドサイト


しかし好きなモノだけで構成された部屋って気持ちがいいもんです。

もちろん収納問題もいまはすっきり解決しております。ホホホ。

これからすこしずつそんなモノたちを紹介していこうと思います。

ま、ただ自慢したいだけですが。

真夜中のマック。

2011年07月25日 05時29分09秒 | マンボウ日記
なんだか忙しい。

1日置きに5~8時間の打ち合わせに軟禁される毎日。

きょうは夜中にマクドナルドの夕食が出て、数年ぶりだったが、

けっこうおいしいなと思ってしまったりもして。

仙台で被災した友人が、被災直後のことをふりかえってこの前言ってたことを思い出した。

「あのとき、いちばん旨いと思ったのが、ジャンクなものだったんだよね~」

わかる気がした。疲れているときって、そういうことがある。

たぶん塩分の問題だろう。

ひとの体って、なんだかせつない。

そんなことを、真夜中にチーズバーガー食べながら思った。

ま、でもよく考えたら、奴はふだんからラーメンとか、ジャンクフードばっかり食べてるけどな。

見返すということ。

2011年07月18日 13時32分57秒 | マンボウ日記
朝まで見ちゃいました。なでしこジャパン。

途中でてきとうに寝ようと思ってたら、寝るタイミングなんてなかったね。

PKまで行ったとき、でも去年の男子のときのような怖い気持ちは不思議と起こらなくて、

それは彼女たちが楽しそうに笑ってたせいだと思う。


何日か前の天声人語にあったけれど、キャプテンの沢選手は、

小学校のとき男子のなかでサッカーをやっていて、

試合中「女のくせに」とスパイクを蹴られたことがあるらしい。

ひどい話だとは思うけど、正直いうと私もついこの前、

はじめて女子サッカーを見たとき思いましたよ。

「なんで女子なのにサッカーやろうとか思ったんだろうなー」と。


でもそんな考えは、見ていくうちにどんどん消えてなくなった。

そして今朝。

もう「女がサッカーやるなんて」などと、誰も言えない世の中になってしまった。

「見返す」って、こういうことだったんですね。

なんてかっこいいんだろう。

なでしこジャパンのみなさん、おめでとうございます。

FCC授賞式。

2011年06月13日 20時52分57秒 | マンボウ日記
福岡コピーライターズクラブ(FCC)の授賞式に行ってきました。

九州の方々ばかりかと思ったら、中部や大阪、そして東京からも人が集まっていて、

最初は少し気後れしていた私ですが、

一次会、二次会、三次会、四次会(←この時点で朝です、もちろんw)と

会を重ねていくごとに、いろんな方と打ち解けて、楽しくお話したり、

広告のことを熱く語りあったりしましたよ。

川沿いの屋台でしゃべった思い出は、なんとなく異国情緒まであったりして、

この時期、カンヌで語り合うのもいいけれど、九州で語り合うのも悪くないのね。

と思ったりした次第です。

お会いしたみなさん、ありがとうございました。

仙台から。

2011年05月06日 00時13分46秒 | マンボウ日記
この連休中、仙台市若林区の友人が、遊びに来ていた。

もう二度も死にかけたし、いつ死ぬかわからないし、

お金送ってもらったお礼はなにかなって考えて、

やっぱり生きてるうちに会っておこうと思ってさ。

なんてノリでやってきて、ひととおり震災話も聞いたけども、

あとはもう「化物語」だの「テルマエロマエ」だの「上条衿」だのの話。

オタクってすごい。どんなときもマイペースにオタクなのだ。

閉塞した日本を救うのは、オタクかもしれない。

と、本気で思った。

おみやげに、一の蔵限定酒「大和伝」と、萩の月と、上条衿のハガキと、宮城マスコットのむすび丸と…

とにかくいろいろもらった。くれすぎだっつの。


たくさんのおみやげの中にまぎれて、しおらしく入っていたカードに、書かれていたメッセージ。



「僕らは、海と大地と空をとりもどす」







うん。わかってる。君ならやれる。

いや、「僕ら」ってのは、「私ら」っていう意味か。


来てくれてありがとう。

こんどは仙台で逢いましょう。











眞木準さんのコメント。

2011年04月12日 10時44分16秒 | マンボウ日記




上を向き 歩くため 咲く 桜かな











春です。


まぎれもなく。




2001年に東京コピーライターズクラブの新人賞をいただいたとき、

コピー年鑑に掲載されるコメントを、いまは亡き眞木準さんに書いていただいたのだが、

そのときの手書き原本が、昨日、急に手に入った。



先週の水曜日、マネージャーの岡部さんから突然のメール。

「事務所を片づけていて、こやまさんのTCC新人賞受賞の際に、

眞木が年鑑用に書いたコメントの原本、手書きの書類をみつけました。

もしよかったらご送付しようと思うのですが」


急性心筋梗塞で眞木準さんが突然亡くなられてから、もうすぐ2年。

私が独立して1年。

東北大震災から1か月。

そして新人賞をいただいてから、ちょうど10年。

いろいろな意味で気持ちの切り替えが必要だった私には、

このことが、なにか特別な意味を持っているように思えた。

いや、ただ感動しただけかもしれない。

面識のない私の連絡先を調べ、わざわざメールをくださった岡部さんの気持ちのよさに。


で、昨日。西麻布のマキプロに伺ったのだ。

「眞木がコメントしたもの、すべてがこんな風に残ってるわけじゃないんですよ。

たまたまこれはきれいにファイルされてて、しかもサインまで入っていたので、

これはもう連絡してみようかなと思って」

岡部さんは予想通り、とても気さくでいい方だったが、眞木さんの話をすると、

やっぱり少ししんみりした気持ちになられるようだった。

眞木さんはすぐダジャレの人みたいに言われるけれど、

やっぱり「でっかいどお。北海道」みたいなのだけじゃなくて、

「恋を何年、休んでますか。」とか「きょ年の服では、恋もできない。」

のような、色気のあるコピーこそ眞木さんなんですよね、

みたいな話をひとしきり。

人の価値観を一瞬で変えてしまうような、華やかなコピー。そうだ、

「四十才は、二度目のハタチ。」

というのもあった。

それから、私はどんなにこの連絡をいただいたことがうれしかったか、ということを岡部さんに伝えて、

「なんだか私、がんばれって言われてる気がしたんです」

なんてことを、青く語ってしまったりした。

そう。先の見えない世の中で、いちいち不安定な選択をしてしまう私だけれど、

このまま突き進め。

そう言われている気がした。

まあ、気がしただけだけなんだけど。


途中、マキプロの若いコピーライターの女子が挨拶をしにきて、

「こやまさん今日いらしゃるっていうので、メイクしちゃいました(笑)」

なんて言ってくれた。カワイイ子。またああいう子がどんどん育ってきてるのね。

しんみりしてばかりはいられないけれど、

でもこんな時間も、たしかに必要なんだと思う。

みんなで泣いたりしんみりしたり、思い出話を共有したりしながら、

前に進んでいけるのだと思う。

独立一周年。

2011年04月01日 23時14分08秒 | マンボウ日記
なんと今日で一年が経ってしまいました。独立してから。

一年前は、希望に満ちていたけれども、

こんなにいろんなことがあるとは予想してなかったなあ。

独立初仕事は、広告雑誌のいいページに載せてもらったり、FCC賞いただいたりしたし、

初めて出した本は、一週間で重版決定。

震災のショックも大きかったけれど、その後もどうやら本は売れゆき好調。

新しい仕事もいただけている。

でも、それもこれも、継続してやらせていただいている仕事があるおかげ。

プライベートを支えてもらっているお友達がいるおかげ。

なんつって、激しく自分褒めと、感謝の気持ちに酔いしれている夜であります。


もともとそんなにスーパーポジティブな方ではないと思うんだけど、

独立してからというもの、私はつねに、幸福感と、よくわからないやる気に満ちている。

もしかしてこれって、不安定だからこそ出るアドレナリンみたいなもののせいかも。

不安ハイってやつ。知らないけど。

明日からまた、細々とがんばります。

震災後の私たちの非日常のような日常。

2011年03月22日 22時09分48秒 | マンボウ日記
仙台市若林区で被災した友達が、生きていた。

震災から2日たった夕方のこと、突如その彼がツイッターに


「生きてます!なう( ̄▽ ̄)ノ」


という書き込みを上げた。

そのやりかたが、本当に彼らしくて、うれしくて、にくらしくて、泣いて、笑った。


あれから一週間以上がすぎて、私たちの日本は、まったく違う国になってしまった。

東京の街は暗く、お店のなかも冷え冷えとしており、コンビニはがらんとしている。

ビューティフルドリーマーという昔のアニメを思い出したが、

たしかにそんな風に現実味のない日常に、少しずつ慣れてきつつさえ、ある。


被災した友人は、どこか涙もろく、情に厚くなってしまった私たちを

すこし鼻で笑うかのようにかろやかに、(少なくともネット上でのやりとりではかろやかに)

「いまは父の実家で携帯充電中( ̄▽ ̄)ノライフライン止まってます( ̄▽ ̄)ノ」

みたいな感じで少しずつ現状報告してくれる。

それどころじゃないだろうに、

ずん子さんの本を探しにツタヤに行ったら閉まってやんの。

みたいなことまで言ってくれる。

福島原発の騒ぎの当初には、放射線を恐れた誰か他の友人へのつぶやきに対し、

「気にすんな(笑)それなら俺もひばくだ(笑)( ̄▽ ̄)」

と、書いているのを見た。

私はそのときまだ、東京の放射線量にさえおびえていたし、ましてや福島に近い地域の彼らを心配していたし、

あげくのはてに、「イソジン飲むといいらしい」みたいなデマまで流してしまっていた。

恥ずかしかった。

彼らは彼らで、きっとこちらが思う何百倍ものことを考え、恐れ、打ち消して、

そのうえで強く生きようと、前に進んでいるに違いない。

それをやたら心配したり何か応援しようというこちらの気持ちは、

もしかしたら自分たちの恐怖を、ストレスを、打ち消すためのものにすぎない、

かもしれなかった。


でもそうはいってもね。

こんなときくらい小難しく考えずに、なにかしていようってやっぱり思う。

それはもしかして間違っているかもしれないけど、

どうせ間違うなら、心の動いた方向に間違いたいと思うんです。





被災地の友人へ。

2011年03月13日 13時58分14秒 | マンボウ日記
人生には苦楽があるというけれど、

地震や津波で亡くなってしまった人には、

「またいいこともあるよ」

と、言ってあげることができない。

ものごとのすべてには意味があるというけれど、

今回この国に起こったできごとの意味を、

うまく理解することができない。


仙台に友人がいて、まだ連絡がとれずにいる。

アキバ系のオタクで、メタボリックな体型の彼のことを

「アキバでメタボだからメタバ」

と、からかえば(でも彼は全く動じず、毎日ラーメン食べた日記をSNSに上げていた)、

彼は「ずん子さんはきれいだけど女を感じない。アニキって感じ」

と言い返してきたりした。

「ニコニコ動画」と「初音ミク」をはじめて教えてくれたのは彼だったし、

舞台ガラスの仮面を一緒に観に行って、そのあとオタッキーな少女マンガ論を

熱く交わしたりもした。


ずっと彼の無事を信じている。また会えると信じている。

信じている私が最大限にできることを、ずっと考えている。

でも考えて何もしないより、何も考えず募金と節電をしたほうがいいのかもしれないね。

とりあえずは、いまの私にできる限りのお金を、日本赤十字社に送ろうとおもっています。

宣伝会議賞贈賞式

2011年03月05日 11時47分24秒 | マンボウ日記
きのう青山のダイヤモンドホールで、宣伝会議賞の贈賞式が行われた。

今年は一次審査員として出席。

昔は贈賞式の日には、すべて受賞作も決まっていたものだったけれど、

最近はファイナリスト10人まで決めておいて、当日に発表するという、

まるでタレントのコンテストのようなシステムなのだった。

しかもUSTREAM中継まであるとかで、会場は緊張感あふれまくっている雰囲気。

司会にフジテレビのアナウンサーまできていた。

いつからこんなことになってたんだ、宣伝会議賞。

そんなわけで、なんだか見ているこちらまでドキドキ。

しかもしかも、ファイナリストの中に、2人も知り合いがいたのである。

1人はH堂の若い営業で、担当している仕事の部署にいる男子。

1人は最近コピーライターの友人・坂本和加ちゃんのワークショップで出会った美大の子。

美大の子の方は協賛企業賞もとっていた。みんなすごいのね。

32万以上の応募総数とのことだったが、

ふたをあけてみると、けっこう協賛企業賞などを2つ取っている子、他にも何人かいた。

倍率って関係ないのかもしれない。

パーティのときに聞いたら1人1000本出したって言ってる子もいたしな。うう。

それにしても大規模な発表だった。グランプリ発表のときは、ドラムロールまで鳴っていた。

そしてH堂の営業の子は、見事CMゴールドを獲得。

おめでとう、おめでとう。

さらに個人的には、(どの賞かは書けないが)自分で審査して一次通過させたコピーが

受賞していたのも感慨深かった。

そのときは、ちょっと涙が出そうになった。

私もがんばろう。と、すこし初心に戻れたかもしれない。

受賞者のみなさん、本当におめでとう。いいパワーをたくさんもらえました。